とんでもない放課後を体験してから、一夜が明けた。
起きてもぴ助の鳴き声がしない不思議な朝だ。少しして、ぴ助が死んだことを思い出す。なんと悲しい朝だろう。

「学校、行きたくないな……」

ぴ助のことがあるから気分が上がらないのは当たり前として、それ以前に〝佐々木くんが同じクラスだから行きたくない〟のだ。彼は出席しない授業があったり、そもそも学校に来なかったりという日がある。それでも同じクラスであれば、会う確率はそこそこ高い。

――たかがペットのインコが死んだだけで泣いたの?

 ゾクッ

あの時の佐々木くんの目。何の温度もなかった。色さえ感じなかった。佐々木くんは一ミリも、一粒も、一切れも一欠けらも、何の感情も私に抱かなかった。それを「いっそのこと清々しい」という人もいるだろう。むしろ「無反応でいてくれる方がありがたい」という人だっているはずだ。

だけど私は違う。少なくとも私は、あの時そんなことを望んでいなかった。抑えようと思っても溢れる涙を見てせせら笑うのではなく、「大丈夫?」と声をかけてほしかった。慰めてほしかった。
そもそも大前提として、ぴ助を「たかが」なんて言ってほしくないし「ペットのインコ」なんて言葉でまとめてほしくない。私にとってぴ助は姉妹みたいなもので、生まれた時から一緒に過ごしてきた大事な家族なのだ。

「それを赤の他人が、たかが三文字や七文字でぴ助を語るなんて……」

起き立ちの手が白くなるほど、握りしめた拳に力が入る。眠ったぴ助をあんな風に罵倒する人を、私は絶対に許さない。

 ❀

気分が乗らまいと足が重かろうと、根が真面目な私は始業のチャイムが鳴るまでにきちんと自分の席に座っていた。教室に到着した時ドアの傍にいた子と挨拶を交わした後、「佐々木くん来てる?」と一応の確認をとる。答えはノー。彼が居ないことを知り、胸をなでおろして教室に入った。

今まで気にしていなかったけど、佐々木くんは私のナナメ前の席。つまり彼が登校してくると、必然的に私の視界に入って来る。その瞬間が訪れることにビクビクしながら一限ずつ授業を終える。だけど三限目が始まった時「さすがにもう今日は来ないんじゃない?」と気が緩む。だけど油断は禁物。そういう時に限って、私の目は彼の姿を捉えてしまった。

だけど佐々木くんを見たのは、〝教室で〟ではない。お昼休みにぴ助を思い出して泣きそうになったから、皆から離れて一人中庭へ来る。その時に、偶然にも佐々木くんを見つけてしまったのだ。

「おい佐々木、昨日もひと暴れしたんだって?」
「なんでも、先輩にたてついたとか」
「それなら俺らとも遊んでくれよ、な?」

「……」

男の先輩三人に囲まれる佐々木くん。いかにも不良です、っていう強面の先輩たちだ。異様な光景を見てしまい、足の底から震えあがる。目の前に来られたら、失神して倒れてしまいそうだ。だけど佐々木くんは全く動じていない。何を言われても顔色一つ変えず、逃げることなく先輩たちと対峙している。

「何しているんだろう。早く逃げればいいのに……」

そう言う私こそ早く逃げればいいのに、これから佐々木くんがどうなるのかと思うと目が話せなかった。ようは心配したのだ。私は昨晩、永遠の眠りについたぴ助を見た。冷たくなって動かないぴ助。そんなぴ助と佐々木くんが、なぜか重なって見えたのだ。それは彼の無謀さが生み出した幻かもしれない。あんな人達にボコボコにされたら、いくら佐々木くんとはいえ軽傷では済まないだろう。最悪、ぴ助みたいに――

「もしも死んじゃったら、それで終わりなんだよ……」

両者がどんどん距離を狭めていく。その光景を、少し離れた自動販売機の影から眺めていた。すると先輩の一人が「楽しもうな、佐々木?」と、彼の胸ぐらをつかむ。そして力いっぱい込めた右手を振りかぶった、その時だった。

「先生、ケンカです!!」

「「「は?」」」
「え、水野?」

ポカンとした顔が四つ全て、私に向いている。遅れて私は、自分がした事の重大さを理解した。

「どうしよう、叫んじゃった……」

呆然としながら呟く。すると呆れ返った佐々木くんが、溜息をつきながら腕を組む。すごいジト目だ。顔に〝お節介〟って書いてある。誤解が無いように言うと、私だって介入したくてした訳じゃない。気づいたら叫んでいたのだ。本当は今すぐここから逃げ出したい気持ちでいっぱいなのに。
だけど先輩たちは私を逃がす気はサラサラないらしい。眼光を鋭くさせ、一歩ずつ私へ近づいてくる。逃げなきゃ!と思っても、足が震えて動けない。不安を紛らわすように、両手で自動販売機を掴んだ。すると先生が来るより前に、先輩たちが私の傍に来てしまった。周りに他の生徒はいなくて、肝心の佐々木くんさえも「自業自得」と言わんばかりに、遠くから私を見ていた。

「へぇ派手な顔してるじゃねーか。サバサバ系女子ってーの?いかにも〝遊んでいます〟って感じ」
「!」

派手な顔、サバサバ、遊んでいる――
実際の私にかすりもしない偏見を持たれて、心の底からガックリと落ち込む。同時に自分が嫌になってきた。自分の顔がもっと違ったら偏見を持たれることもないし、昨日みたいに泣く場所だって気にしなくていいのに。

「〜っ」

悔しくて悲しくて、グッと下唇を噛む。
その時だった。

「どこがサバサバ系女子なんだよ。皆に見られないようにコッソリ隠れて泣く女子だよ?」

あっけらかんと言った佐々木くんは、手を叩いて面白がる。続けて「お前ら見る目ないなぁ」と目を細めてニヒルな笑みを浮かべた。

「こんな大人しそうな女が遊んでるわけないでしょ。もういいかな?充分に楽しんだでしょ?その子、俺にちょうだい」
「な……!」

ちょうだい、って!
私を〝物〟みたいに言わないでよ!

だけど先輩たちから私を助けてくれる気はあるみたいでホッとした。本当に見捨てられるかと思っていたから。それに、さっきの言葉は嬉しかった。私じゃない第三者が「どこがサバサバ系女子なんだよ」と、私の見た目を否定してくれたからだ。よりにもよって〝ぴ助をぞんざいに扱った佐々木くんが〟ってところが引っかかるけど。

だけど「本当の私」を知る人がいるって、嬉しいことだ。心細かった心がポカポカと温かくなってくる。私って、案外単純かもしれない。

「へぇ、つまり佐々木の女ってことか?」
「違う違う。俺のタイプは真逆だよ」

「……」

私のどこの部分をとって「真逆」と言ったのだろう。もしかして失礼なこと?聞いてみたかったけど先輩たちが「へぇ」と指の骨を鳴らし始めたから、おしゃべりは中断。どうやらケンカが始まるらしい。不穏な空気が、この場へ一気に流れ込む。恐れおののいた私は、再び自動販売機をつかんだ。

「地面に倒れ込む準備は出来たか?」
「全然。かわりに綺麗にボコってやるから安心してね」
「ぬかせよ、一年が」

先輩たちが私から離れて、攻撃できる範囲まで佐々木くんへ近づく。三対一で不利なシチュエーションにも関わらず、佐々木くんは相変わらず笑っていた。この人には「恐怖」がないんだろうか?もしも先輩たちにやられたらどうしようって、そんな「心配」はないんだろうか?
私は不思議に思いながら、次々に先輩を倒す佐々木くんを見つめる。さほど時間をかけず、彼は全員の先輩を「物理的に」静かにさせてしまった。

 ❀

「べつに送らなくいいのに」
「また変な奴ら絡まれたら嫌でしょ?」

「そうだけど」と口を尖らせる私の横で、ポケットに手を突っ込んだ佐々木くんがカラカラと笑う。窓から入る光が彼の整った顔に当たっている。キラキラと輝いて見えるのは気のせいかな?さっき助けてもらったから、カッコよく見えるだけかも。あぁいうのを吊り橋効果っていうんだっけ?
チラチラと佐々木くんを盗み見る。すると何にも興味無さそうな佐々木くんの目が、やはり何にも興味無さそうにこちらへ向いた。あ、見ていたのがバレちゃった。誤魔化すように、急いで話題を探す。

「さっきの先輩たちは大丈夫なの?」
「あれくらいじゃどうにもならないよ。気絶させただけだし」

先生が来る前に、私たちは中庭から撤退した。だから先輩たちの様子が分からないけど、佐々木くんが言うには大丈夫らしい。目の前でケンカを見た私は恐怖から体が震えてしまって、佐々木くんの「今のうちに逃げれば?」という言葉に頷くことが出来なかった。見かねた佐々木くんが私の腕を握って「おいで」と、私を教室へ送ってくれることになった。佐々木くんも同じクラスだから、「送る」というよりは「二人して教室に帰っている」と言った方が正しい。

「おー、佐々木。今日は来たんだな」
「えらいでしょ?」
「出席日数ギリの奴が、いばんなや」
「手厳しいなぁ」

まだ昼休み中だから、廊下にはたくさんの生徒が居た。その中には私たちと同じクラスメイトもいて、佐々木くんを見つけると嬉しそうに声をかける。話しかけられて満更でもないのか、佐々木くんもニコニコだ。こうやって見ると佐々木くんは不良ではなく、ただの高校一年生なんだけどな。といっても日光に反射するピアスが異彩を放つ度に、やはり彼は不良なのだと思い知るけれど。

佐々木くん観察をしていると、ふと噂話が聞こえた。さっき通り過ぎた教室の中からだ。

「見て、佐々木くんと水野さんが一緒にいるよ」
「サバサバ系女子と、超優しい系男子ね」
「あの二人って正反対だよね」

……〝また〟だ。不良先輩たちから「サバ女」と言われて落ち込んでいた心が、輪をかけて急降下していく。こういう時に「違うよ」って言ったら良いのかな?いや、否定ならしたことあるのだ。最初に噂された時に「嫌だな」って思ったから勇気をだして言ったんだ。私はサバ女じゃないよ、って。だけど否定さえも「さすがサバ女!自分の意見はズバズバ言うね」と賞賛されてしまった。だから悲しいけど、今だって噂を否定したところで無駄だろう。どうせ「さすがサバ女」と言われて終わりだ。

「……」
「気に食わないって顔してる」
「え」

隣を見ると、佐々木くんのにんまりとした顔があった。いつもより意地悪な顔に見える。

「噂なんか気にしなければいいのに」
「聞こえてたんだ」
「俺らに聞かせるように話したんだろうから、そりゃ聞いてあげないとね」
「……なにそれ」

少し皮肉の入った佐々木くんの言い方は、聞く人が聞けば鼻につきそうだ。だけどモヤモヤしていた私の心は、僅かに憂さが晴れる。すると隣から「あんな噂で楽しめるんだからお気楽だよね」と佐々木くん。優しそうな見た目からは想像もつかない毒舌っぷりだ。

「だけど俺としては、あんな他人がした噂でわざわざ傷ついてあげる水野の方が信じられないよ。お人好しなの?」
「私だって、気にしないようにしたいよ」

だけど気にしてしまうのだから仕方ない。佐々木くんみたいに噂をシャットアウトできたら、どれほど人生が楽しいだろう。
すると俯いた私を見た佐々木くんが「ぶはっ」と吹き出した。眉間にシワを寄せて、クツクツと笑っている。

「本当、佐々木さんってサバ女とは程遠いよね。むしろ正反対過ぎて気持ちがいいよ」
「それ、私はどう受けとったらいいの?」
「褒め言葉だよ。優しいねって言ってる」
「……そうなんだ」

さっきの言葉って〝イコール優しい〟なんだ。佐々木くんの表現って独特だ。

「佐々木くんも見た目の優しそうな顔とは程遠いキャラだよね」
「俺?優しくない?」
「全く」

ズバッと言うと、また佐々木くんは吹き出した。所々あいた廊下の窓。そこから入る風が、彼の黒色の髪をふわりと持ち上げる。前髪の下、そこにある佐々木くんの目は髪と同じ黒色。吸い込まれるような漆黒の瞳だ。それは「でもね」と言った時、一段と黒色が濃くなった気がした。

「こんな俺だけど、中身は案外に優しくて気弱かもよ」
「佐々木くんが優して気弱?それは天地がひっくり返ってもありえないと思う」
「言ってくれるね」

スッと瞳が細くなる。一瞬だけ私に向いた顔は僅かに口角をあげた後、また正面へ戻った。その時の横顔は彼の言うように「気弱そう」に見えて、思わず釘付けになった。さっきまでの勝気な笑みは一体どこへ行ったのだろう。

「あ、着いたよ」
「本当だ。佐々木くん、送ってくれてありがとうね」

「いえいえ」と言いながら、彼はくるりと身を翻す。どうやら教室へ入る気はないらしい。

「もう授業が始まるよ?」
「知ってるでしょ」

顔だけ向けた佐々木くんは、眉を下げて私を見る。

「俺が不良だって、もう水野は知ってるでしょ?」
「!」

そして佐々木くんは去ってしまった。その後ろ姿から、いつまでも目が離せない。だって佐々木くんが本当に気弱そうに見えたから。顔だけじゃなくて、彼の全身から覇気が失せたように見えたから。さっきまでケンカしていた佐々木くんと、今私の目が追っている佐々木くんが同一人物とは思えなかったんだ。

「……知らなかったよ」

ポツリと呟いた声と予鈴が重なる。

「佐々木くんも〝そんな顔〟をするなんて、初めて知った」

予鈴が鳴り終えた時。佐々木くんは角を曲がって廊下から姿を消す。だけど私はしばらくの間、さっきの佐々木くんの顔を思い出してその場から動けなかった。