「終わりだ。目を開けていいぞ」

 奇妙な感覚が収まってすぐにエイルが頭から手を離した。

「……ウソ」

 ややうつむいたまま目を開けたミツナの目に二つの手が見えた。
 赤みを帯びた毛に覆われて鋭い爪を持った手はエイルのものではなくミツナのものだ。

 ミツナは震える手で顔に触れた。
 慎重に左目に触ってみるとそこには眼球がある感触があった。

 左目は潰れてなくなったはずだと思いながらも包帯を外す。
 期待と不安で呼吸が荒くなりながら恐る恐るミツナは左目を開けてみた。

 最初はぼやけていた。
 しかし何回かまばたきをしてみるとだんだんとしっかりと物が見え始めた。

「見える……」
 
 ポロリと左目から涙が流れる。
 もうダメだと思っていた。
 
 右手と左目を失ったままこの先一生を生きていかねばならないのだと諦めていた。
 命あるだけでもいいなんて言う人がいるけれど、右手と左目がなければまともに稼いで生きていくことなどできない苦痛の人生になるところだった。
 
 死んだ方がマシかもしれないとすら思っていた。
 ミツナが顔を上げるとエイルは少し汗ばんで優しく微笑んでいた。

「まさか……」
 
 さらにミツナはお尻に手をやった。

「あぁ……!」

 そこにはシッポがあった。
 エイルはてっきりミツナにはシッポがないのだと思っていたけれど実はミツナにもシッポがあった。

 根本から切断されて失われていただけでエイルの治療によってまた生えてきていたのである。

「どう? これで……」

「ありがとう!」

「おっと」

 感極まったミツナはエイルに抱きついた。
 この瞬間ミツナはエイルが憎んでいる人間であるということも忘れるほどに喜びを感じていた。

「ありがとうありがとうありがとう! ……うぅ……うっ!」

 ミツナは泣いた。
 両方の目から涙を流してワンワンと声を上げて泣いた。

 泣くことを我慢できなかった。
 エイルはミツナをただ受け入れた。

 優しく笑ったままミツナの背中に手を回して子供をあやすようにトントンと叩いてくれる。
 それがまた染み入るようで、どんなことがあっても揺らがないと構えていた心の予防線を簡単に越えてミツナの心を刺激した。

 泣き始めると止まらなくて。
 嬉しさとこれまでの苦しみが涙として溢れ出して。

 子供のように泣いたミツナはエイルの温かさに抱かれて泣き続け、いつの間にか寝てしまっていた。
 服が涙でびしょびしょになったエイルはそれでも優しく微笑むとミツナのことをベッドに寝かせる。

 宿の人からうるさいと苦情を言われたのでなんとか平謝りで許してもらった。

 ーーーーー

「調子はどう?」

 大泣きしたミツナは次の日の昼近くに目が覚めた。
 起きてみるとエイルはすでに起きていて、泣いたことも含めてミツナは顔を真っ赤にしながら謝った。

 もちろんエイルは怒ってなどいなく、むしろミツナの体を心配する言葉をかけてくれた。
 よくよく見てみると手や目だけでなく全身の細かな傷も全て治っていた。

 たっぷりと寝て頭もスッキリとして、泣いたせいなのか心の中の重たい気持ちは晴れやかだった。
 手も目も失う前よりも調子がいいくらい。

 ミツナはエイルの能力に驚くばかりだった。

「……ミツナ!?」

「ちゅ、忠誠を誓う!」

 最初よりも反抗的な目じゃなくなったなとエイルが思っていたらミツナが床に仰向けに寝転がった。
 顔を真っ赤にして服をまくってお腹をさらけ出している。

 何をしているのか分からなくてエイルは困惑してしまう。

「ちゅ、忠誠ってどういう……」

「な、治してくれたら忠誠を誓うと言った! だから……忠誠のポーズ……」

 消え入りそうな声でポーズがなんなのか説明するミツナは恥ずかしそうに真っ赤になった顔を赤い毛で覆われた手で隠した。
 お腹をさらして仰向けに寝転がるのは獣人の子供の間では降伏を示すポーズである。

 しかしそれだけではなく隠されたもう一つの意味がある。
 敵意はなく弱点を見せるということから相手に忠誠を誓うという意味をこのポーズは持っているのである。

 ミツナはもし手や目を治してくれるのなら一生の忠誠を誓ってもいいと口にした。
 誇り高い獣人は決して約束を違わない。

 本当に治してくれた。
 これだけでもとんでもない大恩なのである。

 それだけでなく目や腕もなく可愛げもなくて売れそうにない奴隷を買ってくれて、冒険者から助けてくれて、ミツナが裏切られたことを証明までしてくれた。

 宣言通りの忠誠を示す意味で忠誠のポーズをしてみせた。
 ただすごい恥ずかしい。

 傷だらけならまだよかったのに綺麗になったお腹を男の前に出して無防備な姿をさらすのは死にそうなぐらい恥ずかしくて顔から火が出そうになっていた。
 けれど大きな恩まであってここでやっぱり忠誠は誓えませんなんて言えない。

「別に……忠誠なんて……」

「お、女の子に、こんなことやらせておいて嫌だって言うのか!」

「えぇ……」

 確かに忠誠を誓うなんて言っていたけれどそれは言葉の綾のようなもので本当に忠誠を誓うだなんてエイルは思いもしなかった。

「私だって恥ずかしんだ! 男らしく受け入れてよ!」

 お腹を出したまま恥ずかしさで潤んだ瞳でミツナはエイルのことを睨みつける。

「せ、責任取って!」

「おい、変な言い方……」

「昼間から盛ってんじゃねぇよ!」

「うわっ……す、すいません!」

 ミツナの言葉を勘違いしたのか隣の部屋に泊まっている客が壁を叩いた。
 そんなに高い宿でもないので大きな声を出してしまうと隣に声が聞こえてしまうのだ。

「ちゅ……忠誠を……」

「分かった……分かったから!」

 これ以上同じポーズをさせているとミツナが恥ずかしさで泣き出してしまいそうだ。
 ミツナに押し切られる形でエイルはミツナの忠誠を受け入れることにしたのであった。