「聞いたか、ユーリ? いよいよ明日には、スタンピードが来るんだと」
「ほんとうに?」
「本当です。フェムさんとエルフ族のお年寄りの皆さんが、魔物の動きに勘づきました。今はまだ遠いですが、明日の昼間には来るとのことです」
「方角は『ギラギラ放つクン』を建てた辺りで間違いないんだな?」
「間違いありませんね」
色んなことがあった夜、僕はカルとミトと一緒に、屋根の上で空を眺めてた。
いくら口では絶対に大丈夫なんて言ってても、やっぱり不安がぬぐえないのは、僕だけじゃなくほかの皆も同じみたい。
複雑な気持ちで夜を過ごしているうち、気づけばカルが僕を連れて、屋根に上ったんだ。
そして彼から、スタンピードが早まるという恐ろしい事実を聞いた。
本当ならもう一日余裕があったはずなのに、魔物の動きなんて予想がつかない。
もしも僕が成長していなければ、キャシーちゃんが間に合ってなければ、フェムとの和解ができてなければ――きっと、町がスタンピードに呑み込まれていたはず。
そう思うと、心底ゾッとする。
「……いよいよだね」
満天の星空を眺めながらつぶやく僕の頬を、カルがつつく。
「そう気張るもんじゃねえさ。逆に考えるんだ、明日にはこの騒動も終わってるんだぜ!」
長い髪を揺らすカルの笑顔は、いつだって僕を元気にしてくれる。
この力強さがあれば、失敗への恐怖は何度だってどこかに飛んでいくんだ。
「うん! ぼくらなら、しっぱいしないよね!」
「これまで全部、何とかなった! 今回だって、きっと何とかなるさ!」
「そうそう! きっとなんとかなるっ!」
「ええ、何とかなるはずですね」
ミトもうんうんと頷いていると、屋根に誰かが上ってきた。
「ユーリちゃんのその能天気さは、どこの誰から学んじゃったのかしらね」
そうして僕らのそばに座り込んだのは、フェムだ。
ここに運ばれてきて、何日も眠っていたのに、起きてすぐに『ギラギラ放つクン』の建設を手伝ってくれたタフな女性だ。
「フェム……」
「ほら、あなた達だけじゃなくて、私にも抱っこさせてちょうだい」
僕は言われるがまま、彼女の胸元に抱き寄せられる。
カルやミトとは違う、エルフ族特有の自然の香りが漂ってくる。
「この子、まるで赤ん坊でもちびっこでもないみたい。勇気があって、スキルを活かすだけの賢さもあって……大人の人間族よりも、ずっとすごい子だわ」
「そうだろ、そうだろ! ユーリは俺達の、自慢のちびっこだからな!」
「あなたからは、余計な知恵ばかりをもらったみたいだけど?」
「んだとぉ?」
あちゃあ、始まった。
カルが頬を膨らますのをよそに、フェムは僕の頬を撫でた。
「ユーリちゃんは今後、エルフ族で預かった方がいいんじゃないかしら? 彼なら人間族でも、きっとエルフ族の文化を守っていける素晴らしい子になるわ」
この言いぶりじゃあ、まるでフェムは僕の伯母みたいじゃないか。
こんな美人なおばさんがいるなんて、それはそれで楽しいかもしれないけど。
「ははーん、そんでもって、お前みたいな堅物に育てるつもりかよ」
そんでもって、いつもカルおじさんと喧嘩してるのも、容易に想像がつく――今まさに、屋根の上でだって喧嘩腰で接し合うんだから。
「堅物なんて、失礼じゃないかしら!」
「失礼はお前の方だろ!」
「何だよ!」
「何よ!」
「はいはい、どうどう」
ミトに仲裁されると、カルとフェムは互いに、やれやれと肩をすくめた。
「ちぇっ……顔を合わせりゃ喧嘩ばっかりだから、俺はこいつが嫌いなんだよ」
「私だってそうよ。あなたは何かと、私に突っかかってくるんだもの」
二人は「話したくない」なんて雰囲気を出してるけど、実はその逆だっていうのは、僕もミトも知ってるよ。
「でも、かるは、はなしたいことがあるんだよね?」
「フェムさんも、何も用がないのにここに来たわけじゃないんでしょう?」
だから僕らは、そっと手を差し伸べた。
実際に手を取るんじゃなくて、二人が本当に想っていることを伝えられるよう、橋渡しをしてあげたんだ。
フェムは少しだけ戸惑いつつも、僕を手放してカルと向き合った。
二人が目を合わせて、最初に口を開くまで、ちょっぴり時間がかかった。
「……まあ、うん、なくはないな」
「私も、どっちだっていいけど、そうね」
そして自分の中にあるもやもやを先に吐き出したのは、カルだった。
「……俺はずっと、発明品を里の繁栄のために使おうと思ってた。それがいつからか、フェムや里の皆を見返すために……俺を認めさせるための発明に、変わってたんだ」
カルにとって、発明品は皆のためのものだった。
いつしか、彼は認められない自分が嫌になって、承認欲求を満たすために発明品を作り続けるようになっていた。
「本当に大事なことを忘れて、研究に没頭してりゃ、そりゃあいいものも作れないよな。なのに俺は、そんな当たり前のことを忘れて発明を繰り返して、皆に迷惑をかけてた」
だから、周りに迷惑をかけても「成功だ」なんて言って気に留めなかったんだ。
「私だって、あなたを認めるべきだったわ。発明品は本当にすごくて、エルフ族の教えを少しだけ曲げてでも取り入れていれば、里は滅びなかったと思うの」
フェムは、そんなカルを羨ましくも、認めたいとも思っていたに違いない。
「でも、私はずっと、あなたは間違っていると信じ続けてた。エルフ族の長として他の文化を認めるわけにはいかないって意固地になって、幼馴染を追放したのよ」
ただ、彼女が信じたのはエルフ族であり、傲慢になったカルではなかった。
本当は自分が、誰よりも傲慢になって、頭ごなしにカルのすべてを否定し続けてきたとも知らずに。
要するに二人は――ずっと、ずぅっと、すれ違っていたんだね。
「そう思うなら、二人とも言うべきことがあるでしょう?」
わだかまりが解けた二人が、ミトの言うことを聞くのは当然だった。
「……今までごめんな、フェム」
「こっちこそごめんなさい、カル」
カルとフェムは、額をこつん、とぶつけ合った。
そのまましばらくの間、二人はそのままでいた。
「ふたりとも、なにやってるの?」
「額をぶつけ合って想いを伝えあうのは、エルフ族の和解の儀式なんです」
ミトはそんな二人のさまを、弟として心底幸せそうに見つめている。
彼だって、兄と幼馴染が喧嘩し続けるのを仲裁するのも、永遠にすれ違いそうになっていたのも、優しい弟として耐え切れずに見ていたはずだもの。
それが今、こんなに仲良くなろうとしてるなら、弟冥利に尽きるだろうね。
そんな風に思っていると、ミトが僕の隣に来て、頭を撫でてくれた。
「あの二人が儀式で仲直りをするところを、僕は百年以上見たことがありません。なのに、ああやってわだかまりを解いてくれたのは、きっとユーリ君のおかげですよ」
「ぼくの?」
「ええ、ユーリ君の、です。君がいたから、すべてうまくいったんです」
僕は歯を見せて笑った。
「ぼくはね、かるとふぇむが、すなおになってくれたからだとおもうよ」
「そうなってくれたのが、君のおかげなんですよ。ふふっ」
ミトも微笑みで応えながら、ほっぺをむにむにしてくれた。
カルと違って、優しいむにむにを感じていると、不意に屋根への出入り口から音がした。
「ん?」
そしてたちまち、その音の正体が分かった。
「「わああっ!?」」
急になだれ込んできたのは、ユーア=フォウスの住民だ。
どうやらカルとフェムが仲直りできるかが心配で、僕らにばれないようにこっそりと隠れて様子を見ていたみたい。
「あ、あなた達……!」
顔を真っ赤にするフェムを見て、皆がばつの悪そうな表情を見せる。
「いや、のぞき見するつもりはなかったんだがな」
「「フェムのアネゴ、カルのアニキもいい決断でしたぜ!」」
「あのフェムが、カルと仲直りするなんて……」
「なんだか特別な瞬間を見た気分ね」
ローヴェインだけじゃない、ライカンスロ―プやエルフの皆が口々に感想を伝え合う。
「いやあ、要するに何十年も、そこのエルフが素直になれなかっただけニャ」
そしてキャシーちゃんの的を得た一言で、フェムの顔がリンゴより赤くなった。
「よ、余計なお世話よっ!」
「「わーっ!」」
フェムが突撃すると、皆がもみくちゃになった。
ぽかぽかと皆を叩いているのに、フェムの顔は不思議と嬉しそうで、楽しそう。
皆も叩かれてるのに、本当に楽しそうだ。
「……かる、なかなおりできてよかったね」
そんな光景を見ながら、僕はカルに言った。
「ああ、良かったよ。もっと早く、こうしてりゃあ良かったけどさ」
「今だからいいんですよ、兄さん」
「……そうだな」
カルが、僕とミトの肩に手を回して体を寄せた。
僕も二人に近づいて、ぴとっとくっついた。
こうしてスタンピードが迫る中、いつもと違う夜は更けていったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日の昼間、僕らはユーア=フォウスのある家屋の屋根に立っていた。
僕やカル、ミトの家じゃなく、町の向こうが良く見える、一番端の家だ。
視界に映るのは、巨人のごとく並べられた『ギラギラ放つクン』。
そしてエルフ族が「スタンピードが来る」と教えてくれた、驚くほど静かな平原がずっと見える方角だ。
「いよいよか……嫌なほど、静かだな」
屋根に立っているのはカル、ミト、フェム、ローヴェイン、そして僕だ。
「私の集落が襲われた時も、同じような雰囲気だった。スタンピードの前には、まるで他の生物どころか、風や空気も逃げ出すようだな」
「……来る、というわけですね」
ミトの言う通り、これから地獄のような群れがやってくる。
それを止めないと、フェムやローヴェインの故郷のように、魔物が僕らを蹂躙する。
そんなこと、絶対にさせやしないけど。
「カル、ミト。エルフとライカンスロープ族の皆とキャシーちゃん、彼女の馬車は、急ぎで作った地下の避難所に隠れてもらったわよ。少なくとも、これが長の責務だわ」
「馬車が地下に入ったのか?」
「クリスタルゴーレムが手伝ってくれたのよ。彼は避難所の入り口の前に立って、魔物が入ってこないようにしてくれているわ」
「ありがとう、ふぇむ」
「どういたしまして。ほら、ユーリちゃんも地下に行かないと」
フェムが抱きかかえようとするのを、僕は拒んだ。
「やだ! ぼく、ここにのこる!」
「そうはいっても、スタンピードは危険なのよ?」
どうにかして僕を避難所に向かわせようとするフェムを、カルが制してくれた。
「ユーリなら大丈夫さ。俺達とダンジョンに入っていったし、バカみてえに汚いウンディーネの湖だって綺麗にしてみせたんだぜ?」
「何より、ユーリ君には誰よりも大きな勇気があります。僕や兄さん、ローヴェインさんに町の皆……フェムさん、貴女を足したよりもずっと、大きな勇気ですよ」
信頼している兄弟にこう言われると、フェムも納得せざるを得ないみたい。
「まったく……いざとなって、怖くて逃げたくなったら言いなさい」
「ありがと、ふぇむ!」
僕が笑うと、フェムは感心したような、ちょっぴり呆れたような笑顔を返してくれた。
きっといい意味だと僕が納得していると、カルが皆に声をかけた。
「俺達は、魔物が迫ってきたらここのレバーを引く! するとエルフ族が木の蔦で作ってくれた縄が引っ張られて、『ギラギラ放つクン』の中の魔晶石がはめ込まれて起動する!」
彼が始めたのは、発明品の動かし方だ。
僕らが立っている家の屋根には、木製のレバー型装置が備え付けられている。
そこから蔦が連なって、『ギラギラ放つクン』のてっぺんにある魔晶石を押し込む別の装置につながってる。
要するに、こっちのレバーを押し込めば、向こうの装置が起動する仕組みだ。
もちろんカルと僕の合作で、うまくいくまでに何でも試した。
魔晶石を嵌め込んでいない最後の試験は全部成功していたから、うまくいくに違いない。
「そうすれば、あいつらはパニックになって、光に込められた命令を聞く! そんでもって、混乱させた魔物に、南側の崖の方に向かって走らせるんだ――そうすりゃみーんな、まとめて崖から落ちてグッバイってわけだな!」
「今更だが、どういう理屈なのだ」
ローヴェインが聞くと、ミトがカルの代わりに説明を続ける。
「魔晶石は放つ光は、灯台のような装置の中で何度も反射するんです。その回数に応じて魔力の光は形を変えて、何度も魔物の目にチカチカと光を浴びせます。要するに、催眠術のちょっとした応用みたいなものですよ」
その昔、前世で同じような理屈の催眠術をテレビで見た記憶がある。
どうやら光を連続で瞬かせると、人を混乱させることができるらしいね。
「催眠術か……いきり立った魔物に、どこまで通用するか……」
「ま、どちらにせよ、俺達はこれを信じるほかねえ。疑う理由も、ねえけどよ」
カルが腕をポキポキと鳴らしてから、レバーに手を添える。
「レバーはハチャメチャに重いから、俺達で一気に下ろすぞ! 合図があるまでは動かすなよな、使えるのは一度きりだ――」
もしかすると、カルはもうちょっと色んな説明をしたがっていたのかもしれない。
だけど、もうすべては待ってくれなかった。
「……きたよ」
僕の言葉と共に、ずしん、と何かが家を揺らした。
いいや、そうじゃない――町そのものが、ぐらぐらと揺れ始めたんだ。
「この、地響きは……!」
まるで大海を往く小舟に乗っているかのように錯覚するほどの揺れが示すのは、僕らが最も恐れているものが到来した証拠。
すなわち、ユーア=フォウスを破滅させるものが到来した証拠だ。
そして僕らは、屋根の上からついにそれを見た。
『『オオオオオオオオオオオォォォォォッ!』』
――スタンピード。
すさまじい勢いで、とんでもない数の群れの魔物が迫ってくる現象が、今まさにユーア=フォウスに迫っていたんだ。
オオカミのような魔物、牛に似た魔物、虎にそっくりの魔物。
魔物、魔物、魔物――もう、何が何だか分からないほど密集した群れ。
確かに言えるのは、それが僕らのところに向かってきているという事実だけだ。
そしてあんなのがユーア=フォウスを踏み潰せば、僕らが立っている屋根のある家も、発明品も、これまで積み上げてきた何もかもが倒壊して均されるってこと。
つまり――町の破滅だ。
「あれが、スタンピード……!」
僕だけじゃない、カルやミト、フェム、ローヴェインすら絶句してる。
「私の集落を襲った時よりも、ずっと多い! 他の魔物を取り入れて、数を増やして……あれでは津波か濁流、いや、もっと危険だぞ!」
まさか、ローヴェインが襲撃を受けた時よりも数を増やしてるなんて。
というより、スタンピードは数を増やせるなんて、それこそ初耳だ。
「あんなのがユーア=フォウスにぶつかったら、避難所だってただじゃすまないわ!」
「そうはさせないっての! 皆、レバーを引く準備をしてくれ!」
とにもかくにも、ぼーっとしてる余裕なんてありはしない。
予想通り『ギラギラ放つクン』を建てた方角から来てくれるなら、こちらは光をしっかりと当てて、スタンピードを追い払うだけだ。
僕らは、ためらいなく皆でレバーを掴んだ。
だけど、迫ってくるスタンピードを追い払うには最適なタイミングが大事だ。
早すぎれば光の影響を受けない魔物がいるかもしれないし、遅すぎれば発明品に魔物がタックルをして破壊してしまうかもしれない。
この状況には漫画のようなミラクルも、アニメのような奇跡もない。
失敗は許されない、百パーセントの効力を発揮する瞬間を見極めないといけないんだ。
「兄さん、早く合図を!」
「まだだ、光が当たる範囲にあいつらが入ってくるまでは絶対に引かねえぞ!」
「カル、早くしろ!」
「まだだ、まだ!」
汗が指先どころか手のひらからにじみ出る中、不意にフェムが大きな声を出した。
「カル、最後になるかもしれないから言っておくわ!」
エルフ族の同胞を避難所に逃がした彼女の口から放たれたのは、怒りや迷いではない。
「私、何も後悔してない! あなたとのつながりを本当に取り戻せて、ユーリちゃんに、皆に出会えて後悔なんてしてないわ!」
皆を信じた、力強い言葉。
絶対にこの状況を乗り切って前に進むんだと覚悟した、強い言葉だ。
僕らだって、そんな言葉を聞かされれば、ぐっと強気になるに決まってる。
「取り戻すなんて……俺とお前は、喧嘩ばっかりだけどずっと一緒にいたろ!」
「だったらきっと、ミトと皆と――ユーリが、私達をつないでくれたのよ!」
「ああ、違いねえな!」
カルに続いて、僕らも自分の想いをぶちまける。
互いを信じる言葉をぶつけるなら、今しかないじゃないか。
「まったく、辞世の句とは縁起でもないな!」
「そうですよ! 僕らはまだまだ、ここで楽しくやっていくんです!」
「ぼくも、みんなも――ゆーあ=ふぉうすも、まけないよ!」
迫ってくるスタンピードなんて、もう怖くない。
恐ろしい形相で駆けてくる魔物の群れなんて、ちっとも怖くない!
だって僕には、こんなに頼れて、信じられる皆がいるんだから!
「ああ! さん、にぃ、いち、で一気に引くぜ!」
ぐっと手に力を込めて、カルの合図を待つ!
地響きが信じられないほど大きくなってきたって、絶対にこの手だけは離さない!
「さん!」
「にぃ!」
「いち!」
さあ、カル、今だ!
僕の目から見ても、魔物達が『ギラギラ放つクン』の射程に入ってきた今がチャンスだ!
「「いっけええええええええーッ!」」
そして僕らは――一気にレバーを引いた。
がこん、と音がした。
蔦が引っ張られて、魔晶石が『ギラギラ放つクン』に嵌め込まれる。
灯台のような装置から、スタンピードの群れを包み込むように光が放たれた。
するとたちまち――魔物の群れに、変化が起きた。
『……アギ……?』
『ガギ、ギイィ……!』
地響きが、ぴたりとやんだ。
その理由はただ一つ――魔物が完全に、地面を揺らす行進をやめたんだ。
「魔物の動きが、止まった……!」
自分達が何をしているのか分からない、何をすればいいのかも分からないという戸惑い。
そもそも自分達はどうしてここにいるのか、魔物達はそれすら理解していない。
そんな状態の魔物に、カルの『ギラギラ放つクン』は命令を刷り込む――走るのだ、ただしユーア=フォウスとは全く違う方角に、と。
「後はそのまま、走り去ってくれるだけだ……!」
『『…………』』
しばらく沈黙が続いた末に、魔物達はやっと動き出した。
ただし、ユーア=フォウスに向かってじゃない。
谷がある方角へと、どかどかと音を立てて駆け出して行ったんだ。
「やった! あいつら、無言で谷の方に走っていくぞ!」
「おねがい、このまませんのうがつづいて……」
祈るように手を握る僕の耳に、少しだけ間をおいて、奇怪な声が聞こえてきた。
『『ギャアアアアー……』』
遠く、ずっと遠くから響く叫び声。
どこかに消えていきそうな声がこだまするのは、一つの結論の証でもあった。
「この音、悲鳴……魔物が谷底に落ちていった証拠だ!」
そう――魔物達は、ことごとく消え去った。
「つまり……スタンピードが終わった!」
そして――僕らは賭けに勝った。
スタンピードを、カルの発明品で見事に追い払ってみせたんだ。
「私達が勝ったの! 魔物の群れを、ユーア=フォウスに来させなかったのよ!」
「僕達、やったんですね! 町を守り切ったんです!」
「そして我々のリベンジも果たしたんだ!」
「誰も傷ついてない、町も壊れない……俺達の完全勝利だーっ!」
カルが天に突き上げた拳と、彼の大声で、夢のような光景が現実なんだって、じわじわとつま先から頭に向かって染みわたっていった。
彼だけじゃなく、ミトやローヴェイン、フェムも大きな声を出して喜んでる。
僕も一緒になって歓喜の声を上げようとした時、カルが僕を強く抱きしめた。
「わぶっ!」
「やったやった、やったぜユーリ! 俺とお前の発明で、大事なものが守れたんだ! 俺が発明品でずっとやりたかったことが、やっと叶ったんだ!」
今までのどんな瞬間よりもはしゃいでいるカルの声が、次第に涙声に変わってゆく。
「本当に、誰も傷つけずに……俺は、俺のわがままでどうなったかと思うと……」
カルの指先も震えて、声もそれと同じくらいか細くなってゆく。
「……本当に、良かった……」
そして僕らの前で、僕の背中に手を回したまま、声を押し殺して泣き始めた。
この時になって、僕はやっと分かった。
カルというエルフは、自分の発明品を何の根拠もなく信じたり、絶対に成功するって信じ込ませたりしていたわけじゃないんだ。
心の底、いや、一枚の自信という皮を剥がせば、不安と恐れでいっぱいだった。
皆に悟らせないために強気な態度を演じて、できもしない計画に自分と仲間の可能性すべてを賭けて、今の今まで「元気で強気なカル」を演じ続けてきた。
でも、もういいんだ。
いつものカルに戻っていいんだ。
「かる、ぼくはずっと、しんじてたよ」
本当は自身がなくて、仲間の後押しがないと自分すら信じられないカル。
恐怖を押し殺して、怖くない、俺はすごいんだって強がるカル。
「なんでもできるって、みんなをまもってくれるって。かるがじぶんをしんじてなくたって、ぼくも、みんなも、かるをしんじてたんだよ」
そんなカルが――僕は、大好きなんだから。
それでも前に進もうとするカルが、大好きで仕方ないんだから。
「……っ!」
ばっと顔を上げたカルの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
たった今、自分がアイデアを出した天才的な発明で、町を守った英雄とは思えない顔だ。
だけどこの顔こそ、他の誰よりもカッコいいカルの顔だって、皆が知ってるよ。
「みんな、かるのこと、ほめてあげてっ!」
僕がそう言うと、皆がカルの背中を叩いて笑顔を見せた。
「褒めるまでもなく、貴方はすごい人ですよ、兄さん。弟である僕が保証します」
ミトは一緒にエルフの里を出た時から、カルを信じていたからこそそばにいた。
「男として、なすべきことを立派に成し遂げたではないか」
ローヴェインは命を助けられた時から、彼に恩義を感じてついてきてくれた。
「あなたの腕は一流なんだから、自信持ちなさい」
フェムは里にいた時から、彼の才能を信じ続けていた――認めたのは、昨日だけどね。
そんな仲間達を、カルは目と鼻をごしごしと擦って見つめた。
すると今度は、屋根の下からもカルを呼ぶ声が聞こえてきた。
「お前ら、どうやらスタンピードを追い払ったみたいニャね!」
キャシーちゃんやレーム、ライカンスロープにエルフ族――避難所に逃げてた皆が地上に上がってきて、カルを褒め称えているんだ。
『ゴウゥ♪』
レームはとっても元気に、クリスタルでできた胸をドラミングしてる。
「キャシーちゃんも、さすがに驚いたニャ」
あのキャシーちゃんが他人を褒めるだなんて、今以外は想像もつかないよ。
「カルのアニキの発明品は、見事なもんですぜ!」
「自信持ってくだせえ!」
ライカンスロープ達は自分のことのように、目から大粒の涙を流して応援してくれた。
「すごいわね、カル、本当に……」
「今まであなたに冷たく当たって、本当にごめんなさい……」
エルフ族の皆は、カルにとても感心してくれた――これまでの分も。
スタンピードを追い払った英雄、カルを「才能がない」とか「変人発明家」なんて言ってやる奴なんて、今この町にはどこにもいない。
いいや、いるわけがない。
だって僕らは皆、カルにとっても、とぉ~っても感謝してるんだから。
「かるの、みんなのちからだよ!」
僕がかけた言葉を聞いて、カルはやっと、歯を見せて笑ってくれた。
腫れぼったい目で、ゴシゴシ擦ったせいで赤くなった鼻の下を隠さないで、それでも世界で一番カッコいい笑顔で、彼は言った。
「……俺だけじゃない。お前の、皆のおかげだぜ、ユーリ!」
僕らとのつながりを――誰よりも素直に、シンプルに伝えてくれた。
それがとっても嬉しくて、僕も瞳が潤んだ。
でも、今僕がカルにしてあげたいことは、わんわん泣くことじゃない。
カルに負けないくらい、皆に負けないくらいの笑顔で応えることだ。
僕の笑顔につられてくれるように、屋根の上の皆も、下にいる皆も笑ってくれる。
そうだ、今もこれからも、僕らは同じように笑っていくんだ。
「うん!」
僕の返事を聞いて、皆が抱きしめ合った。
下にいた皆の駆けあがってくる音を聞きながら、強く、強く抱きしめ合った。
僕らはここで笑顔を分け合い、信じ合い、愛し合って生きていく。
そう――ユーア=フォウスはスタンピードなんかにも、もっと大きなトラブルにも負けやしない!
だってここは、皆が笑って過ごせる最高の町なんだから!
「ほんとうに?」
「本当です。フェムさんとエルフ族のお年寄りの皆さんが、魔物の動きに勘づきました。今はまだ遠いですが、明日の昼間には来るとのことです」
「方角は『ギラギラ放つクン』を建てた辺りで間違いないんだな?」
「間違いありませんね」
色んなことがあった夜、僕はカルとミトと一緒に、屋根の上で空を眺めてた。
いくら口では絶対に大丈夫なんて言ってても、やっぱり不安がぬぐえないのは、僕だけじゃなくほかの皆も同じみたい。
複雑な気持ちで夜を過ごしているうち、気づけばカルが僕を連れて、屋根に上ったんだ。
そして彼から、スタンピードが早まるという恐ろしい事実を聞いた。
本当ならもう一日余裕があったはずなのに、魔物の動きなんて予想がつかない。
もしも僕が成長していなければ、キャシーちゃんが間に合ってなければ、フェムとの和解ができてなければ――きっと、町がスタンピードに呑み込まれていたはず。
そう思うと、心底ゾッとする。
「……いよいよだね」
満天の星空を眺めながらつぶやく僕の頬を、カルがつつく。
「そう気張るもんじゃねえさ。逆に考えるんだ、明日にはこの騒動も終わってるんだぜ!」
長い髪を揺らすカルの笑顔は、いつだって僕を元気にしてくれる。
この力強さがあれば、失敗への恐怖は何度だってどこかに飛んでいくんだ。
「うん! ぼくらなら、しっぱいしないよね!」
「これまで全部、何とかなった! 今回だって、きっと何とかなるさ!」
「そうそう! きっとなんとかなるっ!」
「ええ、何とかなるはずですね」
ミトもうんうんと頷いていると、屋根に誰かが上ってきた。
「ユーリちゃんのその能天気さは、どこの誰から学んじゃったのかしらね」
そうして僕らのそばに座り込んだのは、フェムだ。
ここに運ばれてきて、何日も眠っていたのに、起きてすぐに『ギラギラ放つクン』の建設を手伝ってくれたタフな女性だ。
「フェム……」
「ほら、あなた達だけじゃなくて、私にも抱っこさせてちょうだい」
僕は言われるがまま、彼女の胸元に抱き寄せられる。
カルやミトとは違う、エルフ族特有の自然の香りが漂ってくる。
「この子、まるで赤ん坊でもちびっこでもないみたい。勇気があって、スキルを活かすだけの賢さもあって……大人の人間族よりも、ずっとすごい子だわ」
「そうだろ、そうだろ! ユーリは俺達の、自慢のちびっこだからな!」
「あなたからは、余計な知恵ばかりをもらったみたいだけど?」
「んだとぉ?」
あちゃあ、始まった。
カルが頬を膨らますのをよそに、フェムは僕の頬を撫でた。
「ユーリちゃんは今後、エルフ族で預かった方がいいんじゃないかしら? 彼なら人間族でも、きっとエルフ族の文化を守っていける素晴らしい子になるわ」
この言いぶりじゃあ、まるでフェムは僕の伯母みたいじゃないか。
こんな美人なおばさんがいるなんて、それはそれで楽しいかもしれないけど。
「ははーん、そんでもって、お前みたいな堅物に育てるつもりかよ」
そんでもって、いつもカルおじさんと喧嘩してるのも、容易に想像がつく――今まさに、屋根の上でだって喧嘩腰で接し合うんだから。
「堅物なんて、失礼じゃないかしら!」
「失礼はお前の方だろ!」
「何だよ!」
「何よ!」
「はいはい、どうどう」
ミトに仲裁されると、カルとフェムは互いに、やれやれと肩をすくめた。
「ちぇっ……顔を合わせりゃ喧嘩ばっかりだから、俺はこいつが嫌いなんだよ」
「私だってそうよ。あなたは何かと、私に突っかかってくるんだもの」
二人は「話したくない」なんて雰囲気を出してるけど、実はその逆だっていうのは、僕もミトも知ってるよ。
「でも、かるは、はなしたいことがあるんだよね?」
「フェムさんも、何も用がないのにここに来たわけじゃないんでしょう?」
だから僕らは、そっと手を差し伸べた。
実際に手を取るんじゃなくて、二人が本当に想っていることを伝えられるよう、橋渡しをしてあげたんだ。
フェムは少しだけ戸惑いつつも、僕を手放してカルと向き合った。
二人が目を合わせて、最初に口を開くまで、ちょっぴり時間がかかった。
「……まあ、うん、なくはないな」
「私も、どっちだっていいけど、そうね」
そして自分の中にあるもやもやを先に吐き出したのは、カルだった。
「……俺はずっと、発明品を里の繁栄のために使おうと思ってた。それがいつからか、フェムや里の皆を見返すために……俺を認めさせるための発明に、変わってたんだ」
カルにとって、発明品は皆のためのものだった。
いつしか、彼は認められない自分が嫌になって、承認欲求を満たすために発明品を作り続けるようになっていた。
「本当に大事なことを忘れて、研究に没頭してりゃ、そりゃあいいものも作れないよな。なのに俺は、そんな当たり前のことを忘れて発明を繰り返して、皆に迷惑をかけてた」
だから、周りに迷惑をかけても「成功だ」なんて言って気に留めなかったんだ。
「私だって、あなたを認めるべきだったわ。発明品は本当にすごくて、エルフ族の教えを少しだけ曲げてでも取り入れていれば、里は滅びなかったと思うの」
フェムは、そんなカルを羨ましくも、認めたいとも思っていたに違いない。
「でも、私はずっと、あなたは間違っていると信じ続けてた。エルフ族の長として他の文化を認めるわけにはいかないって意固地になって、幼馴染を追放したのよ」
ただ、彼女が信じたのはエルフ族であり、傲慢になったカルではなかった。
本当は自分が、誰よりも傲慢になって、頭ごなしにカルのすべてを否定し続けてきたとも知らずに。
要するに二人は――ずっと、ずぅっと、すれ違っていたんだね。
「そう思うなら、二人とも言うべきことがあるでしょう?」
わだかまりが解けた二人が、ミトの言うことを聞くのは当然だった。
「……今までごめんな、フェム」
「こっちこそごめんなさい、カル」
カルとフェムは、額をこつん、とぶつけ合った。
そのまましばらくの間、二人はそのままでいた。
「ふたりとも、なにやってるの?」
「額をぶつけ合って想いを伝えあうのは、エルフ族の和解の儀式なんです」
ミトはそんな二人のさまを、弟として心底幸せそうに見つめている。
彼だって、兄と幼馴染が喧嘩し続けるのを仲裁するのも、永遠にすれ違いそうになっていたのも、優しい弟として耐え切れずに見ていたはずだもの。
それが今、こんなに仲良くなろうとしてるなら、弟冥利に尽きるだろうね。
そんな風に思っていると、ミトが僕の隣に来て、頭を撫でてくれた。
「あの二人が儀式で仲直りをするところを、僕は百年以上見たことがありません。なのに、ああやってわだかまりを解いてくれたのは、きっとユーリ君のおかげですよ」
「ぼくの?」
「ええ、ユーリ君の、です。君がいたから、すべてうまくいったんです」
僕は歯を見せて笑った。
「ぼくはね、かるとふぇむが、すなおになってくれたからだとおもうよ」
「そうなってくれたのが、君のおかげなんですよ。ふふっ」
ミトも微笑みで応えながら、ほっぺをむにむにしてくれた。
カルと違って、優しいむにむにを感じていると、不意に屋根への出入り口から音がした。
「ん?」
そしてたちまち、その音の正体が分かった。
「「わああっ!?」」
急になだれ込んできたのは、ユーア=フォウスの住民だ。
どうやらカルとフェムが仲直りできるかが心配で、僕らにばれないようにこっそりと隠れて様子を見ていたみたい。
「あ、あなた達……!」
顔を真っ赤にするフェムを見て、皆がばつの悪そうな表情を見せる。
「いや、のぞき見するつもりはなかったんだがな」
「「フェムのアネゴ、カルのアニキもいい決断でしたぜ!」」
「あのフェムが、カルと仲直りするなんて……」
「なんだか特別な瞬間を見た気分ね」
ローヴェインだけじゃない、ライカンスロ―プやエルフの皆が口々に感想を伝え合う。
「いやあ、要するに何十年も、そこのエルフが素直になれなかっただけニャ」
そしてキャシーちゃんの的を得た一言で、フェムの顔がリンゴより赤くなった。
「よ、余計なお世話よっ!」
「「わーっ!」」
フェムが突撃すると、皆がもみくちゃになった。
ぽかぽかと皆を叩いているのに、フェムの顔は不思議と嬉しそうで、楽しそう。
皆も叩かれてるのに、本当に楽しそうだ。
「……かる、なかなおりできてよかったね」
そんな光景を見ながら、僕はカルに言った。
「ああ、良かったよ。もっと早く、こうしてりゃあ良かったけどさ」
「今だからいいんですよ、兄さん」
「……そうだな」
カルが、僕とミトの肩に手を回して体を寄せた。
僕も二人に近づいて、ぴとっとくっついた。
こうしてスタンピードが迫る中、いつもと違う夜は更けていったんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日の昼間、僕らはユーア=フォウスのある家屋の屋根に立っていた。
僕やカル、ミトの家じゃなく、町の向こうが良く見える、一番端の家だ。
視界に映るのは、巨人のごとく並べられた『ギラギラ放つクン』。
そしてエルフ族が「スタンピードが来る」と教えてくれた、驚くほど静かな平原がずっと見える方角だ。
「いよいよか……嫌なほど、静かだな」
屋根に立っているのはカル、ミト、フェム、ローヴェイン、そして僕だ。
「私の集落が襲われた時も、同じような雰囲気だった。スタンピードの前には、まるで他の生物どころか、風や空気も逃げ出すようだな」
「……来る、というわけですね」
ミトの言う通り、これから地獄のような群れがやってくる。
それを止めないと、フェムやローヴェインの故郷のように、魔物が僕らを蹂躙する。
そんなこと、絶対にさせやしないけど。
「カル、ミト。エルフとライカンスロープ族の皆とキャシーちゃん、彼女の馬車は、急ぎで作った地下の避難所に隠れてもらったわよ。少なくとも、これが長の責務だわ」
「馬車が地下に入ったのか?」
「クリスタルゴーレムが手伝ってくれたのよ。彼は避難所の入り口の前に立って、魔物が入ってこないようにしてくれているわ」
「ありがとう、ふぇむ」
「どういたしまして。ほら、ユーリちゃんも地下に行かないと」
フェムが抱きかかえようとするのを、僕は拒んだ。
「やだ! ぼく、ここにのこる!」
「そうはいっても、スタンピードは危険なのよ?」
どうにかして僕を避難所に向かわせようとするフェムを、カルが制してくれた。
「ユーリなら大丈夫さ。俺達とダンジョンに入っていったし、バカみてえに汚いウンディーネの湖だって綺麗にしてみせたんだぜ?」
「何より、ユーリ君には誰よりも大きな勇気があります。僕や兄さん、ローヴェインさんに町の皆……フェムさん、貴女を足したよりもずっと、大きな勇気ですよ」
信頼している兄弟にこう言われると、フェムも納得せざるを得ないみたい。
「まったく……いざとなって、怖くて逃げたくなったら言いなさい」
「ありがと、ふぇむ!」
僕が笑うと、フェムは感心したような、ちょっぴり呆れたような笑顔を返してくれた。
きっといい意味だと僕が納得していると、カルが皆に声をかけた。
「俺達は、魔物が迫ってきたらここのレバーを引く! するとエルフ族が木の蔦で作ってくれた縄が引っ張られて、『ギラギラ放つクン』の中の魔晶石がはめ込まれて起動する!」
彼が始めたのは、発明品の動かし方だ。
僕らが立っている家の屋根には、木製のレバー型装置が備え付けられている。
そこから蔦が連なって、『ギラギラ放つクン』のてっぺんにある魔晶石を押し込む別の装置につながってる。
要するに、こっちのレバーを押し込めば、向こうの装置が起動する仕組みだ。
もちろんカルと僕の合作で、うまくいくまでに何でも試した。
魔晶石を嵌め込んでいない最後の試験は全部成功していたから、うまくいくに違いない。
「そうすれば、あいつらはパニックになって、光に込められた命令を聞く! そんでもって、混乱させた魔物に、南側の崖の方に向かって走らせるんだ――そうすりゃみーんな、まとめて崖から落ちてグッバイってわけだな!」
「今更だが、どういう理屈なのだ」
ローヴェインが聞くと、ミトがカルの代わりに説明を続ける。
「魔晶石は放つ光は、灯台のような装置の中で何度も反射するんです。その回数に応じて魔力の光は形を変えて、何度も魔物の目にチカチカと光を浴びせます。要するに、催眠術のちょっとした応用みたいなものですよ」
その昔、前世で同じような理屈の催眠術をテレビで見た記憶がある。
どうやら光を連続で瞬かせると、人を混乱させることができるらしいね。
「催眠術か……いきり立った魔物に、どこまで通用するか……」
「ま、どちらにせよ、俺達はこれを信じるほかねえ。疑う理由も、ねえけどよ」
カルが腕をポキポキと鳴らしてから、レバーに手を添える。
「レバーはハチャメチャに重いから、俺達で一気に下ろすぞ! 合図があるまでは動かすなよな、使えるのは一度きりだ――」
もしかすると、カルはもうちょっと色んな説明をしたがっていたのかもしれない。
だけど、もうすべては待ってくれなかった。
「……きたよ」
僕の言葉と共に、ずしん、と何かが家を揺らした。
いいや、そうじゃない――町そのものが、ぐらぐらと揺れ始めたんだ。
「この、地響きは……!」
まるで大海を往く小舟に乗っているかのように錯覚するほどの揺れが示すのは、僕らが最も恐れているものが到来した証拠。
すなわち、ユーア=フォウスを破滅させるものが到来した証拠だ。
そして僕らは、屋根の上からついにそれを見た。
『『オオオオオオオオオオオォォォォォッ!』』
――スタンピード。
すさまじい勢いで、とんでもない数の群れの魔物が迫ってくる現象が、今まさにユーア=フォウスに迫っていたんだ。
オオカミのような魔物、牛に似た魔物、虎にそっくりの魔物。
魔物、魔物、魔物――もう、何が何だか分からないほど密集した群れ。
確かに言えるのは、それが僕らのところに向かってきているという事実だけだ。
そしてあんなのがユーア=フォウスを踏み潰せば、僕らが立っている屋根のある家も、発明品も、これまで積み上げてきた何もかもが倒壊して均されるってこと。
つまり――町の破滅だ。
「あれが、スタンピード……!」
僕だけじゃない、カルやミト、フェム、ローヴェインすら絶句してる。
「私の集落を襲った時よりも、ずっと多い! 他の魔物を取り入れて、数を増やして……あれでは津波か濁流、いや、もっと危険だぞ!」
まさか、ローヴェインが襲撃を受けた時よりも数を増やしてるなんて。
というより、スタンピードは数を増やせるなんて、それこそ初耳だ。
「あんなのがユーア=フォウスにぶつかったら、避難所だってただじゃすまないわ!」
「そうはさせないっての! 皆、レバーを引く準備をしてくれ!」
とにもかくにも、ぼーっとしてる余裕なんてありはしない。
予想通り『ギラギラ放つクン』を建てた方角から来てくれるなら、こちらは光をしっかりと当てて、スタンピードを追い払うだけだ。
僕らは、ためらいなく皆でレバーを掴んだ。
だけど、迫ってくるスタンピードを追い払うには最適なタイミングが大事だ。
早すぎれば光の影響を受けない魔物がいるかもしれないし、遅すぎれば発明品に魔物がタックルをして破壊してしまうかもしれない。
この状況には漫画のようなミラクルも、アニメのような奇跡もない。
失敗は許されない、百パーセントの効力を発揮する瞬間を見極めないといけないんだ。
「兄さん、早く合図を!」
「まだだ、光が当たる範囲にあいつらが入ってくるまでは絶対に引かねえぞ!」
「カル、早くしろ!」
「まだだ、まだ!」
汗が指先どころか手のひらからにじみ出る中、不意にフェムが大きな声を出した。
「カル、最後になるかもしれないから言っておくわ!」
エルフ族の同胞を避難所に逃がした彼女の口から放たれたのは、怒りや迷いではない。
「私、何も後悔してない! あなたとのつながりを本当に取り戻せて、ユーリちゃんに、皆に出会えて後悔なんてしてないわ!」
皆を信じた、力強い言葉。
絶対にこの状況を乗り切って前に進むんだと覚悟した、強い言葉だ。
僕らだって、そんな言葉を聞かされれば、ぐっと強気になるに決まってる。
「取り戻すなんて……俺とお前は、喧嘩ばっかりだけどずっと一緒にいたろ!」
「だったらきっと、ミトと皆と――ユーリが、私達をつないでくれたのよ!」
「ああ、違いねえな!」
カルに続いて、僕らも自分の想いをぶちまける。
互いを信じる言葉をぶつけるなら、今しかないじゃないか。
「まったく、辞世の句とは縁起でもないな!」
「そうですよ! 僕らはまだまだ、ここで楽しくやっていくんです!」
「ぼくも、みんなも――ゆーあ=ふぉうすも、まけないよ!」
迫ってくるスタンピードなんて、もう怖くない。
恐ろしい形相で駆けてくる魔物の群れなんて、ちっとも怖くない!
だって僕には、こんなに頼れて、信じられる皆がいるんだから!
「ああ! さん、にぃ、いち、で一気に引くぜ!」
ぐっと手に力を込めて、カルの合図を待つ!
地響きが信じられないほど大きくなってきたって、絶対にこの手だけは離さない!
「さん!」
「にぃ!」
「いち!」
さあ、カル、今だ!
僕の目から見ても、魔物達が『ギラギラ放つクン』の射程に入ってきた今がチャンスだ!
「「いっけええええええええーッ!」」
そして僕らは――一気にレバーを引いた。
がこん、と音がした。
蔦が引っ張られて、魔晶石が『ギラギラ放つクン』に嵌め込まれる。
灯台のような装置から、スタンピードの群れを包み込むように光が放たれた。
するとたちまち――魔物の群れに、変化が起きた。
『……アギ……?』
『ガギ、ギイィ……!』
地響きが、ぴたりとやんだ。
その理由はただ一つ――魔物が完全に、地面を揺らす行進をやめたんだ。
「魔物の動きが、止まった……!」
自分達が何をしているのか分からない、何をすればいいのかも分からないという戸惑い。
そもそも自分達はどうしてここにいるのか、魔物達はそれすら理解していない。
そんな状態の魔物に、カルの『ギラギラ放つクン』は命令を刷り込む――走るのだ、ただしユーア=フォウスとは全く違う方角に、と。
「後はそのまま、走り去ってくれるだけだ……!」
『『…………』』
しばらく沈黙が続いた末に、魔物達はやっと動き出した。
ただし、ユーア=フォウスに向かってじゃない。
谷がある方角へと、どかどかと音を立てて駆け出して行ったんだ。
「やった! あいつら、無言で谷の方に走っていくぞ!」
「おねがい、このまませんのうがつづいて……」
祈るように手を握る僕の耳に、少しだけ間をおいて、奇怪な声が聞こえてきた。
『『ギャアアアアー……』』
遠く、ずっと遠くから響く叫び声。
どこかに消えていきそうな声がこだまするのは、一つの結論の証でもあった。
「この音、悲鳴……魔物が谷底に落ちていった証拠だ!」
そう――魔物達は、ことごとく消え去った。
「つまり……スタンピードが終わった!」
そして――僕らは賭けに勝った。
スタンピードを、カルの発明品で見事に追い払ってみせたんだ。
「私達が勝ったの! 魔物の群れを、ユーア=フォウスに来させなかったのよ!」
「僕達、やったんですね! 町を守り切ったんです!」
「そして我々のリベンジも果たしたんだ!」
「誰も傷ついてない、町も壊れない……俺達の完全勝利だーっ!」
カルが天に突き上げた拳と、彼の大声で、夢のような光景が現実なんだって、じわじわとつま先から頭に向かって染みわたっていった。
彼だけじゃなく、ミトやローヴェイン、フェムも大きな声を出して喜んでる。
僕も一緒になって歓喜の声を上げようとした時、カルが僕を強く抱きしめた。
「わぶっ!」
「やったやった、やったぜユーリ! 俺とお前の発明で、大事なものが守れたんだ! 俺が発明品でずっとやりたかったことが、やっと叶ったんだ!」
今までのどんな瞬間よりもはしゃいでいるカルの声が、次第に涙声に変わってゆく。
「本当に、誰も傷つけずに……俺は、俺のわがままでどうなったかと思うと……」
カルの指先も震えて、声もそれと同じくらいか細くなってゆく。
「……本当に、良かった……」
そして僕らの前で、僕の背中に手を回したまま、声を押し殺して泣き始めた。
この時になって、僕はやっと分かった。
カルというエルフは、自分の発明品を何の根拠もなく信じたり、絶対に成功するって信じ込ませたりしていたわけじゃないんだ。
心の底、いや、一枚の自信という皮を剥がせば、不安と恐れでいっぱいだった。
皆に悟らせないために強気な態度を演じて、できもしない計画に自分と仲間の可能性すべてを賭けて、今の今まで「元気で強気なカル」を演じ続けてきた。
でも、もういいんだ。
いつものカルに戻っていいんだ。
「かる、ぼくはずっと、しんじてたよ」
本当は自身がなくて、仲間の後押しがないと自分すら信じられないカル。
恐怖を押し殺して、怖くない、俺はすごいんだって強がるカル。
「なんでもできるって、みんなをまもってくれるって。かるがじぶんをしんじてなくたって、ぼくも、みんなも、かるをしんじてたんだよ」
そんなカルが――僕は、大好きなんだから。
それでも前に進もうとするカルが、大好きで仕方ないんだから。
「……っ!」
ばっと顔を上げたカルの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
たった今、自分がアイデアを出した天才的な発明で、町を守った英雄とは思えない顔だ。
だけどこの顔こそ、他の誰よりもカッコいいカルの顔だって、皆が知ってるよ。
「みんな、かるのこと、ほめてあげてっ!」
僕がそう言うと、皆がカルの背中を叩いて笑顔を見せた。
「褒めるまでもなく、貴方はすごい人ですよ、兄さん。弟である僕が保証します」
ミトは一緒にエルフの里を出た時から、カルを信じていたからこそそばにいた。
「男として、なすべきことを立派に成し遂げたではないか」
ローヴェインは命を助けられた時から、彼に恩義を感じてついてきてくれた。
「あなたの腕は一流なんだから、自信持ちなさい」
フェムは里にいた時から、彼の才能を信じ続けていた――認めたのは、昨日だけどね。
そんな仲間達を、カルは目と鼻をごしごしと擦って見つめた。
すると今度は、屋根の下からもカルを呼ぶ声が聞こえてきた。
「お前ら、どうやらスタンピードを追い払ったみたいニャね!」
キャシーちゃんやレーム、ライカンスロープにエルフ族――避難所に逃げてた皆が地上に上がってきて、カルを褒め称えているんだ。
『ゴウゥ♪』
レームはとっても元気に、クリスタルでできた胸をドラミングしてる。
「キャシーちゃんも、さすがに驚いたニャ」
あのキャシーちゃんが他人を褒めるだなんて、今以外は想像もつかないよ。
「カルのアニキの発明品は、見事なもんですぜ!」
「自信持ってくだせえ!」
ライカンスロープ達は自分のことのように、目から大粒の涙を流して応援してくれた。
「すごいわね、カル、本当に……」
「今まであなたに冷たく当たって、本当にごめんなさい……」
エルフ族の皆は、カルにとても感心してくれた――これまでの分も。
スタンピードを追い払った英雄、カルを「才能がない」とか「変人発明家」なんて言ってやる奴なんて、今この町にはどこにもいない。
いいや、いるわけがない。
だって僕らは皆、カルにとっても、とぉ~っても感謝してるんだから。
「かるの、みんなのちからだよ!」
僕がかけた言葉を聞いて、カルはやっと、歯を見せて笑ってくれた。
腫れぼったい目で、ゴシゴシ擦ったせいで赤くなった鼻の下を隠さないで、それでも世界で一番カッコいい笑顔で、彼は言った。
「……俺だけじゃない。お前の、皆のおかげだぜ、ユーリ!」
僕らとのつながりを――誰よりも素直に、シンプルに伝えてくれた。
それがとっても嬉しくて、僕も瞳が潤んだ。
でも、今僕がカルにしてあげたいことは、わんわん泣くことじゃない。
カルに負けないくらい、皆に負けないくらいの笑顔で応えることだ。
僕の笑顔につられてくれるように、屋根の上の皆も、下にいる皆も笑ってくれる。
そうだ、今もこれからも、僕らは同じように笑っていくんだ。
「うん!」
僕の返事を聞いて、皆が抱きしめ合った。
下にいた皆の駆けあがってくる音を聞きながら、強く、強く抱きしめ合った。
僕らはここで笑顔を分け合い、信じ合い、愛し合って生きていく。
そう――ユーア=フォウスはスタンピードなんかにも、もっと大きなトラブルにも負けやしない!
だってここは、皆が笑って過ごせる最高の町なんだから!



