「これから君を聖都に移送する。念のために言っておくが、反抗しようなどとは思わないことだ」
 ミーシャの手首を戒める鉄の枷が片方外れた。
 しかしその手はセオドリックがしっかりと掴んでおり、自由を得られたわけではないことをミーシャに知らしめる。
「聖女殿、少し失礼するよ」
 セオドリックはそう言うと、ミーシャの手のひらを天井に向け、露わになった白い手首を指でなぞった。ミーシャは鋭く息を飲み、全身を強ばらせたが、セオドリックは別段気にする素振りを見せなかった。セオドリックは片手でミーシャの腕を掴み、もう一方の手指で彼女の手首を撫でながら、短い聖句を唱えた。ミーシャの手首に淡く光る刻印が現れる。ミーシャは自分の精神が遮断されたような感覚を覚えた。魔力の流れを感じない。魔術を封じられたのだ。床に刻まれた魔法陣とはまったく別の方法で。
 セオドリックはもう一方の枷を外しながら、低く抑えた声でミーシャに囁いた。
「君の助命を嘆願したダリオ・マルケシス司教は穏健派の有力者でね。すでに大司教への昇任が決まっている。いずれは枢機卿になるだろうと目されている御仁だが、なにせ彼は穏健派だ、我々聖騎士団とは意見の対立も少なくない。部下の中には彼の存在を快く思わない者もいる。その彼が、異教徒である君の助命を嘆願書にしたためてきた……この事実が明るみになれば、厄介な事態になりかねないのだよ。聖騎士団の名を冠してはいるが、我々の実際の職務は汚れ仕事が大半だ。そのような仕事に適した人材を私は積極的に登庸している。我々は、君の率いた反乱軍の死神部隊のようなものだ」
 ミーシャはセオドリックの真意を即座には理解できなかった。
 反乱軍の死神部隊。それはミーシャを崇拝する者たちの自治から生まれた、懲罰的な部隊だった。
 ミーシャの率いる反乱軍の規律は非常に正しく、略奪などを行う者もほとんどいなかった。しかしまったく存在しなかったわけではない。そのような者たちは「聖女の名を貶めた」としてミーシャの信望者から私刑を受け、危険な前線に送られた。それが『死神部隊』だった。死神部隊は、好戦的で倫理観の欠如した者の集まりだった。彼らは鬼神のような戦いぶりで反乱軍の血路を開き、戦場に散っていった。彼らの在り方は人の道から外れていたが、彼らなしでミーシャが勝利を手にすることはなかっただろう。
 二つ目の枷が外れ、ミーシャは軽くよろめいた。その身を抱き留めるようにセオドリックがミーシャを支える。ミーシャは慌ててセオドリックから離れようとした。しかし彼はミーシャを離さず、自由になった彼女の両手を別の枷で拘束しながら、声を潜めて先ほどの続きを話し始めた。
「自国の死刑囚、異国の奴隷……見込みのありそうな者は誰でも登庸した。お陰で何度も寝首をかかれそうになったよ。無論、そのような者を生かしておくほど寛大ではないがね」
「何が言いたいの……」
「私には君のような求心力はないということだ。マルケシス司教の嘆願書の内容が部下に知れ渡れば、彼を異端者として断罪しようとする者も現れるだろう。それを止める力が私にあるかどうか……」
 セオドリックの声に冷ややかな笑いが混じる。
 ミーシャはようやくセオドリックの真意を理解した。
「……私を脅迫しているのね」
「いや。私は事実と事実に基づく憶測を述べたまで。だが、どのように受け取ろうと君の自由だよ」