三重県の鈴鹿山脈の麓にある忌部市の阿下喜高校。オレはここに通っていて、放課後は軽音部の部室で同じバンドのメンバーである部員とひたすら練習する毎日を送っている。
 バンドのメンバーはオレ以外に、ベースの俊介、ドラムのユウスケの3人。スリー・ピース・バンドというやつだ。
 バンドのリーダーは、オレ。メンバーは全員同い年だ。
 この日はバンド仲間と練習を終え、帰ろうとしたら外は茜色に染まっていた。山を吹き抜ける風が吹くと、葉音がする。
 出入り口から山を見上げると、野鳥が飛び交い、何やら鳴き声を発していた。
 初秋の涼やかな風が気持ちいい。空には、鱗雲。夕日の赤いグラデーションがカラーリングされている。

「ヤスシ、ユウスケ、じゃあな。俺は、アルバイトに行くよ」
 スタジオの出口でユウスケと立ったまま夕日に染まる山を眺めていると、俊介が大きく一声掛けた。急いでいるようだ。
 俊介はソフト・ケースに入ったベースを背負って自転車に乗り込み、そそくさと去った。

 付き合いの悪いヤツだ。
 オレやユウスケにはバンドの練習が終わっても行く宛てがない。帰って勉強をする気などもさらさらない。
 時間は、午後6時過ぎ。家に帰るには早い。帰りたくない。家で親や弟と接する時間は苦痛だ。
 また冷たい視線でオレは見られるのだろう。
 オレは早く一人暮らしをしたかった。でも金がない。悔しいが、親がいないと生活すら出来ない。オレは惨めだ。
 無力で何もないオレたちは、バンドが全てだ。

「けっ、俊介のヤロー、好青年ぶりやがって」
 ユウスケはドラムのスティックを指先で器用に回転させながら、去った俊介に批判的な態度で言った。
 ユウスケは他人に攻撃的で喧嘩っ早い。長い前髪から覗く一重の目はいつも睨んでいるように細く、周りの人たちを威圧していた。
 根はいい奴なんだが、キレるとオレにも止められない。暴力沙汰で2回停学になったこともある。ただし、ドラムの腕前は確かだ。
 俊介は、ユウスケとは真逆のマジメくんだ。

「なあ、ヤスシ。にぎわいの森でもいくか?」
 ユウスケがオレを遊びに誘う。オレは快く頷いた。
 忌部市の敷地内には、パンケーキやホットドッグ、パン、アイス、チョコレートなどの店舗が並んだ官営の商業施設「にぎわいの森」があった。真っ直ぐ家に帰りたくないオレは、バンドの練習後、ユウスケとその施設に行って、スイーツ店の「八舎」で、キャラメルどら焼きを買って食べるのが決まりだった。
 ケースに入れたギターを背負い、国道306号沿いを自転車で南へ進んで行くと、空はどんどん暗くなりやがて星が輝き出した。
 「よし、自転車で競走しようぜ。先ににぎわいの森に入った方がおごりな!」
 勝負事が好きなユウスケは提案した途端、オレの了承を得ることもなく勝手に全力で自転車のペダルをこぎ出した。にぎわいの森まではわずか100メートルくらいの距離だ。重いギターを背負いながらペダルをこいでいるオレの方が不利に決まっている。
「汚ねえよ!おい」
 叫びながら、沿道ライトで夜の闇にぽっかりと浮かんだユウスケの背中を追い駆けた。夜空に輝く星々は、世間に順応出来ないオレたちに冷たい光線を投げ掛けていた。