次の授業の日は美術室での作業となった。
早速絵の下書きに取りかかるわけだ。
俺の作業は鏡があればどこでも出来るので一応更衣室を使わせてくださいと言っておいた。
生徒はばらけているようで美術室は俺たち以外に数人しかいなかった。
俺が椅子に座り相田は鉛筆を手に見つめてくる。
「先輩はリラックスしてくれていいですから」
そう言われても緊張して固くなってしまう。
相田は少し笑った。
「先輩面白い顔」
「おい」
「すみません」
手を動かしながら相田は言う。
「よかったら喋っていてくれてもいいですよ」
「集中しなくていいのか?」
「先輩の自然体を描きたいので」
キャンバスから顔を上げずに相田は言う。
器用なものだ。
「俺のひとりごとなんですけど」
相田は語りはじめた。
「この傷は小学生のときについたんです。別にケンカとかじゃなくて事故だったんですけれど場所が場所なんでこわがられて。子どもって特にそういうのに敏感なので」
鉛筆を動かす規則的な音だけが聞こえる。その音と同じ淡々とした口調で相田は言う。
「それから、かわいそうなものを見る目で見られて。人と関わるのが面倒くさくなったんです」
相田の瞳は暗かった。
幼心にも他の人が理解できないような苦難があったのだろう。
「……そうか」
「絵を描くことは得意でしたし、気晴らしになりました。でも、人の絵は描けなくなった。だから先輩で描くのが久しぶりなんです」
少し悪戯っぽい顔で笑う。
「上手くなくても怒らないでくださいね」
「怒らないよ。相田が描きたいものを描くのに俺は協力する。そのためのペア講座だろ」
その時、部屋の向こう側から声がかかった。
「やあやあ鶴見、おはよう」
げ、と思う。
「……おはよう、室崎」
クラスメイトの男子、室崎はなぜか俺が気に入っているのかグイグイくるので面倒くさい。いや、わりと誰に対してもこんな調子なのでどこでも面倒くさがられているわけだが。
「なんでお前ここにいるんだよ。写真専門だろ」
「相方が造形担当なもので。そこで作ってます」
「じゃあそっちにいろよ」
「いやあ、ちょっと離れていたほうが集中できると言われてしまいましてね」
嫌われてんじゃねえか。
少し哀れに思って相手してやることにする。
「あー、相田。こいつは俺のクラスメイトの室崎。写真好き。以上」
「どうも」
分厚い眼鏡をクイと上げて村崎は言う。
インテリぽい見た目にひょろりと長い背丈。身長は相田と同じくらいではないだろうか。
痩せ型なので細めの大木といった感じだが。
「……どうも」
無愛想に相田が言う。
室崎は俺と相田を見比べて言う。
「ほうほう。これはなかなか」
なかなかなんだというのだ。
「じゃあ鶴見。手持ち無沙汰同士、お喋りでもしていませんか」
「はー、なんでだよ」
「ダメです」
そのとき会話をぶった斬るように相田が言った。
「相田?」
相田が駅前で見たとき以上の険しい顔をしている。
「邪魔しないでください、先輩は俺のだから」
それから気まずそうに言い直す。
「……俺のペアだから」
俺に近寄ってくると手を取って廊下に出た。
「おやおや」
そう言う室崎の声が聞こえた気がした。
「どうしたんだよ、相田。痛いって」
「……」
相田は廊下をずんずんと無言で進んでいく。
声をかけても俺のほうを見ない。
「相田」
そう言うと相田はやっと振り向いた。
前髪で目線は合わないがなんとなく苛立ちが伝わってくる。
「先輩は俺のペアですよね」
「……?そうだけど」
なに当たり前のこと言ってるんだと思った。
相田は押し殺した声で言う。
「他のやつのこと見ないでください」
一瞬どういうことかわからなかった。
それからははん、と思った。
「やきもちかー?室崎が俺と仲良くしてるから」
茶化すように言ったが相田は強張った表情を崩さない。
俺は掴まれているのと反対の手で相田をペシペシと軽く叩いた。
「冗談冗談。ペアはお前だけだよ。安心しろ」
「……それならいいけど」
やっと相田は俺の手を解放した。
「戻ろうぜ」
美術室に戻るとなぜか室崎がキラキラした目をこちらに向けてきた。
「お帰りなさいませ」
「……お、おう」
なんでそんな口調なんだ。
「いやー青春ですね。素晴らしい」
なぜか鼻の上で眼鏡を上げ下げしている。
「どうした?」
室崎はガッツポーズを作る。
「この室崎、いい画を撮るためには自分が遮蔽物になることも厭いません!」
「なに言ってんのこいつ」
「わかりますよ、二人の世界なんですよね。スイートタイムワールドなんですね」
頷きながらこちらに迫ってくる姿が少しこわい。
「は?」
「今度写真を撮らせてくれませんか。絶対いいのを撮りますので」
「ダメです」
相田が俺の前に出る。
「先輩は忙しいんですから」
「あー二人とも解散解散」
また同じ険悪な雰囲気になりそうだったので二人を引き離す。
「こんなことしてる場合じゃないだろ。室崎も相方のところ帰れ」
「ハッそうでした。じゃまた」
「また来るなよ」
俺が複雑な思いで相田のほうを振り向くとまだ不満そうな顔をしている。
授業の終わりのチャイムが鳴った。
「授業終わったじゃねえか。なんだこの不毛な時間……」
俺ががっくり肩を落とすと相田が言った。
「先輩。作業の続きしますので今日の放課後も時間取れますか」
また放課後か。
まあ特に予定はないからいいけどと思う。
早速絵の下書きに取りかかるわけだ。
俺の作業は鏡があればどこでも出来るので一応更衣室を使わせてくださいと言っておいた。
生徒はばらけているようで美術室は俺たち以外に数人しかいなかった。
俺が椅子に座り相田は鉛筆を手に見つめてくる。
「先輩はリラックスしてくれていいですから」
そう言われても緊張して固くなってしまう。
相田は少し笑った。
「先輩面白い顔」
「おい」
「すみません」
手を動かしながら相田は言う。
「よかったら喋っていてくれてもいいですよ」
「集中しなくていいのか?」
「先輩の自然体を描きたいので」
キャンバスから顔を上げずに相田は言う。
器用なものだ。
「俺のひとりごとなんですけど」
相田は語りはじめた。
「この傷は小学生のときについたんです。別にケンカとかじゃなくて事故だったんですけれど場所が場所なんでこわがられて。子どもって特にそういうのに敏感なので」
鉛筆を動かす規則的な音だけが聞こえる。その音と同じ淡々とした口調で相田は言う。
「それから、かわいそうなものを見る目で見られて。人と関わるのが面倒くさくなったんです」
相田の瞳は暗かった。
幼心にも他の人が理解できないような苦難があったのだろう。
「……そうか」
「絵を描くことは得意でしたし、気晴らしになりました。でも、人の絵は描けなくなった。だから先輩で描くのが久しぶりなんです」
少し悪戯っぽい顔で笑う。
「上手くなくても怒らないでくださいね」
「怒らないよ。相田が描きたいものを描くのに俺は協力する。そのためのペア講座だろ」
その時、部屋の向こう側から声がかかった。
「やあやあ鶴見、おはよう」
げ、と思う。
「……おはよう、室崎」
クラスメイトの男子、室崎はなぜか俺が気に入っているのかグイグイくるので面倒くさい。いや、わりと誰に対してもこんな調子なのでどこでも面倒くさがられているわけだが。
「なんでお前ここにいるんだよ。写真専門だろ」
「相方が造形担当なもので。そこで作ってます」
「じゃあそっちにいろよ」
「いやあ、ちょっと離れていたほうが集中できると言われてしまいましてね」
嫌われてんじゃねえか。
少し哀れに思って相手してやることにする。
「あー、相田。こいつは俺のクラスメイトの室崎。写真好き。以上」
「どうも」
分厚い眼鏡をクイと上げて村崎は言う。
インテリぽい見た目にひょろりと長い背丈。身長は相田と同じくらいではないだろうか。
痩せ型なので細めの大木といった感じだが。
「……どうも」
無愛想に相田が言う。
室崎は俺と相田を見比べて言う。
「ほうほう。これはなかなか」
なかなかなんだというのだ。
「じゃあ鶴見。手持ち無沙汰同士、お喋りでもしていませんか」
「はー、なんでだよ」
「ダメです」
そのとき会話をぶった斬るように相田が言った。
「相田?」
相田が駅前で見たとき以上の険しい顔をしている。
「邪魔しないでください、先輩は俺のだから」
それから気まずそうに言い直す。
「……俺のペアだから」
俺に近寄ってくると手を取って廊下に出た。
「おやおや」
そう言う室崎の声が聞こえた気がした。
「どうしたんだよ、相田。痛いって」
「……」
相田は廊下をずんずんと無言で進んでいく。
声をかけても俺のほうを見ない。
「相田」
そう言うと相田はやっと振り向いた。
前髪で目線は合わないがなんとなく苛立ちが伝わってくる。
「先輩は俺のペアですよね」
「……?そうだけど」
なに当たり前のこと言ってるんだと思った。
相田は押し殺した声で言う。
「他のやつのこと見ないでください」
一瞬どういうことかわからなかった。
それからははん、と思った。
「やきもちかー?室崎が俺と仲良くしてるから」
茶化すように言ったが相田は強張った表情を崩さない。
俺は掴まれているのと反対の手で相田をペシペシと軽く叩いた。
「冗談冗談。ペアはお前だけだよ。安心しろ」
「……それならいいけど」
やっと相田は俺の手を解放した。
「戻ろうぜ」
美術室に戻るとなぜか室崎がキラキラした目をこちらに向けてきた。
「お帰りなさいませ」
「……お、おう」
なんでそんな口調なんだ。
「いやー青春ですね。素晴らしい」
なぜか鼻の上で眼鏡を上げ下げしている。
「どうした?」
室崎はガッツポーズを作る。
「この室崎、いい画を撮るためには自分が遮蔽物になることも厭いません!」
「なに言ってんのこいつ」
「わかりますよ、二人の世界なんですよね。スイートタイムワールドなんですね」
頷きながらこちらに迫ってくる姿が少しこわい。
「は?」
「今度写真を撮らせてくれませんか。絶対いいのを撮りますので」
「ダメです」
相田が俺の前に出る。
「先輩は忙しいんですから」
「あー二人とも解散解散」
また同じ険悪な雰囲気になりそうだったので二人を引き離す。
「こんなことしてる場合じゃないだろ。室崎も相方のところ帰れ」
「ハッそうでした。じゃまた」
「また来るなよ」
俺が複雑な思いで相田のほうを振り向くとまだ不満そうな顔をしている。
授業の終わりのチャイムが鳴った。
「授業終わったじゃねえか。なんだこの不毛な時間……」
俺ががっくり肩を落とすと相田が言った。
「先輩。作業の続きしますので今日の放課後も時間取れますか」
また放課後か。
まあ特に予定はないからいいけどと思う。
