日々、ツキカに会いたいという気持ちが募る。せめて電話で声だけでも、と思ったが、児童相談所の指導でオレからツキカのいる教会に掛けた電話は、一切誰にも繋いではいけないという。
 しかもオレから何時に教会に電話が入ったかをチェックまでして、報告書に書き込ませるほどの徹底ぶりだと、ケビンが俺に教えてくれた。手紙も当然検閲が入る。

 ツキカは携帯電話を持っていないし、メールやLINEでやり取りも出来ない。オレとツキカを取り囲む状況は厳しかった。
 聞いた情報によると、ツキカは学校に通う以外は、教会の外に出ることを禁止されているらしい。だから今は、募金活動だとか、土曜日と日曜日のボランティア活動は出来ない。

 この世を呪ってみても、何も解決しない。
 時間が流れ、ツキカと会えなくなって3週間が過ぎようとしていた。忙しい毎日を過ごす人たちにとって3週間という時間はあっという間かも知れない。しかし心から欲する人と会えないまま過ぎ行く3週間は、オレには長過ぎた。

 毎日、24時間すべて、オレはツキカのことばかりを考えていた。ほんの一目でもいいから会いたい。ほんの一言でも良いから「悲しませてごめん」と声を掛けたかった。

 いてもたってもいられなかったオレは、ルールを破ってツキカに会うことを決意した。ツキカのいる教会に夜、忍び込み、ツキカに無理矢理会おうとする無謀な計画だ。
 不法な侵入だから、これはれっきとした犯罪行為になる。分かってはいたが、ツキカに会って一言でも話せれば犯罪者になってもよかった。

 オレは夜10時過ぎにこっそりと家を抜け出し、アランやツキカのいる教会に向かう。
 着くなりオレは周りを見渡して、誰も見ていないのを確認すると、閉まった門に飛び乗って敷地の中に入った。忍び足で教会の横を通り過ぎようとすると、事務室の空いた窓から、机に座ってパソコンをいじるアランの姿が見える。

 アランに声を掛けたかったが、当然出来るはずもない。オレのやっている行為は、明らかにアランを裏切っている。アランに気付かれないように、静かに通り過ぎた。

 中庭を過ぎてその奥のツキカがいる施設にようやく辿り着いた。オレはこの建物の中に入ったことがないからツキカがどの部屋にいるかも分からない。正面の玄関から入る度胸がなかったので建物の裏手に回り、裏口を探す。

 2階建てのこの建物には裏口がなかったが、裏手は各部屋の窓があってその窓から中の様子を窺うことができた。もう時間は深夜11時を過ぎているからほとんどの子は寝静まり、部屋の明かりが消えている。
 一階の中央にある一つ部屋だけ明かりが窓から漏れていた。オレは屈んだ状態から恐る恐るその部屋の中を覗き込んでみる。

 ツキカだ!

 後姿だったが、オレにはすぐ分かった。机で本を読んでいるみたいだ。オレはその姿を見ただけで涙が出そうになる。部屋に飛び込んでツキカを抱き締めたかった。やっぱりオレはツキカなしでは生きられない。

 この部屋はツキカ以外に誰もいない。いざ、会いたくて仕方がなかった当人が目の前にいると、急に怖気づき、躊躇する。しかしここで引き返しては、来た意味がない。オレは覚悟を決め、窓を軽くノックした。

 ツキカは不審者と勘違いして怯えた顔をしたから、オレは大きく手を振ってアピールした。ツキカはオレに気付くと、急いで窓を開けた。ツキカは少し痩せている。空白の3週間で何があったのか、急に心配になった。

「ヤスシ。駄目だよ、ここへ来ちゃ。アランに申し訳ないよ」
「悪い。ただ謝りたくってさ。オレのせいで、辛い思いをさせてごめん」
「私のことは大丈夫だよ」
 ツキカはやっと笑顔を俺に見せてくれた。闇の中で声を殺して会話を続けた。

「元気だったか?」
「うん。私の方こそごめんなさい。私のせいでバンドを解散したんでしょ?」
 急にツキカが、落胆した表情を見せた。いつも前向きで希望に満ちていたツキカのこんな顔を見たのは初めてだった。

「違うよ。あれは、俊介が……」
「私がヤスシから、音楽を奪ったんだよね?」
「だから違うって」
 ツキカは急に泣き出した。オレにとってみればバンドの解散など大した問題じゃない。ツキカも精神的に追い詰められていた。

「私がヤスシの才能を潰したの? 私に出会ってなかったら、今頃全国で有名なアーティストになってたの?」
「オレはツキカがいなきゃ、音楽はできないよ。別にバンドじゃなくても一人でも音楽は出来る。いつでも音楽活動は再開できるんだよ」
 オレが幾ら説得してもツキカは泣くばかりだった。そして話すうちに、ツキカを陥れた原因がやっと分かった。

「だって、だって俊介さんが私に言ったもん。私が悪いって。私のせいでヤスシの一生を台なしにしたって。ごめんなさい」
 またしても俊介だ。俊介はこの教会に出入りしているようだ。
「ツキカ、俊介のことは無視しろ」
「どうして? これからって時に、同じバンドのメンバーを苦しめる人なんていないよ」
 全てをツキカに説明する前に、近づいてくる足音が聞こえた。アランか、アランの奥さんかも知れない。もうタイム・オーバーだ。
「もう行くよ。元気でな」
「うん」
 ツキカは目を腫らしたまま、オレと話すのを諦めた。

 ツキカは気の毒なまでにピュアで、人を疑うことを知らなかった。そのピュアなハートが、オレには危険に思えた。
 ツキカに素早く手を振ってオレは塀によじ登って、敷地の外へ飛び降りる。その飛び降りる瞬間に見た、ツキカの苦悩に満ちた顔がオレの脳裏に焼き付いた。
 そして、これがオレにとってツキカを見た最後の機会になってしまった。

 悲報は、そのわずか10数時間後、アランからオレに電話で伝えられた。
 ツキカはオレと別れた直後、睡眠薬を大量に飲んで病院に救急で運ばれたそうだ。幸、命に別状はなかったが、オレがツキカを追い詰めたようなものだ。

 このことがきっかけで、ツキカはオレの知らない、遠くの児童養護施設に引き取られることになった。
 お互いのため、もう、連絡は取り合えないようになってしまった。
 今、ツキカはどこにいるのか、オレはまったく分からない。

〈私はいつもヤスシを応援してる。約束して、誰も憎まず、音楽だけに情熱を注ぐって〉

 落ち込む毎日の中で、ツキカから受け取った手紙を何度読み返したことだろうか。