二人の少女は仮面越しにオリアネッタの顔を覗き込む。
 姉妹に問われてオリアネッタはあの日、地下祭壇で目にしたベリアスの姿を思い出した。
 黒水晶の鏡に映る死人のようなかつての勇者。肌は青く、碧眼の奥には黄昏のような暗い光。剣も甲冑も黒く染まり、死者の軍勢を従えている。彼はなんの躊躇もなく、目の前に現れた勇者を殺した。彼の冷たい表情が心を捕らえて離さない。思い出すと息が震え、胸の奥がざわめいた。
 しかしオリアネッタは己の目にしたものについて誰にも話さないことにしていた。エグラントにされたことを知られたくないというのもあるし、他人のことを信用できないというのも大きいが、ベリアスのことは自分だけの秘密にしておきたかったのだ。彼のあんな姿を知っているのは自分だけでいい。
 オリアネッタは微笑みながら、仮面を被った姉妹に答えた。
「そうだったの? そんな話、わたしは聞いたことはないわ」
「えー。教会の人は何も教えてくれないの?」
「ええ。何も教わっていないわ。だから知りたいの。復活した勇者の話をわたしにも聞かせてくれるかしら」
「うん、いいよ。あのね……」
 姉妹は声をひそめ、しかしどこか楽しげな様子で代わるがわるオリアネッタに語って聞かせる。
「ベリアス様が復活したの」
「知ってる? ベリアス様って本当は人間に殺されたんだって」
「そうなんだよ。ベリアス様はイケメンだから妬まれちゃったんだって。それでね、ベリアス様を妬んだ人が魔族の仕業に見せかけてベリアス様を殺したの。ベリアス様はね、自分を殺した相手に復讐するために甦ったんだよ」
 二人はここで一呼吸置き、意味深な笑い声を漏らした。
「……この話を聞いた人は、三日以内に五人に言わないとダメなんだよ。そうじゃないとベリアス様の亡霊に連れて行かれるの。連れて行かれた人はみんなアンデッドになって、ベリアス様の復讐を手伝わなきゃいけなくなるんだよ」
「そう。怖いわね……」
 言葉とは裏腹に、オリアネッタは微笑んだ。それが本当なら悪くない話だと思いながら。
 魔王の娘がベリアスに愛されることはない。しかしアンデッドとなってどこまでも彼について行けるなら、それはそれで幸せなことなのかも知れなかった。あの夜、ベリアスと共に鏡に映った死者の軍勢には、意志や人格があるようには見えなかった。彼らが何かを思うことはないのだろう。ベリアスに対しても、自分自身に対しても。
 この話は誰にも言わない。ベリアスに殺され、彼に従う死者の軍勢に加わる自分の姿を想像しながら、オリアネッタは言葉にならない安らぎを覚えた。しかし楽しい時間は長くは続かなかった。耳慣れた男の声が彼女の夢想を打ち破る。
「や、やめたまえ! そんな話はふ、ふ、ふ、ふ、不謹慎だ!」
 オリアネッタはぎょっとして声の主であるエグラントを見た。
 エグラントの様子は明らかにおかしかった。彼の呼吸は浅くなり、その声は震えていた。いや、声だけではない。姉妹の方に伸ばした手も小刻みに震えている。一方、彼に咎められた姉妹の仮面の奥からは、押し殺した笑い声が漏れていた。大の大人が怪談話に怯えるさまが可笑しいのだろう。
 姉妹はエグラントの袖を掴むと、忍び笑いを漏らしながら彼の顔を見上げた。
「おじさん知らないの? ベリアス様が復活したのはホントだよ」
「友達の友達の親戚のおじさんの上司の墓守が言ってたよ。ベリアス様のお墓には何も入ってないんだって」
「ベリアス様が死んですぐ、お墓が誰かに荒らされたんだけどね……ベリアス様のお墓は棺桶の内側から破壊されてて、中には何も残ってなかったんだって」
「い、いい加減な話をするのはや、やめ、や、やめ、やめなさい。友達の友達の友達の友達の親戚だか何だか知らんがね、そんなものはただの、あ、赤の他人じゃないか!」
 エグラントが怒鳴るが、姉妹はまったく動じなかった。
「でも、ホントの話だもん」
「ほ、本当のことだからといって何でも言っていいわけではない。それをわきまえられない者が異端者として処刑されるのだ。お、覚えておきなさい」
 エグラントが諭そうとしても、姉妹はまったく動じなかった。もはや完全にナメてかかっているのだろう。二人の少女は自信に満ちた明るい声でエグラントに反論する。
「おじさん、間違ってる。異端者は嘘つきだから死刑になるんだよ」
「ホントのこと言う人は異端者じゃないよ」
「ホントのことを言う人を死刑にするなんて、教会が悪者みたいじゃん」
「おじさん、《再生の贈り手》なのに教会の悪口言ってる。いけないんだ~~~」
「教会の悪口を言うのは異端者なんだよ! 異端者は死刑なんだよ!」
「やめなさい」
 子供たちの笑い声に、女性の声が割り込んだ。
「いい加減にしなさい。《再生の贈り手》さんが困ってるじゃないの」
 母親らしきその女性は、なおも笑い続ける姉妹をエグラントから引きはがすと、彼に向かって何度も頭を下げた。
「すみません。うちの子がご迷惑をおかけして……」
「いいのですよ」と彼女に答えたのは、エグラントではなくマルグリスだった。
「子供は少しくらい横着でも構いません。元気な子供を見ていると、未来への希望を感じます。この子たちはまるで再生の光を体現しているかのよう。どうか良き復誕祭をお過ごしください」
 マルグリスは女性に微笑みかけ、「楽しいお話をありがとう」と子供たちを見送った。しかしマルグリスの視線が姉妹たちからエグラントに移ると、その目は冷ややかで打算的なものへと変わる。エグラントはベリアスの死について何かを知っている──そう勘づいたのは、オリアネッタ一人ではなかった。