忙しなく行き交う人々と、どこもかしこも広告だらけの景色。その荒波から避けるように私は改札近くの壁際で立っていた。スマホを点けると、時刻は待ち合わせニ十分前。明らかに早く来すぎた。
 着いたことを連絡すると急かしてしまうかなと思い、とりあえず何も伝えず待つことにした。
 視線を落とし、履いてきたスカートに触れる。今日のために買った、白のフレアスカート。ふわっとした生地とシルエットが前から可愛いと思っていたんだけど、私には似合わないかなってずっと渋っていた。でも彼はロングスカートが好きと知って、勇気を出してみた。スカートなんて普段全く履かないから、少しすうすうして違和感があった。
 かわいいって、思ってくれるかな。
 今になって怖気づきそうになっていると、視界の端で私の前に人影が映る。理央くんかなと思って顔を上げると、そこには全く知らない男性がいた。
「お姉さん、今一人なんですか?」
 急に聞かれ、私は反射的に頷いてしまう。彼は口角を上げ、一歩距離を詰めてきた。
「なら今から一緒にカフェとか行きません?」
「あ、いや、人と待ち合わせをしているので」
「そうなんだ。じゃあそれまでの間で行こうよ。良いでしょ?」
 隣に立ってぐいぐい誘われて、私は俯くことしかできなかった。よくわからないけど、なんか怖い。逃げ出してしまいたいのに、足が全く動いてくれない。
 助けて、理央くん……。
「真帆さん、お待たせ」
 私の名前を呼ぶ、光差すような暖かな声。さっきまで固まって動かなかったのに、前を向き、「理央くん」と気づけば駆け寄っていた。勢い余って彼の胸元で抱き留められると、「大丈夫だよ」と優しく肩を叩かれる。
「知り合い?」
「ううん、知らない人」
 しっかり確認を取ってから、理央くんは男性の方を向く。その時、私を視界から遮るように彼の背へと誘導してくれる。
「すみません、俺の彼女に何か用っすか?」
「あーいや、男いるならもういいんで」
 私といる時とは違う、低く他人行儀な声色。男性はさっさと踵を返し、どこかへ行ってしまった。
「はい、これでもう安心。ごめん、もう少し早く来てれば」
「ううん、私が早く来すぎただけだから」
「でもナンパからすぐ助けられてよかった」
 そう言われてから、あれがナンパだったことに初めて気づく。たしかに駅近くでナンパはよくあることだけど、まさか自分の身に起こるとは。
「ああいう時は無視した方が良いよ。返事するとどんどん話しかけられちゃうし」
「わかった。でも、私なんかがナンパされるとは思わなかったから」
 つい自虐的に言ってしまうと、彼は私の恰好全体に目を通してから、小首を傾げる。
「そう? 今日も服かわいいじゃん」
「あ、ありがと」
 唐突に褒められ、顔が熱くなる。
「スカート着てくるの、たぶん初めて?」
「うん。この前ロングスカート好きって言ってから」
「え、俺のためってこと? 何それめっちゃ嬉しい」
 くしゃっと笑って、目元に皺ができる。私はそれを見て変ににやけてしまい、すぐに顔をそらした。
 可愛いや似合っていると思ってもらえたのは素直に良かったんだけど、まさか言葉にされるとは想像もしなかった。
 褒めてもらえるのって、こんなに嬉しいことなんだ。
 たぶんだけど、私も彼の何かを褒めた方が良いんだろう。
 笑顔が素敵で、服装がおしゃれで、いつも気づかってくれて優しくて。思いが募って、言葉にまで落とし込めるのに、声にすることができない。
 だとすると、こんな風にしっかりと伝えることができるのも、彼の素敵な一面なのかもしれない。
 でも、他の人にも言ってるのかな。
 彼のことだからモテないわけがなく、色々な女性と会っているに決まっている。きっと、多くの人が彼を魅力的に思うはず。
 そんな彼の隣に立つのが、私なんかで果たしてふさわしいのだろうか。
 楽しい時間のはずなのに、雨脚が強まるように暗く沈んでいく。
「飲み物、何追加する?」
 メニューを広げ、彼はこっちの顔を窺っていた。私はハッとして、どれにしようか頭を悩ませる。
「イチゴのサワーとかは? 真帆さん好きそう」
「うん、それにしようかな」
 店員さんを呼んで注文してくれた後、チーズの盛り合わせの残っている分は私のだと教えてくれた。そこで、私だけ全然食べ進んでいないことに気づく。
 駅でナンパから追い払ってくれた後、私たちはイタリアンのレストランに来ていた。前にイタリアンが好きだと話していたのを覚えてくれていて、わざわざ予約までしてくれた。
 おしゃれと言ってもかしこまった雰囲気はなく、ドリンクもサワーやハイボールなど種類が豊富だった。私が甘いお酒しか飲めないことの配慮で、優しいなと心から思う。それなのに、またチクリと胸が痛む。
 注文したドリンクが届き、彼には赤のサングリア、私にはイチゴのサワーがコースターに置かれた。
 一口飲むと、果実が入っているからかイチゴの甘味がしっかりくる。その様子を見て、彼はニコニコと笑みを浮かべていた。
「おいしい?」
「うん、おいしいよ」
 そう答えると、彼はなぜかじっとサワーに目を凝らす。
「イチゴのサワーって飲んだことないや」
「そうなんだ。スイーツ好きだったら、多分好きだと思うよ」
「まじか。一口貰ってもいい?」
「う、うん」
 自然とお願いをする彼に対し、私は少しだけドギマギしてしまう。私が口をつけていたところの反対側から飲む。おいしそうに飲むのかなと思っていたけど、彼は眉間に皺を寄せて変な顔をしていた。
「たしかに甘くてうまいけど、俺は一口でいいかも」
「苦手なの?」
「実は、飲み物だと甘みが強いのは少し」
 意外な一面に驚いていると、どうしてかもう一口飲んでは、また渋い顔をする。意味が分からなくて声を漏らして笑ってしまった。すると、ふっと彼は柔らかく目じりを下げる。
「よかったよかった、笑ってくれて」
 その一言に、私はやっと気づかされる。せっかくおいしいものを食べに来たのに、余計なことばかりが頭でチラついて、全然楽しもうとしていなかった。
 彼が私のために選んでくれたお店なのに、最低だ……。
 何も言えず口をつぐんでいると、彼はコテンと首を倒して目を合わせてくる。拗ねたように、少し唇を尖らせている。
「この店、あんま好みじゃなかった?」
「ううん、すごく良いなって思ってる」
 急いで両手を振って否定すると、「冗談」と彼は囁いて笑みをこぼす。いつもの穏やかさに、意地悪なスパイスが加わり、カクテルみたいな微笑み。こういう笑い方もするんだと、胸のあたりがざわつく。
「ごめん返すね。あ、俺のも飲む?」
 私のイチゴのサワーと一緒に、彼のサングリアも寄せられる。手に取ってみるけど、彼へ目くばせしてしまう。
「サングリアってワインじゃなかったけ?」
「ワインだけど、果物とかも入ってるから少し甘めかな」
 なるほど、それならいけそうだなと思いつつも、ワインという大人なお酒に怖気づきそうになる。
 でも、飲んでみてしまえばおいしいかもしれない。彼から勧められたからか、そんなふうに前向きに思えている自分が少しおかしかった。
 意を決し、一口飲んでみる。ワイン由来のほろ苦さはあるけど、ほとんど果物の甘味。おいしくて、口角が上がっていた。
「おいしい」
「ならよかった。また一緒にイタリアン来た時は頼んでみなよ」
「うん、そうしてみる」
 自分のことでもないのに、新たな発見に彼は笑みをこぼす。普段はそういうことに臆病な私だけど、彼と一緒の時は違う。一歩を踏み出せる。
 彼の眩しさに、私も引っ張られてしまっているんだ。
 お店の滞在可能時間が来て私たちは店を出て、時間も遅いからそろそろ解散かなと思った。でも彼は駅とは反対方向へと歩き出した。
「少しだけ散歩しよ」
 数歩先で振り返り、私の目を見て待つ。私は少しだけ固まって、やや下を向きながら頷いた。