「部活動をするなと言っているわけではありません。勉強や休息、その他の活動の時間を確保するために平日一日、休日一日の計二日以上の休養日を設ける、この規則を守ってくださいと言っているんです」

 金曜日の放課後。生徒会役員五名と呼び出された部活の部長五名、計十人が入りぎゅうぎゅう詰めになった生徒会室に私の声が響く。部長たちがぶつくさと抗議の声をあげる喧騒の中でも私の声はよく通る。

 遠くまで響き渡るこの声は生まれつきのものでよくいい声だねと褒められた。小さい頃からみんなの前で意見を発表することが好きで、みんなの注目を浴びて、自然とリーダー役を任せられることが増えた。小学校では児童会の会長。中学校では生徒会長。そして高校二年生の十月となった今も生徒会長としてその責務を果たしている。

 校則を変えたり、新しい行事を開催したり、部活の予算を配分したり、生徒会にそんな権限が与えられている高校なんて全国でほんの一握りであることは小学校からの経験でとっくに理解している。私たちがやっていることはそれらに対する生徒たちの意見を学校側に伝えたり、すでに決まっている行事を先生たちの指示の下で運営したり、簡単に言えば学校と生徒の橋渡しと小間使いだ。

「でも俺たちはマジでインターハイ目指してて! もっともっと練習しないと……えっと、その、はい……」

 威勢良く言葉を発したのは男子テニス部の部長の塩尻君だ。途中で私に視線を向けられて怖じ気づき、目を背けて言葉が尻すぼみになるようではインターハイは期待できない。

「他の学校はもっと部活やっていいって聞いてるよ。なんでうちの学校だけ――」

「よそはよそ。うちはうちです」

 物分かりの悪い母親みたいなことを言って男子サッカー部の部長の()()君を切り捨てる。

 私はただ学校で定められたルールに則って規則違反をしている部の部長たちに注意をしているだけ。うちの高校は県立の進学校なのだから妥当な判断だとも思う。ただ、生徒会にはなんの権限も与えていないくせに、生徒の自治と称して部活への注意を生徒会に押し付けている学校側に多少の不満は抱えてはいる。無論、規則違反を見過ごす理由にはならないが。

「でも、高校生活って一度しかないんだよ? 青春って今しかないんだよ? 勉強をしないって言ってるわけじゃない。精一杯できる限りのことをしたいんだ」

「そうだよ。糖塚さんだって青春したいから生徒会長になったんでしょ? 私たちの気持ち、分かるでしょ?」

「分かりません」

 連なって言葉を発した二人はバスケットボール部の男子部長の辛嶋君と女子部長の渋沢さん。この二人が彼氏彼女の関係にあるのは二年生の間では周知の事実。

 分かりませんと答えたのは若干の嘘を含んでいた。

 二人のように恋人を作って学校生活を楽しむ、いわゆる青春を謳歌したいという気持ちは分かる。青春したいから部活をもっといっぱいやらせてくれという要求が分からないのだ。

 部活がなくたって二人はラブラブでいつも楽しそうではないか。辛嶋君は隣のクラスのくせに授業間の休み時間ごとに渋沢さんがいる私のクラスまで来て時間ぎりぎりまでおしゃべりしているし、昼休みは私の隣の席で渋沢さんが作った手作り弁当をこれ見よがしにあーんとかしているし、毎日のように部活終わりにデートをしている様をSNSにあげているし、むしろ部活の時間が減った方がいちゃつく時間が増えて二人にとってはお得ではいないか。決して高身長美男美女カップルが羨ましくて意地悪をしているわけではない。

「あの」

 生徒会室に来てから一度も言葉を発していない大男が言葉とともに手を挙げた。体格に似合う重厚な声は私の通りの良い声とは別の意味で存在感がある。

「おお、甘利。お前も頭のお堅い生徒会長に何か言ってやってくれ」
 
 酢田君の嫌味は気にしないことにして、甘利君と向き合うとそれだけで威圧感が伝わってくる。正直に言うとその威圧感のせいで甘利君のことは少し苦手だ。悪い人ではないことは分かっているのだが。

 脳みそからつま先まで気合いを張り巡らせてなんとか表情や声色は冷静さを保つ。

「何ですか? 野球部部長の甘利君」

「今日ここに呼ばれた部は活動日数の規則を破っている部ですよね? 野球部は規則に違反していないと思っていたのですが」

 その通り。野球部は活動時間が短いと文句を言いながらも工夫して効率的に練習を重ね、今年の夏の大会は県立の進学校ながら県ベスト4に輝いた。新チームになってからも良い成績を残しているらしい。だから他の部活も野球部を見習って工夫をしてください、と言うこともできるのだが、今日甘利君を呼んだのはそのためではない。

「確かに部としての正式な活動は決められた日数、時間を守っていますが……甘利君」

「はい」

 甘利君は私から一切視線を外さずに返事をする。彼は一切の感情を露わにしていないのに何故だか私は威圧感を受ける。負けないように、押し返されないように心を冷静に、声を冷たく鋭く変える。

「あなたは部が休みのときや活動終了後の時間も学校内の施設で自主練をしていますね? それを見た他の部員たちも続々と自主練をするようになっている。顧問の先生もたまに見ていますね。これでは野球部の活動と何も変わりません。頑張っているのは分かりますが規則は規則。即刻やめて頂きたい」

「自主練くらいいいじゃん」

「そうだよ。野球の硬式球なんてその辺の公園じゃ危なくて使えないんだから」

 塩尻君と辛嶋君が甘利君を擁護する。だがそんなものは私の耳を通り過ぎて行くだけで何の意味もなさない。そんなことで私は揺らがない。それは、甘利君に対しても同じだった。

 甘利君は私の目をじっと見つめたまま微動だにしない。威圧をする意図はないことは分かっていても、次のその口から放たれる言葉に緊張してしまう。私の氷の仮面を溶かしてしまうほどの熱が伝わってきて、逃げ出したい衝動に駆られるが、生徒会長としてそれは私自身が許さない。

「……分かりました。失礼します」

 低く重い声が生徒会室に響かせ、甘利君は頭を下げて退室した。それが解散の合図となる。烈火の王として他の生徒から尊敬や畏怖の対象となっている甘利君が素直に引き下がった以上、他の部長たちもこれ以上抵抗はできなかった。私は心の奥底で安堵する。

「さすがは氷結の女王、冷酷だなぁ」

 誰かがそう言い残して部長たちが退室し、生徒会室には私を含めた生徒会役員五名が残った。

 私は大きく息を吐きながら二十年物のぼろいパイプ椅子に腰を下ろす。決して良い座り心地とは言えないが、他の四人の椅子は四十年物のもっとぼろくて座面や背面の綿が取れかかっていて、座るたびに普通のパイプ椅子ならギシッという音がするところが、ガガガ、バキッという音がするようなものばかりなので文句は言えない。この椅子だけが私の生徒会長としての特権。机も長テーブルが三個と教室のものと同じ机が一個あるだけのなんとも貧乏くさい生徒会室だ。

「終わったねー。おつかれー(ゆい)

「うん……」

 隣に座った副会長の(いちご)が私にもたれかかりながら労ってくれた。苺は全体重を私に預けており、これではどちらが労っているのかは分からないが、生徒会長としての威厳を保つため苺の体を支えてやる。

「おつ、かれー」

 反対側から書記の(あんず)が勢いをつけて私にもたれかかる。衝撃が私の体を通して苺の方にも伝わる。苺は「わー、びっくり」なんて言いながら杏に文句を言いながら私をはさんでじゃれ合っている。二人とは中学のときから一緒に生徒会をやっている親友だ。

「あ、図書の倉庫整理も終わったみたいなんで俺らも帰りますね」

「あ、うん。お疲れ様。ありがとね、いてくれるだけで助かった」

 生徒会室に残っていた二人は一年生の男子。各部の部長を集めて注意するという名目の活動だったため、少しでも見た目に威厳を持たせるために身長の高い小豆(あず)(はた)君と、身長は小さめだが中学まで柔道をやっていて体格のいい芋川(いもかわ)君にいてもらったのだ。

 生徒会役員は他にも二年生女子の桃井(ももい)さんと梅原(うめはら)さん、一年生女子の柿沼(かきぬま)さんと、(なし)()さんがいるが、四人ともおとなしくて体の線も細く、見た目に威圧感がないので先生から頼まれていた簡単な倉庫整理の仕事をしてもらっていた。彼女らにはスマホのメッセージでお礼と労いの言葉を送り、週明けの月曜日に直接お礼を言っておこう。

 冷静、冷酷、冷淡で氷のようだと称される生徒会長の私だが、仲間や後輩にはきちんと優しくしているつもりだ。部長たちに見せていたのが生徒会長としての私とするならば、今は生徒会長と本来の優しい私が共存した状態。生徒会役員の前では能力的にも人格的にも頼れる生徒会長でいられているはずだ。

「それじゃあ、失礼します」

 礼儀正しくこちらに礼をして小豆畑君と芋川君が退室する。それと同時に私はよりかかってくる苺と杏からうまく抜け出して目の前の長テーブルに突っ伏した。

「あー疲れた。今日の生徒会はへいてーん。今日はもう働かなーい」

 他の生徒たちには聞かせられないような内容を気の抜けた声で放つと、テーブルが揺れて軋む音がして、両脇で何かが動いた気配がする。苺と杏も同じように突っ伏したようだ。右に顔を向けると苺と目が合う。苺と杏と家族にしか見せないだらけきった姿は本当の私の一部。生徒会長という立場があるからしっかりしようとしているだけで基本的に私は怠け者なのだ。

「私たちは規則に則って注意してるだけなのに、何で文句言われないといけないんだろ。規則が厳しいのは分かるけどさぁ」

「ねー」

 左に顔を向けると杏と目が合う。

「ほんとほんと。先生たちは『生徒会は学校と生徒の橋渡しだ』なーんて言ってたけど、これじゃあ橋渡しじゃなくて板挟みだよね」

「私たちはあんたらのために働いてやってるっていうのに、リスペクトが足らん。どんだけ私たち、ていうか結が頑張ってると思ってるんだか。野球部なんて去年生徒会総出で試合の応援に行ってやったのに」

「ストレス溜まるよねー。あ、ストレス発散に明日カラオケとかどう? あたしちょっと練習したい曲があってさ」

「んー」

 行こうよ、と杏が輝く目で訴えてくる。中学生の頃は生徒だけで行くことが校則で禁止されていたカラオケに高校生になってからの杏はドはまりしており、休日は事あるごとに誘ってくる。今回のお誘いもストレス発散という名目だが本当はただ行きたいだけだ。私の背中で「行くー」という苺の声が聞こえた。

 生徒会長という役職は確かにストレスが溜まる。だからこそストレス発散は心と体の健康のために必須であり、杏や苺とのカラオケもすでに何度も行っている。

 だが、土曜日の明日は予定があった。十月の中間テストが終わったこの時期に、一ヶ月以上前から計画していたあの場所に行かなければならない。
濃厚でふわふわ、甘さも風味も最高なバランスなマロンクリーム。その下に隠れるホイップクリームには小さくカットされた栗が混ぜられていてこれでもかと隣接する農園で採れた上質な栗を楽しめる。それらを支えるサクサククッキー生地はそれだけでも食べたくなるくらい。 

 ネットの記事でそんな紹介をされているとっても美味しいモンブランを提供してくれるあの場所とは、パティスリー『セ・デリシュー・シャテーニュ』。隣に県にある有名な洋菓子屋さんだ。

 氷のように冷たくて、優しくて頼りになって、だらけきった怠け者。そんな私が親友の苺にも杏にも見せていないのは、美味しいスイーツのためなら電車で片道二時間以上、距離にして百キロメートル以上離れた場所にも一人で行けるほどのスイーツ狂な姿だ。