#19「輝きあれ、再生の光を【2】」

 ラゼク=ヴォルスは静寂と安息を愛する魔族だった。人間からも魔族からも打ち捨てられたシャル=ヴァルディアで彼はひっそりと暮らしていた。かつては魔王オルディミールに仕え、勇者の率いる兵と戦ったこともあったが、魔王に対する忠誠心も人間に対する憎悪も彼は持ち合わせていなかった。ただ、静寂と安息を得るためには戦わねばならない時もあると知っているだけのことだ。ラゼクは征服者ではなかったが、狩人ではあった。
 だからラゼクはシャル=ヴァルディアの廃墟に現れたベリアスを快く思わなかった。ベリアス一人だけならともかく、彼は女連れで、その上大勢のアンデッドを従えていた。アンデッドの一部は廃墟に住み付き、生前の習慣とおぼしき無意味な動作をひたすら繰り返す始末。ラゼクの愛する静寂と平穏は破られた。しかし彼は即座にベリアスを排除しようとはしなかった。ベリアスと連れの女の顔に見覚えがあったからだった。
 ──あいつらは勇者だ。だが、何故こんな廃墟にいる?
 勇者といえば、人間社会における英雄であったはず。人間からも魔族からも打ち捨てられた廃墟の街で暮らさなければならない理由など彼らにはないはずだった。何かがおかしい。勇者に何が起きたのか、ラゼクに知る由はない。ただ、ベリアスの連れの女勇者がかつて魔王オルディミールに殺されたことは覚えている。二人の勇者が人間社会を離れたのは、そのことと関係があるのかも知れない。
 ラゼクはベリアスに近づき、傭兵として仕えることにした。
 いつかこんな機会が訪れることを見越した上で。
 そしてラゼクは成し遂げた。引き抜いた剣を濡らす死人の血の色も、暗いこの祭壇の間では不自然には映らない。勝利を不動のものとすべく、ラゼクはベリアスの首をはねた。
 彼に落ち度があったとすれば、ベリアスの肌の色の意味を見落としていたことだろう。魔族の肌の色や質は人間とは比較にならないほど多種多様だったから、彼は青い肌の人間を不自然に思わなかった。
 首を落とされてもベリアスは倒れなかった。
 本来ならば噴き出すはずの血飛沫ひとつ飛び散らない。
 それどころか、刺客に落とされたはずの右腕がいつの間にか元に戻っている。
 事態を把握できず、愕然とするラゼクの耳に、どこからともなくベリアスの声が聞こえてきた。
「……丁度いい。実験用のウサギでも欲しいと思っていたところだ」
「なんだと──」
 落としたはずのベリアスの首が元に戻る。そのことに気付いたときには既に斬られていた。胸を剣で割られた上に腹を蹴り飛ばされ、ラゼクは冷たい石床に転がる。血糊が床に広がるが、彼は気にも留めなかった。
「……てッッッめぇ! やりやがったな!」
 ラゼクは即座に起き上がり、ベリアスに殴りかかろうとした。しかし床が傾いて、思うように動けない。祭壇に近づこうとすると、空間が歪むような錯覚を覚え、足がもつれそうになる。
 ベリアスは動物を扱うようにラゼクの首を正面から掴んだ。ラゼクの方がベリアスよりも長身で体格がいいが、ベリアスは片手で軽々と魔族の男を持ち上げた。ラゼクがベリアスを蹴る前に、ベリアスは掴んだ首から深淵の魔力を流し込む。ラゼクは血を吐き、痙攣した。ベリアスが手を離すと、ラゼクは床に崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
「今日は復誕祭だったか。貴様に言われるまで忘れていたよ」
 ベリアスは祭壇に向き直り、宙に浮かぶひび割れた仮面に手を伸ばす。《聖光教会》の秘術を駆使して施された封印も《深淵の欠片》を宿したベリアスの前では無力だった。むしろベリアスの《深淵の欠片》に引き寄せられるかのように、黒い仮面はベリアスの伸ばされた手に落ちていく。祭壇の前の石版には、《虚ろの言葉》なる警句と呪文が記されているが、ベリアスには何の脅威にもならなかった。《深淵の欠片》が一つ《歪なる仮面》はベリアスの手中に収まった。
 ベリアスは振り返ると、足下に転がるラゼクの前で身を屈めた。裏切り者の魔族の顔を強引に持ち上げ、《歪なる仮面》を近づける。ベリアスはせせら笑った。
「貴様に復誕祭の贈り物をくれてやろう。……輝きあれ、再生の光を」
 ラゼクの悲鳴が祭壇の間に響きわたる。
 黒い仮面はラゼクの顔に食いつくように貼り付いた。仮面を通じてあまたの死者の記憶がラゼクに流れ込む。ラゼクの体は歪み、ねじれ、今にもちぎれそうだった。ベリアスはラゼクに何度も剣を突き立てる。しかし彼の傷はすぐに塞がり、決して死ぬことはなかった。《歪なる仮面》の力でラゼクは不死身になっていた。しかしラゼクの心身は深淵に適応しておらず、死なないだけで自発的に動くことはできなかった。ベリアスは実験の成果に満足すると、アンデッドを引き連れて古城から立ち去った。一人残ったラゼクに《歪なる仮面》が囁きかける。たとえ耳を塞いだとしても声が消えることはない。仮面はあまたの死者の言葉を宿主の魂に囁き続ける。
 ラゼクは静寂と安息を永遠に失った。