今日は、マッチングアプリで出会った男性と初めてのデート。相手は私より4つ上の29歳。IT関連の仕事をしていて、年収は同年代のそれよりまあ高め、身長も178cmと高い。就職してすぐに彼氏と別れ、もう2年以上ときめきがない私、大歓喜。髪もメイクも服装も気合いを入れて、いざ家を出ようと玄関まで行って、スリッパを脱いで右足を伸ばした時、靴下の、親指のところに穴が空いていることに気づく。あー、もう。完璧だと思ったのに。しかもこの靴下、お気に入りだったのに。履き替えなきゃ。急いでいるときに限って、こういうことが起きるから嫌になる。まあでも、履き替えないという選択肢はない。だって、もしも今日ごはんを食べるお店が座敷だったら、靴を脱いだとき、「あー、この子、靴下に穴空いたまま来るだらしない子なんだ」って思われちゃうもんね。どんなにお気に入りでも、破れた靴下は履き替えなきゃ。
「あ、やばい!」
 時刻は18時34分。約束の時間まで20分を切ってしまっていた。私は慌てて家を出る。

「もも子さんですか?」

 約束の19時を少し回ったところ、待ち合わせの駅前広場で声をかけてくれたのは、写真よりもずっと素敵な男性だった。白Tに黒のスラックスに黒のスニーカー。シンプルな服装なのに、彼はここにいる誰よりもかっこよく見えた。ほんの少しだけ冷たくなった夕方の風が、彼の爽やかな香りを運んでくる。

「あっ、はい!そうです!」

 緊張して声が上擦り、それを誤魔化すように、私は俯いてなんとなく前髪を整える。そしてまたチラリと彼を見ると、やはりかっこよくて目を合わせられない。

「はじめまして、日下部光輝と言います」
「あっ、白石もも子です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。もも子さん、写真よりもずっと素敵ですね」
「えっ!あっ、ありがとうございます……えっと、日下部さんも」
「ありがとうございます! それじゃあさっそくメシ行きますか!」
「あ、はい!」

 日下部さんが連れて行ってくれたのは、大通りを歩いて10分、寂れたビルの1階にある小さな居酒屋だった。店内は賑わっていて、もう既に出来上がってしまっているおじさんたちの大きな笑い声で溢れている。タバコの匂いが少しキツくて、マッチングアプリで初めて会う人と初デートに来るお店としてはなんというか、少し微妙だったけれど、彼の行きつけのお店だというから目を瞑った。
「こちらの席へどうぞ」
「ありがとうございます」
 大学生くらいの可愛い店員さんが私たちを座敷席へ案内してくれて、私は靴を脱ぎながら、ガッツポーズ。靴下履き替えてきて大正解!と自分を褒め称える。
「いやぁ、もう夏も終わりなのに暑いですね。なにか飲み物頼みましょう。ももこさんビールでいいですか?」
「あっ、私ビール苦手なんです。えっと……このピーチカクテルにします」
 メニューを指差して言うと、日下部さんが一瞬「え?」というような顔をした。何かまずいことを言ってしまったかと不安になり私も固まったけれど、彼はすぐに「了解です」と言って、再びメニューに視線を落とした。
「じゃあ、食べ物とかも適当に頼んじゃっていいですか? 苦手なものあります?」
「あ、いえ特には」
 日下部さんはまっすぐよく通る声で、賑わった店内でもすぐに店員さんを呼んで、手際よく注文してくれた。
「すみません、注文お任せしてしまって。ありがとうございます」
「あー、いえいえ。自分の行きつけなんで、任せてください」
 ほどなくして、彼のビールと私のピーチカクテル、お通しのキャベツと、それから彼が頼んでくれた卵焼きと梅水晶とたこわさが運ばれてきた。
「……お酒好きなんですか?」
「え?」
「あっ、なんていうか、食べ物のラインナップが、お酒好きな人が好きそうだなぁって」
「ああ! そうですね! 酒好きです!もも子さんは?」
「私はおこちゃま舌なのでビールは苦手なんですけど、甘いお酒は大好きです」
「あー……」
 まただ。この感じ。さっき私がお酒を頼んだ時と同じ反応。日下部さんは、甘いカクテルやサワーが苦手なんだろうか。一杯目はビールに限る!みたいな。
 私は空気を変えようと、別の話題を振ってみる。
「あっ、そういえば日下部さんて、学生時代はバレーボールやってたんでしたっけ?」
「あ、はい! 中学高校大学と続けてきました」
「私もなんです!」
「え、うそまじで!」
 彼が関心を示してくれたことに安堵する。
 それから私たちは学生時代のこと、仕事のこと、地元のこと、これからどんな風にいきていきたかについて、話し合った。彼の話は聞いていて楽しかったし、彼も私の話を真剣に聞いてくれた。
「私飲み物無くなっちゃった。次はこのゆずれもんサワーにしようかな」
「え、これ?」
「はい。これ果肉入ってるんですって。なんかさっぱりしてそうで、夏に合いそうですよね」
「あー……うん」
「もう少しで食べ物もなくなりそうですし、追加しますか? このリブステーキとか美味しそう。あ、このコーンピザとか……」
「ちょ、ちょっと待って」
 彼が私の言葉を遮る。私は顔を上げて日下部さんを見ると、彼は引き攣った、ドン引きしたような表情を浮かべている。
「……実は、さっきも思ったんだけどさ」
「え……?」
「もしかしてもも子さん、金銭感覚やばい……?」
「……え?」
「いやだって、このリブステーキ?とか1760円するし、ピザだってこんなちっちゃいので1200円だよ?スーパーで似たような冷蔵のやつ400円で買えるのに」
「えっと……?」
「あとさ、このゆずレモン、600円って…この店安い方だけど、それでも600円だからね!?さっきのピーチなんとかってやつも650円だったし……コンビニなら200円とかで買えるのに……」
 この時点で私は察した。
 この人、とんでもなくケチだ。
「あっ、私の分は全然自分で払いますし……」
「いやぁだとしてもその感覚はやばいよ。節約とかあんまりしない人?」
「節約って……外で食べたり飲んだりする楽しさを買ってると思えばそんなに高いとは……」
「うーん……」
 精一杯のフォローを入れるが、納得はしていないようだ。
「え、じゃあさ、ちょうど飲み物も食べ物もなくなるし、このあとうちで飲み直す?」
「……え?」
「あ、ももこさんの家でも全然いいけど」
「いやいや、なんでそうなるんですか?」
「だってもうちょっと話したいじゃん。話も合うし、楽しかったでしょ?」
「そりゃあまあ楽しかったですけど……」
「よし! じゃあとりあえず出ようか」
「え、ちょ! 待ってください!」
 彼が強引に話を進めて立ち上がるので、私はつい大きな声をあげてしまう。
「どうしたの?」
 顔もタイプだし、趣味も合うし、話も合うし楽しかった。だけどやっぱりーー。
「ごめんなさい、あなたの家には行きません」
「あ、じゃあももこちゃん家でもーー」
「いえ」
さっきされたのと同じように、私も強引に言葉を被せる。
「今日はこれで解散にしましょう」
 テーブルの上に、一万円札を置き、立ち上がる。
「え、ちょっと待って」
 彼も慌てた様子で立ち上がり、私の手首を掴む。
 そのとき、ふと彼の足元が目に入る。ああ、この人は私からどう見られるか、私がどう感じるか、なんて考えていないのだと悟る。気持ちが、すぅっと冷めていくのがわかった。
「……靴下(それ)、履き替え変えた方がいいですよ」
「え?」
「それじゃあ、失礼します。今日はありがとうございました」
 にっこり笑って挨拶をし、呆然とする彼を置いて店を出る。夜風が気持ちよくて、私は大きく伸びをする。
「あーあ、いい人だと思ったんだけどなぁ」
 そう小さく呟く。高くついたけど、でも仕方ない。そう自分にいい聞かせる。どんなに気に入っていても、穴の空いた靴下は捨てなきゃ。
 時刻はまだ20時半。
「……帰って、ネットで可愛い靴下探すかぁ」
 次に誰かと会うときは、新しい靴下履いて行こう。
 私は小走りで帰路へついた。