陽介と義理の妹がドリンクを取りに行っている間、わたしは腕を組んで山崎を睨む。
「ちょっと、どういうつもり?」
「ほら。やっぱり知ってしまった以上、近くに居てあげた方がいいかなって。それにさ、彼氏には出来ないこともあるんだと思うんだ」
山崎はへらっと笑う。イラつくけれど、黙っておいた。
こいつは、わたしが何と言おうと信じない。実際にそうなのだけれど、山崎の中ではわたしは病に侵された可哀想な奴なのだ。
同情されるのは嫌だけど、ここまで無理やりついて来た。放っておくと、またどう暴走するか分からない。それなら、適度に関わって適当に自己満足させよう。
「……好きにすれば」
「うん。ありがとう」
嬉しそうだけれど、一体何が楽しいんだか。わたしはふぅと息をついて、山崎から視線を外す。すると、ドリンクバーにいる陽介と義理の妹が目に入った。陽介は笑いながら話して、義理の妹の頭に手を置く。
「気になる?」
山崎もわざわざ振り返って、陽介たちを見た。わたしは両手で頬杖をつく。
「別にぃー。陽介が誰にでもああなの知っているし。それにアレには流石に手を出さないでしょ」
「そういえば、宮野くんは年下とは付き合わないね」
いや、年は関係ないでしょとは思ったけれど、あんまり山崎と陽介の話はしたくなかった。わたしが黙っていると、山崎は鞄の中から紙を取り出す。
「それでさ。僕、考えたんだ。よくあるアレをしたら、いいんじゃないかって」
「よくあるアレ?」
わたしは紙を見ようと、少し身を乗り出す。
「お待たせ!」
そこに陽介と義理の妹が両手にグラスを持って戻って来た。山崎に詰め寄っていたわたしは、椅子に背もたれに背を預ける。
「ありがとー」
陽介からグラスを受け取った。コーラを頼んだはずだけど、なんかちょっと白濁しているような気がする。
「じゃ、カンパーイ!」
乾杯する理由なんて全くないけれど、みんな陽介が差し出したグラスに持っているグラスを寄せた。軽い音が鳴って、一口飲む。
「ん??」
なんかコーラとは違う味がした。陽介がニヤニヤとしているし、義理の妹もこっちを気にしている。なるほど。
「陽介、何か混ぜたでしょ」
わたしが言うと陽介はペロッと小さく舌を出す。
「バレた? コーラとカルピス混ぜたんだ。不味い?」
「……ううん。結構おいしいかも」
思わず二口目も口に付けた。
「へー。僕のも何か混ざっていると思ったけれど、美味しいんだ。――ぶほっ!」
山崎はグラスに口をつけた途端、漫画のように噴出した。
「ま、まず……」
「あははは!」
わたしは涙目になっている山崎を見て、思わず大口を開けて笑った。陽介もケラケラ笑っているし、義理の妹も申し訳なさそうにしているけれど口の端から笑みが漏れている。
「陽介、山崎のに何混ぜたの?」
「ウーロン茶とメロンソーダ」
「それ、絶対マズイじゃないか。あー、濡れちゃったし」
山崎は濡れてしまったテーブルをおしぼりで拭いた。
「ん? なんだこれ?」
陽介は端が少し濡れた紙を指でつまんで持ち上げる。
「それは……」
あれは山崎がわたしの病気の為に考えた何かだ。こんなことでバレてしまうのではと、わたしの方が焦った。
「やりたいことリスト? 山崎の?」
「やりたいこと?」
わたしは陽介と一緒に首を捻る。
「そう。もうすぐ僕たち三年生だからさ。ほら、僕ってあんまり遊んだりしてこなかっただろ。あんまり関わらなかった人とも、できるだけ楽しもうと思って」
つまりは映画でよくある死ぬまでにやりたいことリストだ。だけど、山崎の誤魔化し方には引っかかった。
遊んでこなかったのはその通りだけれど、山崎はそれを望んでいたんじゃない。そう思うけれど、わたしは口には出さないでおく。
「高校生活もあと一年。誰かと一緒に何か楽しいことをしたってバチは当たらないよね」
「いいじゃん! つまり、残りの高校生活でやりたいことってことだろ」
愉快そうに陽介は山崎の肩をバシバシ叩いた。山崎も満更じゃなさそうな顔をしている。
そのやりとりを見ていて、なんだか釈然としなかった。
わたしの願望を叶えさせて、この世の未練を無くそうって魂胆なのだろう。かなり、ベタな発案だけど、確かに高校生の山崎に出来ることといえばそれぐらいしかない。
「けどさ。やりたいことなんてあるの? 山崎って勉強ばっかじゃん」
はっきり言って想像できない。二年の間しか一緒じゃなかったけれど、ずっと机にかじりついて、クラスメイトのことも冷めた目で見ていたことを知っている。
「だから、これから楽しむって話だろ?」
山崎じゃなくて陽介が答えた。
わたしは釈然としないまま、そうなんだけどとつぶやく。
「じ、実はさ。一つやりたいこと、もう考えていて……」
山崎は自信なさそうな声で言う。なぜか、わたしの顔をチラチラ見てきた。
なんだろう。そうまでしてやりたいことなら、山崎一人ででもやればいいのに。
「わ、渡辺さん!」
「な、なに?」
いきなりの大声に思わずビクッと反応してしまう。
「僕の書く小説のモデルになってくれない?!」
「は?」
わたしはポカンと口を開けて呆けた。あまりに突拍子のない話だ。
「なんで、渉ちゃんなんですか?」
義理の妹のみならず、陽介も不思議そうにしている。確かに山崎が小説を書いていようがなんだろうが構わないが、何故そのモデルがわたしなのか。
小説のモデルってギャルじゃなくて、普通の女子高生の方が読者受けいいはずでしょ。
「ほ、ほら、渡辺さんって、人と違うって言うか、独特の雰囲気があるっていうか」
「もしかして、エロいやつか」
「「えッ!!」」
陽介の言葉で、一斉に嫌悪感をにじませた視線が集中する。
「ち! 違うよ! 渡辺さんって言いたいこと言うし、友達大事にするし、そのっ、輝いているっていうか……!」
必死に言い訳を重ねる山崎に、わたしはピンと来た。
わたしが普通の女子高生と違うこと。がんに侵されていることに違いない。
きっと山崎は思ったのだろう。小説を書きたいが、普通の小説じゃダメだ。ちょうどタイミング良く、わたしの病気のことを知った。
そうとなれば、黙っていることを条件にモデルになることを頼もう。
「ははッ! そういうことね」
突然笑い出したわたしを三人は不思議そうに見て来る。
「いいよ。小説のモデルなってあげるよ」
「ほ、本当に……?」
山崎は夢の出来事のように言うけれど、わたしは同情されるよりもよっぽど良かった。
同情されるよりも、自分の欲の為に利用してやろうと近づかれた方が、何故だか信用出来たのだ。やりたいことリストなんてのも、口実の一つに過ぎないだろう。
「面白そうじゃん。それで? モデルって言っても何をすればいいわけ? 変な要求は当然断るけど」
「あ。えっと、渡辺さんは普通に生活してくれればいいよ。たまに僕と話してくれて、やりたいことをしてくれれば」
「ふーん」
まあ、そうだよね。何か凝ったことをしたとしても、嘘のわたしになってしまいそうだ。それではわたしをモデルにする意味はないだろう。
「あ。あと渡辺さんだけじゃなくて、二人も付き合ってくれるとありがたいな」
山崎は陽介と義理の妹の顔を交互に見る。
「いいぜー。渉がやる気になっているし、面白そうじゃん」
予想通り、すぐに陽介は笑って承諾した。
「あの、……わたしも?」
義理の妹は困ったように自分を指さす。しかし、山崎は当然のように頷いた。
「もちろん! えっと、渡辺さんの親戚の子なんだよね。名前聞いてもいい?」
「聖です」
「聖ちゃんか。できれば、少しでも渡辺さんと関わりがある人には協力して欲しいな。もちろん、やりたいことリストにも!」
「え、そ、そっちにも……? わたしは高校生じゃないし……」
「いや山崎。ほら、この子も別に暇じゃないし」
さすがにわたしも口を出す。今日だけならまだしも、これからも関わるなら義理の妹だと分かってしまうかもしれない。
「だけど、今日だけじゃ詳しい話を聞けないと思うんだ。それなら、やりたいことをいざ実行するときに話を聞けば一石二鳥だろ? それとも、部活とかで忙しい?」
「塾があるよね!」
思わず勢いよく言ってしまった。
「塾って言っても夜だけだし、毎日はないだろ。な! 聖!」
「は、はい……」
陽介に笑顔を向けられて、ほんの少し頬を染めて頷く義理の妹。
いや、そこはわたしに合わせろよと心の中で毒づく。そもそも渋っていたんじゃないの。なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。わたしはもう口を出すことを辞めよう。
テーブルに頬杖をついて、グラスを傾けた。
「じゃあ、協力してくれるってことでいいよね。えっと、まずは言い出しっぺの僕のやりたいことを……」
山崎はなんだか律儀そうな文字で、『渡辺さんをモデルに小説を書くために、いっぱい会話をする』と書いた。やりたいことと言うより、やらなきゃいけないことじゃないのか。
でも、小説で賞を取るとか百万部売れるとか目標を立てても、わたしが生きている内にはまず叶わないだろう。
「じゃあ、そうだな。オレは南の島でスキューバダイビングする!」
陽介がとても楽しそうなことを言いだした。
「でも、それって、夏にってことだよね?」
さすがに春の今には行けないだろう。
「うーん。ギリギリ、行ける?」
わたしと陽介って、その頃には別れていそうだ。友達としてなら、余命も半年あるし行けるだろうけれど。
「行こうよ!」
夏休みに旅行なんて、一番難色を示しそうな山崎が乗り気だ。高三の夏だと受験の追い込みがあるんじゃないのだろうか。
ここまで来ると、この山崎は本当に一年同じ教室で過ごした、あの山崎なのか疑わしくもなって来た。
「わたしは、お金ないし……」
わたしたちはバイトをすればいいけれど、さすがに中学生の義理の妹は無理。お小遣いを溜めるのにも限度がある。
「オレが立て替えようか?」
「そんな大きなお金を立て替えてもらうのは……」
「親にお年玉を前借するとか」
「……それもちょっと」
陽介と山崎がうんうんと唸って、妙案を捻りだそうとしている。
だけど、ハッキリ言ってその頃どうなっているか分かるもんじゃない。陽介とわたしの関係もそうだけど、山崎だって何だかんだ受験が忙しくなるだろう。そもそも義理の妹だって、わたしと旅行に行きたいなんて思っているはずがない。
「まあ、いいじゃん。お金のことは後で考えれば」
「そうだね。みんなで考えれば、きっとどうにか出来るよ」
山崎は先送りの意見を真面目にとらえているけれど、わたしは考えるつもりもないし、どうにかなる必要もない。
「じゃあ、聖ちゃん。やりたいことリスト三つ目を考えてくれる?」
「えっと、……思いつきません」
義理の妹が、しばらく考え込んで出した答えは何ともつまらないものだ。
わたしはスマホを取り出して、いじり始める。あんまり無関心を決め込むと印象が悪いから、宮古島の画像を出して陽介に見せた。陽介も海が綺麗だと笑っている。
「何でもいいんだよ。えーと。思いつかなかったら、ほら! 前にやったことだけど、もう一度やってみたいこととか!」
山崎だけが必死に義理の妹から意見をもらおうとあがいている。
「昔、やって楽しかった。一緒に……」
「え、なに?」
「えっと、お! 美味しいものが食べたいです!」
ずっと俯いていた義理の妹が少し声を張って顔を上げた。
わたしも驚いて、スマホから視線を移す。三人の視線が集中していることが恥ずかしかったのか、義理の妹はすぐにまた下を向いた。
「えっと、特別食べたいものはないんですけど……」
「いいじゃん! 美味しいもの。ファミレスの料理もいいけど、オレももっといいもん食いたい!」
優しい陽介がすぐに同意してくれる。
美味しいものが食べたいのは別にいいのだけれど、何か具体的に食べたいものを言えよと、どうしても心がひねくれているわたしは思ってしまう。
「うんうん。きっと楽しいよね。何を食べるかは、今度考えよう」
これ以上義理の妹をせっついても何も出てこないと思ったのか、山崎はこれまた先送りにしてしまう。これでは、すぐに取り掛かれるのは山崎の小説だけじゃないか。
「じゃあ、最後に渡辺さん。やりたいこと教えてよ。何でもいいよ! 富士山に登りたいとか、お姫様みたいなドレスを着てみたいとか、宇宙旅行とかでも!」
どうして、わたしとはかけ離れたことばかりを並び立てるのか……。
「やりたいこと、ねぇ」
正直って特別やりたいことなんてない。陽介のように行きたい場所も、山崎のようになりたいものも、食べたいものだってない。
いまが充実している。安いファミレスの料理で満足だし、放課後は近い街に遊びに行ければいい。可愛い服だって、あれば嬉しいけれど、女子高生なら制服があれば最強だ。
「じゃあ、また遊園地に行きたいかなー」
両手の指を重ねて、うーんと伸びをする。
「遊園地? えっと、もっとこう特別なところじゃなくていいの? ピラミッドとか、万里の長城とか。あ! オーロラ見ると人生観変わるって言うよ!」
山崎は少し前のめりで言う。
「なに? わたしの人生観変えた方がいいって?」
「い、いや。そういうわけじゃ……」
「大体二人は割と現実的なのに、どうしてわたしのだけ、そんな夢みたいな話ばかりしてんの? ああ、小説のモデルの為?」
どうにも山崎の熱の入れ方が二人とは違う。病気のヒロインは大きな夢を持っている方が都合もいいのだろう。
「ち! 違うよ! モデルはもちろん等身大の渡辺さんじゃないと」
「ふーん。でも、山崎言っていたじゃん。前にやったことだけど、もう一度やりたいことでいいって。隣の県のあの遊園地。小学校のときに行ったけれど、身長足りなくて全然乗れなかったんだよね。だから、また行ってみたいかなーって」
「そ、そっか。うん。渡辺さんが本当にやりたいことなら」
山崎は納得したように頷く。
遊園地に大して思い入れはないけれど、いまはこれで十分だろう。
山崎が箇条書きにやりたいことを書いた紙を眺めながら言う。
「じゃあ、続きはまた今度考えよう。あと一人四個ぐらいはやり遂げたいよね」
まだ考えるのかと思いつつも、やりたいことリスト作りがひと段落した。わたしたちは運ばれて来た料理を食べる。
「ヤバイ! これ、ヤバい!」
わたしの目の前には高さ二十センチは超える大きなタワー。照明を反射して光る真っ赤なイチゴが尊い。すぐさまスマホで連写する。
「撮ってやるよ、渉」
陽介が手を伸ばしてくるので、お願いと言って渡した。
「ほら、聖ももっと顔寄せて」
「え。わたしも?」
義理の妹は中学生のくせに大人ぶってコーヒーなんて飲んでいる。わたしだけの写真も撮っているし、陽介の前だし、顔を寄せて来ても嫌な顔をせずに笑った。
「お! いい感じじゃん」
陽介から返されたスマホ。撮られた写真を見ずに電源を切る。
「ありがとう、陽介。それじゃ、いただきまーす! んーッ! おいしい!」
ひと口頬張っただけで、どんなモヤモヤも全部吹っ飛んでしまう。
「そんなに美味しいんだ? 僕も頼んでみたらよかったな」
「今からでも頼めばー」
「そうだね。渡辺さんが好きなものを共有する。これも取材だ」
山崎は本当にパフェをもう一つ注文する。わたしだけじゃなくて、陽介もさすがに驚いた様子だ。
「なんか。山崎変わったな。自由になったって言うか」
「うん。渡辺さんに習ってね」
「ふーん」
つまり小説の取材の一環として真似しているという意味だろう。
「いいじゃん! 前はちょっと取っつきにくかったけど。今の方が気軽な感じでさ! みんな、そう言うと思う」
確かに前よりは明るくなった。
でも取っつきにくいという陽介は、前もちょいちょい山崎に話しかけていた気がする。
それが陽介のいい所であり、ちょっと空気読めないところでもある。今はましになったけれど山崎に話しかけると、素っ気ない返事が返ってくるので、盛り上がっていたはずの場が盛り下がるのだ。
わたしたちは大満足でパフェを食べ終わった。
「あー! 美味しかった!」
「リストの美味しいもの、甘いものもいいね!」
「それならオシャレなカフェとかがいいなー」
どうせやるなら、少しでも楽しい方がいい。
わたしたちはファミレスを出ると、駅に向かう。
「二人とも家まで送って行こうか?」
気を効かせた陽介が歩きながら尋ねて来た。
「い! いいよ! まだ八時じゃん! 遅くないし、二人だから大丈夫!」
必死になって断った。家まで送られたら、一緒に住んでいることがバレてしまう。
「じゃあ、また明日ね」
駅で別の電車に乗る陽介と山崎に手を挙げて別れる。
ホームに降りると、すぐに電車が入って来た。合図をするわけでもなく、義理の妹とわたしはその電車に乗り込んだ。
わたしたちは終始無言。一応、さっきまで一緒に食事をした仲には見えないだろう。
食べているときも、わたしと義理の妹は直接会話しなかった。そもそも、義理の妹は陽介と山崎が質問したことにしか答えない。質問にしか答えないのだから、わたしが何か聞かなければ義理の妹が話さないことは当然だった。
「……ねぇ」
しかし、食事中全く話しかけて来なかった義理の妹が、電車を降りて歩いていると小さな声で話しかけて来た。
「彼氏が居るって、……どんな感じ?」
わたしは足を止める。後ろを歩いていた義理の妹は、少しだけわたしを追い越してから止まった。
「どんな感じ? うーん」
他の質問ならスルーしただろう。何となく真面目に考えようとしたのは、普段はお堅い義理の妹が陽介とわたしに感化されて恋愛ごとに興味を持ったからだろうか。
「陽介は、まあ、モテるんだよね」
「……そうだと思う」
「実際、恋人だってコロコロ変わる。わたしとは付き合い始めたばかりだけど、いつ振られるか分からない。それでも、陽介と付き合っているとさ、すごくわたしだって感じがする。……うん」
確かめるように頷くけれど、義理の妹は微妙な表情をする。
「よく分かんない。大体、陽介さんの前じゃ、完全に猫かぶっているよね。家と全然違うし、山崎さんとも何か態度違う」
何を当たり前のことを言っているのだろう。好きな人の前で可愛く振舞おうとするのなんて、恋愛の基本中の基本だ。そうすることが、楽しかったりもする。
とはいえ、義理の妹には基本が分からない。
「一緒にいれば一番可愛くいられるって最高じゃん」
少しニュアンスを変えて言う。
義理の妹はなぜか数秒ほど固まっていたけれど、答えが空中に浮いているかのように視線を空に向けた。
「そっか。そういう価値観なんだ。うん。でも、うん。納得」
一人で答え合わせをしているようで、教えてあげたのにと何だかイラっとする。
「なんか馬鹿にしてない?」
じろりと睨みつけると、義理の妹はあからさまにたじろいだ。
「し、してないよ。うん。渉ちゃんにピッタリな彼氏だなって思っただけ」
「……まあ、いいけど。あんたも、その価値観? が合う彼氏をさっさと見つければ? もう中二なんだし」
――どうせ、友達居ないんだし。
さすがにそう言うのは止めておいて、わたしはゆっくり夜道を再び歩き始めた。
「まだ、中二じゃない」
「何言ってんの。わたし、中二の終わりには彼氏いたし」
だけど、最悪の仲の義理の妹と恋バナをする日が来ようとはね。
ふと足音が聞こえないと思って後ろを振り向くと、信じられないといった顔をして義理の妹が棒立ちになっていた。
家に帰ると、外の灯りが点いている。あれ? と、後ろで声がした。
わたしも疑問に思った。
確か継母は仕事で遅くなるはず。だから、わたしと義理の妹の二人に外で食べて来いと言ったのではないのか。
玄関を開けると、リビングからテレビと声が漏れてきていた。
「ただ……」
声を掛けようとする義理の妹の口を塞ぐ。わたしは話し声に耳を澄ました。
「お仕事、お疲れさま」
「ありがとう、茜さん」
グラスとグラスがぶつかる音がする。思った通り、お父さんと継母の声だ。二人以外がいるはずがないけれど。
わたしはそのまま身動きせずに、会話に耳を傾ける。
「渉と聖ちゃんは今頃二人で楽しんでいるかな」
「すぐに帰って来たり、別々に食べたりするかもって思っていたから安心したわ」
「ああ。心配する必要なかったな」
和やかな雰囲気にわたしは、眉間にしわを寄せる。
まるで、二人で計画したみたいな――。
「渉ちゃんが、わたしのことはいいから、せめて聖とだけでも打ち解けてくれたらと思ったけれど」
「苦労をかけるね。でも、きっと昔みたいに……」
「昔みたいにって、何!?」
我慢できずに、靴を脱ぎ散らかしてリビングに飛び込んだ。
二人が言っている昔なんて、せいぜい一、二年のことで大した昔じゃない。
「渉」「渉ちゃん」
ソファで座っていた二人ともすごく面食らっているけれど、わたしは詰め寄っていく。
「仕事で残業するからって嘘だったの!?」
いまの会話はそうだとしか思いない。
「嘘までついてッ、ゴホッゴホゴホッ!」
大きな声を出したせいか、咳が出て来る。
「大丈夫、渉ちゃん」
継母がわざわざ立ち上がって、わたしの肩に触れて来た。
「触らないでよッ!」
触れられる前に腕を振り上げて、払いのける。
「あ! またお母さんに!」
だけど遅れて入って来た義理の妹が、代わりにわたしの肩を掴んだ。振り返って睨みつけたので、義理の妹はビクリと震えてすぐに離れる。
「あんたも、グルだったの?」
「な、何が?」
「あんたもこいつとグルになって、わたしに嘘をついたのかって聞いてんの!」
バシッ
思いっきり声を張り上げた瞬間、頬に衝撃が走った。
「茜さんにこいつだなんて」
わたしの頬を叩いたのはお父さんだ。怒っているというより、悲しそうな顔をしている。
最初は何が起こったのか分からなかった。けれど、ジンジンと叩かれた頬の中心から熱さが広がっていく。
手を挙げた理由も分かる。わたしが口で言っても絶対に謝ったりしないからだ。でも叩かれたからと言って、絶対謝ろうなんて思わない。
「なによ! そもそも、あっちがわたしの嫌がることを仕掛けて来たんじゃないッ!」
継母を睨むと、お父さんの後ろでただオロオロしているだけだ。お父さんだって反抗されると思わなかったのか、すぐに言葉は出てこない。
「今日だって! 本当なら陽介と二人だけで過ごすはずだった!!」
「……陽介?」
「それなのに、うじゃうじゃ邪魔者ばっか出て来て! それが嫌いな奴のせいなのに、なんでわたしが叩かれないといけないの!?」
思う限りの声を張り上げた。喉の奥から熱いものがこみあげて来て、また咳も出てきそう。目頭が熱い。
「わたしには無駄な時間なんかないんだからッ!」
限界だった。これ以上、この人たちの前に居たくない。
わたしはリビングを飛び出て、階段を駆け上がった。そのまま自分の部屋へ駆け込む。思い切りドアを叩きつけて閉めて、ベッドにダイブした。
ぎゅうっと目をつぶると、端から涙がこぼれ出て来る。
わたしだって出来ることなら怒ったり、叫んだりしたくない。
それでも、大事にしたいと思っているものを大事に出来ないようにしてくる人たちに優しくなんて出来るはずがなかった。
しばらく灯りを付けずに枕に顔をうずめたまま、叫びを押し付ける。足もバタバタさせていると、遠慮がちなノックの音がした。
「渉」
お父さんの声だ。ドアを開けようとはしない。
「……なに」
無視しても、ずっとドアの前にいるかと思って小さな声で返事をする。
「ごめんな。叩いたりして、カッとなっても叩くのはいけないよな。腫れてないか? 氷持ってきた」
わたしは身体を起こした。けれど、ドアを開けようとは思わない。泣いていていたことがバレるとダサい気がしたから。
「……大丈夫」
「聖ちゃんから聞いたよ。彼氏いるんだってな。友達とも仲が良くて、どの人もみんな優しかったって。渉のことだからそれほど心配していなかったけれど、すごく安心したよ。ほら、再婚してから家に友達呼ぶこともなかったし」
「……そう」
「出来れば彼氏を紹介して欲しいと思ったけれど」
「するわけないじゃん。この前、付き合い始めたばかりだし、……どうせ別れるし」
つい食い気味に口走った。お父さんは理由を聞かずに、そうかと寂しくつぶやく。
「……茜さんが悪いわけじゃないんだ。父さんがどうしても渉と家族が仲良くして欲しいって思ったんだ。それには、どうしたらいいかって茜さんに聞いて、それなら自分抜きなら上手くいくんじゃないかって言われてさ。だから、まずは多少強引でも聖ちゃんと渉と二人で過ごしたらいいと思って。今日のことを提案したのは父さんなんだ」
わたしは黙って耳だけを傾けていた。
「渉に彼氏がいるとか思いつきもしなくてさ。確かに渉ぐらいの年頃なら、放課後は家族より恋人と過ごしたいよな。……でも、ごめんな」
「どうして謝るの?」
お父さんの言い方は、叩いたことや嘘をついていたことに謝っているわけじゃないと思った。
「これから渉は長い時間をかけて、病気の治療をしていかなきゃいけないから。それなら、尚更家族との仲を修復した方がいいと思ったんだ」
「治療……」
医者の話をちゃんと聞いていなかったわたしは、ほとんどイメージ出来ない。でも、わたしが分かっていないことをお父さんはちゃんと分かっていた。
「渉は嫌がるだろうけれど、四月から病院に入院することになったから」
――四月から。思考がまるで冷水を浴びたように、うまく働かない。
「入院って、すぐ退院できるよね……?」
「ごめんな、渉」
えっと……、それはつまり女子高生終了ってこと?
あと一年は生きられるはずなのに……?
病院に入院したら、もちろん陽介や美玖たちにも会えなくなる。みんな、病院なんかより遊んでいたいに決まっている。それにがんの治療って言ったら、髪の毛が抜けちゃうんじゃないの。制服だって取り上げられて、病院着やパジャマを着せられる。
そんなの――
「お父さんッ!」
絶対、嫌だ。わたしは立ち上がって、ドアを思い切り開けた。
「わっ! なに?」
だけど、そこに居たのは義理の妹だった。いつの間にかお父さんが一階に降りて、その入れ替わりに義理の妹が上がって来たのだろう。
「……酷い顔しているけれど大丈夫?」
酷い顔って、どんな顔だよ。そう思ったけれど、文句を言う気力も出なかった。
「……何でもない」
不思議そうな顔をしていたけれど、義理の妹は自分の部屋に入っていく。
わたしはそのまましゃがみ込んだ。あと、一か月。もうすぐ春休みにもなるし、それよりも短い。医者に余命宣告されたときよりも、ずっとダメージを受けている自分がいた。

