「――薬草をすりつぶしたものです。これを布で巻いてあげれば、治療は完了ですね」
しばらくして、僕らはユーア=フォウスの家に戻ってきた。
血まみれだったライカンスロープの女性は、すっかり体を清潔な布(僕がお絵かきスキルで作った!)で拭かれ、ベッドに寝かされてる(これも僕が作ったよ!)。
ミトは血だらけの人を背負ったからか、上着を脱いで洗い終えたままの姿。
要するに上半分は裸の、みっちり筋肉が詰まった細マッチョ姿だ。
うーむ、アスリートもびっくりの、男も見惚れるいい体系だ。
これならエルフの女性にモテる理由も分かるし、あれだけミトのパワーが強い理由だって判明したね。
「あとは目を覚ますかどうか、だな」
なんて変なことを考えていると、カルが椅子に腰かけ、頬杖を突きながら言った。
「そこは彼女の生命力を信じるほかありません。ライカンスロ―プ族は男女問わず強靭だと聞きますから、きっと何とかなりますよ」
「む、む!」
ミトの隣で、僕も強く頷く。
「ユーリ君もそう思いますよね」
「ユーリが信じるなら、俺も信じるとするか!」
二人に信頼されているのが、頭を撫でられる感覚でも分かる。
カルとミトのためなら、もっと頑張ろうって思えるよ。
「けど、このオオカミ女はどうして川から流れてきたんだろうな。あの辺りは魔物なんていないはずだし、こんなケガを負う理由はさっぱりだぜ」
「もしかすると、身内でトラブルを起こしたのではありませんか?」
「まさか。ライカンスロープ族ってのは、情に厚くて身内を絶対に守る奴らだ」
ううむ、と顎に指をあてがいながら、カルは考え込む。
「だったら、こんなところをそいつらに見られたらどうなるだろうな」
「んえ?」
「ユーリ、分かんねえか? もしかしたら、俺達がこいつを傷つけたように――」
僕らが彼女にひどいことをしたんじゃないかって、思われる可能性もあるんだよね。
でもそれは、あまりに考えが飛躍してないかなと思った、その時だった。
――ガシャアアアアアンッ!
「わあああああッ!?」
「ふえええっ!?」
突然、家のドアが爆発したように吹き飛んだ!
そしてすさまじい怒鳴り声と共に、見たこともない連中が乗り込んできたんだ!
「テメェゴラァ何やってんだオラァ!」
「俺らのアネゴになにしくさってんだオルァ!」
「ぶちのめすぞテメェアララァッアァ!」
一人か二人しか通れない下入り口から、ぎゅうぎゅう詰めになって何人もの男たちが家に入ってきた。
誰もかれもが世紀末っぽい見た目なのに加えて、筋肉が信じられないほどムキムキで、鉈や斧のような物騒な武器まで構えてる。
しかもおまけに、外見は二足歩行した茶色いオオカミのようで、耳と尻尾どころかマズルもあるし、全身がふさふさの毛に覆われてるんだ。
ちょっと見た目は違うけど、ここで寝てる女性の知り合いか、同じ種族に違いない。
なら、彼らもまたライカンスロープ、と呼んでいいはず。
「わ、わーっ! 俺達何もしてません、悪いことなんかしてませーん!」
「そうです! 彼女は川から流れてきました、僕らはそのケガを治して、ここに連れてきただけです!」
ただ、そんなのが彼らを警戒しない理由になんてならない。
カルやミトの説明も聞かずに目をぎらつかせてるんだから、びっくしりしないわけがないし、怖がらないわけもないでしょ。
しょうがないよ、今の僕は一歳のちびっこなんだから。
「信じられるかクラァ!」
今にも跳びかかって来そうな彼らを説得するなんて、とても無理な話だ。
「あ、あう……」
「下がっていてください、ユーリ君。僕らが君を守りますから」
思わず後ずさった僕の前に、ミトが仁王立ちしてくれた。
え、カルはどうしてるのかって?
カルなら僕と一緒に、ミトの後ろでビビりまくってます。
まあ、仮にミトの横に立ってライカンスロープに怒鳴りつけたって、すぐに怒鳴り返されて僕と同じところに戻ってきたと思うけど。
「そもそも、どうして彼女がここにいるのが分かったんですか! ライカンスロープ族の嗅覚で追いかけてきたのなら、その途中で僕らを倒せばよかったはずです!」
「たまたま俺達を見つけたか、後ろめたい理由でもあったんじゃねえか?」
ミトと、彼の後ろから顔をのぞかせるカルが言うと、男たちは言葉に詰まる。
「ぐっ……関係ねえよドラァ!」
「アネゴを開放しねえとただじゃ――」
どこか困った事情を持っているらしいライカンスロープ達が、その辺りをうやむやにしようとするかの如く、家で暴れようとした瞬間。
「やめろ!」
鋭く、覇気のある一声が家中に轟いた。
「……っ!?」
その声を聞くだけで、ライカンスロープの男達の動きがぴたりと止まった。
彼らだけじゃない、僕やカル、ミトも思わず背筋を伸ばして硬直してしまったんだ。
果たして誰が言ったかなんてのは、聞くまでもない。
ライカンスロープ達も含めた全員が、空っぽのベッドを見つめた。
「……彼らは、私を……助けてくれた……恩人、だ」
そこにもう、あの女性はいなかった。
代わりによろよろと立ち上がり、ライカンスロ―プを諫めてくれたんだ。
といっても回復とは程遠く、テーブルにもたれかかっていないと起き上がれないはず。
本来ならまだ体を起こすのもままならないはずなのに、この女性はきっと、僕らが思っているよりもずっと強いに違いない。
「おいおい、ベッドから出るなよ! さっきまで倒れてたケガ人だろうが!」
「この程度、何ということは……ぐっ……」
でも、強いことは、無理してもいいこととはイコールになんてならないよ。
特にケガ人で、まだ息も荒いままならなおさらだ。
「ねちぇちぇ、おにぇがい」
僕が彼女の手を引いて言うと、ライカンスロープ族の女性はじっとこっちを見つめた。
ほんの少しばかりの沈黙ののち、彼女は小さく笑ったように見えた。
「……ふがい、ないな……」
そして転がり込むように、ベッドの上であおむけになった。
よかった、僕らのお願いを聞いてくれないほど、頭の固い相手じゃないみたい。
「無事ですか、アネゴ!」
「無事でよかったです、アネゴ!」
そんなボス(?)を慕うように集まるライカンスロープ達に、彼女が低い声で言った。
「……私に……ではなく、彼らに……何か、言うことがあるだろう……」
「「すいませんでしたぁーっ!」」
すると、ほとんど反射的といっていいほどの速さで、ライカンスロープ達がまとめて僕らの前で深々と頭を下げた。
その豹変ぶりは、僕だけじゃなく、カル達もぽかんとするしかないくらいだ。
「まさかマジでアネゴを助けてくれたとは思わなくて……申し訳ないっス!」
「何でもお詫びさせてください、何でもやりますんで!」
「い、いやいや、気にする必要ないって、なあ?」
「言えますね。僕らの誤解が消え去っただけで、ありがたいです」
ここまで態度が変わると、ありがたいよりも、カルとミトにとっては「信用しづらいし気味が悪い」方が先に頭に浮かぶみたい。
まあ、さっきまで僕らをひどい目に遭わせるかもしれなかった相手が、いきなり頭を下げてきても、不信感しか抱けないのは無理もないけど。
「それはそれとして……ライカンスロープ族の貴女が、どうしてこれだけの仲間を引き連れて、しかも傷だらけで流れてきたんですか?」
「そ、そいつぁですね……」
ミトの問いに、ライカンスロープがどもっていると、代わりに女性が口を開いた。
「……ローヴェイン。私の名だ」
まだあまりはっきりとは聞き取れないけど、確かに彼女は名乗った。
「ろーべいん、さん?」
「そうだ……小さい割に、物覚えが良いのだな」
僕が別途に近寄ると、彼女――ローヴェインが頭を撫でてくれる。
人間と同じ手のひらなのに、弱っているからか、カルやミトよりずっと冷たい。
「私達はここからずっと離れた山に住んでいた……ライカンスロープ族の集落は移動式で、周期に従って、群れの長が率いて行動する……今回はその周期で、私はそこの連中をまとめる新たな長だった」
ややか細い声で話していたローヴェインの雰囲気が、ちょっぴり変わった。
「だが、想定外の事態が起きた――『スタンピード』だ」
そして彼女の言葉と共に、家の中もざわめいた。
「なっ……!?」
「嘘でしょう……!?」
「しゅたん、ぴーど?」
カルやミトどころか、ライカンスロープの皆まで苦しい顔をしているのに、青い目をくりくりさせてぽかんとしてるのは僕だけだ。
こっちの言語も、通貨も分かるのに、世間常識だけ知らないのは困るなあ。
僕が困っていると、ミトが僕を抱っこして、膝に抱えながら話してくれた。
「簡単に言えば、魔物の大移動です。地面を揺らすほどの数の魔物が、移動する現象です」
「しょれだけ?」
「ああ、それだけだ。ただし、小さな村くらいなら圧し潰ちまうほどの大群だけどよ」
「ひえっ……!」
ついでにカルも、恐ろしい真実を教えてくれた。
想像するなら、濁流にも似た魔物の大行進だろうか。
一匹の魔物がいるかいないか、それだけで森に入るのに僕らは警戒していたというのに、何十匹、何百匹もの魔物を相手にしようなんて、とても考えられない。
むしろローヴェインは、その状況でよく無事に生還したものだよ。
「我々はスタンピードに巻き込まれた……その途中、仲間を守るべく私はしんがりを務め、ケガを負い、放浪した末に……川に落ちた……覚えているのは、そこまでだ」
灰色の耳をぺたんと倒し、静かに呼吸をするローヴェイン。
恐怖体験を思い出したのか、ローヴェインをアネゴと慕うライカンスロープ達の間にも、なんだか嫌な空が漂い始める。
「待てよ、スタンピードが発生したなら、ここにも魔物が来る可能性があるだろ!」
ふと、カルは嫌な予感を覚えて声を張り上げた。
「こことはずっと違う方角へと移動した……町を潰すことはないだろう」
「だったら、いいんだけどよ」
ほうほうなるほど、と言いながら、カルはミトと僕の隣の椅子にどっかりと座る。
「で、俺らはアネゴを探して森や山をさまよってたんだ」
「でも、途中で見たことのない町を見つけて、家の中でアネゴを見つけたんだよ」
彼らの話を聞くに、ローヴェインってリーダーはライカンスロープにとっても慕われて、愛されているんだね。
だからこそ、僕らが何かをしでかしたように見えて、血が上っちゃったんだ。
乱暴な手段は肯定できないけど、こんなに愛されているのは、すごいことだよね。
「……とにかく、君達には命を救われた……感謝しても、しきれないな……」
ふう、と言葉ごとに息を吐くローヴェインの言葉に、カルはけらけらと笑う。
「ははは、礼ならそこのユーリに言ってくれ」
「ケガに効く薬草を見つけたのは、ユーリ君ですからね」
「……本当に聡い子だな」
ローヴェインの黄色く鋭い瞳が、僕を見た。
瞳の中に映る、ミトの膝に座った僕の姿をしっかりと見据えるさまに、なぜか彼女の決意のようなものが見えた。
そしてそれは、ゆっくりと体を起こした彼女自身の動きに現れた。
慌ててライカンスロープ達がローヴェインを寝かせようとしたけど、彼女は横になろうとはしなかった。
「急ですまないが……エルフ族の二人に頼みがある」
「おう、なんだ?」
「私達は住処を失った、新しい所に住む必要がある……見たところ、この町は広いが人手が足らないように見えるし、私達は十分に活躍を――」
なるほど、そういうことだね。
ローヴェインは色々と言葉を連ねようとしてるけど、僕らにそんなのは不要だよ。
今度は僕が、ローヴェインをじっと見つめて聞いた。
「しゅみたいの?」
再び流れた沈黙。
「……フッ、小細工は不要か」
その末に、彼女は困った調子で小さく笑った。
「ああ、その通りだ……ライカンスロープ族である私達を、ここに住まわせてほしい」
もう一度僕の頭を撫でた彼女の目は、憂いを帯びていた。
「住処を定期的に変えるのが私達の習性だが、ここには長く住みたいとも思っている。もちろん、彼らも私と同じ気持ちだ」
「「うっす! よろしくお願いしますッ!」」
ばっと頭を下げるライカンスロープ達。
僕とカル、ミトは顔を見合わせる。
「どうしますか、兄さん?」
彼らは確かに強面で、第一印象はあんまりよくなかったけど、きっとカルにとっては誰よりも待ち望んでいた村人候補だ。
しかも向こうの方から町にいたいって言うんだから、来来歓迎、大歓迎だね!
「もちろん大歓迎だ! ようこそ、あんたらがユーア=フォウス初の移住者だぜ!」
「ユーア=フォウス?」
手を広げて迎え入れるカルと、首を傾げるローヴェイン。
「えりゅふのこちょば。みんなの、おうち」
「……帰る場所、か……考えてみたこともなかったが、悪くない」
彼女に耳打ちすると、もう一度ローヴェインは笑ってくれた。
寡黙な人だけど、笑うと何というか、とっても綺麗な人だ。
「ライカンスロープ族の長、ローヴェインとその一同、ユーア=フォウスに住まわせてもらう……助けてもらった恩は必ず返す、よろしく頼む」
再び深々と頭を下げる皆の前で、カルが腕を腰に当てて笑った。
「そんなにかしこまらなくていいっての! よろしくな、皆!」
僕もミトもつられて笑い、ライカンスロープ達を迎え入れた。
――こうして、ちょっとした騒動の末に、町の住民が増えたんだ!
ローヴェインとライカンスロープっていう、とっても頼れる仲間がね!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「よーし、そこの石を積んで、日除けにするぞ!」
「「了解っす!」」
ライカンスロープ達がユーア=フォウスの住民になってから、早くも三日が過ぎた。
町の開拓は、彼らのおかげでびっくりするくらい早く進んでいった。
というのも、彼らは誰も彼もが力強くて、おまけに俊敏で、五感が優れているから様々なピンチに対処できるんだ。
まず、今みたいに石の壁を積み上げるのに、いくつも石材を持ち運べる。
しかもテキパキと作業するだけじゃない、石が崩れそうになったら、嗅覚や直感でそれを感じ取って、見事に石をキャッチして見せる。
そのおかげで、追加でお絵描きしたいくつかの家の前に、あっという間に石垣が完成した。
「いやあ、ライカンスロープ族ってのは力持ちだな! おかげで作業がはかどるし……ミト、お前よりもパワーがあるんじゃないのか?」
もっとも、力持ちなのはライカンスロ―プ達だけじゃないよ。
「何か言いましたか、兄さん?」
ジャケットを脱いだミトは、ライカンスロープ達の倍近い数の石を運んでいた。
しかも軽々とした態度で、時折こっちを見てくすりと笑うほどの余裕があるみたい。
もしかして、びっくりする僕らを見て楽しんでるのかな?
「みと、しゅっごいちからもち……」
「い、いや、なんでもねえや……」
もしくは、僕らがライカンスロープ達を見て感動しているのに、対抗意識を抱いてるとか。
ミトの意外な一面を見て驚いていると、ライカンスロープのうち二人ほどが、カルと、彼と手をつないでいる僕のそばまでやってきた。
「カルのアニキ、そこの坊やにお絵かきで描いてもらった方が手早いんじゃねえですかい?」
「そうそう。その方が、俺らも別の作業に移れますぜ」
「何言ってんだよ。ユーリのスキルだって、何でもできるわけじゃないんだぞ」
尻尾と耳を立てておねだりする二人を見て、カルが口を尖らせる。
「正確に言えば、できるけどやらせねえんだ。使いすぎるとユーリがへとへとになっちまうし、お絵かきスキルで作っちまえば、いざって時もきっとユーリに頼りっぱなしだ。そんなのは、住民同士の絆とは言わねえんだよ」
ちょっぴりきついカルの口調には、いっぱいの優しさが詰まってるって、すぐに分かった。
それは僕に対してだけじゃない、ライカンスロープ達がスキルに頼ってだらけてしまわないようにって優しさもつまってる。
こういう気配りもできるなんて、やっぱりカルはお兄ちゃんなんだなあ。
「確かに……」
「まあ、もしも皆が疲れたっていうなら、ユーリにお願いを――」
カルがわざとらしく言うと、ライカンスロープ達は茶色い尻尾をブルブルと振った。
「いやいや、俺達まだまだ働けますぜ!」
「ユーリ坊ちゃんはそこでゆっくりしててくだせえ!」
そしてまた、危機として作業現場に戻っていった。
「何かあったら呼んでくれれば、おまるルームまで連れて行きますんでねーっ!」
「そ、そりぇはいいよ」
ついでに、ちょっと僕が顔を赤くするようなことまで言い残していった。
自分でお絵描きしたおまるで用を足しているの、いまだにちょっと気にしてるのに。
「ありがちょ、かる」
それはそれとして、カルには助けられた気分だよ。
お礼を言うと、彼は僕のほっぺたをつついた。
「気にすんなっての。俺だって、ユーリに頼りすぎるのは良くないと思ってるんだ」
「でも、ぼく、がんばりゅよ?」
「頑張るのは、ユーリの力が本当に必要な時だ。そうじゃないなら、俺やミト、今は寝てるけどローヴェインの力が活躍するべきなんだ」
そうか、カルはただやみくもに町の人を増やしたいんじゃないんだ。
人が増えて、仲間が増えたなら誰に何ができるのか――何をしてほしいのか、カルはそこまで考えているに違いない。
もしもカルが町長的な立場になったなら、きっとユーア=フォウスはもっといいところになっていくだろうね。
「……しょれが、おちょな、なんだね」
僕がぽつりとつぶやくと、カルはにっと笑った。
「ちびっこのくせに分かった口きくじゃねえか、このこの!」
「にゅあぁ~」
そしていつもの調子でほっぺをむにむにしていると、ライカンスロープ達の声が響いた。
「おーい! 飯にするぞ、休憩だーっ!」
太陽が真上に上ったのを見て、皆が作業を止めて休憩に入る。
土木作業員のように日陰に入っていくライカンスロープ達の間を横切り、ミトが僕らのそばにやってきた。
「ふう……体力には自信がありますが、いちから石垣を作るとなると大変ですね」
「ミトのおかげで、作業は予定よりずっと進んでるぜ」
ぽんぽん、とミトの肩をカルが叩く中、ライカンスロープが何かを運んできた。
「さあ、たんと食べてくれ! ライカンスロープ族特製、ヤギの丸焼きだ!」
ヤギの胴体に木を差し込んで焼いた、とんでもなくワイルドな料理だ。
茶色く焦げたヤギを見て、カルもミトも、当然僕も目を丸くした。
「な、なかなか豪快な料理ですね……」
「味付けは塩と森で採れたハーブだけ! だがな、じっくり焼いたヤギは何よりも美味しいですぜ! ユーリの坊ちゃんには、こっちをどうぞ!」
「茹でたヤギの肉団子でさぁ! 赤ん坊でも食べられるように、柔らかくしてますんで!」
ライカンスロープの鋭い爪で削がれた肉を、カルとミトが口に運ぶ。
僕もまた、肉団子をちょっとだけ食べた。
「……おいちい!」
うん、とっても美味しい!
豚や鳥、牛とは違うけど、この独特の風味がたまらないね!
「ヤギの丸焼きも、クセはあるけど、こりゃあうまいな!」
「こんなの、初めて食べました!」
「わっはっは、そうでしょうそうでしょう! ライカンスロープ族の料理は外には出ないですから、ユーア=フォウスで堪能していってくださいよ!」
「おう! がっつり食べて、夕方までフルパワーで町作りを頑張ろうぜ!」
ヤギを見た時のリアクションはどこへやら、カルは丸焼きをガツガツと食べてゆく。
僕はミトに肉団子を食べさせてもらっていると、明後日の方向から声が聞こえてきた。
「おーい!」
慌ててユーア=フォウスに駆けてきたのは、石垣作りと別の仕事をしていたライカンスロープだ。
実は魔晶石や木材を集めに、何人かだけ森に向かってもらっていたんだ。
「カル、ミトのアニキ! 聞いてくれ、森でちょっとしたトラブルだ!」
何だか嫌な予感がして、僕らだけじゃなく、ライカンスロープも集まってくる。
森でのトラブルは前例が大きすぎるし、身構えるのも無理はない。
「トラブルですか……?」
「正確に言うと、トラブルになりそうなところですぜ! 実は岩壁に沿ってずっと奥に行ったところに、洞穴を見つけたんですよ!」
一人のライカンスロープが吼えると、隣のライカンスロープが尻尾を震わせる。
「そこから魔晶石の匂いがしたんですが……魔物の匂いがプンプンしやがるし、何よりすっげえ嫌な予感もするんでさあ!」
魔物。
そう聞いて、僕らの間にぴりりと嫌な緊張感が奔る。
「魔物ですか。ついに、この問題にぶつかる時が来ましたね」
「森や川が近くにあるんだ。いつ来てもおかしくなかったし、遅いくらいだぜ」
「まもにょ……」
こちらに何の害も及ぼさないのなら放っておいてもいいだろうけど、ファンタジーの世界じゃあ、魔物は人に危害を及ぼすのが相場だよ。
しかも森の中に住んでるだけならまだしも、ユーア=フォウスまで来ると危険だ。
ここは戦闘経験豊富な印象のある、ライカンスロープに対処をお願いしたい。
「どうしやすか、アニキ?」
「このまま放っておくと、魔物がこっちに来るかもしれませんぜ。かといって……」
「ん?」
ところが、カルがライカンスロープ達に視線を向けると、皆が茶色の毛を逆立ててた。
「……俺達、魔物との戦いはこりごりでさあ」
魔物に対する憤りじゃなくて、恐れと不安から来る反応だ。
そっか、スタンピードの恐怖がまだ、彼らの中に残ってるんだ。
こんな屈強なライカンスロープを怯えさせるなんて、スタンピードはいったい、どれほど恐ろしい災害なんだろうか。
想像しただけで、おむつの中にお漏らししちゃいそうだよ。
「スタンピードの一件から、魔物と戦うと思うと、情けない話ですが怖くて仕方ないんでさあ。あの血走った眼を思い出すと、夜も眠れません」
「中にゃあ、夜に飛び起きる奴もいますし……で、でも、皆のためなら頑張りますぜ!」
プルプルと手を震わせて意気込む一同に、カルが金色の髪を揺らして笑う。
「無理しなくていいって。魔物の相手なら、ミトが――」
彼らの代わりに僕らが森の中へ行こうとした時。
「――いいや、私が請け負おう」
「ローヴェイン!」
集まったライカンスロープ達を掻き分け、ローヴェインがやってきた。
まだ体に包帯を巻いてはいるけど、僕がお絵かきしたタンクトップとカーゴパンツを纏い、すっかり歩けるくらいには回復してるみたいだ。
「ろーべいん、けが、なおっちゃの?」
「ほとんどな。完治とはいかないが、いつまでもベッドの上にいるのは性に合わない」
僕がてちてちと近寄ると、彼女はひょいと僕を持ち上げて肩に乗せた。
百八十センチほどある背丈と体格は、ミトよりもしっかりとした安定感がある。
「さて、鉱山の奥のダンジョンについて話していたな。そこのミトほどの腕力はないが、私にはライカンスロープ族の嗅覚と体力、脚力がある。長として、他のどの種族にも負けん」
ふん、と鼻を鳴らし、尻尾をいきり立たせて、ローヴェインは言った。
「力になれると約束しよう。私を、そこに連れて行ってくれ」
彼女の一言に、ライカンスロープ達がざわめく。
「いいんですかい、アネゴ!」
「アネゴも、魔物に襲われて……」
「ふん、心配されるほどやわではない」
やっぱり、ローヴェインという女性はすごいなあ。
仲間を率いるカリスマと力強さを一身に備えた、とても剛毅な女の人だ。
まだ一歳で守ってもらってばかりの僕からすれば、本当に憧れの存在だよ。
「お前達はここに残って、石垣を作る作業を続けろ。その間に、私とカル、ミト、そしてユーリたんでトラブルを解決しよう」
「たん?」
「……ユーリ君、と言ったんだ。聞き間違いだ」
ただ、変なしゃべり方だけは気になったけど。
ついでに僕を見る目が、ちょっぴり熱を帯びているのも気になるけど、気のせいだよね。
「じゃ、さっそく謎の洞穴に向かうとするか!」
ぐっとカルがこぶしを握り締めると、ミトとローヴェインが頷く。
「「無事に戻ってきてくださいね、アネゴ!」」
「「それとアニキ達、坊ちゃんも!」」
そして荷物をまとめた僕らは、ライカンスロープ達に見送られながら、ユーア=フォウスから近くの森へと歩き出した。
特にカルのリュックは大きく、様々な発明品だって入ってる。
ミトとローヴェインは軽装だけど、僕を紐で背負うミトの良く知るパワーは言うまでもなく、ローヴェインの未知のパワーにはとっても期待してる。
何より、僕にはお絵かきスキルと鑑定スキルがある。
だから何の心配もしてないし、むしろちょっぴりワクワクすらしてるんだ。
「なんだか、遠征にでも赴く気分ですね」
「あんな楽しい連中と一緒なら、リーダーの甲斐もあったんじゃねえか、ローヴェイン?」
「ああ。騒がしいが、気心の知れた頼もしい同胞だ」
そっか、とカルはつぶやいて、なぜかちょっぴりうつむいた。
「……あいつだって、ローヴェインみたいだったらよかったのにな」
あいつ。
カルの言うあいつっていうのは、いったい誰なんだろう。
彼はもしかすると――あるいはミトも、僕とまだ話していない秘密があるんじゃないか。
「かる?」
「何でもねえさ。じゃ、行くぞ!」
そんな不安は、カルの笑顔ですぐにかき消された。
僕も彼に微笑み返しているうち、彼へのおかしな疑問はすぐに消えていった。
しばらくして、僕らはユーア=フォウスの家に戻ってきた。
血まみれだったライカンスロープの女性は、すっかり体を清潔な布(僕がお絵かきスキルで作った!)で拭かれ、ベッドに寝かされてる(これも僕が作ったよ!)。
ミトは血だらけの人を背負ったからか、上着を脱いで洗い終えたままの姿。
要するに上半分は裸の、みっちり筋肉が詰まった細マッチョ姿だ。
うーむ、アスリートもびっくりの、男も見惚れるいい体系だ。
これならエルフの女性にモテる理由も分かるし、あれだけミトのパワーが強い理由だって判明したね。
「あとは目を覚ますかどうか、だな」
なんて変なことを考えていると、カルが椅子に腰かけ、頬杖を突きながら言った。
「そこは彼女の生命力を信じるほかありません。ライカンスロ―プ族は男女問わず強靭だと聞きますから、きっと何とかなりますよ」
「む、む!」
ミトの隣で、僕も強く頷く。
「ユーリ君もそう思いますよね」
「ユーリが信じるなら、俺も信じるとするか!」
二人に信頼されているのが、頭を撫でられる感覚でも分かる。
カルとミトのためなら、もっと頑張ろうって思えるよ。
「けど、このオオカミ女はどうして川から流れてきたんだろうな。あの辺りは魔物なんていないはずだし、こんなケガを負う理由はさっぱりだぜ」
「もしかすると、身内でトラブルを起こしたのではありませんか?」
「まさか。ライカンスロープ族ってのは、情に厚くて身内を絶対に守る奴らだ」
ううむ、と顎に指をあてがいながら、カルは考え込む。
「だったら、こんなところをそいつらに見られたらどうなるだろうな」
「んえ?」
「ユーリ、分かんねえか? もしかしたら、俺達がこいつを傷つけたように――」
僕らが彼女にひどいことをしたんじゃないかって、思われる可能性もあるんだよね。
でもそれは、あまりに考えが飛躍してないかなと思った、その時だった。
――ガシャアアアアアンッ!
「わあああああッ!?」
「ふえええっ!?」
突然、家のドアが爆発したように吹き飛んだ!
そしてすさまじい怒鳴り声と共に、見たこともない連中が乗り込んできたんだ!
「テメェゴラァ何やってんだオラァ!」
「俺らのアネゴになにしくさってんだオルァ!」
「ぶちのめすぞテメェアララァッアァ!」
一人か二人しか通れない下入り口から、ぎゅうぎゅう詰めになって何人もの男たちが家に入ってきた。
誰もかれもが世紀末っぽい見た目なのに加えて、筋肉が信じられないほどムキムキで、鉈や斧のような物騒な武器まで構えてる。
しかもおまけに、外見は二足歩行した茶色いオオカミのようで、耳と尻尾どころかマズルもあるし、全身がふさふさの毛に覆われてるんだ。
ちょっと見た目は違うけど、ここで寝てる女性の知り合いか、同じ種族に違いない。
なら、彼らもまたライカンスロープ、と呼んでいいはず。
「わ、わーっ! 俺達何もしてません、悪いことなんかしてませーん!」
「そうです! 彼女は川から流れてきました、僕らはそのケガを治して、ここに連れてきただけです!」
ただ、そんなのが彼らを警戒しない理由になんてならない。
カルやミトの説明も聞かずに目をぎらつかせてるんだから、びっくしりしないわけがないし、怖がらないわけもないでしょ。
しょうがないよ、今の僕は一歳のちびっこなんだから。
「信じられるかクラァ!」
今にも跳びかかって来そうな彼らを説得するなんて、とても無理な話だ。
「あ、あう……」
「下がっていてください、ユーリ君。僕らが君を守りますから」
思わず後ずさった僕の前に、ミトが仁王立ちしてくれた。
え、カルはどうしてるのかって?
カルなら僕と一緒に、ミトの後ろでビビりまくってます。
まあ、仮にミトの横に立ってライカンスロープに怒鳴りつけたって、すぐに怒鳴り返されて僕と同じところに戻ってきたと思うけど。
「そもそも、どうして彼女がここにいるのが分かったんですか! ライカンスロープ族の嗅覚で追いかけてきたのなら、その途中で僕らを倒せばよかったはずです!」
「たまたま俺達を見つけたか、後ろめたい理由でもあったんじゃねえか?」
ミトと、彼の後ろから顔をのぞかせるカルが言うと、男たちは言葉に詰まる。
「ぐっ……関係ねえよドラァ!」
「アネゴを開放しねえとただじゃ――」
どこか困った事情を持っているらしいライカンスロープ達が、その辺りをうやむやにしようとするかの如く、家で暴れようとした瞬間。
「やめろ!」
鋭く、覇気のある一声が家中に轟いた。
「……っ!?」
その声を聞くだけで、ライカンスロープの男達の動きがぴたりと止まった。
彼らだけじゃない、僕やカル、ミトも思わず背筋を伸ばして硬直してしまったんだ。
果たして誰が言ったかなんてのは、聞くまでもない。
ライカンスロープ達も含めた全員が、空っぽのベッドを見つめた。
「……彼らは、私を……助けてくれた……恩人、だ」
そこにもう、あの女性はいなかった。
代わりによろよろと立ち上がり、ライカンスロ―プを諫めてくれたんだ。
といっても回復とは程遠く、テーブルにもたれかかっていないと起き上がれないはず。
本来ならまだ体を起こすのもままならないはずなのに、この女性はきっと、僕らが思っているよりもずっと強いに違いない。
「おいおい、ベッドから出るなよ! さっきまで倒れてたケガ人だろうが!」
「この程度、何ということは……ぐっ……」
でも、強いことは、無理してもいいこととはイコールになんてならないよ。
特にケガ人で、まだ息も荒いままならなおさらだ。
「ねちぇちぇ、おにぇがい」
僕が彼女の手を引いて言うと、ライカンスロープ族の女性はじっとこっちを見つめた。
ほんの少しばかりの沈黙ののち、彼女は小さく笑ったように見えた。
「……ふがい、ないな……」
そして転がり込むように、ベッドの上であおむけになった。
よかった、僕らのお願いを聞いてくれないほど、頭の固い相手じゃないみたい。
「無事ですか、アネゴ!」
「無事でよかったです、アネゴ!」
そんなボス(?)を慕うように集まるライカンスロープ達に、彼女が低い声で言った。
「……私に……ではなく、彼らに……何か、言うことがあるだろう……」
「「すいませんでしたぁーっ!」」
すると、ほとんど反射的といっていいほどの速さで、ライカンスロープ達がまとめて僕らの前で深々と頭を下げた。
その豹変ぶりは、僕だけじゃなく、カル達もぽかんとするしかないくらいだ。
「まさかマジでアネゴを助けてくれたとは思わなくて……申し訳ないっス!」
「何でもお詫びさせてください、何でもやりますんで!」
「い、いやいや、気にする必要ないって、なあ?」
「言えますね。僕らの誤解が消え去っただけで、ありがたいです」
ここまで態度が変わると、ありがたいよりも、カルとミトにとっては「信用しづらいし気味が悪い」方が先に頭に浮かぶみたい。
まあ、さっきまで僕らをひどい目に遭わせるかもしれなかった相手が、いきなり頭を下げてきても、不信感しか抱けないのは無理もないけど。
「それはそれとして……ライカンスロープ族の貴女が、どうしてこれだけの仲間を引き連れて、しかも傷だらけで流れてきたんですか?」
「そ、そいつぁですね……」
ミトの問いに、ライカンスロープがどもっていると、代わりに女性が口を開いた。
「……ローヴェイン。私の名だ」
まだあまりはっきりとは聞き取れないけど、確かに彼女は名乗った。
「ろーべいん、さん?」
「そうだ……小さい割に、物覚えが良いのだな」
僕が別途に近寄ると、彼女――ローヴェインが頭を撫でてくれる。
人間と同じ手のひらなのに、弱っているからか、カルやミトよりずっと冷たい。
「私達はここからずっと離れた山に住んでいた……ライカンスロープ族の集落は移動式で、周期に従って、群れの長が率いて行動する……今回はその周期で、私はそこの連中をまとめる新たな長だった」
ややか細い声で話していたローヴェインの雰囲気が、ちょっぴり変わった。
「だが、想定外の事態が起きた――『スタンピード』だ」
そして彼女の言葉と共に、家の中もざわめいた。
「なっ……!?」
「嘘でしょう……!?」
「しゅたん、ぴーど?」
カルやミトどころか、ライカンスロープの皆まで苦しい顔をしているのに、青い目をくりくりさせてぽかんとしてるのは僕だけだ。
こっちの言語も、通貨も分かるのに、世間常識だけ知らないのは困るなあ。
僕が困っていると、ミトが僕を抱っこして、膝に抱えながら話してくれた。
「簡単に言えば、魔物の大移動です。地面を揺らすほどの数の魔物が、移動する現象です」
「しょれだけ?」
「ああ、それだけだ。ただし、小さな村くらいなら圧し潰ちまうほどの大群だけどよ」
「ひえっ……!」
ついでにカルも、恐ろしい真実を教えてくれた。
想像するなら、濁流にも似た魔物の大行進だろうか。
一匹の魔物がいるかいないか、それだけで森に入るのに僕らは警戒していたというのに、何十匹、何百匹もの魔物を相手にしようなんて、とても考えられない。
むしろローヴェインは、その状況でよく無事に生還したものだよ。
「我々はスタンピードに巻き込まれた……その途中、仲間を守るべく私はしんがりを務め、ケガを負い、放浪した末に……川に落ちた……覚えているのは、そこまでだ」
灰色の耳をぺたんと倒し、静かに呼吸をするローヴェイン。
恐怖体験を思い出したのか、ローヴェインをアネゴと慕うライカンスロープ達の間にも、なんだか嫌な空が漂い始める。
「待てよ、スタンピードが発生したなら、ここにも魔物が来る可能性があるだろ!」
ふと、カルは嫌な予感を覚えて声を張り上げた。
「こことはずっと違う方角へと移動した……町を潰すことはないだろう」
「だったら、いいんだけどよ」
ほうほうなるほど、と言いながら、カルはミトと僕の隣の椅子にどっかりと座る。
「で、俺らはアネゴを探して森や山をさまよってたんだ」
「でも、途中で見たことのない町を見つけて、家の中でアネゴを見つけたんだよ」
彼らの話を聞くに、ローヴェインってリーダーはライカンスロープにとっても慕われて、愛されているんだね。
だからこそ、僕らが何かをしでかしたように見えて、血が上っちゃったんだ。
乱暴な手段は肯定できないけど、こんなに愛されているのは、すごいことだよね。
「……とにかく、君達には命を救われた……感謝しても、しきれないな……」
ふう、と言葉ごとに息を吐くローヴェインの言葉に、カルはけらけらと笑う。
「ははは、礼ならそこのユーリに言ってくれ」
「ケガに効く薬草を見つけたのは、ユーリ君ですからね」
「……本当に聡い子だな」
ローヴェインの黄色く鋭い瞳が、僕を見た。
瞳の中に映る、ミトの膝に座った僕の姿をしっかりと見据えるさまに、なぜか彼女の決意のようなものが見えた。
そしてそれは、ゆっくりと体を起こした彼女自身の動きに現れた。
慌ててライカンスロープ達がローヴェインを寝かせようとしたけど、彼女は横になろうとはしなかった。
「急ですまないが……エルフ族の二人に頼みがある」
「おう、なんだ?」
「私達は住処を失った、新しい所に住む必要がある……見たところ、この町は広いが人手が足らないように見えるし、私達は十分に活躍を――」
なるほど、そういうことだね。
ローヴェインは色々と言葉を連ねようとしてるけど、僕らにそんなのは不要だよ。
今度は僕が、ローヴェインをじっと見つめて聞いた。
「しゅみたいの?」
再び流れた沈黙。
「……フッ、小細工は不要か」
その末に、彼女は困った調子で小さく笑った。
「ああ、その通りだ……ライカンスロープ族である私達を、ここに住まわせてほしい」
もう一度僕の頭を撫でた彼女の目は、憂いを帯びていた。
「住処を定期的に変えるのが私達の習性だが、ここには長く住みたいとも思っている。もちろん、彼らも私と同じ気持ちだ」
「「うっす! よろしくお願いしますッ!」」
ばっと頭を下げるライカンスロープ達。
僕とカル、ミトは顔を見合わせる。
「どうしますか、兄さん?」
彼らは確かに強面で、第一印象はあんまりよくなかったけど、きっとカルにとっては誰よりも待ち望んでいた村人候補だ。
しかも向こうの方から町にいたいって言うんだから、来来歓迎、大歓迎だね!
「もちろん大歓迎だ! ようこそ、あんたらがユーア=フォウス初の移住者だぜ!」
「ユーア=フォウス?」
手を広げて迎え入れるカルと、首を傾げるローヴェイン。
「えりゅふのこちょば。みんなの、おうち」
「……帰る場所、か……考えてみたこともなかったが、悪くない」
彼女に耳打ちすると、もう一度ローヴェインは笑ってくれた。
寡黙な人だけど、笑うと何というか、とっても綺麗な人だ。
「ライカンスロープ族の長、ローヴェインとその一同、ユーア=フォウスに住まわせてもらう……助けてもらった恩は必ず返す、よろしく頼む」
再び深々と頭を下げる皆の前で、カルが腕を腰に当てて笑った。
「そんなにかしこまらなくていいっての! よろしくな、皆!」
僕もミトもつられて笑い、ライカンスロープ達を迎え入れた。
――こうして、ちょっとした騒動の末に、町の住民が増えたんだ!
ローヴェインとライカンスロープっていう、とっても頼れる仲間がね!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「よーし、そこの石を積んで、日除けにするぞ!」
「「了解っす!」」
ライカンスロープ達がユーア=フォウスの住民になってから、早くも三日が過ぎた。
町の開拓は、彼らのおかげでびっくりするくらい早く進んでいった。
というのも、彼らは誰も彼もが力強くて、おまけに俊敏で、五感が優れているから様々なピンチに対処できるんだ。
まず、今みたいに石の壁を積み上げるのに、いくつも石材を持ち運べる。
しかもテキパキと作業するだけじゃない、石が崩れそうになったら、嗅覚や直感でそれを感じ取って、見事に石をキャッチして見せる。
そのおかげで、追加でお絵描きしたいくつかの家の前に、あっという間に石垣が完成した。
「いやあ、ライカンスロープ族ってのは力持ちだな! おかげで作業がはかどるし……ミト、お前よりもパワーがあるんじゃないのか?」
もっとも、力持ちなのはライカンスロ―プ達だけじゃないよ。
「何か言いましたか、兄さん?」
ジャケットを脱いだミトは、ライカンスロープ達の倍近い数の石を運んでいた。
しかも軽々とした態度で、時折こっちを見てくすりと笑うほどの余裕があるみたい。
もしかして、びっくりする僕らを見て楽しんでるのかな?
「みと、しゅっごいちからもち……」
「い、いや、なんでもねえや……」
もしくは、僕らがライカンスロープ達を見て感動しているのに、対抗意識を抱いてるとか。
ミトの意外な一面を見て驚いていると、ライカンスロープのうち二人ほどが、カルと、彼と手をつないでいる僕のそばまでやってきた。
「カルのアニキ、そこの坊やにお絵かきで描いてもらった方が手早いんじゃねえですかい?」
「そうそう。その方が、俺らも別の作業に移れますぜ」
「何言ってんだよ。ユーリのスキルだって、何でもできるわけじゃないんだぞ」
尻尾と耳を立てておねだりする二人を見て、カルが口を尖らせる。
「正確に言えば、できるけどやらせねえんだ。使いすぎるとユーリがへとへとになっちまうし、お絵かきスキルで作っちまえば、いざって時もきっとユーリに頼りっぱなしだ。そんなのは、住民同士の絆とは言わねえんだよ」
ちょっぴりきついカルの口調には、いっぱいの優しさが詰まってるって、すぐに分かった。
それは僕に対してだけじゃない、ライカンスロープ達がスキルに頼ってだらけてしまわないようにって優しさもつまってる。
こういう気配りもできるなんて、やっぱりカルはお兄ちゃんなんだなあ。
「確かに……」
「まあ、もしも皆が疲れたっていうなら、ユーリにお願いを――」
カルがわざとらしく言うと、ライカンスロープ達は茶色い尻尾をブルブルと振った。
「いやいや、俺達まだまだ働けますぜ!」
「ユーリ坊ちゃんはそこでゆっくりしててくだせえ!」
そしてまた、危機として作業現場に戻っていった。
「何かあったら呼んでくれれば、おまるルームまで連れて行きますんでねーっ!」
「そ、そりぇはいいよ」
ついでに、ちょっと僕が顔を赤くするようなことまで言い残していった。
自分でお絵描きしたおまるで用を足しているの、いまだにちょっと気にしてるのに。
「ありがちょ、かる」
それはそれとして、カルには助けられた気分だよ。
お礼を言うと、彼は僕のほっぺたをつついた。
「気にすんなっての。俺だって、ユーリに頼りすぎるのは良くないと思ってるんだ」
「でも、ぼく、がんばりゅよ?」
「頑張るのは、ユーリの力が本当に必要な時だ。そうじゃないなら、俺やミト、今は寝てるけどローヴェインの力が活躍するべきなんだ」
そうか、カルはただやみくもに町の人を増やしたいんじゃないんだ。
人が増えて、仲間が増えたなら誰に何ができるのか――何をしてほしいのか、カルはそこまで考えているに違いない。
もしもカルが町長的な立場になったなら、きっとユーア=フォウスはもっといいところになっていくだろうね。
「……しょれが、おちょな、なんだね」
僕がぽつりとつぶやくと、カルはにっと笑った。
「ちびっこのくせに分かった口きくじゃねえか、このこの!」
「にゅあぁ~」
そしていつもの調子でほっぺをむにむにしていると、ライカンスロープ達の声が響いた。
「おーい! 飯にするぞ、休憩だーっ!」
太陽が真上に上ったのを見て、皆が作業を止めて休憩に入る。
土木作業員のように日陰に入っていくライカンスロープ達の間を横切り、ミトが僕らのそばにやってきた。
「ふう……体力には自信がありますが、いちから石垣を作るとなると大変ですね」
「ミトのおかげで、作業は予定よりずっと進んでるぜ」
ぽんぽん、とミトの肩をカルが叩く中、ライカンスロープが何かを運んできた。
「さあ、たんと食べてくれ! ライカンスロープ族特製、ヤギの丸焼きだ!」
ヤギの胴体に木を差し込んで焼いた、とんでもなくワイルドな料理だ。
茶色く焦げたヤギを見て、カルもミトも、当然僕も目を丸くした。
「な、なかなか豪快な料理ですね……」
「味付けは塩と森で採れたハーブだけ! だがな、じっくり焼いたヤギは何よりも美味しいですぜ! ユーリの坊ちゃんには、こっちをどうぞ!」
「茹でたヤギの肉団子でさぁ! 赤ん坊でも食べられるように、柔らかくしてますんで!」
ライカンスロープの鋭い爪で削がれた肉を、カルとミトが口に運ぶ。
僕もまた、肉団子をちょっとだけ食べた。
「……おいちい!」
うん、とっても美味しい!
豚や鳥、牛とは違うけど、この独特の風味がたまらないね!
「ヤギの丸焼きも、クセはあるけど、こりゃあうまいな!」
「こんなの、初めて食べました!」
「わっはっは、そうでしょうそうでしょう! ライカンスロープ族の料理は外には出ないですから、ユーア=フォウスで堪能していってくださいよ!」
「おう! がっつり食べて、夕方までフルパワーで町作りを頑張ろうぜ!」
ヤギを見た時のリアクションはどこへやら、カルは丸焼きをガツガツと食べてゆく。
僕はミトに肉団子を食べさせてもらっていると、明後日の方向から声が聞こえてきた。
「おーい!」
慌ててユーア=フォウスに駆けてきたのは、石垣作りと別の仕事をしていたライカンスロープだ。
実は魔晶石や木材を集めに、何人かだけ森に向かってもらっていたんだ。
「カル、ミトのアニキ! 聞いてくれ、森でちょっとしたトラブルだ!」
何だか嫌な予感がして、僕らだけじゃなく、ライカンスロープも集まってくる。
森でのトラブルは前例が大きすぎるし、身構えるのも無理はない。
「トラブルですか……?」
「正確に言うと、トラブルになりそうなところですぜ! 実は岩壁に沿ってずっと奥に行ったところに、洞穴を見つけたんですよ!」
一人のライカンスロープが吼えると、隣のライカンスロープが尻尾を震わせる。
「そこから魔晶石の匂いがしたんですが……魔物の匂いがプンプンしやがるし、何よりすっげえ嫌な予感もするんでさあ!」
魔物。
そう聞いて、僕らの間にぴりりと嫌な緊張感が奔る。
「魔物ですか。ついに、この問題にぶつかる時が来ましたね」
「森や川が近くにあるんだ。いつ来てもおかしくなかったし、遅いくらいだぜ」
「まもにょ……」
こちらに何の害も及ぼさないのなら放っておいてもいいだろうけど、ファンタジーの世界じゃあ、魔物は人に危害を及ぼすのが相場だよ。
しかも森の中に住んでるだけならまだしも、ユーア=フォウスまで来ると危険だ。
ここは戦闘経験豊富な印象のある、ライカンスロープに対処をお願いしたい。
「どうしやすか、アニキ?」
「このまま放っておくと、魔物がこっちに来るかもしれませんぜ。かといって……」
「ん?」
ところが、カルがライカンスロープ達に視線を向けると、皆が茶色の毛を逆立ててた。
「……俺達、魔物との戦いはこりごりでさあ」
魔物に対する憤りじゃなくて、恐れと不安から来る反応だ。
そっか、スタンピードの恐怖がまだ、彼らの中に残ってるんだ。
こんな屈強なライカンスロープを怯えさせるなんて、スタンピードはいったい、どれほど恐ろしい災害なんだろうか。
想像しただけで、おむつの中にお漏らししちゃいそうだよ。
「スタンピードの一件から、魔物と戦うと思うと、情けない話ですが怖くて仕方ないんでさあ。あの血走った眼を思い出すと、夜も眠れません」
「中にゃあ、夜に飛び起きる奴もいますし……で、でも、皆のためなら頑張りますぜ!」
プルプルと手を震わせて意気込む一同に、カルが金色の髪を揺らして笑う。
「無理しなくていいって。魔物の相手なら、ミトが――」
彼らの代わりに僕らが森の中へ行こうとした時。
「――いいや、私が請け負おう」
「ローヴェイン!」
集まったライカンスロープ達を掻き分け、ローヴェインがやってきた。
まだ体に包帯を巻いてはいるけど、僕がお絵かきしたタンクトップとカーゴパンツを纏い、すっかり歩けるくらいには回復してるみたいだ。
「ろーべいん、けが、なおっちゃの?」
「ほとんどな。完治とはいかないが、いつまでもベッドの上にいるのは性に合わない」
僕がてちてちと近寄ると、彼女はひょいと僕を持ち上げて肩に乗せた。
百八十センチほどある背丈と体格は、ミトよりもしっかりとした安定感がある。
「さて、鉱山の奥のダンジョンについて話していたな。そこのミトほどの腕力はないが、私にはライカンスロープ族の嗅覚と体力、脚力がある。長として、他のどの種族にも負けん」
ふん、と鼻を鳴らし、尻尾をいきり立たせて、ローヴェインは言った。
「力になれると約束しよう。私を、そこに連れて行ってくれ」
彼女の一言に、ライカンスロープ達がざわめく。
「いいんですかい、アネゴ!」
「アネゴも、魔物に襲われて……」
「ふん、心配されるほどやわではない」
やっぱり、ローヴェインという女性はすごいなあ。
仲間を率いるカリスマと力強さを一身に備えた、とても剛毅な女の人だ。
まだ一歳で守ってもらってばかりの僕からすれば、本当に憧れの存在だよ。
「お前達はここに残って、石垣を作る作業を続けろ。その間に、私とカル、ミト、そしてユーリたんでトラブルを解決しよう」
「たん?」
「……ユーリ君、と言ったんだ。聞き間違いだ」
ただ、変なしゃべり方だけは気になったけど。
ついでに僕を見る目が、ちょっぴり熱を帯びているのも気になるけど、気のせいだよね。
「じゃ、さっそく謎の洞穴に向かうとするか!」
ぐっとカルがこぶしを握り締めると、ミトとローヴェインが頷く。
「「無事に戻ってきてくださいね、アネゴ!」」
「「それとアニキ達、坊ちゃんも!」」
そして荷物をまとめた僕らは、ライカンスロープ達に見送られながら、ユーア=フォウスから近くの森へと歩き出した。
特にカルのリュックは大きく、様々な発明品だって入ってる。
ミトとローヴェインは軽装だけど、僕を紐で背負うミトの良く知るパワーは言うまでもなく、ローヴェインの未知のパワーにはとっても期待してる。
何より、僕にはお絵かきスキルと鑑定スキルがある。
だから何の心配もしてないし、むしろちょっぴりワクワクすらしてるんだ。
「なんだか、遠征にでも赴く気分ですね」
「あんな楽しい連中と一緒なら、リーダーの甲斐もあったんじゃねえか、ローヴェイン?」
「ああ。騒がしいが、気心の知れた頼もしい同胞だ」
そっか、とカルはつぶやいて、なぜかちょっぴりうつむいた。
「……あいつだって、ローヴェインみたいだったらよかったのにな」
あいつ。
カルの言うあいつっていうのは、いったい誰なんだろう。
彼はもしかすると――あるいはミトも、僕とまだ話していない秘密があるんじゃないか。
「かる?」
「何でもねえさ。じゃ、行くぞ!」
そんな不安は、カルの笑顔ですぐにかき消された。
僕も彼に微笑み返しているうち、彼へのおかしな疑問はすぐに消えていった。



