世界は恋に満ちている。
 そう物語に囁きかけられ、まんまと信じて疑わなかったのは、私が少女漫画にハマっていたころ。
 白馬の王子様も、腐れ縁の幼馴染も、隣の席の転校生も、二十歳になる私の世界に訪れることはなかった。
 でもそれは私だけではなく、身近でも同じことが起こっている。
 SNSではクズ男に良いように使われ、友達の彼氏は二股をしていた。それは一部のことで、中には幸せな恋人関係もあるんだろう。
 それでも、私の恋の幻想を壊すには十分だった。
 何より、私はその土俵にすら立っていない。
 そもそも私が全然モテないということもあるけど、女子高と女子大に進んでしまったことが原因なんだろう。
 バイトをしているから男子と関わることはあるのだけど、何せ免疫がないものだから会話もままならない状態。
 はたから見れば、それも言い訳なんだと思う。そんなことは自分でも分かっているけど、現実の異性がわからなくて、怖くて、一歩を踏み出せずにいる。
 そんな私に転機が訪れたのは、友人にとあるアプリを進められたことだった。


 壁には絵画のような装飾がされ、イタリアっぽいBGMが流れる某ファミレスに友人の愛花と来ていた。大学生にはありがたいリーズナブルさで、私はドリアとドリンクバー、あとは二人で食べるようにピザを注文する。
 愛花は大学の同級生かつ、オタク仲間でもあった。私が少女漫画にどっぷり浸かり、それから少年漫画やゲームキャラなどでも推しを作り、こうして集まっては語り合っている。加えてSNSでもトークが続いているのだから、私にとって一番の友達と言って過言ではなかった。
 だから今日もオタ話に花を咲かせるのかなと思い、紅茶を飲んでいると、彼女は「あのさ」と神妙な面持ちでこちらを見てくる。
「実はこの前、デートしてきたんだよね」
 私はコップに口をつけたまま固まり、「え、それは殿方と?」とつい聞き返してしまう。すると彼女は深く頷き、私は気づけば拍手をしていた。
「えっと、何関係で知り合った人なの?」
「えっとですね、マッチングアプリなるものです」
 それから彼女が男性と出会うまでの流れを話してくれた。
 愛花は私と違って彼氏がいたことはあるけど、それも数年前のこと。このまま大学生活を終えてしまうのはまずいと危機感を抱いていたところ、広告のマッチングアプリ、略してマチアプに目が留まったという。
 最初は本当に会えるのか半信半疑だったよう。でもいざ始めてみれば、かなりの人からいいね(このいいねを返せば男性とマッチングして会話ができるシステム)が着て、色々な人と話すことができた。メッセージの時点で変な人もたくさんいたけど、ちゃんとまともな人もいて、かつ会ってみたいと思う人もいた。
 その中の一人が、この前会った男性。
 年齢は二十六歳の男性でけっこう年上だけど、通話してみても話しやすく、趣味も合うことからデートに至ったそう。
 実際会ってみれば、清潔感のある物腰柔らかな人。カフェに行って会話も弾んで、今度会う約束もしている。
「つまり、良い感じというやつですか?」
「はい、けっこう良い感じです」
 お互いなぜか敬語になりつつ、愛花は髪に触れ、照れ臭そうに笑みをこぼす。かなりガチっぽい反応に、つい私も前のめりになってしまう。
「で、今度はどこで会うの?」
「この前は夕方にカフェに行ったから、今度はお酒でも飲みながらって」
「おーいいねぇ」
 デートの経験なんて一ミリもないくせに、それっぽい反応をしてみてしまう。でもそれくらいには、彼女の浮かれ具合が伝染してしまっているんだろう。
 それからどういう服で行くかとか、どんなことを話すべきとか、デートに向けて色々な作戦を練っていく。恋愛ビギナーの私が力になれているかはわからないけど、うまくいってほしいなと心の底から思えた。
 一通り話し終え、一息吐く。すると彼女はこんなことを聞いてくる。
「真帆はさ、なんかそういう話ないの?」
「そういう話とは?」
「もちろん色恋のことだよ」
「……微塵もないけど」
 即得できたのに答えることを躊躇ってしまったのは、話の流れ的に嫌な予感がしているから。
「ならさ、真帆もマチアプ始めてみなよ」
「無理だよ、私には」
 間髪入れずに言うと、彼女は真っ直ぐな眼差しで見てくる。
「そんなのやってみないとわからないよ。これがきっかけで異性への苦手意識も少しは薄れるかもだし」
「うーん、でも……」
 やや俯き、口ごもってしまう。冗談ではなく私を思って言ってくれていることは分かるけど、恋愛未経験の私が気軽に手を出せることではなかった。
 マッチングアプリか。
 実は何度か調べたことがあるけど、交際や結婚まで至った人もいれば、中にはひどい目に合うこともあるとの噂。
 正直そこまで良い印象はない。
 でも、選べるほど私に出会いの場はない。
 それならもう、やけくそになっても良いのかもしれない。