死んだら、どこへ行く?
幼い頃、僕は「良いことをすれば天使がいる天国、悪いことをすれば悪魔がいる地獄、もっと悪いことをすれば大地獄」に行くって教えられた。
ところでこの僕――呉島侑李は、死んだ今、どこにいるでしょうか?
答えは和室。
何の変哲もない、畳の匂いとお茶の香りが立ち込める和室だ。
なら、和室には誰がいると思う?
「――じゃあ、僕は死ぬ運命じゃなかったってことですか!?」
「そうなのよ、本当にごめんなさいっ!」
答えは一つ。
僕の目の前で土下座している、和装の女性――自称神様だ。
整った顔立ちの彼女が顔を上げると、心底申し訳なさそうにうるんだ瞳に、僕の顔が映る。
そう、僕は死んだ。
死んでこの和室に連れてこられて、開口一番に信じられない内容を告げられたんだ。
僕が死んだのは眼前の神様、あるいは運命の手違いで、本当は死ぬ予定なんてなかったっていう、冗談みたいな事実をね。
「そしたら、どうして僕は……」
「どうしてって、思い当たることはあるでしょう?」
困ったように見つめられて、僕は死の間際、何をしていたかを思い返す。
ええと、あの日は確か、町の餅つき大会に参加して――。
「……あっ」
思い出した。
思い出すのと同時に、脳裏にあの瞬間の光景がありありとよみがえった。
『よいしょ、よいしょーっ!』
『よいしょよいしょ!』
近所のおじいちゃん、おばあちゃんが集まる毎年恒例の餅つき大会。
喉を詰まらせちゃ危ないなんて世間は言うけど、こればっかりはやめられない。
そしてそんな餅つき大会で、毎度お手伝いをするのは俺の役目だ。
誰に頼まれたわけでもないし、むしろ誰かが「大丈夫だよ」と言っても人を助けて、皆の笑顔を見るのが大好きなんだ。
『いやぁ、侑李が手伝ってくれると餅つきもはかどるってもんだ!』
『よっ、このお助けバカ!』
だから俺は、お助けバカなんて呼ばれてる。
この性根はきっと、死んだって治らないんだろうな。
『あはは、バカはやめてくれって!』
餅をついて、ちぎって、コロコロと形を整えてから調味料につける。
僕自身ももぐもぐと食べながら、両手に餅を持って、周りの老人達に声をかける。
『僕にできることがあったら、何でも言ってくれ! おっちゃんも、疲れたら僕がいつでも交代するからさ!』
皆がげらげらと笑う中、杵をつく老人、駄菓子屋のじいちゃんが笑った。
『なぁーに言ってんだ! 俺だってまだまだ現役……おっとっと』
ところが、だ。
じいちゃんが勢いよく振り上げた杵が、手をすぽんと飛び抜けたんだ。
しまった、とじいちゃんが顔を青くするよりも早く、杵はたまたま安倍川餅に舌鼓を打っていた女の子の方に飛んで行く。
もしも頭に当たりでもしたら、シャレにならない。
『危ないッ!』
俺はほとんど反射的に餅を放り出して、彼女を突き飛ばした。
そして代わりに、鈍い衝撃が頭を奔って――。
「……あれか」
「あれよ。本当なら、あの事故で女の子が死ぬ予定だったのよ」
今に至る、ってわけだな。
俺はどうやら、あの女の子の死の予定をずらしてしまったらしい。
「ところが、あなたは子供を助けて代わりに死んだ。神様が死の予定を変えるなんて、本当はあっちゃいけないのよ……」
おまけに死の予定なんてのは、そうそう変わらないものみたいだ。
そうじゃなきゃ、わざわざ神様なんてのが、一人の人間のところに来るわけがない。
「神様が悩むなんておかしな話に聞こえるかもしれないけど、もう、どう謝ればいいか……」
死の予定の変更ってのは、神様にとっては人間一人相手に頭を下げなきゃいけないほど、とんでもない想定外の事態らしいな。
土下座から正座へとスムーズにチェンジする神様の前に、俺も座り込む。
死んでしまう順序が変わったってのは、正直言って、俺の中じゃ大した問題じゃない。
「あの子は死ななかったんですか?」
「ええ、死の予定は変わったわ。あと八十年は生きるでしょうね」
おずおずと神様が答えてくれた言葉の方が、俺にとってよっぽど大事だ。
俺の命よりも、女の子がこれから幸せに生きてくれる方が、ずっと大事なんだ。
「――よかった」
「え?」
「あの子がケガしなかったし、長生きできるなら、僕はそれで十分です」
ふう、と俺は胸をなでおろした。
きょとんとする神様からすれば、きっと訳が分からないだろうな。
でも俺はお助けバカなんだ――俺の最後のお助けで、あの子がこれから八十年も長生きするのなら、まさしく呼び名にふさわしい最期じゃないか!
「わ、私を恨んだり、憎んだりとかは……」
「神様にだって、怒ってないですよ。僕が死ぬなら、きっとそういう運命だったってだけですよ。だから、あんまり気にしないでください」
ははは、と笑う僕を見て、神様の顔にもやっと、朗らかな表情が戻ってきた。
困り顔に見えなくもないけど、あの世に来て最初のお助け、ゲットだね。
「……運命を決める神様に、運命だから気にしないでなんて。あなたって、底抜けのお助けバカなのね」
「あはは、よく言われます」
俺が笑っていると、神様がすっくと立ちあがった。
「でも、おかげで私の気持ちも固まったわ。このままあなたをただ転生させるだけなんて、神様の沽券にかかわるもの」
「転生?」
「生き返らせることはできないし、予定とは別の死に方をした人間は天国にも地獄にも行けない……だから、別の世界に転生させるのよ」
転生。
どこかの本屋で、そんな言葉の入ったタイトルの本を読んだことがある。
確か死んだ人間が、まったく別の人間に生まれ変わって新しい人生を歩むってやつだ。
それはそれでなんだか面白そうだ、ちっとも知らない世界で人助けや、皆の笑顔を見る機会が増えるなら、新しい生きがいになりそうだしな。
「ただし、今回は私からのプレゼントをあげるわ。えっと、どこにやったかしら……」
どんな世界に行くんだろう、なんてのんきに考える俺の前で、神様は何かを探し始める。
たんすの引き出しを片っ端から開けていくうち、彼女は目当てのものを見つけた。
「あったあった、これよ!」
神様が僕の前に突き出したのは、一本のペン。
何の変哲もない、ごくごく普通の羽ペンだ。
「……なんですか、それ」
「転生した時に使える、便利なアイテムよ。いつか、誰かのために力になりたいと強く願ったとき、このペンが必ずあなたを助けてくれるわ」
彼女は僕に羽ペンを握らせながら、額に指を軽く当てた。
「それと、私の権能のひとつもちょっとだけ貸してあげる。ちょっとだから、神様みたいに何でもできるわけじゃないけどね」
ふわふわとした感触と共に、僕の体の中に淡い光が溶け込んでゆく。
何かをもらった感覚はないけれども、神様が言うんだから、異世界で生きていくのに必要な力をくれたんだろう。
まったく、僕は人助けをしただけなのに、こんなに至れり尽くせりだなんて。
「あ、ありがとうございます」
なんとなく申し訳ない気持ちと共にお礼を言うと、神様がにっこりと笑った。
「こちらこそ、私を許してくれてありがとうね。それじゃあ――」
かわいい人(?)だと思っているうち、彼女はぱちんと指を鳴らした。
「――次の人生、異世界を思う存分楽しんでちょうだい♪」
すると、僕の体が急にふわりと浮いた。
何が起きたんだって足元を見ると、そこにはもう畳はない。
あるのはどこまでも広がる青い空、白い雲。
要するに今、僕は四角い部屋から、雄大な空に放り出されたんだ!
「え、ちょ、うわあああああー……」
一切何の反論も許されないまま、僕は部屋を出て、ひたすら空を落ちてゆく。
これからどうなるんだろう、どう生まれ変わるんだろう。
でも、たくさんの疑問はあっても、結論は一つ。
――どこでだって、誰かを助けたい。
――それだけはきっと、何百回生まれ変わっても変わらない。
自分のバカなくらいまっすぐな信条を思い出して、小さく笑い、僕は目を閉じた――。
幼い頃、僕は「良いことをすれば天使がいる天国、悪いことをすれば悪魔がいる地獄、もっと悪いことをすれば大地獄」に行くって教えられた。
ところでこの僕――呉島侑李は、死んだ今、どこにいるでしょうか?
答えは和室。
何の変哲もない、畳の匂いとお茶の香りが立ち込める和室だ。
なら、和室には誰がいると思う?
「――じゃあ、僕は死ぬ運命じゃなかったってことですか!?」
「そうなのよ、本当にごめんなさいっ!」
答えは一つ。
僕の目の前で土下座している、和装の女性――自称神様だ。
整った顔立ちの彼女が顔を上げると、心底申し訳なさそうにうるんだ瞳に、僕の顔が映る。
そう、僕は死んだ。
死んでこの和室に連れてこられて、開口一番に信じられない内容を告げられたんだ。
僕が死んだのは眼前の神様、あるいは運命の手違いで、本当は死ぬ予定なんてなかったっていう、冗談みたいな事実をね。
「そしたら、どうして僕は……」
「どうしてって、思い当たることはあるでしょう?」
困ったように見つめられて、僕は死の間際、何をしていたかを思い返す。
ええと、あの日は確か、町の餅つき大会に参加して――。
「……あっ」
思い出した。
思い出すのと同時に、脳裏にあの瞬間の光景がありありとよみがえった。
『よいしょ、よいしょーっ!』
『よいしょよいしょ!』
近所のおじいちゃん、おばあちゃんが集まる毎年恒例の餅つき大会。
喉を詰まらせちゃ危ないなんて世間は言うけど、こればっかりはやめられない。
そしてそんな餅つき大会で、毎度お手伝いをするのは俺の役目だ。
誰に頼まれたわけでもないし、むしろ誰かが「大丈夫だよ」と言っても人を助けて、皆の笑顔を見るのが大好きなんだ。
『いやぁ、侑李が手伝ってくれると餅つきもはかどるってもんだ!』
『よっ、このお助けバカ!』
だから俺は、お助けバカなんて呼ばれてる。
この性根はきっと、死んだって治らないんだろうな。
『あはは、バカはやめてくれって!』
餅をついて、ちぎって、コロコロと形を整えてから調味料につける。
僕自身ももぐもぐと食べながら、両手に餅を持って、周りの老人達に声をかける。
『僕にできることがあったら、何でも言ってくれ! おっちゃんも、疲れたら僕がいつでも交代するからさ!』
皆がげらげらと笑う中、杵をつく老人、駄菓子屋のじいちゃんが笑った。
『なぁーに言ってんだ! 俺だってまだまだ現役……おっとっと』
ところが、だ。
じいちゃんが勢いよく振り上げた杵が、手をすぽんと飛び抜けたんだ。
しまった、とじいちゃんが顔を青くするよりも早く、杵はたまたま安倍川餅に舌鼓を打っていた女の子の方に飛んで行く。
もしも頭に当たりでもしたら、シャレにならない。
『危ないッ!』
俺はほとんど反射的に餅を放り出して、彼女を突き飛ばした。
そして代わりに、鈍い衝撃が頭を奔って――。
「……あれか」
「あれよ。本当なら、あの事故で女の子が死ぬ予定だったのよ」
今に至る、ってわけだな。
俺はどうやら、あの女の子の死の予定をずらしてしまったらしい。
「ところが、あなたは子供を助けて代わりに死んだ。神様が死の予定を変えるなんて、本当はあっちゃいけないのよ……」
おまけに死の予定なんてのは、そうそう変わらないものみたいだ。
そうじゃなきゃ、わざわざ神様なんてのが、一人の人間のところに来るわけがない。
「神様が悩むなんておかしな話に聞こえるかもしれないけど、もう、どう謝ればいいか……」
死の予定の変更ってのは、神様にとっては人間一人相手に頭を下げなきゃいけないほど、とんでもない想定外の事態らしいな。
土下座から正座へとスムーズにチェンジする神様の前に、俺も座り込む。
死んでしまう順序が変わったってのは、正直言って、俺の中じゃ大した問題じゃない。
「あの子は死ななかったんですか?」
「ええ、死の予定は変わったわ。あと八十年は生きるでしょうね」
おずおずと神様が答えてくれた言葉の方が、俺にとってよっぽど大事だ。
俺の命よりも、女の子がこれから幸せに生きてくれる方が、ずっと大事なんだ。
「――よかった」
「え?」
「あの子がケガしなかったし、長生きできるなら、僕はそれで十分です」
ふう、と俺は胸をなでおろした。
きょとんとする神様からすれば、きっと訳が分からないだろうな。
でも俺はお助けバカなんだ――俺の最後のお助けで、あの子がこれから八十年も長生きするのなら、まさしく呼び名にふさわしい最期じゃないか!
「わ、私を恨んだり、憎んだりとかは……」
「神様にだって、怒ってないですよ。僕が死ぬなら、きっとそういう運命だったってだけですよ。だから、あんまり気にしないでください」
ははは、と笑う僕を見て、神様の顔にもやっと、朗らかな表情が戻ってきた。
困り顔に見えなくもないけど、あの世に来て最初のお助け、ゲットだね。
「……運命を決める神様に、運命だから気にしないでなんて。あなたって、底抜けのお助けバカなのね」
「あはは、よく言われます」
俺が笑っていると、神様がすっくと立ちあがった。
「でも、おかげで私の気持ちも固まったわ。このままあなたをただ転生させるだけなんて、神様の沽券にかかわるもの」
「転生?」
「生き返らせることはできないし、予定とは別の死に方をした人間は天国にも地獄にも行けない……だから、別の世界に転生させるのよ」
転生。
どこかの本屋で、そんな言葉の入ったタイトルの本を読んだことがある。
確か死んだ人間が、まったく別の人間に生まれ変わって新しい人生を歩むってやつだ。
それはそれでなんだか面白そうだ、ちっとも知らない世界で人助けや、皆の笑顔を見る機会が増えるなら、新しい生きがいになりそうだしな。
「ただし、今回は私からのプレゼントをあげるわ。えっと、どこにやったかしら……」
どんな世界に行くんだろう、なんてのんきに考える俺の前で、神様は何かを探し始める。
たんすの引き出しを片っ端から開けていくうち、彼女は目当てのものを見つけた。
「あったあった、これよ!」
神様が僕の前に突き出したのは、一本のペン。
何の変哲もない、ごくごく普通の羽ペンだ。
「……なんですか、それ」
「転生した時に使える、便利なアイテムよ。いつか、誰かのために力になりたいと強く願ったとき、このペンが必ずあなたを助けてくれるわ」
彼女は僕に羽ペンを握らせながら、額に指を軽く当てた。
「それと、私の権能のひとつもちょっとだけ貸してあげる。ちょっとだから、神様みたいに何でもできるわけじゃないけどね」
ふわふわとした感触と共に、僕の体の中に淡い光が溶け込んでゆく。
何かをもらった感覚はないけれども、神様が言うんだから、異世界で生きていくのに必要な力をくれたんだろう。
まったく、僕は人助けをしただけなのに、こんなに至れり尽くせりだなんて。
「あ、ありがとうございます」
なんとなく申し訳ない気持ちと共にお礼を言うと、神様がにっこりと笑った。
「こちらこそ、私を許してくれてありがとうね。それじゃあ――」
かわいい人(?)だと思っているうち、彼女はぱちんと指を鳴らした。
「――次の人生、異世界を思う存分楽しんでちょうだい♪」
すると、僕の体が急にふわりと浮いた。
何が起きたんだって足元を見ると、そこにはもう畳はない。
あるのはどこまでも広がる青い空、白い雲。
要するに今、僕は四角い部屋から、雄大な空に放り出されたんだ!
「え、ちょ、うわあああああー……」
一切何の反論も許されないまま、僕は部屋を出て、ひたすら空を落ちてゆく。
これからどうなるんだろう、どう生まれ変わるんだろう。
でも、たくさんの疑問はあっても、結論は一つ。
――どこでだって、誰かを助けたい。
――それだけはきっと、何百回生まれ変わっても変わらない。
自分のバカなくらいまっすぐな信条を思い出して、小さく笑い、僕は目を閉じた――。



