「誰が『落ちこぼれ』なのよ!」
 訳の分からないところにコイツは噛み付いてくる。オレは早くこの場を去りたい一心だった。
「オレだよ。オレのことだよ」
「何で『落ちこぼれ』なのよ!」
 この悪ガキはどんどん語気を荒げる。
「いや、それは……。って言うか、何でオマエが怒るんだ?」
「オマエって言うな! 私の名前はツキカ」
「あっそ。じゃあ、何でツキカが怒るんだよ。オレの問題だろ?」
「いきなり呼び捨てかよ。アンタは、よく自分で自分を悪く言えるよね」
「アンタって言うなよ。名前はヤスシだ」
「ヤスシは、自分を愛してくれる人の有り難味が全然分かってない!」
「何、呼び捨てにしてんだよ。オレは17歳だぞ。どう見てもオレの方が年上だ」
「お互い様でしょ。年なんて関係ないもん」
「生意気だな。それに何が分かるってんだ! オレは誰からも愛されない落ちこぼれだ。両親でさえも、だ。オレはそれでいいと思ってるよ。オレも音楽以外は何も愛さない」
「私には親すらいないよ。でもね、愛してくれる人たちがいて、その人たちに感謝してる。ヤスシみたいな、親のことを悪く言う、甘えたヤツにいい音楽なんてできる訳ないじゃん。愛される喜びを知らないでどうやって愛を音楽で語るのよ? ちゃんちゃらおかしいよ」
 ドーン、鈍い音が施設中に鳴り響いた。ガキにここまで言われて、怒りの収めどころがなかったオレは、施設内の壁を殴りつけた。手からは血が流れている。
 行き交う人たちは、犯罪者を見るような目でオレを凝視している。人々の視線が痛かった。

「気が済んだ?」
 ツキカはオレを睨んでいたが、動揺している気配は全くない。このケンカは完全にオレが負けていた。
 観念してオレは財布を右の尻ポケットから取り出して、千円札をツキカに差し出す。
「募金活動してんだろ? これやるよ。だからもう、放って置いてくれよ」
 この場を逃げるために出した千円札をツキカは受け取ろうとしない。そして細い目から涙を流した。
「ヤスシの心は病んでるよ。要らない」
 ツキカはハンカチで涙を拭き、オレの顔を見ようともしない。
「何で? 欲しいんじゃなかったのかよ、金が」
「自分が愛されていないって思う心の病は、この世で最も酷い病気なんだよ。世界中の貧しさで飢えている人とかさ、病気に罹って治療すら出来ない人たちよりも、もっとヤスシは深刻だよ」
 オレにはツキカの言っている意味が分からなかったが、戯言だと片付けられないほど、ツキカにはオーラが漂っていた。
 そして、ツキカは千円札を持っているオレの右手ではなく、財布を握っている左手を見つめている。

「これ何?」
 ツキカは、財布からくしゃくしゃになってはみ出していたチケットを指差した。オレはチケットのことなど無視して、バツの悪いこの場から立ち去ることだけを考えている。
「もういいだろ? オレは行くぞ」
「これ何って聞いてんの?」
「ライブのチケットだ。そんなのどうでもいいだろ?」
「お金はいらないから、これ一枚ちょうだい」
「は? これは、オレたちのバンドが出るライブのチケットだぞ。換金したって一円にもならねえよ。」

「分かってるよ。いつ?」
「は?」
「ライブはいつ?」
「次の土曜日だけど」
「じゃあ、私が行く」
「ダメだ。このライブハウスに入場できるのは高校生以上って決まってる」
「チケット、くれないの?」
 ツキカと接するのに疲れていたから、オレはもうこのチケット1枚などどうでもよく思えた。

「分かったよ。これやるからな。オレはもう行くぞ」
 財布から、くしゃくしゃのライブチケットを手渡して、オレはスイーツ店へ急いだ。ユウスケがオレを待っている。
 遠ざかるツキカが、背後から叫んでいる。
「絶対、ヤスシのライブ行くからね!」
 振り向いてツキカの顔をチラッと見たが、オレはアイスクリームのことしか、頭の中になかった。