さっきの出来事なんかなかったかのように、授業が終わってまたにぎわい始めた教室の中で、じっと横顔を見つめる。
 するとその視線に気がついたのか、鷹野くんのまつげがピクリ一瞬震えて、その目がゆっくりと私をとらえた。
 いきなりのことにびっくりしつつも、しっかりお礼は伝えておこう、と思って向き直った。

 「あの、さっきはありがとう。えっと……助かった、から」

 できるだけ早く簡潔に済ませよう、と思っていたのに、なかなか言葉が出てこない。
 一瞬目が合っただけで、今は横を向いて窓の外を眺めていた。

 返事なんてあるはずないか、と思って教科書を持ってロッカーに向かおうと背を向けた瞬間、低い声でぼそりと呟いたのがわかった。

 「え?」

 振り返って、じっと彼の横顔を見つめる。
 でもやっぱり彼はこっちを向いてくれなくて、頬杖をついたまま誰にも聞こえないくらいの小声でつぶやく。

 「お前、」

 トゲトゲした声で、ぎろり、と目線だけを私の方に向けながら続ける。

 「大丈夫なんか」

 「へ?」

 にらまれた時から何か怒られるんじゃないかと緊張していた身体が、一気に解放されて、かわりにパチパチと瞬きをする。
 何を言われたのかあがなかなか理解できずに、もう一度「え?」と聞き返してしまう。

 「体調」

 またも小さな声で、ぼそりと呟いた。休み時間の喧騒の中でも聞こえた、低く通る声。
 やっと、彼の言っていることが分かった。でも、なんでそんなことを聞くのか全く理解ができなくてややパニック状態の頭を鎮めながらそっと答える。

 「大丈夫だよ、えーと、あの気にかけてくれてありがとう」

 私が笑いながらそう言うと、今度はなぜか舌打ちされる。意味が分からない。
 「嘘じゃねえよな」と、機嫌の悪い声で尋ねられてぎくりとしながらもうなずく。

 全然大丈夫じゃなかったけど、今は彼のおかげで落ち着いている。
 大丈夫かと聞かれて『大丈夫じゃない』なんて答えられるほど、強くない。

 でもこうやって考えていることが全部全部、彼には見透かされていそうだった。透き通ったあのきれいな水晶のような目で。

 「榎本~! ちょっと手伝えるか~」
 「はい、今行きます!」

 数学の先生に呼ばれて、あわてて手に持っていた教科書をロッカーにしまい、先生のもとに駆け付けた。
 頼まれたのは、授業で使うプリントとかを運ぶだけだったけど、その間もずっとさっきの彼との会話が頭から離れなかった。