「ねぇ、声かけても良いかな」
「え?…ああ、う、うん。良いんじゃない?」

ワクワクするまつりをよそに、若子は動揺していた。

もちろんまつりはそれにいち早く気づいた。

「わかちゃんが嫌だったらいいよ」

まつりは控えめにそう言うと若子の顔を覗き込んだ。

「わかちゃんもあの子のこと好きになったの?」
「え?違う。それはない絶対に!」

「わかちゃん天邪鬼さんだから、」

若子は眉に皺を寄せた。

「いや、違うって!」
「そうならそうって言ってね。今ならまだ、かっこいいってだけで、好きとかじゃないから。わかちゃんが少しでも良いって思うなら応援したいんだ」

一生懸命に話すまつりの真剣な目を若子は見ることができなかった。

「もう、いいよ。そう思うなら、そうってことにしといて」
「何でそんなに投げやりなの!?」


困惑するまつりに、思わず若子はこう言ってしまった。

「私が違うって言ってるのに、全然聞いてくれないじゃん。それに私、まつりほど恋愛至上主義じゃないから」



引きつった顔をするまつりを前に、若子は後悔した。
やってしまった。いつもこうだ、私が思った事を言うとまつりを傷つけてしまう。


それでも、今回ばかりは本音だから付け焼き刃の謝罪も嘘くさくなりそうで何も言えない。


「ごめんね、わかちゃん。私いっつも突っ走っちゃって、幼馴染なのに私全然わかちゃんのこと分かんないや。」

しおしおとするまつりに、若子は先に謝るのは私だったと思った。

「ごめん、まつり。」

「ううん。いつもわかちゃんに迷惑かけてごめんね」


「でもね、私もわかちゃんの相談とか思ってる事知りたいんだ。いっつもわかちゃんは1人で考えて決めるからちょっとだけ寂しいんだよう」

そう言う素直なまつりが若子は好きだった。

「私もいたら言うよ。だけどあの人は違うと思う」
「そっかー残念!わかちゃんの恋バナ聴きたかったのにな」

「何だ、それが目当てか!」
「あはは、バレたー?」

すると思い出したようにまつりが大きな声を出した。

「あ!あの人また見逃しちゃったー。またイチから探さなきゃだ。」
「まつり、あんなに見てたのに学年色も見てなかったの?」

まつりの学校の制服は、制服のポケットの刺繍の色を見れば何年生かわかるようになっている。まつりたちは黄色の学年だった。

「もしかして先輩かな〜。同じ学年なら良いのにな〜。あ〜でも先輩もいいなぁ〜」


チャイムが鳴り、まつりたちは急いで教室へ帰った。

まつりはそれからあまり前野進のことを話題に出さなかった。若子の動揺を恋だと勘違いしたこと、焦りからまつりの恋愛至上主義を批判するような事を言ってしまった事、色々あって話しにくかったからだと若子は思っていた。

授業が終わって昼休み。

「ね、七組が怪しいんだと思うんだ」
「え?何の話?」

「かっこいい人だよ!」
「もし同じ学年なら廊下ですれ違うから先輩なんじゃ」

「だから!七組だけ2階の教室じゃん」

1年生の教室は、七組以外南校舎の1階だった。

「ね、わかちゃん見に行こ?」

ええー?めんどくさぁ。という若子を引っ張ってまつりは二階へ向かった。

「かっこいいー人いますかー?」
「ねぇ、まじ、何やってんの!馬鹿なの?」

七組の教室に着くなり暴走するまつりの首根っこを掴んで廊下に退場する。

「皆すんごい迷惑そうな目で見てたよ」
「あー、でも、こうでもしないと見つからないんだもん」

廊下で地団駄をふむまつりに若子は冷たい目線を送った。

「春休みの時と全然変わってないじゃん」
「変わったって!本人を前にして変なことは言ってないし」

「いや、もうそれほとんど同じだって」
「違うよー」

「ちょっとは変わるのかなって思った私が馬鹿でした」
「私、後野まつりは、変わってなくても変わっていても、前に進みまーす!」

まつりが調子良く手を挙げて言ったその時、

「呼んだ?」

と男子生徒が1人まつりに話しかけた。その声がどこか嬉しそうだった。

「え?」

手を挙げたまま振り返るまつり。

「名前呼ばれたんだけど」

「あ、かっこいい人!!」
思わずまつりはそう言って手を下ろした。

「は?」
男子生徒は困惑して若子を見た。

「え?、あ、なんか、ごめんなさい」

三人とも動揺して困惑してしまい、三者三様にあたふたと首を振るようにして誰が何か言うのを待って顔を見合っていた。

「俺のこと呼んだ?」

まつりを見て聞く男子生徒の声を、まつりは不思議と懐かしいと感じていた。

「よ、呼んだかな…?」

さっき教室で呼んだは呼んだ。だけど、かっこいい人ー?っていって、まさかそれで自分からやってくる人がいるとは思わず、頭の中でハテナが増殖するまつりに、男子生徒は言った。

「前野進って俺の名前、聞こえたんだけど」
「え?」

動揺して何も言えなくなっているまつりの代わりに若子が代わりに答えた。

「違うよー、まつりは前に進みますって言ったんだよね」

「うん、そう」

「あ、なんだ!俺通りすがりに呼ばれたのかと思った」

照れたように笑う顔に釘付けになる。

「俺の名前さ、結構こう言う事あるんだよね」
「前野進?変わった名前だもんね」

若子が言うとまつりが割って入った。

「私よりはマシだよー」
「そうだな!」
そう言って爆笑する進に、まつりは憤慨して言った。

「まだ名前言ってないのに!」
「入学式で聞いたよ、後野まつりさん」

「え!なんで覚えてるの?」
「だって俺より覚えやすい名前だし。他クラスの人も皆知ってると思うよ」

「そんな!」
「まぁいいんじゃん、忘れられるよりかは覚えられてる方が」

明るく言う進の声にどこか寂しそうな音が響いた。

「えへへ、ありがとう」

まつりが言うと進の手が空を切って、おろされた。その手の動きをまつりは不思議に思って見つめていた。

不思議な沈黙が流れて、進は思い出したかのように言った。

「なんか七組に用事でもあんの?」
「ううん、もう終わった」
まつりが言うと

「そ、なら俺行くわ」
進は教室へ帰って行った。

その背中を見てまつりはつぶやいた。


「ね、わかちゃん、私やっぱりあの人好きかも」
「だろうね。」


優しく頷く若子に、まつりは理由もなく寂しいと思った。