十月半ばの土曜日。電車やバスを乗り継いで約二時間半、予定通り午前中の開店前に目的のお店『セ・デリシュー・シャテーニュ』に到着した。
 
 このお店は有名店ではあるものの最寄り駅は遠く、バスの本数も少ないため車がないと来店自体が難しい。そのことから開店前のこの時間はまだ並んでいる人はそこまで多くはない。テイクアウトで帰る人もいるだろうし、これくらいならば待つことなく店内のイートインスペースでこの時期限定の特製モンブランを味わうことができるはずだ。

 しっとりふわふわなマロンクリームに今から胸を高鳴らせ、よだれを我慢しながら開店待ちの列の最後尾に並ぶ。私の前には黒いスポーツウェアに身を包んだ、身長が百九十センチはありそうな坊主頭の大男が一人で並んでいた。失礼ながらスイーツとは縁遠そうな容姿と思ってしまったが、こういう人でも気になって食べに来たくなるほどの美味しさなのだろう。私が調べたネットの評判は間違っていなかったと確信する材料が増え、楽しみも増していく。

 開店まであと十五分ほどになったとき、私の鞄の中でスマホが音を鳴らして震え始めた。お母さんからの着信だ。

「もしもし」

「あ、(ゆい)? 無事に着いた? 道に迷ったり転んだり落し物したりしてない?」

 スピーカーモードにしていないのに周りの人に声が聞こえそうになるくらいお母さんの声は大きい。県外まで一人で出かけているからか、お母さんはとても心配しているようだ。もう高校二年生だというのに、学校ではしっかり者で通っているというのに。

「大丈夫だよ。何事もなくお店に着いて、今並んでる。もうすぐ開店」

「ならいいけど、気をつけて帰ってくるんだよ。あんまり遅くならないように。あと食べ過ぎないように」

「分かってるよ。お土産は?」

「いらない。太っちゃうから」

「ダイエットはやめたんじゃなかった?」

「やめてません。無理にさせることよりも太らないことを重視しただけです。とにかく、気をつけてね。あんたよくうっかりしてるし、だらしないんだから。昨日だってお弁当箱忘れて(いちご)ちゃんが届けてくれたんだから」

「それは、そうだけど。あれは苺が一緒に帰ってるのにわざわざ私の家までついてきてお母さんに渡すから……とにかくもうちょっと信用してよ。生徒会長任されるくらいにはしっかり者なんだから。他に用がないなら切るよ、それじゃ」

 電話を切ってスマホを鞄に戻してから再び前を向くと、ちょうど前に並んでいる大きな男の人が振り返った。電話越しのお母さんの声が大きすぎて迷惑になってしまっただろうか。

 振り返った坊主頭と目が合った。

「え? あ、あ……」

 目の前の人物を認識してしまったことで、言葉が出てこなくなった。

「その声、と……生徒会長?」

 焦げ茶色に焼けた肌に大きく見開いた目の白い部分が際立つ。相手も戸惑っているようだ。

 甘利烈(あまりれつ)

 身長百八十八センチメートル、体重九十二キログラム、分厚い胸板と太い腕と太もも、五厘刈りの坊主頭とばっちり日焼けした肌。入学直後からキャッチャーのレギュラーとして活躍、今は部長として炎のように熱い魂で野球部を率いている。というこの情報はテレビのローカル情報番組で彼が取材を受けていたのを見たときに知ったものだ。大声を張り上げて部員を引っ張っている姿は放課後のグラウンドでも何度も見かけたことがある。

 そしてその熱さと実力と見た目の威圧感、そして烈という下の名前から、県内の高校野球界隈と校内でついた異名は烈火の王。そんな彼が季節限定特製モンブランを食べに県外のお店まで来ているなんて。

 まさかの遭遇に思考が回らない。筋骨隆々、質実剛健にしてグラウンドでは熱烈峻厳。普段は冷静沈着。甘利君にはそんな印象を抱いていたし、昨日もその印象と違わないことを再確認していた。

 それなのにスイーツ。男の中の男みたいな顔でスイーツ。大きなモンブランも彼の前ではきっと小さく見えるだろう。ちっちゃいスプーンで少しずつマロンクリームでできた山を削り取ってちまちまと食べるその姿を想像し、失礼にもほどがあるが吹き出しそうになるのをなんとかこらえた。

「どうして、ここに?」

 それはこっちのセリフだ。少し裏返りそうになった声は初めて聞いた。

 甘利君はキョロキョロと周りを見回し、私の他に知っている人がいないかを確認しているようだ。その焦っている様子は昨日の生徒会室での公明正大で堂々とした姿からは想像できない。昨日の気疲れを思い出す。