地球には朝が来ない。十年前、太陽が爆発してしまったからだ。今年の春で大学生となった俺はその時小学三年だった。

 今は昼の十二時。しかし空は暗闇で包まれている。十年も経てばこの感覚にも慣れたものだ。

 太陽が消えてから空には一日中星が見えるようになった。特に町の丘から見る、夜空ならぬ昼空は最高なのだ。

 家から三十分ほど歩いてその丘に着く。平日の昼間はがらがらだ。
 俺は芝生にレジャーシートを引いて寝転がろうとした。

「わたしもいいですか?」

 誰かが声をかけてきた。
 声をかけてきたのは白いワンピースを着た小学生くらいの少女だった。
 セミロングの黒髪は羨ましいくらいにサラサラで、薄暗い中でも分かるほどに愛らしい顔立ち。どこかのお嬢さまかと思ってしまう。

「えっと・・・・・・ここに?」
「はい」

 少女はにこりと微笑む。

「うーん、まぁいいけど」
「ありがとうございます、お兄さん」

 そしてすかさず黒い靴を脱いでレジャーシートの上に座る。
 今気付いた。相手は初対面の小学生、自分は大学生。世間一般的にかなりまずい状況なのではなかろうか。

 いや、駄目だ駄目だ。ウォッホンと一つ咳払いを挟んで少女に訊く。
 
「ちなみに君、今日は平日だけど学校どうしたの?」
「大丈夫です。学校行ってないので」
「え」
「一回学校で倒れたことがありまして」
「どこか体悪いの?」
「別にどこも。いたって健康体ですよ」
「ならどうして」

 少女はプラプラさせていた脚を抱える。

「学校の男子が、その・・・・・・すごい付きまとってくるんです」
「あぁ・・・・・・なるほど」

 たしかに俺が同い年だったらこんな美少女放っておかない。その男子たちの気持ちも分からないでもない。

「で、両親が『学校には行かせられない』って。プリント類とかは友達が届けてくれるんですけどね」
「待ってじゃあ駄目だ。君は早く帰ったほうがいい」
「ふふふ、そんなに焦らなくても大丈夫です。だいたい他に人なんていないんですから」

 今にも君の両親がここに来るかもしれないのに、どこも大丈夫じゃない。
 しかし少女は帰る気はないと言わんばかりにゴロンと寝転がる。

「俺はまだ捕まりたくないんだよ」
「大丈夫ですってば」
「いや、大丈夫じゃない」
「大丈夫、大丈夫」
「大丈夫じゃないよ!」

 しかし少女はシャツの裾を引っ張ってくる。
 思ったよりも力強く、かと言って乱暴に振りほどくのも憚られ、俺は仕方なくシートの上に座った。
 
「君は何がしたいの・・・・・・」
「夜空を見に来ました」
「そりゃそうだろうけどさ」

 正確には夜空ではない。昼空だ。

「わたしは太陽が見たいんです」
「一応言っておくけど、太陽は十年前に無くなったよ?」
「そのくらい知ってます。でも、もしかしたら太陽に代わる星があるかもしれないじゃないですか」
「少なくとも肉眼では見えないけど」
「お兄さんは夢が無いんですね」
「・・・・・・」

 それに関しては何も言い返せない。俺は日常に執着する癖があるから、現状で満足してしまうのだ。
 今でこそ慣れたが、太陽が消えたとき・・・・・・朝と昼が無くなったときは酷く恐怖感を覚えた。
 世界が闇に包まれ、地球も消えてしまうのではないかと不安になった。

「わたしは朝と昼というものを知りません。よかったら教えてくれませんか?」
「ご両親に教えてもらえばいいんじゃないかな」
「いやです、お兄さんから聞きたいです」
「えぇ・・・・・・なんで・・・・・・」
「なんでもです。わたしとしてはここで叫んであげてもいいんですが・・・・・・」
「わかった、わかったから!」



 俺はスマホのフォルダに入っている写真を交えつつ、朝と昼を少女に教えてあげた。
 太陽の光があったこと、青空があったこと、「おはよう」があったこと、等々。話すことは沢山あった。
 話し終わった後、少女は目をキラキラと輝かせて写真に見入っていた。

「すごい・・・・・・! 太陽があったときはこんなにも明るかったんですね」
「今は文字通り影も形も無いけどね」
「夢が無い」
「別にいいの」

 ふんっ、とそっぽを向いてやる。少女は気にせず写真を見続ける。

「・・・・・・」

 あの世界を知らない子はこんな反応をするのか。
 太陽が消えた日の不安が蘇ってくるようだった。
 すると少女は言った。

「わたしもこの世界に行ってみたいなぁ」
「・・・・・・」
「お兄さんは?」
「えっ」
「太陽があった世界に、戻りたいですか?」

 少女の純粋さに虚を突かれた気分になった。
 戻りたいとか、考えもしなかった。そもそも、太陽なんてもとに戻るものなのだろうか。
 星は他の星と衝突し合って大きくなっていくが、太陽ほどの星が元に戻るなんてあり得るのだろうか。
 しかし、どちらかと問われれば・・・・・・。

「まぁ、戻りたいって言えば戻りたいかもしれないね」
「それはなんで?」
「俺は学校の屋上で昼寝をするのが好きだったからさ」
「昼寝?」
「昼寝は太陽が無いとできないことだろ・・・・・・って、君は知らないのか」
「はい、知らないです。でも、わたしも昼寝してみたいです」
「できるかなぁ」
「できますよ、いつかはきっと」

 この先、太陽に代わる星が生まれる可能性は低い。少なくとも自分たちが生きている間にそれは叶わないだろう。
 だが夢は持ってもいいのかもしれない。
 非日常はいずれ必ず日常に変わる。

「そうだね・・・・・・できるといいね」
「んー、まだちょっと無責任」
「できるできる!」

 ないテンションを無理矢理湧き立たせてやると少女はくすりと笑った。

「その意気ですよ」

 そして靴を履いて、ふわりと立ち上がる。

「では、また」
「もう行くの?」
「行ってほしくないですか?」
「どうぞどうぞ。行ってください」
「なら、また会いましょうね」
「またはない。俺は捕まりたくないの」
「ふふふ」

 遠い日の記憶は確かな傷を脳のメモリに刻む。
 そうだ。これが太陽の記憶。