「また逃げんのかよ」

 彼の低い声が追ってきた。それを聞いたら自分の中で我慢してためてきたなにかが音を立ててプツリと切れる。

 「鷹野くんには関係ないでしょ!」

 精神が安定していなかったからなのか、最近のストレスなのか分からないけど、心に浮かび上がってくる感情を抑える力はもう残っていなかった。

 「鷹野くんには絶対分からないよ……。どれだけ私がつらい思いしてるかなんて、分かんないでしょ……」

 いつもより1段階低い声に、鷹野くんが目を見張った。
 ふつふつと、知らない感情が沸き上がってくる。

 「悩みもなくて、勉強もできる、運動もできる、そんな人に何か私の気持ちわからないよ! 毎日楽しくてしょうがないんでしょう?」

 私の言葉に、彼が「は」と声を漏らす。
 笑われたような気になって、ばっと勢いよく振り返ると、なぜかわからないけど見たこともないほど傷ついた表情をしていた。

 なに、その顔。そっちから言ってきたくせに、何でそっちがそんな表情するの。
 訳が分からなかった。
 風船に、突然針を刺されたような感じがした。高ぶっていた気持ちが一気に冷え、代わりに行ってしまった言葉の重さがのしかかる。

 「……ごめん」

 私はそれだけ言うと、速足でその場を去った。