一晩たつと悠介の機嫌はすっかり治ったようで、翌朝何食わぬ顔で彩人のことを家まで迎えに来た。
 彩人と悠介は別のクラスだ。しかし何も示し合わせなくても、放課後になれば悠介は部員でもないのに文芸部の部室にやってくる。
 ありきたりな、でも有限な日常。変わり映えしない日々は、その終わりの時までずっと続くと思っていたのだが。
「あー!」               
「うわ、びっくりした。水瀬どうした?」
「彩人、急にどうしたの?」
 悠介と犬井が同時に首を傾げ――、悠介は大
人気なくぷいっとそっぽを向いた。
「今、月波が新作更新した!」
 スマホを見て叫ぶと、隣にいた犬井が手元を覗き込んできた。正面の悠介もスマホを操りながら反対の手には苺牛乳のパックを持ち、ストローを咥えたまま眉間に皺を寄せる。
「たった今、最新話が更新されたんだ」
「ずっとチェックしてたんだ……水瀬は本当にファンなんだな」
 犬井がやや引いた様子で彩人のスマホ画面を見つめている。
「自分のスマホで見たらいいんじゃないの?」
「あ、確かにそうだわ」
 悠介が吐き捨てるので、犬井は肩をすくめてポケットからスマホを取り出した。眼鏡の奥で細められた悠介の目がいつになく険しい。
変わり映えしなかったはずの放課後の日常は、透明な水に一滴だけ絵の具を垂らしたように、わずかにしかし確実に変化した。
とりあえず、悠介のことは放っておこう。どうせまた、拗ねるだけ拗ねて明日になれば機嫌が戻るだろうし。そうだ、家に帰ったあとあいつの好きなパフェでも作ってやろう。チョコアイスもバナナも確かあったはずだ。
気を取り直して推し作家の最新先に目を通す。冒頭の導入の上手さにすぐに物語に没入した。ファンタジー設定の多い月波の作品には珍く現代日本が舞台の高校生の恋愛物だった。
「ラノベ以外も書きたくなったのかな」
ぶつぶつと呟きながら読み進める。至って普通のリアリティのある高校生活がみずみずしい書き口で描かれていて、覆面作家の月波が本当が本当に高校生であることが急に実感として湧いた。特に教室の様子や友達とのやりとりは、まるで目の前でVRを見ているかのように想像できる。
主人公が放課後に自販機で買ったアイスを新聞部の部室で食べる場面で、どこの高校生も同じなんだなと納得しかけたところで――はたと考えこんだ。
「アイスの自販機って、どこの高校にでもあるもんじゃないよなあ?」
 最後は二人に向かって問いかけた。
「え……、そうなの?」
「どこにでもあるもんじゃないの?」
 二人の声がシンクロする。
「他の高校で聞いたことないけど。確かOB会の寄付で設置されたって言ってたような」
 以前は高校の近くにコンビニがなく、購買が閉まった部活帰りにお腹を空かせる学生が多かったらしい。卒業生たっての希望で飲料だけではなくアイスの自販機が設置され、それがコンビニが出来た今も残っている。
 首を捻りながら先を読み進め、彩人は目をみはった。
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蒼汰は右手にアイスコーヒー、左手にバニラアイスを持っている。それを交互に口にするのを見て、あゆ子は顔を顰めた。
「ちょっと、お行儀悪いんじゃない?」
「なんで? いいじゃん。こうすればお手軽にコーヒーフロート錬成出来るんだよ。試してみる?」
 おそるおそる、ペットボトルとアイスを受け取る。口の中でコーヒーとアイスが蕩ける。
「な、美味しいだろ」
 バニラアイスの甘味は一瞬で溶けて消えた。
初恋がレモンの味だなんて嘘だ。甘さなんて本当に一掬いだけで、きっと苦いばかりのはずだ。この、コーヒーフロートと一緒で。
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「コーヒーフロート……」
 画面から顔を上げる。
確か昨日。そうだ、ちょうどこの部室だった。悠介が同じようなことをしていた。片手にバニラアイス、反対の手にメロンソーダ。そして確か、それを見た犬井が、コーヒーフロートがいいと確か言った。
 おそるおそる顔を上げると、犬井とぱちりと目が合った。
 あの場にいたのは、彩人と悠介、そして犬井。
 彩人と犬井を除外すると、まさか犬井が月波はるか? でもそういうことなら納得だ。学校の描写がやたらリアルに想像できるのは、同じ学校に通っているからだ。
 本当に月波なのか。なんで文芸部に入ったのか。湧き上がる疑問と、憧れと、そして嫉妬と羨望で頭がぐるぐる回り、しかし問いただす裕紀もない。驚きのあまり呆然としてしまい、気が付いた時には家に帰りついていた。