「取引をしよう」
 その提案に桜ノ宮さんを頷かせ、先に教室に帰ったのを見送った後、僕は大きく息をつきながらベンチへ崩れ落ちた。右手を見ると、小刻みに震えている。虚勢を張って必死に隠していた恐怖がにじみ出てきたらしい。立場はこちらの方が上だったというのに、情けなくて笑えてくる。
 不良。
 それは僕――四条遥がこの世界で一番嫌っており、同時に一番恐れている人種だ。
 彼らは自分の機嫌だけで理不尽に殴りかかってくるし、自分より弱い人間をまるで物のように扱ってくる。
 中学時代はそれで散々いじめられ、お陰で人間不信になってしまった。そんな自分に嫌気が差して、高校では仮面を被り、みんなに好かれる王子の振りをしていた。元は人とほとんど喋らないタイプだったから色々とキツかったけれど、それでもなんとか上手くやれてた。
 だから昨日、同じクラスの桜ノ宮さんが不良だったと知った時には全てが終わったと思っていた。口封じと称して殴られて、高校三年間脅され続けるのだろうと。
 だが彼女は「元不良であることを口外するな」という口約束をさせただけで、何もしなかった。今だって呼び出して暴力を振るわれると思っていたのに、結局約束が守られているかの確認だったし。
 そこで僕は確信した――桜ノ宮さんは、僕を傷つけるつもりはないらしい、と。
 それどころか僕の仮面の限界に気付いているし、僕に秘密を漏らされるのを恐れている。
 使える、と思った。彼女の弱みを利用して協力させれば、僕の学校生活はより快適になるだろう。だから取引をもちかけて、半ば強引に頷かせた。
 話せば秘密をもらすと言われ、恐怖を滲ませた彼女の顔はひどく優越感を誘った。かつて自分をいじめていた人種と同じ人種が自分のより下の立場にいる。その事実に、自分の中の復讐心や征服欲などのほの暗い感情がざわざわと騒ぎ立てていた。我ながら最悪だと思いつつも、しばらく止められる気はしない。
 気付けば手の震えは止まっていた。僕は残ったアイスココアを飲み干してからベンチを立ち、大きく伸びをする。夏の名残のある青い空には、真っ白な雲が流れていた。
 その綺麗な雲を眺めながら、僕はもったいないな、と思った。
 桜ノ宮さんはとても綺麗でかわいいのに、元不良なのはもったいないな、と。

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