帰りのホームルームを終え教科書をスクールバッグに突っ込むと、まっすぐに部室に向かう。校内は二週間後に控えた文化祭に向けていて、廊下や教室のそこかしこでパネルや展示物を作ったりダンスの練習をしている生徒がいる。ばたばたと慌ただしく行き来する生徒達は、皆一様にイベントへの期待に満ちたいきいきとした表情をしていた。
「ねえ、文芸部は何かやらないの?」
 動きがトロいお古のパソコンに向かいイライラとキーボードを叩いていると、パソコンの向こうからメロンソーダを飲みながら悠介がひょいと顔を出した。
「やらない」
「部誌を発行して配布する予定よ」
 彩人のかわりに田崎が答える。 
「文化祭のテーマ『百花繚乱』にあった書き下ろしを水瀬君にもお願いしていたでしょう?」
「雷撃大賞の締め切り前です。部誌にはNFファンタジーの落選作を寄稿します。今は時間が惜しいので」
「部員獲得がかかっているのよ?」
田崎がきりきりと目を吊り上げた。文学少女のコスプレが台無しだ。言わないけど。
「悪あがきしたって無駄です。それに、どうせ部誌なんて誰も読まないんだから」
「俺は読むよ?」
「はいはい。月森君は水瀬君の熱烈な大ファン第一号だもんね」
 開け放った窓の向こうからは、流行のアイドルソングと生徒の歓声が聞こえてくる。きっと出し物の練習だろう。
「今年は俺と一緒に文化祭回ろうよ。きっと楽しいと思うよ」
「いい。一人で回れよ。俺は図書館に籠る予定だから」
「雷撃大賞の追い込みだから?」
「そう。分かってるなら聞くな。俺は目先のイベントを楽しむより、自分の公募のほうが大事なんだ」
「行ってあげなさいよ。月森君が健気過ぎて泣けてくるわ。太宰治も月波はるかも一緒に文化祭回ってくれないのよ?」
 拗ねて頬を膨らませる悠介と、それをかばう田崎にイラついてエンターキーを強く叩いた時。
 がらりと部室の引き戸が開いた。
「すみません、二年七組の犬井二郎、入部希望です!」
 一見文芸部とは全く縁が無さそうな――、まさに陽キャとしか表現しようのない制服を着崩して茶髪に染めた男子生徒が立っていた。

「えーっと、七組の犬井だっけ? 本当に入部するの?」
「おう! もちろん」 
彩人が尋ねると、机越しに向かいあった犬井は勢いよく頷いた。
部室に招き入れた途端、犬井は興奮気味に彩人に詰め寄ってきた。なんとか落ち着かせて座らせものの、頬を上気させて彩人のことを見つめてくる。こんな陽キャが一体どうして廃部寸前の文芸部にと首を傾げていると、田崎が机の上の入部届を横からひらりとかすめ取った。
「歓迎するわ。でも、どうしてこんな中途半端な時期なのかしら」
「俺、水瀬の小説が好きなんだ!」
 犬井が机に澪乗り出す。彩人は反射的にのけ反った。
「……え?」
「俺もノベスタ!でWEB小説をアップしてる
んだけどさ。すごく俺好みのラノベを書く作家がいて密かに注目してたんだよね。そいつ、色んな公募にも出しているみたいでいつも一次選考通過に名前が残っていてさー」
「はあ」
「それが今日、実は文芸部の水瀬だって聞いてさ! 驚いたのなんのって」
 彩人は中学生の時から小説を書いていることを公言しているし、ペンネームを知っているクラスメイトもいるので、犬井の耳に入るのも別におかしなことではない。
「それはどうも。でも、別に一次通過じゃ何の自慢にもならないんだけど」
「そんなことない!」
 犬井が彩人の手をがしりと掴む。
「俺感動してさぁ。ほら、女子高生が宇宙人と一緒に悪徳宗教団体と戦う、『屋根の上に宇宙からの使者が舞い降りたので、宗教団体の魔のの手から地球を守ります~でも三分で帰るなんて聞いてない~』とか」
「本当に?」
 何度も頷く犬井に、おそるおそる尋ねる。
「どうだった?」
「控えめに言ってサイコーだった」
 犬井が恍惚の表情でため息をついた。
「あれって、ミラクルマンがモチーフになってるんですよね? ニチアサのようなヒーロー物の爽快さの中に日本語表現特有の美しさが光って、まるで文豪が書いたラノベのような、独特の重厚感を感じてとても読み応えがあったと思うよ」
「ありがとう」
 犬井の手をがしりと掴む。感極まって彩人はその手をぶんぶんと振った。
「まさにそれを狙っているんだ。俺は太宰が好きで、でも読み物としての現代のラノベが好きなんだ。だから太宰がもし現代の高校生に生まれ変わったらっていうコンセプトで小説を書いてる」
「すごくオリジナリティがあるよな」
 田崎は入部届をファイリングしながら、興奮気味に話す彩人と犬井のことを呆れた様子で眺めている。
置いてきぼりを食らった悠介は面白くなさそうにスマホをいじっていたが、いつまでたっても二人の会話が終わらないのを悟ると、自販機でアイスを買って戻って来た。
「水瀬は太宰の他には誰が好き?」
「たくさんいるけれど。ラノベなら今一番好きなのは月波かな」
「え、ガチで?」
「うん。今ノベスタ!で連載している剣道部の話は、今までとは違う現代の高校生の話で面白いし」
「へえ、なんか嬉しいな。水瀬が月波好きって言ってくれるの」
 犬井がほうっと息をついたのを見て、彩人は首を傾げた。
「なんで、犬井が嬉しいんだ?」
 今の犬井の言い方は、まるで自分の身内が褒められたような口ぶりだった。実は知り合いなのだろうか。月波はるかは高校生であることを公表しているので、犬井が知り合いである可能性も十分にある。
「ん? 好きな人に好きなものを好きって認めてもらえて嬉しいって話」
「はあ?」
「推しと交わる世界線サイコーだわ」
 いや、意味が分からない。首を傾げたところで、
「ねえ、締め切りは大丈夫なの?」
 突然悠介が口を挟んだ。左手にメロンソーダ、右手にバニラアイスバーを持ち交互に口に運んでいる。
「いや、お手軽にクリームソーダを錬成するなよ」
「いいじゃん、サイコー。月森だっけ? お前天才だなー」
 悠介の眉間にわずかに皺が寄る。彩人は内心おや?と首を傾げる。
「俺も今度コーヒーでやってみようかな。コーヒーフロート」
 持ち前の陽気さ(だと思う)で呑気に笑う犬井を、悠介は冷たく一瞥する。しかし何も言わずに彩人に視線を戻した。
「今度こそ、新人賞獲ってデビューするんでしょ。文化祭回る暇もないんじゃなかったの」
「え、まあ」
 いつもは眼鏡の奥でふにゃりと笑っている目が、珍しく不機嫌そうに眇められている。温厚な性格で、さらには彩人全肯定の悠介がこんなに突っかかってくるのは珍しい。
「水瀬、文化祭行こうぜ!。経験はなんでも創作の糧って言うじゃんか。きっと月波はるかだってそうしてるし。それに! おれは水瀬が書く学園物も見てみたいんだ」
「学園物か……」
 犬井の言葉に素直に頷くと、悠介が勢いよく立ち上がった。パイプ椅子ががたんと後ろに倒れる。
「帰ろう、彩人」
 長袖のワイシャツの上から手首を掴まれる。長い指が張りのある布越しに食い込んだ。
「……悠介?」
「月森君? 急にどうしたんだっ」
 それには返事をせずに、悠介は机に広げていた彩人のノートをスクールバッグに乱雑に突っ込んだ。田崎が目を丸くしている。
「帰ろう。原稿なら家でも出来るでしょ」
パソコンの電源を落とし、部室の外に飛び出した。ずんずん前を歩く背中を必死に追い掛ける。彩人の腕に食い込む指は骨ばっていて力強くて触れている部分からじゅわりと溶けてしまいそうなほど熱い。いつの間に大人の男の手になったんだろう。あんなに小さくて頼りなく、彩人に縋りついていたの
くそ、振りほどけない。それを彩人は、悠介の馬鹿力のせいにすることにした。