私は小学生の頃から音楽学校に通っていて、ピアノを専攻している。現在も音楽を本気でやっているし、音楽の影響で鬱になることも多々あった。

大学2年生になる前、冬、試験期間。1番誰かに縋りたくなる季節だ。友人もライバルという曖昧な関係だし、出会いも一切なく、何か心の拠り所が欲しいと思い、彼氏を作りたくなった私は、真面目な男性が集う出会い系アプリをインストールした。マッチし易いよう、自己紹介の部分に、某大学名、趣味等を細々と書き込んだ。何人かマッチした方とトークして、その中で1人選んだのは、賢明かつ優しく、チャットのみでも容易に想像できる位、とても素敵な人だった。何週間か、こまめに話し、画面の中だったが、少しずつお互いが分かるようになってきた。褒め言葉も多く、お互いがお互いを尊敬して頑張れる仲になれそう、と舞い上がった。ただ少し、返信が早すぎる事だけに違和感があったが、他は全く気にならなかったので、通話して、相性を確かめるついでに、もっとお互いを深く知ろうということになった。

通話の約束をしたのは18時丁度。私は少し遅くなるだろうと思い、リビングでのんびりしていた。17時59分59秒を過ぎたその瞬間、待ってましたとも言わんばかりに、着信音が鳴った。
相変わらず「こういう所」は鈍感なので、通話を楽しみにしてくれていて、時間にルーズではない人だと思って、とびきりの笑顔で電話に出た。

「もしもし…Kさん、初めまして!」ときちんと名乗り、挨拶した。初めて聞く声は、自分が想像した通りだった。少し低くて、心地よくて、この人と話したら、寝るのも惜しくなるくらい、楽しいんだろう…

「もしもし、Aちゃん。君音大なんだよね?家族構成は?」

一気に切り立った崖から突き落とされた気分になった。電話になるなり、結婚にあたっての個人面接が始まった。

そして私が錯乱している間にどんどん質問責めが始まった。もはや、面接と言うより、事情聴取されている被疑者の気分であった。

気のせいかもしれないが、紙にペンを走らせる音が微かに聞こえた。後ろでもしかして…彼のご両親が聞いていると思ったら目が回って仕方なかった。

聞かれた項目は、主に学歴(両親込)、習い事の有無、趣味、子供、挙式はいつにするか。

最後で目を丸くした、画面の前の貴方の顔が容易く想像できます。実は、自己紹介欄の所に「子供を産みたいか、産みたくないか」を選択するところがあり、私はあまり子供が好きではないし、今妊娠してしまえば、やりたい事や、夢も失うことになってしまう。

以上の理由から、子供の有無欄で「産みたくない」を選択した。

とそのまま、ストレートに彼に話すと「ありえない、2人は産むべき。」と一蹴されてしまった。
妊娠は命懸けだし、この人は何を言っているのだろうと思うと「賢明」「優しい」「素敵」は全部綺麗に散っていた。

チャットしていた頃とは完璧に真逆で「音大ならピアノを弾くだけだから、妊婦でも大丈夫でしょ!」と言われ、ギリギリ繋ぎ止めていた最後の糸は、音を立てて綺麗に切れた。血と汗と涙の壮絶な裏側を知らない私は、酷く大激怒した。

彼はすぐさま上っ面の謝罪はしてくれたものの、「俺が1番偉いんだ」というように、諭してマインドコントロールを試みてきた。

「申し訳なかった、けど実家は太く、親は医者。君の親もきっと喜ぶはずだ。孫の顔は見たいだろうし、女は子供を産む事が、当然だろ?」と言われ、完全に相手のペースに乗せられてしまった。流石に、言われっぱなしは悔しいと思ったので覚悟を決めた。

この人とは2度と喋ることはないし、本当に限界だと思った私は「挙式も無理です。お話しできて楽しかったです。もう寝るので、おやすみなさい」と問答無用で電話を切った。

ここまで来たら、相手も嫌がっていると勘づくであろう。もうチャットは来ないだろうし、これで終わりだろう、と安堵して大の字に寝そべって、1日の締めにはあまりには酷く、そのまま寝てしまった。

次の日は特に何もなかったので、のんびり昼前に起きた。何件か通知が来ていたので、寝ぼけながら携帯を開くと、「昨日は楽しかったね、SNSをフォローしたから、あとで公開にしておいてね」

血の気が引いた。私は今、完全にまな板の上の鯉である。身分を明かしてしまったし、SNSも全てバレてしまっている。これで、学校に迎えに来たらどうしようと考える度、気が狂いそうになった。

チャットのブロック機能を知らなかった私は、とりあえずの未読無視を貫いた。すると、2時間後に「早く返信しろ」という横暴な追いメッセージが返ってきた。

蛇に睨まれた蛙、まな板の上の鯉のハイブリッドで、私はもう限界だった。

既読をつけた瞬間、また、待ってました!と言うように、写真が送られてきた。

結婚届だ。しかも左欄は余すとこなく埋まっている。
役所で貰ったのか、本屋で購入したのかは分からないが、感情が一方的で猪のようであった。

もう一度、冷静になってみて考え、「婚約も出産もできません」と送ると、その日の相手のメッセージはピタっと止んだが、その2日後に、考え直した?という半脅迫メッセージが来た。もう思い詰めるのに疲れた私はAIになった気分で同じ文章を送り続けた。

大事件真っ只中、底がない海に突き落とされた私を、少しずつ沖へ引き上げくれたのは、今現在もお付き合いしている彼であった。モラ男に考え直した?と言われた、すぐ後にメッセージをくれた、青天の霹靂かつ神様のような存在であった。

この一件があって、付き合うキッカケになった。しかも、優しい嘘をついて、逆上しない嘘をつく方法も教えてくれた。更に、この人に会うのは危険だからやめて、僕と会ってみてくださいと言ってくれた謙虚な方だった。

2人で捻り出した答えは、
「政略結婚させられるので、地方へ飛ばされます」
しかもその地方は島のような所で、人が踏み入れないような地であった。最早、島流しの様な感じだ。

最後の手は、何とか上手くいった。
凄い獲物を狩った気分であったし、今現在付き合っている彼もとても喜んでいた。

鯉は調理されることなく、水槽に戻ったし、蛙は池で泳いで楽しんでいる。

めでたし、と言いたいが、この嘘がバレたら私はどんな詰め方をされるか分からない。必ず、変な歩き方をするか、歌を歌いながら、帰り道に10回は後ろを振り向いて帰るようにしている。