江戸川乱歩だか、なんかしらんけど、叙述トリック考え出した第一人者って、めっちゃ有能ちゃう? ま、そんなんどうでもええわ。
そんなことを考えながら、私は今、夜の国道1号線を自転車で駆け抜けていく。5月の微温くもなく、冷たくもない風は、微かに潮の香りがした。
湘南エリアと呼ばれている我が地元、神奈川県平塚市は、今日もこの時間になると静かそのものだった。
さーて、山本優花(やまもとゆうか)の本日のハイライト。たまたま隣の席になった麻希(まき)ちゃんと休み時間に話したのが印象的だった今日、バイト終わりの、22時のローソンから出て、とんでもない光景を目撃してしまった。
あのな、私、吉沢拓海(よしざわたくみ)くんの秘密を知ってしもうたわ。1軍中の1軍。それどころか、うちらの第2学年のなかでも、トップオブトップのイケメンやん?
同じクラスだけど、私みたいな中途半端な、1.5軍なんて、接点があるけど、微妙なそんな感じやから、プライベート目撃できただけでラッキーなんやけど。本来ならな?
いや、嫌なとこ目撃してもうたなって、もう、あかんやん。キャラ崩壊やんって感じで、絶対あかんやん。
まず、軽く、状況整理しようか。
あの、さわやかイケメンの吉沢くんと思われる人物が、私がせっせと自転車を漕いでいる最中に、文字通り、轟音を立ててな、通り過ぎていきおってな。
そんで私も、ただ、あー、またうるさいのが何台も通り過ぎたな。もっと海の方、走ればええのにな。とか、そんなこと考えながら、えっちらおっちら、ペダルを漕いでたんよ。
ほんで、駐車場広めのセブンの前通ったら、その轟音スクーター集団がたむろってて、あー、やってるわ。なにしてん。って思いながら、ちらっとみたんよ。
したら、その中のひとりがヘルメットを取ったから、気になって思わず、その方を見るやん?
ほいだら、目が合って、その人誰だったと思う?
そう、あの、さわやかイケメンの吉沢くんやってん。
まずな、髪型がセンターわけで短めのマッシュウルフだったし、くっきりした目は遠目からでも、あ、吉沢くんの目じゃんって一発で認識できる感じだったな。
せやけど、こっちには、気がついてない、または、知らんぷりされた気がするねん。だって、同じクラスだからさすがに、1.5軍の私のことくらいわかるでしょ?
それとも、本心では、私のこと、虫けらだと思うてる?
本心はわからへんけど、本当に目が合った。おそらくやけど、吉沢くんから見て、私なんて、しょせん、モブ程度のもので、たぶん、ぱっと見で、私が同じ高校、それも同じクラスに存在する人物だって、認識できなかったと思うねん。
あ、これ、私の勝手な推理な。
暗闇のなかだけど、私はわかるよ。『いや、なんでお前と目が合うねん』って絶対、向こうは思ってるはずやん。いや、吉沢くんはな? そら、きれいな標準語よ? だから、もし、そう言ってたとしたら、『目が合ったな』とか、かっこええ感じになって、エグいな。
ガラ悪そうな集団のなかで、ひとりだけ輝いてたわ。いや、そんなとこで、吉沢くんは輝かくていいよ。輝いていいのは、学校の中だけにしといて。
こんなガラ悪そうな集団にいなくたって、女子には困らんと思うよ、マジで。
いやー、もし、一人でいるなら、もしかたら吉沢くんに声かけたと思うな。
それくらいの勇気、私は出していたと思う。そういうシチュエーションだったら、普通にチャンスやん。神様、ありがとう! って言うて、「吉沢くんやん。なにしてるん?」とか声かけとったわ。
せやけど、吉沢くんは、爆音スクーター暴走族で、私がセブンを通り過ぎて、数分後に、また爆音スクーターが私の後ろから、自転車のペダルをせっせと漕ぐ私のことを追い抜いていったわ。
とりあえず、今日は普通にバイトで疲れたし、情報量、やや多めやから、麻希ちゃんにはLINEで報告せず、普通に明日、放送室でこっそり報告しよ。
☆
「ヤバいね」
「あかんやん。普通にガラ悪かったで」
昼休み、いつもとおり、放送室に行き、朝、いつもとおりファミマで買ったサンドイッチを片手に、昨日の一部始終を麻希に伝えた。放送機材に横付けされている事務机に横並びに座り、いつものように、麻希と、ぺちゃくちゃおしゃべりをしている。放送機材の先に、防音ガラス越しの真っ暗なスタジオがあり、スタジオが暗い所為で、痩せ型でボブの二人がランチをしている、間抜けな姿が、ガラスに映っていた。
「だって、普段、優等生ぶってるのにね」
「てか、そこそこ進学校やん。うちらの学校って」
「そうだね。だから、放送部界隈の人間でも2軍扱いされず、一応、人権はあるからね」
「せやねん。そこよ」
そう言って、私はサンドイッチを一口、ひょいと食べた。薄っぺらいレタスが申し訳なさそうにシャキっと音を立てた。この放送部は、アナウンスはガチ勢で、大会は出場するけど、映像番組とか、音声番組とか、そういう番組制作には、まったく情熱がない。
「だよねー。なんで盗んだバイク乗ってるんだろう」
「いや、悪すぎやろ。犯罪やん。もしそうやったら豚箱行けってな」
「私、そこまで言ってないし」
麻希はそう言って、ボトルのカフェオレを一口飲んだ。昼間、放送室にいるのは、ここが居心地がいいからやし、三年生の先輩方は、受験勉強だの、塾に行くだのとかいう理由で辞めてしもうたから、結局、簡単に放送室は、私と麻希の天下になっていた。
せやから、昼休みはこうして心置きなく、放送室で麻希とランチを食べている。放送部はアナウンス部門が強い。もちろん、私も、麻希もアナウンス部門のエースで、1年生のときから、先輩を差し置いて、全国大会に出場した。
やねん。私たち、二人は最強女子アナコンビとして、ちょっとした人気っぽいなって気配も若干感じている。それに私は、神奈川県ではレアキャラの関西弁女子やのに、標準語もバリ上手くて、どうなってるん? ってよく話題になるのも知っとる。
麻希は妙な間のあと、急に吹き出すように笑い始めた。
「ヤバない?」
「ヤバいっていうか。イメージできないかも」
『イメージできないかも』と麻希が言うときは、大体、私の意見に同意してるってことやなって思うようにしている。
せやから、私としては、麻希とツートップでアナウンス部門のエース張れているのはちょっとだけ誇りに思っている。だから、昼休みに放送するのは、放送依頼があったときで、大体、放送依頼があるときは、誰かが、私らが座る右後ろの扉をノックして、入ってくる。
「え、なんでよ?」
「だって、生徒会副会長だよ? 吉沢くん」
「せやな。確かに」
そう返すと、麻希は何に面白かったのか、わからないけど、ゲラゲラ笑った。そういえば、なにしてるんだか、ようわからんうちの生徒会の副長やってるんやったわ。
「もし、スクーターで夜遊びしてるなら、吉沢くんの行動原理がよくわからないんだけど」
「行動原理?」
そう聞き返して、すぐに麻希が言いたいことが同時に頭の中に浮かび、アホちゃうか私、って思いながら、結局、麻希にそう聞いた以上は、仕方ないやん私、って思い、私にしては珍しく、大人しく、麻希の話を聞くことにした。
「だって、内申点上げるためでしょ。生徒会に入るのって。うちの生徒会なんて、あってないような感じの空気感じゃん。てか、何やってるかわからないし」
「せやな」
「それなのに、夜遊びしてるって、推薦枠狙ってるとしたら、マイナスじゃん」
「たしかに! あれやないの? もし夜遊びで悪いことしてても、生徒会に入ってることで、許しを得るとかちゃうか?」
「それじゃあ、生徒会に入ったのは、夜遊びするためのことってこと?」
麻希に聞かれたから、せや。と言って、頷くと、また麻希は笑い始めた。
「意味不明なんだけど」
扉をノックする音が聞こえた。だけど、私はそれを無視して、話を続けた。
「てか、存在自体が意味不明よな。そうなると」
「誰のこと言ってるんだよ」と後ろから予想外の低い声がしたから、私と麻希はさっと、後ろを振り向いた。放送室の入口に、吉沢くんが立っていた。だから、思わず、私は左側の麻希を見ると、麻希も私のことを見てきたから、顔を見合わせる格好になった。
「なんか、微妙な反応じゃん。これの放送、お願いしたいなって思ってさ」
そう言いながら、吉沢くんは、上靴を脱ぎ、放送室に入ってきた。そして、原稿を麻希に渡した。
「今日は斉藤さんに読んでもらおうかな」
「えー、私じゃないんだね」
急に私が標準語チックになるのは、ちょっとだけ人見知りを発揮している証拠だ。
「これ、春のクリーン週間のお知らせ。麻希ちゃん、よろしく」
あれ、ちゃっかりしてるな。麻希のこと、名前呼びして、麻希狙いなわけ? 麻希を見ると、照れてるのか、若干、顔赤くなってるし、なんなん、これ。
そんな恋の始まりを見てしまった気まずさを私は感じながら、手に持ったままだった残りのサンドイッチを平らげた。そして、右手を機材の方へ伸ばし、オレンジで、なんかの罰ゲームのきっかけになりそうな色の放送機材の起動ボタンを押し、とりあえず機材を立ち上げた。
麻希はパイプ椅子を引き、席を立ち、そして、左奥の方へ歩き、スタジオの重い扉をタックルするような格好で、開け、そして、スタジオの蛍光灯をつけた。
麻希と入れ替わりで、なぜか、吉沢くんは私の隣の席に座った。
「見ていくんや」
「前から見たいと思ったんだよね。麻希ちゃんのアナウンス」
「は? ガチ恋勢なん?」
「てかさ、ずっと思ってたんだけど、山本って、アナウンスは標準語だよな」
「テレビやってそうやん」
私は吉沢くんが何がしたいのか、わからないまま、席を立ち、座っていたパイプ椅子を持ち上げた。そして、パイプ椅子を右側の機材の前へずらして置いた。そして、立ち上がったばかりの放送機材のタッチパネルを操作して、放送ができる状態にした。
ガラス越しにスタジオを見ると、麻希は席に座っていた。長テーブルに置いてあるマイクに向かって、口を大きく動かし、滑舌練習か、原稿読みをしていた。
ミキサーのつまみをすっと上げると、原稿読みをしている麻希の声がスピーカーから聞こえ始めた。
「いい声」
思わず、吉沢くんを見ると、なぜか右手を小さく振っていた。吉沢くんは、目を細めて、スタジオに向かって、微笑んでいた。
『ふふっ』と麻希の声が響くのと合わせて、麻希も小さく手を振り返していた。
「ちょっと、どうしてくれるの。めっちゃ女子になっとるんやん」
「ガチ勢だから、嬉しい」
「きっしょ。たった数分で私のなかの吉沢くんのイメージ、崩壊してもうたわ」
「えっ、イント……」
『吉沢くーん。見ててね』とスピーカーから、いままで聞いたことがない麻希のいつもより、ハイトーンな声が私と吉沢くんの会話を遮った。
若干、そんな恋の色にイライラしながら、放送機材のマイクを自分の口元に曲げ、スタジオのボタンを右手の人差し指で押した。
「麻希、準備オッケー?」
『はいはーい!』という麻希のはずんだ声を聞いたからか、吉沢くんは、私の隣で、ゲラゲラと笑い始めた。イラッとしたから、私はボタンを離した。
「ちょっと、放送中、静かにしいや」
「ま、俺は麻希ちゃんの声ファンではあるけど、ガチ恋勢じゃないんだよね。困っちゃったな」
「罪深い男やな」
「どうしていつも、こうなっちゃうんだろうなぁ」
それは吉沢くんがあまりにも顔が整っているからやん。意外にこいつ。
「アホなんちゃう? あんたが通うこの学校、一応、進学校やで?」
「まさか、アホって言われると思わなかったな。山本優花に用事あるのに」
「私だけ、フルネーム? 口説くなら、私も名前呼びしいや」
「そうだよな。昨日、会ったもんな。セブンで。優花ちゃん」
思わず、吉沢くんを見てしまった。吉沢くんはくりっとした二重で、私を見つめ返してきた。校内放送直前にイケメンと目が合う。
――てか、私のこと、認知してたんだ。
『優花ー。やらないの?』と麻希から、スピーカー越しに催促されて、何かの司令がだされているように思えた。
再び、ボタンを押した。
「いくで」
ボタンを離し、スタジオを見ると、麻希は両手で丸マークを作っていた。それを確認して、私はミキサーのつまみを一旦、ゼロに下げた。
「やっぱ俺、麻希ちゃんのガチ恋勢になりそうなんだけど。仕草が可愛い」
「はいはい、麻希ちゃんは、今もフリーだし、彼氏いたことないから、今のうちやで」
私はそう言いながら、ディスプレイの放送開始ボタンを押し、チャイムの上りボタンを押し、ミキサーのつまみを三メモリくらいのところまで上げた。そして、右手でキューだしをした。
『生徒の皆さんこんにちは。お昼の校内放送です。生徒会よりお知らせです』
さっきまで浮ついていた声とは違い、いつもの凛とした麻希のアナウンスが流れ始めた。
「すごいね。さすが強豪放送部」
「私もすごいけどね」
むっとしながら、そう返して、吉沢くんを再び見ると、なぜかわからないけど、ニヤニヤしとって、余計イラッときた。
『来週月曜日の5月13日より、春のクリーン週間が始まります。春のクリーン週間では――』
「俺はさ、優花ちゃんに、これ渡そうと思ったの」
「え、なに?」と私が言っている途中で、制服のズボンのポケットから、なにかを取り出した。そして、そのなにかを、スタジオにいる麻希に、わからないように、そっと放送機材の台に置いた。そのなにかは四つ折りの紙だった。
「麻希ちゃんより、優花ちゃんかな。俺は。あとで連絡してLINE IDしたためたから」
「え、なんで私なん?」
とか平然装って、そう言うときながら、ホンマは予想外すぎて、元々、吉沢くんのことが、めっちゃ気になっていた気持ちが一気に私のなかで蘇った。
「ということで、連絡先は渡した。明日は土曜日。ということは?」
「えっ?」
「デートに決まっとるやないかい」となぜか関西弁で、吉沢くんは、私につっこみを入れたあと、席を立った。そして、ゆっくりと出口の方へ歩き始めた。私は、吉沢くんが置いた紙をそっと手に取り、それをブレザーのポケットの中にすっと入れた。
『グラウンドや道路のゴミを拾い、校内のみならず、近隣の方に気持ちよい社会が作れるようにしていきましょう。繰り返し、生徒会よりお伝えいたす――。お伝えいたします』
あ、珍しく麻希が噛んだ。噛んだ理由はすぐにわかった。吉沢くんが、上靴を履きながら、麻希に向かって、手を振っていたからだ。
「じゃあ、明日、11時に駅の改札で待ってるからね」
「麻希のことからかわないでよ。このあと私、麻希にどんな顔しながら、接したらいいか、わからへんやけど」
「得意の関西弁でいつも通り接しなよ。優花、明日、楽しみにしてて。俺も楽しみだから」
私はそんなことを言う、吉沢くんのことを無視して、後ろにひねっていた身体を、再び、スタジオの方に戻した。そしてすぐに、ドアがバタンと閉まる音がした。
なにこれ、ようわからんわ。
そんなことを思いながら、麻希のアナウンスに耳を傾け、意識を校内放送に集中し直した。
☆
放課後、放送室で一通り、発声練習と原稿の読み上げを終えた。18時過ぎに学校を出た。部活中に通り雨が降っていたのか、5月なのに少しだけ蒸して重たい空気に、どこからなのかわからない、草の匂いが雨の匂いと混じっていた。
学校の玄関を出て、二人の後輩ちゃんと別れたあと、簡単に口火を切ったのは、麻希の方だった。
「私、吉沢くんに手、振られたよね!?」
「せ、せやな」
私はやっぱり、麻希に対して、どんな顔をすればいいのかわからなかった。部活が始まる前にしれっと、昼休みに吉沢くんからもらった紙を元に、LINEで吉沢くんに友達申請を送った。
すると、すぐに吉沢くんに承認され、返事が返ってきた。
『思ったより気にしてくれてたみたいで嬉しいよ』って、返ってきて、あー、女子の扱いに慣れとるなって思ったのと、返信すら、沼らせる気、出過ぎちゃう? とか、そんなことを思いながら、結局、既読スルーして、部活を始めた。
一歩ずつ、歩くたびに、ローファの先に濡れた砂がついた。濡れて黒いアスファルトは、夕日をキラキラさせていて、オレンジと黒が混じっていた。車が通るたびに、まだ残ったままの雨水の上を通る音がしていた。
「私、吉沢くんから原稿もらった瞬間に、ビビってきたんだ」
「ビビって、恋の電撃やん。それ」
「そうだと思う。これってやっぱり恋だよね!?」
ハイテンションで、麻希がそう聞き返してきたから、思わず、右側を歩く麻希を見てしまった。それとほぼ同時に、麻希は私を覗き込むように、軽く顔を私側に傾けていた。
私は一瞬、迷った。せやなって言うのが友達やろうけど、最良の選択やってことくらい、自分でもわかっているつもりやで。せやけど、私の状況を差し置いて、そんなこというのは、なんというか、ナンセンスちゃうのかなって。そして、この街に来る前の記憶。つまり、小学校のとき、人の顔色ばかり気にして、はぐらかす返答ばっかしとったら、知らん間にいじめられた過去をふと思い出した。
「――まだ、わからんて。落ち着きいや。麻希ちゃん」
いや、自分が一番、落ち着きいってな。優花ちゃん。
「落ち着けるわけがないでしょ。だって、手振られたんだよ! しかも私に微笑みながら」
「あんな、私が言うのも、癪やけどな。あの男、確信犯やで」
「え、何が確信犯なの?」
「女たらしってことや。あんなんロクでもない男やん」
「こないだまで、優花だって、気になるって言ってたくせに。急にアンチになるんだ」
一気に不貞腐れたように麻希にそう返されて、私は一瞬、ドキッとした。
「せやなぁ。確かにあの時は気になってたわ。だけど、今はちゃうよ」
しまった、『ちゃうよ』で声がひっくり返ってしまった。なんて、私の喉はこんなに正直なんやろう。こんな正直者すぎて、私、これから、社会の荒波のなかで行きていけるんか? 自分。
「そ、それにな。あれやん。元々、スクーターズやで。あんなガラ悪いの、暴走族予備軍やったで。麻希。そもそもな、セブンでたむろってたやつの噂しとったら、まさかそのあとすぐに、自分の目の前に現れると思わんかったやろ」
「あー、そうだった。そういえば、そもそも、なんで吉沢くん、放送室に居たんだっけって、思ってたわ。私も」
「せやろ? 恋は盲目になんねん。あかんよ、あんな得体も知れへん男」
いや、どの口が言うてんねん。お前が気いつけや、山本優花。
「私、吉沢くんが仮に学校を中退して、副生徒会長が、暴走族の副長になっても、いいよ。それくらいの恋だと思う。この恋」
「なんやねんそれ」
「そう言えば、私が原稿読んでるとき、吉沢くん、なんか言ってた?」
「仕草が……」
あ、ヤバい。間違っちゃった。『可愛い』って危うく続けるところだったじゃん、私。
「え、仕草?」
「あ、えーっと。仕草が冬眠前のリスみたいやって言ってた」
あーあ。なんでこんなバレそうな嘘ついちゃったんだろう。おかしんちゃうか、自分。
「えー! めっちゃ好印象じゃん」
いや、どこがやねん! ってすぐにつっこみたくなったけどやめた。だって、それって水さすやん。人の恋路に。こんな感じで、麻希が喜んでいるから、お互いに恋は盲目だね。とも言いたかった。せやけど、私がそんなこと言わなくても、いつも、些細なことで惚れやすい麻希は、もう、頭ん中で次のことを考えているようやったから、私は、これ以上、麻希や、自分を傷つけないために、これ以上、口を挟まないことにした。
こんなやり取りをしているうちに、夕日は先に見えるマンションに隠れてしまった。
☆
昨日、言われたとおり、平塚駅の改札の前、スタバの前の吹き抜けのコンコースで待っている。iPhoneをちらっと見ると、すでに時刻は11時7分だった。5分どころか、7分も待たされとるやん。
と思ったら、悪びれた様子もなく、右手を上げて、こっちに近づいてくる人物が現れた。ブルーのオーバサイズのYシャツに、黒いパンツの格好をしていた。
一方の私は、デニムに薄手の白いカーディガンの、いつものカジュアルな感じでの登場で、なんか、属性ちゃう二人が駅のコンコースで待ち合わせしちゃって、ええんやろうかなんて、吉沢くんの似合いすぎるシンプルさに、もう、負けそうやんって思った。
春なのに秋色のスカートしようかと思って、赤いスカートをまとうのをやめてしまった。やっぱ、秋色でもいいから、まとってしまえばよかったとも思った。
「おまたせ」
「マイペースなんやな」
「待たせる男のほうが余裕があるらしいよ」
「ただのホラ吹きやん。聞いたことないな」
「じゃあ、無事に晴れたことだし、海まで歩こうか。どう? デートらしいでしょ?」と吉沢くんはそう言って、すぐに海に向かう方の出口の方へ歩き始めたから、私は慌てて、吉沢くんのあとをついていった。
☆
駅前のセブンに寄り、『外でスタバ』とか、セブンでわけわからんこと言いながら、なぜか、アイスカフェオレを買ってくれた。抽出機でカフェオレを作ったあと、そのまま手に持ち、歩き続けた。その間、昨日、吉沢くんがTikTokで観た動画のことや、コレサワの新曲が出たことや、クリープハイプの栞が無性にループしたくなる現象に名前をつけるとしたらどうするん? とか、そんなどうでもええわってことをずっと、話していた。
そんな話をしながら、湘南平塚ビーチにたどり着いた。5月だけど、海には何人かのサーファーがボードに捕まり、じっと穏やかな海で、波を待っていた。
砂浜には、何人もの人が居た。ビーチセンターを通り過ぎ、その隣りにあるバスケットコートも通り過ぎ、その隣にある屋根付きの展望台に登り、ベンチに座った。右側の柔らかい曲線の海岸線は、伊豆半島の始まりで、青い海岸線が曲がった先に青く柔らかそうな山並みが白く霞がかっていた。
「とりあえず、飲もうか。意外と暑かったね」
「せやな。でもええ感じやと思うわ」と返しているうちに、すでに吉沢くんはストローを咥え、カフェオレを飲み始めていた。ホンマ、自由なやつやなとか、思いながら、とりあえず、私もカフェオレを一口飲んだ。
「さて、本題だけど」
「え? 本題なんかあるん? デートやろ?」
「一昨日の夜、スクーターに乗った俺のこと見たの、優花ちゃんでしょ?」
あー、結局、そのことなんや。ちょっとだけ、期待してたんだよ。こんな私にだって、春が来たんや。これが恋や。春や。最高やんって。
「せやで。意外とやんちゃやなって思った」
「やんちゃか。じゃあ、もし、あれが俺じゃなかったら?」
「え、どういうこと?」
「ドッペルゲンガーだったら?」
「なに、似たやつがおるん? アホなんかと思うてたら、やるやん。いきなり、進学校感ある雰囲気」
私が昨日の放送室のやり取りを若干引っ掛けつつ返すと、なにがツボやったんかわからんけど、吉沢くんはゲラゲラ笑った。
「そう、あれは俺の影のやつで、俺の人生と別な人生を歩んでいるドッペルゲンガー」
「いや、それ、ドッペルゲンガーの使い方、間違ってるで」
「そっか。じゃあ、双子だったらどうする?」
「双子なん?」
「いや、双子じゃない。それにドッペルゲンガーもいない。あの日、あの時間にスクーターに乗ってたのは俺だよ」
なんでこんなにまどろっこいんやろう。私、遊ばれてるんかな。それとも、口封じのために、なにか条件でも出されるんか。そんなこと思いながら、もう一口カフェオレを飲んだ。
「どんな人でも二面性を持ってるってことを俺は伝えたかったわけ」
「吉沢くんの二面性は、つまり、優等生である自分と、やんちゃな人たちと付き合うことの二面性があるってこと?」
「そう言うことだよ。俺にとって心地よくて、自分らしさをだせるのは、一昨日つるんでた奴らのところなんだ。あいつらはもう中学のときからの付き合いなんだ。それにこう見えても、原付きの免許持ってるし、たまにノーヘルであること以外は、法令遵守してるほうだよ」
「いや、あかんでしょ。ノーヘルだけは」
そう返すと、また悪びれた様子を見せずに吉沢くんは笑った。だけど、どうしてそんなこと、私に伝えようと思いついたのか、全くわからへんなって思った。そもそもな、話の終点が見えへんし、点と点が繋がっているようで、繋がっていないような、ようわからへん感じに話がツイストしてるなって思った。
「確かに、人には二面性ってあるな。確かに、二面性の話はわかったわ。ただな、私が気になるのは、真面目な自分と不真面目な自分の両立って、苦しくないんか?」
そう、過去に私が小学校の時に苦しんだみたいに、人に合わせすぎることと、本音とのズレ。それによって、自己矛盾を抱えたマイ・ハートは破綻寸前やったし、今、考えると、それはな、いじめ加速装置やったよ。私は小学校卒業の段階で、転校になって、平塚に飛来した人間やから、なんとかなったけど、現在進行系で、ねじれとる吉沢くんは苦しんちゃうか、それ。
「苦しくないよ。俺は二面性を愛しているから。今年の秋には、しっかり生徒会長になって、内申点しっかりとって、推薦枠勝ち取って、楽に大学入学目指すよ。真夜中にスクーターに乗って、仲間とゲラゲラバカな話しながら」
「じゃあ、あの光景を目撃してしまった私はどうしたら、ええんや? カフェオレ一杯だけじゃ、口止めにならんで」
私は得意げにそう返したあと、カフェオレをもう一口飲んだ。
「別にドッペルゲンガーだとか、双子説とか、そんなこと言いたかったわけじゃない。ただ、俺は、もうしかすると、優花ちゃんも同じ感じなのかなって思ったから、今日、誘ったんだよ」
「同じ感じ?」
「そう、同じ感じ。俺とね」
予想つなかったことを言われて、思わず吉沢くんを見た。吉沢くんは私のことをじっと見つめてきた。
「なに? 私にもドッペルゲンガー説があるってことか?」
「いや、ドッペルゲンガーとか、双子説とか、そんなことを言いたかったわけではないよ」
「けったいな。はよう言わはればええやん。」
なぜかわからないけど、吉沢くんは再び、笑った。
「何がおかしん?」
「今度は京都。かと思えば大阪。だけどイントネーションは、奈良だったり、和歌山だったり、兵庫だったり」
「え……?」
「優花ちゃんってさ、エセ関西弁使ってるよね」
エセ関西弁……。
「イントネーションがバラバラなんだよ。言い方もバラバラだよ。だから、すぐに気がついた」
待って、待って、待って! 私、ものすごくネイティブに近づけたのに……。私のどこが間違ってるの? 私のどこが。
「……どうして、エセだってわかるの?」
「俺、小学校まで京都にいたから」
「……そうなんだ」
「だけど、こっちきてから、関西弁浮くだろうって思ったのと、自分が手に入れたいイメージとギャップがありすぎるかなと思って、標準語で話すようにしてるんだ」
「手に入れたいイメージ」
そう返すと、なぜかわからないけど、吉沢くんは微笑んだ。
「面白いやつになるより、クールでいたいなって思ったんだよ。俺の話はこれくらいにしといて、優花ちゃんの関西弁、大方、よくできてるほうだよ。ただ、細かいところが気になっちゃっていう、頑張ってる優花ちゃんへのフォローするわ」
「いや、それ、フォローになってないよ」
そう、私はずっと神奈川県生まれ、神奈川県育ちだ。横浜で生まれ育ち、父は藤沢、母は、茅ヶ崎で、神奈川県出身だ。つまり、私は関西に縁もゆかりも無い、湘南出身なんだ。
「でも、どうしてエセ関西弁なんか使ってるんだよ」
「――小学校のとき、いじめられたけど、関西弁で救われたの」
「え、どういうこと?」
吉沢くんは、不思議そうにそう聞いてきた。そう、私は小学校でいじめられていた。だけど、6年生の三学期、卒業寸前の一瞬だけ、状況を挽回することが出来た。それが、エセ関西弁だった。
「たまたま、いじられたときに、関西芸人風に『やかましいわ。あほんだら』とか、返したら、なぜか笑いが取れんだ。そこから、テレビで芸人さんがよく言ってそうな関西弁で返したら、卒業までの2ヶ月、いじめられなくなった」
そっか、エセ関西弁を使うと、私は人として認められるんだって、そのとき思った。
「そうなんだ。――大変だったんだね」
「だけど、私、いろんな人に嘘ついてきたんだよ。 中学に上がるのと合わせて、横浜から平塚に、転校したのと合わせて、親が関西出身だという設定にして、自分は、一生懸命、関西系のYouTuberの動画をたくさん観て、関西弁を一生懸命勉強し、そして、自分のものにしたつもりだった」
そこから今まで、私のエセ関西弁がバレることがなかった。
なのに、今、私の目の前にいる吉沢くんに、私の最大の嘘がバレてしまった。
「自分を守るために努力したんだね。だから、関西弁で二面性を手に入れたんだね」
「――そうしないと、なぜか上手くいかなったの。私」
「なんだよ。急に標準語になって。優花ちゃんって、素直なんだね。かわいいところあるじゃん」
「もういいよ。嘘つき女だから、素直とか何もないよ。今日、吉沢くんには、カミングアウトしたけど、少なくとも、高校卒業までは、エセ関西弁で貫き通すから、私」
そう、私はこうしないと、自分を出せないし、自分らしく生きられない。だから、このまま嘘を貫いて、エセ関西弁で自分のキャラを作り続けるんだ。もう、いじめられていた頃みたいな、陰キャに戻りたくなんてないんだ。
「関西行ったことある?」
「ううん。行ったことすらないよ。最低だよね」
「自分を守ることに最低なんてないよ。じゃあ、優花のエセ関西弁が消える前に関西に一緒に行こう」
「えっ」
吉沢くんを見ると、吉沢くんは、こんな私に優しく微笑んでくれた。
☆
月曜日の昼休み、いつも通り、放送室で麻希と一緒にランチをしている。土曜日、麻希が吉沢くんに恋していることを知っていて、吉沢くんとデートをして、来週も会うことになったから、その後ろめたさで、本当はあまり話をしたくなかった。
「それでさ、電車でビビってきちゃったんだよね。あー、この人、毎日電車で会ってるのって運命なんだって」
「えっ、せやけど、金曜日は吉沢くんに恋したって言うてたやん」
「あれはさ、本物の運命じゃないと思うんだよね。本物の運命って、話してない状態で、相手を見ただけでビビってくるんだと思うんだ」
「かなわんわ」と私が言っている途中で、ドアのノックが聞こえた。だから、ドアの方を振り返った。金曜日と同じように吉沢くんが原稿を持って入ってきた。
「あ、吉沢くんじゃん!」って、麻希はもう、さっきの電車での運命論なんて忘れたみたいに、声がワントーン上げながら、そう言った。
「麻希ちゃん。今日もこれ、よろしくね」
「はいはーい! 今日は途中で帰らないでね」
「いいよ。今日は居てあげる」
「やったー!」と麻希は言いながら、飛び跳ねるように立ち上がり、そして、スタジオに移動した。その間に私は、放送機材の電源のスイッチを押した。
「今日も関西弁で話してるの?」
「当たり前でしょ。麻希には、卒業式にカミングアウトするつもり」
「まだ、2年先じゃん。俺が関西連れて行くまで、関西弁は忘れないでね」
「どうしようかな。関西でも、嘘つきは嫌だよ。私。ほら、麻希ちゃん、手振ってるよ」
ガラス越しに見えるスタジオから麻希がはしゃぎながら、手を振っていた。吉沢くんはそれに答えるように、わざとらしく、両手で大きく手を振ると、ガラスを貫通するくらい、麻希がゲラゲラと笑っていた。
「嘘でもなんでもいいよ。優花ちゃんが、自分らしくいればそれで」
「えっ」
もう一度、吉沢くんを見ると、吉沢くんは右手の人差し指を唇に当てながら、「静かに」と小さな声で呟いた。麻希は吉沢くんのその仕草を見て、またキャッキャしているみたいだった。
私は放送機材のスタジオのボタンを押した。
「いくで」
ボタンを離し、スタジオを見ると、麻希は両手で丸マークを作っていた。それを確認して、私はディスプレイの放送開始ボタンを押した。



