自分に素直に生きましょう。そんな言葉はくそ食らえだ。
 自分の望みを叶えるためには、仮面を被って嘘百パーセントで生きなければならない時もある。その生き方を否定するのは、変わりたいという願いを否定するのと同じだ。
 私――桜ノ宮(さくらのみや)(かおる)はそう思っていたし、実際にそれを実行している。
 とはいえそれによって、自分の芯を曲げる訳にはいかない。
「なぁ美人なお姉さん。そこ、どいてくんねぇかなぁ」
「俺たちゃあんたの後ろの奴に用があるんだよ」
 学校帰りのコンビニ前で、私は不良中学生二人と向き合っていた。背中の後ろには男の子が一人。鞄を抱いてぶるぶると震えているこの男の子は、先ほどまで目の前の不良二人にカツアゲされていた。そこをたまたま私が通りがかり、間に割って入ったのだ。
「嫌よ。どいたらまたこの子をいじめるのでしょう? 絶対にどかないから、諦めて帰ってちょうだい」
 これでも学校では、おしとやかで通っている。そのイメージを崩さないよう、にっこり笑って答えてみせた。
 けれども不良たちには、逆効果だったようで。
「はぁ? なんだとこのアマ」
「女だからって許して貰えると思うと痛い目見んぞ」
 二人はぽきぽきと手を鳴らしながら、額に血管を浮かせはじめてしまった。明らかに臨戦体勢だ。
 私は呆れながらも、辺りを軽く見回した。
 近くには、犬を連れたおばあちゃんと、買い物袋を下げた女の人が歩いているだけ。見られてまずそうな人は誰もいない。ならば多少は問題ないだろう。
 私は手にした鞄を放り投げ、長い髪を後ろに流した。不良二人は私の突然の行動に驚いたのか、目を皿のように開いている。そんな二人に向かって、私は指をぽきぽきと鳴らしながら、封印していたあくどい笑みを浮かべてみせた。
「おうよ、かかってこいや。ぶっ飛ばされる覚悟があるならなぁ!」
「「「ひいいっ!?」」」
 ちょっと威嚇してやっただけなのに、不良たちは悲鳴をあげて一目散に逃げてしまった。ついでに守っていた男の子も、一緒になって消えている。
 コンビニ前にたった一人残された私は、はぁ、と大きなため息をついた。やっぱり本性のままでは、誰も私の周りにはいてくれない。
 落ち込みながら帰り道へ踵を返すと、その先に立つ人影が目に入った。
 途端に、ひゅっと血の気が引いていく。
「桜ノ宮……さん?」
 その先で固まったまま、こちらを凝視しているのは。
 同じクラスの――四条(しじょう)(はるか)だった。

   ***

 私は中学まで不良をやっていた。もっとも、なりたくてなった訳じゃない。すべては二つ下の弟・蓮を守るためだった。
 蓮は小学生の頃から気が弱く、いじめっ子たちの標的にされていた。大人数でよってたかって暴言暴力を浴びせられる蓮を見たとき、頭が沸騰するような心地になったのを覚えている。気付けば拳一つでいじめっ子数人に立ち向かい、そして全員を倒していた。どうやら私には、喧嘩の才能があったらしい。
 そこからは蓮に近づくいじめっ子たちを、時には威圧し、時には拳で追い払う日々。やがてテレビドラマか何かで「不良」という言葉を知り、もしかして自分はまずいのでは?と思った時には既に手遅れで、不良呼ばわりされていた私はたった一人になっていた。
 とはいえ悪いことばかりではない。私の努力が実ったのか、蓮は次第にいじめられなくなった。しかも私が中学三年生になる頃には、自分で友達を作れるようになったのだ。
「僕ならもう大丈夫だから、高校はお姉ちゃんの好きに生きて」
 中学の卒業式でそう語った蓮の目からは、いじめられていた頃の弱さは消えていた。弟の成長に感動しながらも、私はその提案に乗ることにした。
 本音を言うと、私はずっと普通の女の子に憧れていた。弟を守れる強い自分を否定する訳ではないけど、避けられるのはやっぱり辛い。
 だからこそ、高校では自分を偽ることにした。髪を伸ばし、口調を変え、不良の自分を知らない場所にいき、正体をひた隠しにする。誰もが恐れる不良ではなく、みんなに好かれる女の子になって、思い切り青春してみたかった。
 幸いにも私の見た目は整っているらしく、高校デビューは難なく成功。自分でいうのもなんだけれど、「一年一組の大和撫子」なんて呼ばれて色々な人が近づいてきてくれるようになっていた
 そうして半年上手くやってきていたのに――昨日全てが、四条にバレてしまった。

   ***

「薫?」
「かおかおー?」
「かーおーるーさんっ!?」
 ぱちん、という音とともに名前を呼ばれ、私ははっと前を向いた。前の席では茶色がかったショートボブの、活発そうな女子が両手を合わせてふくれ面をしている。
 羽生(はにゅう)さつき。一年一組のクラスメイトで、高校に入って初めてできた友達だ。ちなみに彼女も、もちろん私の本性は知らない。
「もー、さっきから話しかけてるのに、ずっと無視するなんて」
「ごめんさつき、ちょっとぼーっとしていて」
 言いながらも私は元の方向を横目に見てしまう。今朝登校した時からその場所が、気になって仕方がなかった。
「何見てるの……って、四条くんじゃん」
 視線を追ったさつきが、意外そうに私と四条を見比べる。
「薫みたいな美人でも、四条くんのことが気になるんだね」
「まあ……多少はね」
 恐らくさつきの言葉の意味は私の心配とは違うが、曖昧に濁しておくことにした。
 教室の窓際では、黒髪の男子が複数人の男子に囲まれて笑っている。背は高く、色白で、口元には柔らかい笑み。その容姿と誰にでも平等に優しい態度から、彼は「学年一のイケメン王子」の称号を女子たちから与えられていた。昨日コンビニ前で鉢合わせた四条遥は、そういう男子である。
 私は元々、四条の容姿にも性格にも興味がなかった。むしろあの微笑みは、どこか違和感を覚えてしまう。けれどその裏に何があろうと、私には関係ない。私は私の望むままに、さつきや他の女子たちと、楽しい学校生活を送れれば十分だ。
 そう、昨日までは思っていた。
 だが今は違う。なにせ四条は私が封印していた本性を知ってしまったのだ。彼が一言「桜ノ宮さんは不良だったんだよ」なんて話せば、私の高校生活は終了する。
 一応口止めはしているが、守ってくれる保証はない。大して親しくもない相手の秘密など、格好の話の種なのだから。
 もしも噂が広まれば、中学の頃と同じように、一人になってしまうだろう。それだけは絶対にごめんだった。
 そわそわしていると、ついに四条たちの方から「桜ノ宮さん」「なにかあった」という言葉が聞こえてきた。危険を感じた私はとっさに席を立つ。
「え、ちょっと薫?」
 戸惑うさつきを置いて、私はつかつかと四条の方に歩いていった。噂をしていた本人が来たからか、集まっていた男子たちは全員顔を硬くする。その中で一人、四条だけが微笑んだまま座っていた。
 相変わらず違和感のある、どこか無理をしているような笑みだった。何故かいじめられていた頃の蓮が彼に重なる。けれど今は、それを気にしている余裕はない。
「四条くん。少し話があるのだけれど、いいかしら」
 四条と向かい合い、動揺に気付かれないよう穏やかに話しかける。
 すると彼はぴくりと眉を動かした。だがそれ以外は特に変わらない様子でこちらを見上げてくる。
「もちろん。ここで話す?」
「いいえ、できれば別の場所で」
「……わかったよ」
 四条はためらいながらも、なんとか席を立ってくれた。
 同時にざわりと教室が沸き立つ。
「桜ノ宮さんが四条を呼び出し!? まさか告白……!?」
「嘘だろぉ!? 俺、桜ノ宮さん狙いだったのに!」
「四条くんに彼女なんて無理なんだけど~!」
 クラスメイトたちは好き勝手に妄想を膨らませているようだった。もしかしなくても、やり方を間違えたかもしれない。
 それでももう、私は後には引けなかった。これから話す内容は……私の高校生活が掛かっているのだから。
 収まらない焦りを抱えたまま、私は四条と共に教室を後にした。


「それで、何の用かな?」
「分かっているのでしょう、昨日のことよ」
 やってきたのはグラウンド端の自販機。その横に置かれたベンチへ、私と四条は並んで腰掛ける。季節は二学期に入ったばかりの九月。まだ暑さが残る今の時期に、昼休みにグラウンドへ出ようという生徒はほぼいない。だからこそ秘密の話をするには、ちょうどよかった。
「昨日って……君が柄の悪そうな中学生をぼこぼこに殴ってたこと?」
 四条は手にしたアイスココアの缶を開けながらそう言った。ぷしゅっ、と軽快な音が辺りに響いた。
「殴ってないわ。ちょっと脅かしてやっただけ」
「ああそうだった。でも、どのみち桜ノ宮さんが不良だったことには変わらないよね」
 私が睨むと、四条はアイスココアを一口飲んでそう言った。その姿は教室で見た王子様のような彼とはどこか違う。私を嘲り、見下しているような物言いだった。
「不良が何の用? 言っておくけれど、僕は不良って大嫌いなんだよね」
 棘のある言い方に、頭に血が上りそうになる。けれど感情にまかせてしまえばそれこそ取り返しがつかなくなるだろう。冷静に、冷静にと心の中で繰り返しながら、私は四条に言葉を返す。
「昨日の話、誰かに言っていないでしょうね」
「さあ。嘘をつくのを止めたら教えてあげようかな。その口調も性格も、全部作り物の嘘なんでしょ?」
 小さく肩をすくめた四条にいらいらしてくる。それでもぎりぎりで耐えながら、彼の望み通り全ての仮面を剥ぎ取った。
「……さっさと昨日の話を誰かに言ったかどうか聞かせろ」
「なるほど。一年一組の大和撫子の正体はこれか」
 四条は面白いものでも見るように、こちらをじろじろ眺めてくる。そろそろ我慢の限界だ。既に本性ばれしている手前、多少は感情を表に出しても許されるだろう。
「いいから聞かせろって」
「誰にも言っていないよ」
 四条はふいと顔を逸らしながらそう答えた。その振る舞いは何かを隠しているように見えて、余計に不信に思えてしまう。
「……なんか怪しいんだけど」
「本当だってば。第一、昨日君に約束したでしょう。あのことは秘密にするって」
「じゃあさっき教室で何を話してたんだ」
 私の名前や、なにかあった、と話していたアレだ。名前が出てきていた以上、あのときは確実に私の話をしていたはず。
 だが四条は呆れたようにため息をついた。
「あれは桜ノ宮さんが僕をやたらと見てくるから、みんながからかってきただけ。秘密にしたいなら、君も行動に気をつけないと」
「あぁ……」
 つまりは気にしすぎだったらしい。私は脱力しながらベンチの背もたれに背を預け、手に持っていたコーラのプルタブに手を掛けた。ぶしゅっと炭酸がはじけ飛び、涼やかな音が駆け抜けていく。
「ごめん、面倒掛けて」
「次から呼び出すのとかやめてよね。恨まれたくないから秘密は守ってあげるけど、不良には関わりたくないし」
 四条は心底嫌そうにしながら眉間に皺を寄せた。
 なにか不良に深い恨みでもあるのだろうか。とはいえ私を弱い者いじめをするような不良どもと一緒にされるのも癪だった。
「別に私は、好きで不良になった訳じゃない。いじめられていた弟を助けたらいつの間にかそうされていただけ。昨日だってカツアゲされていた奴を助けただけだし……まあその子にも逃げられたけど」
「……へえ」
 四条はいまいち信じていない様子で横目に見てきた。その顔にはいまだに「警戒しています」と書かれている。
 やっぱり四条は、噂通りの王子様とはかけ離れている。いくら王子でも不良相手に優しい顔はできないのか、それとも四条の本当の性格がそうなのか、いずれなのかは分からない。けれど経験上、前者の可能性が高い気がした。
 やっぱり元不良とバレれば、それだけで遠ざけられてしまうのだ。だから四条が秘密を漏らさないでいてくれるだけで、満足しなければならない。彼に嫌われたとしても、それ以外に好かれていれば学校生活は楽しめるのだから。
 沈む気持ちに活を入れようと、缶の中のコーラを一気にあおった。ひりつくような炭酸が、喉をちくちく刺していく。その刺激が幾分心を紛らわせてくれた。
「それじゃあ、私は先に帰るから」
 空になった缶を潰してゴミ箱に入れ、四条の方を振り返る。
 きっと彼と深く話すのは、これきりになるだろう。あとは必要最低限の関わりだけで、高校生活を終えるのだ。
 ならばと私はとある疑問を口にする。
「一つ、聞きたいことがあるんだけど……教室から連れ出す前、なんであんたは無理に笑ってたんだ?」
 諸々の不安が解消された今、それだけがよく分からなかった。不良が嫌いと言い続ける彼が、素直に返答してくれるとは思わなかったが。
 けれど四条の反応は予想外のものだった。目を大きく見開いて、私の顔を凝視している。まるで自分でも知らなかった真実を、私に言い当てられたみたいに。
「無理に……そう見えた?」
「ま、まあ……いじめられてる頃の弟にそっくりだったし」
「…………ふぅん」
 四条はアイスココアの缶を地面に置くと、ゆらりと立ち上がる。その異様な雰囲気に気圧され後ずさるも、がしりと腕を掴まれた。
「前言、撤回するよ」
「え」
 四条はにっこり微笑んだ。それは学年中の女子たちに王子様と呼ばれる笑み。けれど口から出てきたのは、私にとっては恐ろしい言葉で。
「やっぱり取引をしよう。僕は君の秘密を守ってあげる。代わりに、君は僕が『無理してる』って感じた時、こうして逃げ出す口実をちょうだい」
 破ったら秘密を漏らすから。
 脅迫のように告げた四条の姿は、王子と言うより悪魔だった。

   ***