まさかの遭遇による気まずさと、スイーツ好きがばれてしまったことを今後どう対処するかに頭を働かせてしまったことでお互いに何も話すことができず、お店が開店時間を迎えた。

「進まないの?」

「あ、ああ。進みます」

 待機列が進んでいることに気がつかないほど心穏やかでない様子の甘利君に前を見て数むように促すと、彼は手と足を一緒に出しながら歩き出す。

 相当動揺しているようだ。烈火の王なんて呼ばれている彼が県外に遠征してまでスイーツ。その事実は誰にも知られたくないことだったのかもしれない。イメージとか威厳とか今まで積み上げてきたものが崩壊してしまうような気がする。そう思えるのは私も同じだからだ。

 冷酷なまでに規則に従順な生徒会長で、私生活もしっかりしてそうとか、バランスのいい食事と適度な運動をしてそうとか、そんなイメージを持たれている私が、親友にも言えないほどのスイーツ狂であることを誰かに知られることも避けたいことだった。

「お互い何もなかったことにしよう。学校で顔を合わせても甘利君は今まで通り練習熱心な野球部部長、私は練習大好きな野球部に手を焼く生徒会長。スイーツの話なんて一切口に出さない。そもそも今日私たちは出会ってすらいない。ただ一人でスイーツを食べに来て帰った。それだけ。どう?」

「……そうしよう」

 お互いのイメージを守るための条約が締結されると甘利君の入店の番になった。彼の縦にも横にも大きな体の脇から顔を出して店内を覗くと、イートインスペースはすでに八割以上埋まっていた。テイクアウトのお客さんが思いのほか少なかったようだ。

「いらっしゃいませ。お二人ですか?」

 栗に合わせたブラウンのエプロンをつけ、名札にこれまたぴったりな『大栗』と書かれている大学生くらいの女性の店員さんは、甘利君とその背中の陰にいる私を見てにこやかにそう言った。私たちはカップルと見間違われたのだろう。

「え、あ、えっと」

 甘利君は焦ったように私と、私の後ろにまだ並んでいるお客さんを見て困惑している。

 店員さんが勘違いするのも仕方がない。私たちよりも前のお客さんも後ろのお客さんも男性客はカップルの中にしかいない。こんな無骨に見える大男が一人でスイーツなんて食べに来るわけがないと思うのは当然だろう。

 一人で来ているのだからそういう目で見られるのは分かり切っていたことだろうし、早く一人ですと答えればいいと思ったが甘利君は答えない。訝しんでいると、私と私の後ろのお客さん、そして店内のイートインスペース。三つをぐるぐると見回す甘利君を見て困惑している理由に気がついた。

「二人です」

 私が甘利君の陰から店員さんに言うと、私たちは二人用のテーブル席へと案内される。

 店内の端っこの席に向かい合って座ると店員さんが水の入ったグラスとメニュー表を持って来てくれる。その間にイートインスペースは満員になった。周りには女性のグループと男女のカップルしかおらず、私たちが溶け込めているかは定かではない。

「ごめん、こうした方がいいと思って」

「いや、俺もこの方がいいと思っていたし」

 私の判断は間違っていなかったことに安心し、メニュー表に手を伸ばす。色々あったが入店して席に着いたのだ。楽しまないと損だ。何もなかったということにすると約束したのだから遠慮する必要はない。

「私は決まったよ。甘利君もメニューどうぞ」

「ああ、いや。もう決まってるから大丈夫」

 スッと甘利君が手を挙げるが満員の店内は大柄の男が手を挙げても気がつかれないほど混雑している。

「すみません」

 甘利君の低い声が響く。だが聞こえたのは私だけのようで、喧騒にかき消されて店員さんには届いていない。仕方ない。ここは私の出番だ。

「すみません」

 私から放たれた言葉は店内を忙しそうに動き回る店員さんのもとに一直線に届き、店員さんは走ることはないがとてもきびきびとした動きで私たちの席まで来てくれた。感心したような目で甘利君が私を見ていて、ちょっと気分がいい。

「お待たせしました。ご注文を伺います」

「甘利君先にどうぞ」

「あ、うん。特製モンブランを一つ」

「私も特製モンブランを一つ――」

「はい。特製モンブランお二つですね?」

「――とマロンシュークリームとレモン風味のレアチーズケーキといちごタルトと、チョコレートババロア、マンゴープリンを一つずつください」

「え? あ、はい。えっと、モンブラン以外は少々お時間いただきますがよろしいですか?」

「はい、大丈夫です」

「では、お待ちください」

 店員さんが厨房の方へ戻って行くのを見送って、視線を正面に戻すと甘利君がまじまじと私を見つめていた。驚愕、呆気に取られる、呆然とする、そのどれとも取れるような表情をしている。

「糖塚さんって……」

「今日は何もなかった。私たちは会わなかった。そういう約束だからね?」

「はい」

 スイーツが好き。これだけなら別に苺や杏にまで隠す必要はない。それに三人で近場のお店に食べに行くことはよくあることだ。だが私のスイーツに対する欲望は常軌を逸していて、大きなクレープを分け合ったりだとか、安くて小さいケーキを一個だけ食べたりだとか、それでは満たされない。

 月に一度は糖分とかカロリーとかお金とか、あらゆるものを無視して食べたい物を食べたいだけ食べる。スイーツ爆食いこそが私の生きがいなのだ。

「お待たせしました。特製モンブランです」

 季節限定でこれ目当てに来るお客さんがほとんどということもあり、モンブランは本当に早く提供された。何か言いたそうな甘利君も、目の前に置かれた甘い匂いと愛らしい見た目のモンブランに釘付けになる。その目が筋金入りのスイーツ好きのものであることを私には分かる。

「いただきます」

「いただきます」

 手を合わせただけの私に対し、甘利君はモンブランに対し頭まで下げた。この姿勢は見習わなくてはならない。

 スプーンでマロンクリームを少しだけ掬って口に入れる。爆食いが好きと言ってもきちんと味わった上でたくさん食べるのが私のポリシー。早食いはしない。

 栗の甘みが口の中いっぱいに広がる。生クリームとの配分が最高で、ガツンと甘みがくるものの全くくどさがなく、爽やかさすら感じてしまい、いつまでも飽きることなく食べ続けることができる。十六年の生涯でモンブランは何度も食べたことがあるが、今までで一番だという確信が持てる。あまりの美味しさに顔が緩んでいたり、「美味しー」と子供みたいにはしゃぐ声が漏れているのが分かるが今さら気にすることはない。何もなかったことにする約束をしているのもあるし、何より目の前にいるのは同志。気持ちは分かるはずだ。

 そう思って甘利君を見ると、彼は真剣な表情のままパクパクとモンブランを食べ進めていた。釘付けになっていた目の感じも元に戻って、普段の何もしていなくても威圧感があふれ出ている甘利君がそこにいる。

「ねえ、美味しい?」

「うん。今まで食べたモンブランの中で一番だ」

「もうちょっと美味しそうな顔したら?」

「小さい頃から家族や恋人以外に気の抜けた顔を見せるなって言われて育てられたから、それが体に染みついてしまって」

 ちょくちょく怪しい時はあったが、そういったところに気を配っているのも烈火の王と呼ばれる所以だろうか。

「どうせ今日のことはなかったことにするから、今だけのこととして訊いてもいい?」

「どうぞ」

「どうしてわざわざこんな遠いところにモンブランを食べに来たの?」

 甘利君の手が止まり、視線が私に向けられる。こっちのセリフだ、とでも思っていそうな顔だ。だが甘利君がそれを口に出すような無粋な人間ではないことは、今までの彼を見ていれば分かる。

「遠出して美味しいスイーツを食べるのが趣味なんだ。部活が休みのときはだいたいどこかに出かけてる。あまり知っている人に見られたくないっていうのもあるけど、トレーニングにもなるしちょうどいいんだ」

「へえ、トレーニング。そのいかにも運動してそうな格好はもしかして自転車で来たからとか?」

「そうだよ。家からここまで自転車」

「ええっ? まじ?」

 冗談のつもりだった。片道百キロ以上の距離を自転車で往復なんていくら屈強な甘利君でもきついはず。トレーニングというのは自宅から最寄りの駅まで走ったり、お店の最寄り駅から走ったり、その程度だろうと思っていた。

 つい出してしまった大声に店内にいる人たちの視線が私たちに集まる。恥ずかしさで顔を伏せる私に対し、上目でちらりと見た甘利君は全く動じていない。さすがの胆力だ。

「糖塚さんって、すごく良い声をしてる。さっき店員さんを呼んだ時もだけど、遠くまでよく通る。生徒会長としてみんなの前で話すときいつも思っていた」

「ありがと。それくらいしか取り柄ないけどね」

 今まで何度も声を褒められてきたが、何度褒められても嬉しいものだ。モンブランの美味しさとは別の理由で顔が緩む。

 私が注文したスイーツたちが次々に届けられ始めた。甘利君は自分だけ先に食べ終わってしまうのが気まずいと感じたのか、特製モンブランをもう一つ注文する。

「そんなことはないと思うけど。いつも冷静でしっかり者だし、みんなに慕われている。成績もいいし。そういえば中間テスト前にあったマラソン大会でも学年で上位に入ってた」

「それは仮の姿だよ。声が褒められるのが嬉しくて小学校のときにみんなの前で発表したり、代表とかになりたがったの。せっかく選んでもらったらちゃんとやらなきゃって思ったけど生まれ持ったカリスマ性とかはなかったから、せめて先生たちの言ったことをしっかりできる人間になろうって思って、ルールを守ったり守らせたりするようになっただけ。家族や友達に見せる本当の私は怠け者で、ドジでうっかりで面倒くさがりで、欲望に忠実。勉強だって小学生のときはあんまり得意じゃなかったけど、中学で生徒会長になったから恥ずかしい姿見せたくなくて頑張っただけ。高校でも一緒。マラソンだってこうやってスイーツを爆食いするのが趣味だから、体型を崩さないようにお母さんが買ったけど使わなくなったランニングマシンで毎日一時間走ってたらいつの間にか速くなってたの」

 気がつくとぺらぺらと自分のことを話し続けていた。どうせ今日のことはなかったことにするのだからと気が緩んだのか、それともいつも褒められる声以外にも褒められたのが嬉しかったのか、スイーツ好きの同志に気を許したのか、多分全部だ。

「イメージ変わったな。ああ、もちろんいい意味で。もっと堅い人なのかと思ってた。でも怠け者は想像できないけど」

「あー、えっと、朝はいまだにお母さんに起こしてもらったり、とか、生徒会の事務仕事は苺と杏にだいたい片付けてもらってる、とか。忘れ物が多かったりとかも苺たちにフォローしてもらってるんだよね」

 何故だか照れくさくなって、顔を伏せたままレアチーズケーキを一口食べた。レモンの風味が強いのか、モンブランで甘くなっていた舌を爽やかな酸味が洗い流す。

「甘利君こそイメージ変わったよ。野球しか興味ないのかなって思ってた」

「やっぱりそうか。じゃあなおさら今日のことは内緒にしておいて欲しい。部員のモチベーションに関わるから」

「モチベーション?」

 私が顔を上げると甘利君はとても真剣な表情をしていた。

「俺が、その、烈火の王とか言われているのは知ってる?」

「もちろん」

「そういう風に呼ばれるような人間であり続けたいんだ。みんなが信頼して、ついてきてくれているのは俺じゃなくて烈火の王だから。自分にも他人にも厳しい、スイーツなんて全く興味がないような」

「まるで本当の甘利君と部活のときの甘利君が別人みたいな言い方だね」

 私がそう言った瞬間に一瞬だけ曇った表情に、彼も私と同じなのだと理解した。信頼される部長であるために烈火の王を体現し続ける甘利君。妙な親近感が湧いて、彼のことをもっと知りたいと思うようになった。

「元々はそんなに大声を出したり、熱血って感じは得意じゃないんだ。でも、野球を始めた小三の頃から体がデカかったから力も強くて足も速くて、チームの中心になってキャプテンとかを任されるようになったんだ。最初はなかなかうまくいかなかったけど、大声出したり熱い感じでやってみたらみんなついてきてくれるようになって、結果も出て、それから今の感じになった」

「じゃあ、グラウンドでの甘利君は無理してるの?」

「小学生の頃はそうだったかな。今はもう慣れたよ。慣れて当たり前になってなかったら高校生は騙せない」

「それもそうか。私も同じだし」

「氷結の女王だっけ? 糖塚さんが呼ばれているのは」

 甘利君の顔がなんだかにやけている気がする。気の抜けた顔を見せないとは何だったのか。だが何故だか嫌な気持ちにならない。

「氷は分かるよ。生徒会長として常に冷静でいることを心掛けているし、ルールをきっちり守らせようとするから冷酷って言われて冷たいイメージ持たれるのは仕方ないと思う」

(けつ)も俺と同じく名前をもじってるんだよね?」

「そーなんだけどさー。氷結って、お父さんが同じ名前のお酒飲んでたんだよね。お酒の女王みたいでなんか嫌だ。ていうか女王ってなんだよって感じ。絶対甘利君が王だからそれと対にするつもりで私の異名は決まったよね。どうせならもうちょっと可愛げがある異名がよかったな」

「ごめん。俺が王子だったら糖塚さんも姫とかになっていただろうに」

 王子。以前、私が生まれる前かまだ小さい頃に爽やかイケメン系のアスリートのことをなんとか王子と呼ぶのが流行っていたとお父さんから聞いたことがある。甘利君は男前な顔をしていると思うが、王子と呼ぶにはいささか顔の熱気が強い。王か王子かと問われれば、百人中百人が王と答えるだろう。

 かくいう私も姫と呼ぶにはおとなしい顔をしている自覚はあるので、まだ女王の方があっていたかもしれない。

「姫は姫でプレッシャーだったわ、うん。代替わりの七月までは女王として君臨するしかないか」

「……頑張って」

 私がそう諦めたところで会話は一旦途切れ、お互いのスイーツに集中し直す。たくさん残っている私に対し甘利君は追加のモンブランが一個だけだが、私にペースを合わせて食べてくれている。ゆっくりと噛みしめながら味わう姿はまるで美食家のようだ。あんな風に食べられたらモンブランもさぞ嬉しいだろう。

 スイーツたちをあらかた平らげ、そろそろ締めの一品をと思っていると、店員さんが巨大なパフェを運んでいるのが見えた。

「お待たせしました。スペシャルラブラブジャンボパフェです」

 私たちの隣のテーブル席の男女カップルのもとに届けられたそれは、大きなガラス容器から飛び出るくらいに生クリーム、バニラアイス、チョコレート、フルーツ、マロンクリームなどなどが盛りに盛られていた。最後の一品を考えていた私の視線は釘付けになる。

「すごいな」

 そう呟く甘利君の視線もパフェに注がれているようだ。カップルはデジカメで写真を撮ったりして大いに盛り上がっている。

 食べたい。いつもより楽しかったスイーツ遠征の締めにはあれくらいのボリュームがふさわしい。自然と私の手はメニュー表に伸びる。

 一日十組カップル限定、税込み千六百円。ボリュームたっぷりなので食べたい。普段電車やバスを使わないので交通費は現金だった。これを頼んでしまうと駅までのバス代が足りなくなる。でも食べたい。しかし明るい時間帯とはいえ見知らぬ土地を一人で歩くのは少し怖い。ついでに自宅の最寄り駅から自宅までも歩きになる。

 頭を悩ませながらメニュー表から顔を上げると甘利君と目が合った。今日の甘利君はモンブランを二つしか食べていない。あの体格ならまだまだいけるだろう。

「食べたい」

「食べたい?」

「あれ、食べたい」

「あ、ああ。まだ食べられるのか。すごいな」

「でも交通費が足りなくなるから……」

「うん」

「お金半分ずつ出して、一緒に食べない?」

 甘利君の目が見開く。言葉が出ないくらい驚いているようだ。

 私が自分の言葉の意味と甘利君が驚いた理由に気がついたのは発言の後だった。今なら氷じゃなくて火が出せそうなくらい顔が熱い。

「あ、その、ふり。カップルのふりっていうか、もし甘利君も食べ足りないならどうかなって思って。モンブラン二個しか食べてないでしょ? あ、お金は大丈夫?」 

「ああ、うん。まあ糖塚さんが食べたいなら、俺はまだまだ食べられるし。お金も余裕があるわけじゃないけどこのくらいは大丈夫」

 甘利君はなんだかとても優しい表情と声をしている。スイーツのためなら初めてまともに話した男とカップルのふりもする軽い女だと思われてしまったかもしれない。だがこれで駅まで歩かなくて済む。

 なんとか落ち着いて店員さんを呼ぶと、来店時に対応してくれた大栗という名札をつけた店員さんがやってきた。メニュー表の写真を指差しながら注文する。

「えっと、この、スペシャル、ラ、ラブ……」

「スペシャルラブラブジャンボパフェお一つでよろしいですか?」

「は、はい」

 さすがの私もこの名前を読み上げるのは恥ずかしい。店員さんのフォローもあってようやく注文を完遂すると甘利君も恥ずかしそうにうつむいているのが見えた。店員さんはそんな甘利君をにこやかに一瞥し、何も載っていない食器を持って厨房へ戻って行く。付き合いたての初心なカップルだと思われただろうか。

 そもそもこのパフェを注文した時点で私たちは店内にいる間はカップルでなければならなくなった。隣の席のカップルの女性の方から「あーん」という声が聞こえてきているのは当然甘利君にも聞こえているはずだ。男性の方のとろけた顔と来たら、それはもうスイーツの甘さだけではなく空気の甘さまで伝わってくるほどだ。

 にぎやかな店内の中、なんとなく気まずい静寂が私たちの席の周りにだけ流れる。十七年間彼氏がいなかったどころか恋愛すらしたことがない私は、手持無沙汰なこの時間にカップルがするべきことを知らない。

 やがてパフェ食べたさにとんでもないことをしてしまったのではないかという思考が脳内を巡り始める。万が一にもこの場に私たちを知っている人がいたらやばいのではないか。一緒にスイーツを食べていただけなら生徒会長や部長の威厳はともかく、偶然会ったが店が混んでいたので別々だと他のお客さんに迷惑がかかるから同席していただけ、と言い逃れができる。それが事実でもある。だが、カップル限定メニューなんて食べていたら、それはもうそういうことになってしまう。

 甘利君は目を瞑って瞑想でもしているようだ。彼も私と同じ思想に陥っているのかもしれない。

「お待たせしました。スペシャルラブラブジャンボパフェでございます」

 静寂を切り裂いたのは先ほどと同じ店員さんの声。声とともに私たちの目の前には巨大なガラス容器に盛られたパフェが置かれる。鼻をくすぐる甘い香りと、大ボリュームの見た目に私の嗅覚と視覚は大満足。

 ごちゃごちゃ考えても仕方がない。知り合いと隣の県のそこまで大きくもない洋菓子屋さんで鉢合わせするはずもないのだから何も気にする必要はない。今はこのメガ盛りパフェを心行くまで楽しもう。私が心配するのは自宅の最寄り駅から歩いて帰らないといけないことだけだ。

「現在このパフェを注文していただいたお客様方を対象にキャンペーンをやっておりまして、こちらのデジカメでパフェとお二人のスリーショット写真を撮影、店内に掲載許可を頂けますと、パフェのお値段を半額でご提供いたしております。いかがなさいますか?」

 店員さんが手に持ったピンク色の可愛いデジカメを私たちに見せ、もう片方の手でレジ脇の壁にかけられたたくさんの写真が貼られているコルクボードを指しながらにこやかに言った。 

 それは私にとって悪魔のささやき。千六百円のパフェを甘利君と半分ずつで八百円に、さらに写真撮影、掲載で半額の四百円。これなら最寄り駅から自宅までもバスが使える。

 色々と考える前に言葉は出ていた。

「やります」

「え?」

「ではお二人とも少し身を乗り出して頂いて、パフェにかかれているハートをお二人の指で作ったハートの中に入る感じでお願いします」

「ほら、やるよ」

 渋々と右手を差し出した甘利君と私の左手を合わせてハートの形を作る。甘利君の右手はごつごつとしていて大きく、顔と同じくらい日焼けしていた。

「はい、笑顔お願いしまーす。あ、彼女さん素敵です。彼氏さんは緊張してますかー?」

 ハートを作っていた指をずらして一瞬だけ指を絡めてみる。驚きと戸惑いの目が私に向けられる。だが少しだけ微笑んでくれた気がする。ほんの数秒だけ見つめ合った後、カメラが向けられていることに気がついて視線を戻す。

「あー、いいですね。このまま撮りまーす」

 何でこんなことをしたのか、理由を説明するならばなんとなくだ。こういうことをしたときに甘利君がどんな反応をするのかなんとなく知りたくなった。こうするのが嫌じゃなかったし、甘利君も驚きはしても嫌がらないのではないかと思った。

 写真を撮ったのもただ歩きたくなかっただけではなくて、なんとなく、今日のことを全てなかったことにするのはもったいないと思ったからだ。いつも真剣で気を張った顔をしている甘利君のほんの少しだけ気が緩んだ瞬間の表情。それを何度か見ることができたこの経験を忘れたくない。