「入れてやってくよ、アイミさん。その子は、オレの妹だ! ……血は繋がっていないけどさ。オレの親は両方再婚だから、兄弟姉妹の関係がややこしいけど妹は妹だ。だからいいだろ?」
 オレはステージでMCをするように、マイクで店長のアイミさんに叫んだ。
「オウ・イエー! そうだ、ロックなヤスシの妹だぜ!」
 ユウスケはドラムを叩きながら叫び、客をのせようとした。歓声が会場から沸き上がる。

「ようこそ! ヤスシィズ・シスター」
 訳の分かっていない俊介までが、ただノリに任せて叫ぶと、会場の客は手拍子でツキカを最前列へ迎え入れようとした。
 アイミさんは訳が分からずに、言われるがままツキカを店内に入れる。
 ツキカは嬉しそうな顔をしていた。

 あ。
 今、オレにウインクしたよね。
 オレはドキドキしながら、歌い出した。

 店内には20人から30人くらいの客がいたが、最前列のテーブルの中央に座ったツキカだけが常に気になった。
 たった一人、ツキカだけが透き通るような存在に感じた。そして気がつくと、オレは他の客のためではなく、ただツキカのためにステージで声をからして歌っている。

 この日のライブは、自分でも信じられないくらいに、調子がよかった。声も、ギターも魂が乗り移ったかのように迫力があったし、会場の客からも盛大な拍手が起こった。初めてステージで歌う深い喜びを感じたのではないだろうか。
 ツキカはオレから目を反らさずに、すべてを受け止めようとしてくれた。
 そして曲が終わるたび、ツキカが笑顔で拍手してくれるのが、嬉しくて仕方がない。
 オレたちのステージが終わると、初めて会場の客は立ち上がって拍手をしてくれた。
 オレたちは客に頭を下げて、楽器の撤収に取りかかろうとする。するとミがツキカが勝手にステージに上がってきた。

 え。ええッ⁇
 この感触……。
 嘘だろ。

 ツキカは、ステージの上で、オレの頬にキスをした。
 この様子を見て、客は拍手をして冷やかす。
 もう、オレの顔は真っ赤になっていることだろう。

「自信を持ったヤスシは最高! すごいよかったよ。かっこいい!」
 オレは照れて、ツキカの顔を直視できない。
「ありがとうございます」
 あまりにも嬉しすぎて、どういう訳か敬語になっている。

 ライブが終わった後、阿下喜駅から電車で帰宅するユウスケ、俊介と別れ、オレはツキカを家まで送ることにした。ツキカは、ライブハウス岩田商店前の坂道を上りきったところにある教会の児童養護施設に住んでいること教えてくれた。岩田商店から歩いて10分ほどだ。
 オレは自転車を手で押して、ツキカと歩く。

 ステージでの頬のキスを思い出した。まだツキカの唇の感触か残っている。
 風に前髪が揺れるツキカを見て、可愛い、と思った。
 ツキカは中学生で、年下で、……そんなことは分かっているんだが、どんどん吸い寄せられていく。

「どうして、岩田商店に来たんだよ?」
「だってヤスシって放っておけないんだもん」
 これでは、どっちが年上か分からない。
 山から吹く風の音が聞こえた。
 あたりはすっかり暗くなり、月明かりが鈴鹿山脈の藤原岳を反射させている。雲一つない、美しい夜。本音はツキカと別れたくなかった。こうして、二人きりでどこか遠くに逃げられるものなら、逃げたかった。

「あそこの教会が私の家」
 夜だったのでツキカは、小声でオレに話し掛け、教会を指差した。アメリカ人牧師が運営する教会で、その隣にある児童養護施設にツキカは住んでいるそうだ。
 赤ん坊の時、ツキカはこの施設の前に捨てられていたらしい。

「連絡一つ入れずにこんな時間まで遊んでたんだから、きっと神父さんが怒ってんじゃない?」
 オレは警察に捜索願いが出てはいないか、と急に心配になった。
「大丈夫だよ」
 ツキカは、ケロリとした表情で、全く罪悪感がない。
「ツキカってやっぱり無謀だ」
「男のくせに、度胸ないね」
 ツキカは笑っている。

 さすがにこんな時間だから、教会の門は閉まっていて、大きな鍵がかかっている。ツキカは門の柵に足をかけてよじ登り、あっという間に教会の敷地内に入った。オレは誰も見ていないか、周りをきょろきょろしてした。
「ねえ、毎週日曜日の午前中、ここでミサがあるの。来週来ない?」
 門を挟んで、対面からツキカがオレを誘ってきた。
「え?」
「待ってるから」
 ツキカにまた会えるのは嬉しかったが、教会のミサとはいかがなものか。

「待てよ! いくらなんでも教会のミサって……」
「しっ。うるさい」
 オレが大声を出したので、ツキカは立ち止まって振り向いた。
「だから、無理だよ……」
「待ってるから。朝八時ね。今夜、楽しかった。バイバイ」
 ツキカが強引に押し切りってしまった。そして、さっと目の前からいなくなる。オレは心臓がバクバクしたまま、教会に背を向け自宅に向かって自転車に乗った。
 星空が、美しい。
 こんなに夜空を美しく感じたのは、人生で初めてだった。