連れていかれたのは今いた北校舎の階段を上に上がったところ。目の前には『立ち入り禁止』と書かれたぼろぼろの紙。
 でも彼はそれが書かれていることすら見えていないかのように、何の抵抗もなくその扉を開けた。

 その瞬間、一気に外の冷たい風が火照った頭を冷やしてくれる。奥に広がっている青空は、今までで見たこともないくらいキレイだった。
 扉の向こうで、彼が待っていた。

 急かすでもなく、見捨てる感じでもなく、ただただ待っていてくれた。
 立ち入り禁止の文字を見たらためらいがあったけど、心の中でかけ声をかけてえいっと足を踏み入れる。
 もうどうにでもなれ、という考え自体が初めてで、『ルールを破った』という事実が本当にいいのだろうか、今なら引き返せるぞ、とささやいてくる。
 でもいいや。真面目に生きることをあきらめたわけじゃないけど、こうしないと見れない世界はきっとある。

 「お前、校則違反か」
 「そ、それは鷹野くんだってそうでしょ」
 「まぁな」

 あわてて言い返すと、鷹野くんが「心配すんなよ」と言って壁に寄りかかる。
 なにが心配しないで、ということなのか全くわからなくて首をかしげていると、私の方を向いていってきた。

 「許可、取ってる。女子がうるさいからお昼はここかしてって言ったら先生がいいよって」
 「そんなの許可もらえるんだ……」
 
 私も壁にもたれて座りながら、上目で鷹野くんを見上げる。
 世界って、思ったよりもいろいろ通用するのかもしれない。
 私が見ていた世界はあまりにも真面目過ぎたんだ。確かに、ずうっと模範の中にいるのはつまらない。退屈かもしれない。
 
 そこまで考えて、あれ、とある疑問が浮かんだ。
 なんでここが使える許可をもらったのに、彼は中庭に来ていたのだろうか……?

 すると私の考えを読んだかのように、彼が「それは」と静かに言った。

 「ムカついたから。お前を見てるとムカついてしょうがなかった」
 「え」
 「自分のいいたいこと言わずに誰にも助けを求めずに……一人で生きてるんだなって思ったら」
 「一人ではなかったよ。……亜紀もいたし、家族もいるし」

 彼の声に被せていった。
 少なくとも、一人で進んでいるわけじゃなかった。
 言い換えるとすれば、一人仮面をつけて過ごしていた、というのが正しいだろう。
 
 「それでもやっぱり、自分の殻に閉じこもってたし」
 「……」
 「広い世界を見せてやりたいなって」

 ふ、と彼の口からそっと息が漏れた。
 彼の言葉に、ぐ、と心臓の弱い部分を鷲掴みにされたようにして強く揺さぶられた。

 熱い、熱いものがこみあげてくる。口元を押さえて、「う」とうめく。

 それを聞いた鷹野くんが、「体調悪いのか」と、ありえないほど優しい声色で聞かれた。
 そんなに優しく言われたらさらに涙が止まらなくなってしまって、両手で顔を覆った。

 「腹痛いわけじゃねえよな」

 コクコクとうなずいて、あふれる涙をぬぐう。
 人前で泣くなんてこと、いままでなら絶対できなかったのに。

 「思いっきり泣け。今までためてきたもの吐き出して、そんで……」

 ぼやける視界の中で、彼が太陽に負けないくらい眩しく無邪気に笑う。

 「めっちゃ笑えばいいだろ」
 
 こんなに始めるように笑った彼のかを見たのは初めてない気がした。
今まで、たまに笑うのは見たけれど、こんなふうに心の底から、という感じで爽やかに、眩しく笑った彼の笑顔を私は見たことがあっただろうか。
 彼のことは苦手だった。自分勝手で怖くて、何考えてるか分からない。
 だけど彼の世界に触れた途端、こんな美しい世界を知った。
 
 まだ涙があふれて止まらない私を見ながら、彼が一言漏らした。

「なんかあったら屋上使え」
「え……?」
「何でも話聞いてやる」
「……うん」

 ありがとう、の一言がのどに引っかかってなかなか声にならなかった。
 
 まだまだ、私は弱いままかもしれない。
 だけど確実に、心の扉が開いた音がした――。