「オリアネッタ、今宵はわたくしと共に参りましょう。街は危険です。わたくしの傍を離れてはなりませんよ」
「はい、マルグリス様」
警戒心を隠すべく、オリアネッタは微笑んだ。
あの日を境に修道院の人々の態度は一変した。多くの者は、オリアネッタに流れる魔王の血を恐れ、関わりを避けようとした。しかしこの大修道女マルグリスのように、以前よりも親身になって近づいてくる者もいた。彼女の親切心をオリアネッタは信用できなかった。だからといって数少ない庇護者を邪険にするわけにもいかない。大修道女マルグリスは正統派として一目置かれており、修道院内におけるいわば権力者でもあった。
オリアネッタは艶やかな深紅のローブを羽織り、金糸で刺繍の施された袖に篭の持ち手を通した。篭の中には色とりどりの《再生の卵》が入っている。赤いローブは《再生の贈り手》と呼ばれる特別な服装で、マルグリスも同じ格好をしている。《灯火の復誕祭》の三日目、《再生の卵の日》に街で卵を配る者が身に纏うこのローブの色は、初代勇者エリウスの仲間の女魔導師に由来する。勇者を補佐した彼女はやがて彼と袂を分かち、《ラザリスの門》の開祖となった。最期は処刑されたと記録に残っているが、一説によるとそれは彼女を討ち損じた者の捏造であり、実際の彼女は生きたまま異界に旅立ったと言われている。
転移門を経由して修道院を離れた二人は、転移先の祠を後にしようとした。
しかし耳慣れた男の声が二人を呼び止める。
「待ちたまえ。オリアネッタには私が付き添う」
「あら、修道院長殿。わたくしでは力不足でしょうか」
「そういうわけではない。君のことは信用している。しかしオリアネッタの世話は私が受け持ってきた。オリアネッタも私の方が安心できるだろう」
エグラントは自信に満ちた口ぶりで言うと、オリアネッタの肩を抱き寄せた。
「失礼ですが修道院長殿。そのような軽々しい接触はいかがなものかと存じます。オリアネッタはもう幼い子供ではないのです。無遠慮な接触を不快に思うこともあるでしょう」
「……あぁ、これは失礼」
口先では詫びつつも、エグラントはオリアネッタから手を離そうとはしなかった。これ見よがしに嘆息しながら「しかし」と言葉を続ける。
「オリアネッタは私にとって娘のようなものなのだよ。親友ベリアスの娘だと思って愛情を込めて接してきた。今になってベリアスではなく魔王の娘だと知ったところで、彼女に対する愛情が消えるわけではない。君も知っているだろう、街は危険だ。オリアネッタには私が付き添うよ。彼女もその方が安心できるだろう。これでも私はシルヴェリカ王女の護衛騎士を務めた身なのだからね」
「でしたらわたくしもご一緒いたします」
マルグリスの声はどこか冷ややかだった。
「出家する前は魔術をたしなんでおりましたので、お役に立てるかと存じます。わたくしはオリアネッタだけでなく修道院長殿の身も案じております。聖ルヴァニア修道院の調和は修道院長殿によって保たれておりますので」
「君たちの協力あってのことだ。私一人いなくとも問題などあるまい」
二人の茶番じみたやりとりを聞き流しながら、オリアネッタは不意にあの夜、地下祭壇でエグラントから聞かされた話を思い出す。聖ルヴァニア修道院では《聖光教会》内部の異端派、リヴェランディア王家直属の秘密組織、魔族に協力する貴族がそれぞれ孤児を使って魔術実験を行なっている──
マルグリスは声をひそめ、エグラントに尋ねる。
「修道院長殿は修道士を悩ませる怪異の原因をご存じでしょうか?」
「いや。私は何も把握していないが」
「不正な手段で地下祭壇に侵入した者がいるのです」
「……証拠でもあるのか?」
「証拠と言えるほどのものは見つかっておりません。ただ、地下祭壇管理者のオルヴァン・デレクが不審な魔術の痕跡を発見いたしました」
オリアネッタの肩に添えたエグラントの手がわずかに震えた。
しかし続く彼の声は先ほどまでと変わらなかった。
「……詳しい話を聞きたいのはやまやまだが、今は街の子供たちに《再生の卵》を配らねばならない。君も一緒に来たまえ」
「ありがとう存じます」
マルグリスは唇の両端をつり上げ、にたりと笑った。
その目はエグラントではなくオリアネッタに向けられていた。
「はい、マルグリス様」
警戒心を隠すべく、オリアネッタは微笑んだ。
あの日を境に修道院の人々の態度は一変した。多くの者は、オリアネッタに流れる魔王の血を恐れ、関わりを避けようとした。しかしこの大修道女マルグリスのように、以前よりも親身になって近づいてくる者もいた。彼女の親切心をオリアネッタは信用できなかった。だからといって数少ない庇護者を邪険にするわけにもいかない。大修道女マルグリスは正統派として一目置かれており、修道院内におけるいわば権力者でもあった。
オリアネッタは艶やかな深紅のローブを羽織り、金糸で刺繍の施された袖に篭の持ち手を通した。篭の中には色とりどりの《再生の卵》が入っている。赤いローブは《再生の贈り手》と呼ばれる特別な服装で、マルグリスも同じ格好をしている。《灯火の復誕祭》の三日目、《再生の卵の日》に街で卵を配る者が身に纏うこのローブの色は、初代勇者エリウスの仲間の女魔導師に由来する。勇者を補佐した彼女はやがて彼と袂を分かち、《ラザリスの門》の開祖となった。最期は処刑されたと記録に残っているが、一説によるとそれは彼女を討ち損じた者の捏造であり、実際の彼女は生きたまま異界に旅立ったと言われている。
転移門を経由して修道院を離れた二人は、転移先の祠を後にしようとした。
しかし耳慣れた男の声が二人を呼び止める。
「待ちたまえ。オリアネッタには私が付き添う」
「あら、修道院長殿。わたくしでは力不足でしょうか」
「そういうわけではない。君のことは信用している。しかしオリアネッタの世話は私が受け持ってきた。オリアネッタも私の方が安心できるだろう」
エグラントは自信に満ちた口ぶりで言うと、オリアネッタの肩を抱き寄せた。
「失礼ですが修道院長殿。そのような軽々しい接触はいかがなものかと存じます。オリアネッタはもう幼い子供ではないのです。無遠慮な接触を不快に思うこともあるでしょう」
「……あぁ、これは失礼」
口先では詫びつつも、エグラントはオリアネッタから手を離そうとはしなかった。これ見よがしに嘆息しながら「しかし」と言葉を続ける。
「オリアネッタは私にとって娘のようなものなのだよ。親友ベリアスの娘だと思って愛情を込めて接してきた。今になってベリアスではなく魔王の娘だと知ったところで、彼女に対する愛情が消えるわけではない。君も知っているだろう、街は危険だ。オリアネッタには私が付き添うよ。彼女もその方が安心できるだろう。これでも私はシルヴェリカ王女の護衛騎士を務めた身なのだからね」
「でしたらわたくしもご一緒いたします」
マルグリスの声はどこか冷ややかだった。
「出家する前は魔術をたしなんでおりましたので、お役に立てるかと存じます。わたくしはオリアネッタだけでなく修道院長殿の身も案じております。聖ルヴァニア修道院の調和は修道院長殿によって保たれておりますので」
「君たちの協力あってのことだ。私一人いなくとも問題などあるまい」
二人の茶番じみたやりとりを聞き流しながら、オリアネッタは不意にあの夜、地下祭壇でエグラントから聞かされた話を思い出す。聖ルヴァニア修道院では《聖光教会》内部の異端派、リヴェランディア王家直属の秘密組織、魔族に協力する貴族がそれぞれ孤児を使って魔術実験を行なっている──
マルグリスは声をひそめ、エグラントに尋ねる。
「修道院長殿は修道士を悩ませる怪異の原因をご存じでしょうか?」
「いや。私は何も把握していないが」
「不正な手段で地下祭壇に侵入した者がいるのです」
「……証拠でもあるのか?」
「証拠と言えるほどのものは見つかっておりません。ただ、地下祭壇管理者のオルヴァン・デレクが不審な魔術の痕跡を発見いたしました」
オリアネッタの肩に添えたエグラントの手がわずかに震えた。
しかし続く彼の声は先ほどまでと変わらなかった。
「……詳しい話を聞きたいのはやまやまだが、今は街の子供たちに《再生の卵》を配らねばならない。君も一緒に来たまえ」
「ありがとう存じます」
マルグリスは唇の両端をつり上げ、にたりと笑った。
その目はエグラントではなくオリアネッタに向けられていた。

