ネクロマンサーの使役するアンデッドに意志はない。彼らはすでに死んでおり、機能の止まった器を魔術で動かしているに過ぎないからだ。そこには思考も人格もない。しかしベリアスは違った。勇者と対峙した彼は、相手に視線を据えたまま、無駄のない動きで剣を構えた。ルミナスブレイドの切っ先を自分に向ける男に対して何かを言いながら、かつての勇者は冷たく笑う。その姿は死者のものだが、彼には明確な意志があった。
『《黄昏の魂核》が……』
誰かの囁きが、無数のざわめきにかき消される。
「今、何を……」
オリアネッタは姿の見えない声の主に訊き返した。
その問いを、自分に対するものだと勘違いしたエグラントが恩着せがましく喋り始めた。
「この実験は、君のためでもあるのだよ。私が成果を出さなければ、君はシルヴェリカの息のかかった連中の手に落ちる。私は君をシルヴェリカの傀儡に……人造勇者にしたくない」
「なんのこと……」
「ああ、君は知らないのだね。無理もあるまい。いや、私が知りすぎただけだ。人造勇者の研究など、王家と教会の上層部しか知らないことなのだからね」
エグラントの口調は得意げで、どこか嬉しそうですらあった。
ルミナスブレイドを手にした勇者がベリアスに斬りかかる。ベリアスは光の刃を黒い剣で受け止める。
エグラントは聞かれてもいない説明を意気揚々と続けた。
「彼らと繋がりのある連中が、この修道院で孤児を相手に人体実験を行なっている。いや、人体実験のために孤児を引き取っていると言うべきか。このサクリファイス・マークの術も彼らが開発したものだ。《聖光教会》内部の異端派、リヴェランディア王家直属の秘密組織、魔族に協力する貴族……様々な連中が孤児を使った人体実験に荷担している。勇者という権威を人為的に作り出したい連中がそれだけいるということだ。シルヴェリカは彼らの研究成果を用いて君を人造勇者にするつもりなのだろう」
鏡の中で勇者が再びベリアスに斬りかかる。
オリアネッタは吐血した。サクリファイス・マークがさらに深く浸透し、夥しい血液が刻印から噴き出した。エグラントは動じることなく、オリアネッタの血が空気に溶け込む様子を眺めている。オリアネッタの視界の隅で、鏡に映った黒い石が脈打つように大きく跳ねた。鎖が音を立て、壁が血脈のように光る。石に走る亀裂から黒紫の光が漏れる。不意にオリアネッタの視界がぼやけた。
「ここではずっと……こんなことが……」
オリアネッタは苦痛にうめき、かすれた声で呟いた。
言葉にも感情にもならなかったものが、涙となって溢れ出す。
エグラントはオリアネッタの涙を指で拭いながら、勝ち誇るように答えた。
「いや。連中はここに入ることはできない。少なくとも実験目的ではね。ここまで到達したのは私だけ……私と君だけだ」
オリアネッタはそれ以上何も言わなかった。エグラントの答えは何の慰めにもならなかったし、何かを考え言葉にするだけの余裕ももはやなかった。かすむ視界、薄れゆく意識の中、鏡に映るベリアスと勇者の姿がはっきりと見える。視力ではなく魔力、或いは魂で見ているからだろうか。ベリアスは勇者の斬撃を己の剣で受け止めると、体をひねり、そのまま受け流した。よろめく勇者の腹を膝で蹴り上げ、立ち上がる隙を与えずにその身に剣を突き立てる。黒い刀身が勇者の胸を貫いた。オリアネッタの息が震え、血に濡れた白い裸身が大きく跳ねる。魔王の娘は唇だけを動かして、声を出さずにベリアスの名を呼ぶと、やがて意識を失った。
この夜から、聖ルヴァニア修道院では修道士や修道女が悪夢に悩まされるようになった。
最初は徳の高い数人だけが悪夢を見た。彼らが夢の内容を誰かに話すことはなかった。しかしある日、一人の修道士が昏倒し、目覚めることなく永眠した。彼の書き残したメモには悪夢の内容が記されており、「深淵の闇の奥から『勇者は蘇る』と声が聞こえた」と結ばれていた。同じ夢を見たと言い出す者が現れたが、彼らには祈るほかに打つ手がなかった。
そして怪異は夢の中だけに留まらず、修道院の影の中にも現れるようになっていく。
『《黄昏の魂核》が……』
誰かの囁きが、無数のざわめきにかき消される。
「今、何を……」
オリアネッタは姿の見えない声の主に訊き返した。
その問いを、自分に対するものだと勘違いしたエグラントが恩着せがましく喋り始めた。
「この実験は、君のためでもあるのだよ。私が成果を出さなければ、君はシルヴェリカの息のかかった連中の手に落ちる。私は君をシルヴェリカの傀儡に……人造勇者にしたくない」
「なんのこと……」
「ああ、君は知らないのだね。無理もあるまい。いや、私が知りすぎただけだ。人造勇者の研究など、王家と教会の上層部しか知らないことなのだからね」
エグラントの口調は得意げで、どこか嬉しそうですらあった。
ルミナスブレイドを手にした勇者がベリアスに斬りかかる。ベリアスは光の刃を黒い剣で受け止める。
エグラントは聞かれてもいない説明を意気揚々と続けた。
「彼らと繋がりのある連中が、この修道院で孤児を相手に人体実験を行なっている。いや、人体実験のために孤児を引き取っていると言うべきか。このサクリファイス・マークの術も彼らが開発したものだ。《聖光教会》内部の異端派、リヴェランディア王家直属の秘密組織、魔族に協力する貴族……様々な連中が孤児を使った人体実験に荷担している。勇者という権威を人為的に作り出したい連中がそれだけいるということだ。シルヴェリカは彼らの研究成果を用いて君を人造勇者にするつもりなのだろう」
鏡の中で勇者が再びベリアスに斬りかかる。
オリアネッタは吐血した。サクリファイス・マークがさらに深く浸透し、夥しい血液が刻印から噴き出した。エグラントは動じることなく、オリアネッタの血が空気に溶け込む様子を眺めている。オリアネッタの視界の隅で、鏡に映った黒い石が脈打つように大きく跳ねた。鎖が音を立て、壁が血脈のように光る。石に走る亀裂から黒紫の光が漏れる。不意にオリアネッタの視界がぼやけた。
「ここではずっと……こんなことが……」
オリアネッタは苦痛にうめき、かすれた声で呟いた。
言葉にも感情にもならなかったものが、涙となって溢れ出す。
エグラントはオリアネッタの涙を指で拭いながら、勝ち誇るように答えた。
「いや。連中はここに入ることはできない。少なくとも実験目的ではね。ここまで到達したのは私だけ……私と君だけだ」
オリアネッタはそれ以上何も言わなかった。エグラントの答えは何の慰めにもならなかったし、何かを考え言葉にするだけの余裕ももはやなかった。かすむ視界、薄れゆく意識の中、鏡に映るベリアスと勇者の姿がはっきりと見える。視力ではなく魔力、或いは魂で見ているからだろうか。ベリアスは勇者の斬撃を己の剣で受け止めると、体をひねり、そのまま受け流した。よろめく勇者の腹を膝で蹴り上げ、立ち上がる隙を与えずにその身に剣を突き立てる。黒い刀身が勇者の胸を貫いた。オリアネッタの息が震え、血に濡れた白い裸身が大きく跳ねる。魔王の娘は唇だけを動かして、声を出さずにベリアスの名を呼ぶと、やがて意識を失った。
この夜から、聖ルヴァニア修道院では修道士や修道女が悪夢に悩まされるようになった。
最初は徳の高い数人だけが悪夢を見た。彼らが夢の内容を誰かに話すことはなかった。しかしある日、一人の修道士が昏倒し、目覚めることなく永眠した。彼の書き残したメモには悪夢の内容が記されており、「深淵の闇の奥から『勇者は蘇る』と声が聞こえた」と結ばれていた。同じ夢を見たと言い出す者が現れたが、彼らには祈るほかに打つ手がなかった。
そして怪異は夢の中だけに留まらず、修道院の影の中にも現れるようになっていく。

