もう来ているだろうか。できれば顔を合わせずにおいて帰ってきたいのだけど。

 すっかり慣れた足取りで北校舎の階段まで来た。
 目の前の扉の前でふうっと深呼吸をする。

 もしもう来てしまっていたら、『ごめん』って言って弁当だけ持たせよう。それでダッシュだ。
 逃げの選択かもしれない。だけど、ケンカをしてあんなに傷つけて、あそこまで怒らせて、そんな相手と顔を合わせて真正面から渡瀬だなんて無理に決まってる。
 今日で最後。

 この関わりも、少し特別なこの関係も、この大事な、熱くくすぶっているこの想いも、全部全部今日で終わり。

 そう考えたらすごく寂しい。切ないし、なんかやるせない。
 ううん、寂しいとか、そんな簡単な言葉じゃ表せないほど心にぽっかりと穴が開くような、そんな感覚。

 未練があるかと聞かれれば、それは……。

 ……だめだめ、もう終わりって決めたんだから。

 最後にもう一度深呼吸をして、ドアノブに手をかけた、その時……。

 「……お前何してんの」
 「ギャッ」

 ひとりで自分の世界に浸っていた私は、後ろか響いた声に変な悲鳴を上げ、それと同時にバランスを崩して階段を1段踏み外した。
 ぎゅっと目をつぶっていると、なぜか全く衝撃がやって来なくて、恐る恐る目を開けると目の前には鷹野くんの整った綺麗な顔があった。
 その状況にまたも悲鳴を挙げそうになり、次の瞬間には自分でも顔が赤くなっていくのがわかった。

 「あぶねーな、マジで」

 呆れたようにそう言っている彼に、私は口をパクパクとさせながら今の私の状況を理解する。

 ま、まさか今は彼に抱き留められた状態ということでは――。

 「ごっ、ご、ごめんっっ」

 なんでこんなことになってしまったのだろうか。
 ケンカ相手と、何がどうつながってこんな状況になっているのだろうか。

 い、意味が理解できん……。

 とりあえず、普通ケンカをした後その二人は以後気まずくなるはずだ。
 なのになんでそれがない。彼はいつも通りひょうひょうとした感じで、突然暴れ始めた私を見て「静かにしろ」と一蹴した。

 その後足が地面に着くや否、彼から一気に距離を取り、それからもう一度深く頭を下げた。

 「ごめん……! き、昨日のことも、ほんとにデリカシーないこと言っちゃってごめん……!」
 「……」
 「少しイライラしてたからってやつ当たりみたいになって本当に――」
 「怒ってねぇよ」

 勢いよく頭を下げ謝罪する私に向かって、静かな声が上の方から降ってきた。
 彼の言葉に驚いて顔を上げると、横を向いて遠くを見るようにしてポツリと呟いた。

 「俺も、言い過ぎたから……。もう、怒ってねぇから気にすんな」
 「……っ」
 「な」

 黙り込んで下を向いた私を見て、言い聞かせるようにそう言った。
 小さな子供をあやすみたいな、ちょっと甘くて優しい声に、泣く資格なんてないはずなのにぽろぽろと涙が出てくる。

 いつからこんな弱虫になったんだろうな。こんな涙腺って緩かったっけ。

 「ん、だからもう、いい」
 「ありが、と……」

 彼がそう言って屋上のドアを開けた。