放課後の部室。壁一面に設置された本棚には歴代の部員が持ち込んだ小説や今までに発行した部誌が並び、背表紙には夕陽で影が落ちる。   
淡く照らされた悠介の横顔を彩人(あやと)は固唾を飲んでじっと見つめていた。
「どうかな。今回の作品は一般受けを目指してみたんだけど」
「うん。もうちょっとで読み終わるから、ちょっと待って」
ダブルクリップでまとめたコピー用紙に目を落としたまま悠介(ゆうすけ)が返事をする。色の白い肌はオレンジ色に染まり、長い指がページを繰る度に、色素の薄いくせ毛が揺れて茶色に透ける。
「うん、面白かったよ」
 悠介が最後のページを読み終わり髪の束を机に置くと、彩人は待っていましたとばかりに詰め寄った。
「本当に? 今度こそは雷撃文庫大賞の受賞を目指して、レーベルカラーにあわせて十代の若者に受けるようなポップで展開の早い話にしてみたんだ」
「うん面白かったんだけど……」
「けど?」
「しいていえば、読めない漢字が多すぎるかな。高校生にはちょっと難しいかも」
「嘘だろ。俺は読める字しか使ってないのに。どれが読めて読めないのか基準が分かんねえ」
「彩人は自分の語彙力を高校生の基準だと思ったらいけないと思う」
「だって、悠介は読めるだろ?」
「俺は特別。彩人の小説が大好きだから。彩人の書くもので読めない字は一つとしてないようにしておきたいんだ」
 悠介が眼鏡の奥で目を細めてふにゃりと笑った。くそ、恥ずかしいことをくそ真面目にさらりと言いやがって。彩人はさっと視線を逸らした。
「そうよ。月森(つきもり)君の言うとおり。水瀬君の小説はストーリーは悪くないけれど、難解な言葉が多すぎて読者に優しくないのよ」
三年の先輩の田崎(たさき)がおさげ髪を揺らして言う。しまった、他に人がいることをすっかり忘れていた。
「そんなの分かってます。(あぐ)むほど今まで言われてきましたから」
「ほら。倦むとか普通使わないから。耳にタコぐらいにしときなさいよ」
「太宰の小説では出てきます」
「あなたが目指しているのは、ラノベの公募で芥川賞ではないでしょう」
「太宰は芥川賞はとってないです」
水瀬彩人(みなせあやと)は、文芸部に所属する高校二年生だ。文芸部といっても部員は二年の彩人と三年の田崎のたった二人、今年は新入部員はおらず彩人が卒業すると廃部の危機に陥ることになる。
さっきから隣でふわふわと笑っている月森悠介(つきもりゆうすけ)は、彩人の幼馴染でクラスメイトだ。文芸部に所属しているわけではないのに、いつもこうやって文芸部の部室に入り浸っている。
「憧れるのはいいけど、現代向けの小説ではないんじゃないかしら」
「俺は、月波はるかのようなラノベの娯楽性とキャッチーさを損なわずにまるで文豪のような重厚な表現も取り入れた読み応えのあるラノベが書きたいんです」
「月波はるか好きよね。でも、確かにおもしろいけれど、覆面現役高校生作家ってことでちょっと持ち上げられすぎじゃないかしら」
「そんなことは……! おれは月波の躍動感のあるポップなストーリーの中に忍ばせてある鋭くて重厚な日本語表現が……!」
「はいはい、分かりました。どちらにしても、公募をめざすんなら真似をするだけじゃ上手くいかないんじゃないと思うだけよ。じゃあ、私先に帰るから戸締りよろしくね」
自分だって、文学少女のコスプレなんて言いながら伊達メガネとおさげを貫いてるくせに――と後ろ姿に向かって心の中だけで反論する。田崎はああ見えてティーン向けの恋愛小説で常にWEB小説投稿サイトの上位にランクインし賞をとったこともある実力者なので、無冠の彩人は何も反論出来ない。
「俺は彩人の小説面白いと思うよ。その、月波はるかって奴なんかよりもずっと」
「うそっぽい……」
「彩人の小説はいつもヒーロー物が多いよね? 俺は彩人の書く学園物とか恋愛ものとかも、俺は読んでみたいなあ」
「却下。俺は臨場感あふれるアクションシーンやヒーローやヒールの繊細な心情を描きたいのであって、学園とか恋愛とかそんな生温いのは書きたくないんだ」
悠介から原稿を引ったくり鞄に突っ込んだ。
昼と夜のはざまにある通学路を悠介と並んで歩く。長かった今年の夏が終わり、ようやく本格的な秋が来たかと思ったら速足で過ぎ去ろうとしており、合服の長袖シャツ一枚では夕方は肌寒さを感じる。家から近いと言うだけで選んだ高校は自宅から徒歩圏内にあり、幼馴染の悠介の家は彩人の向かいにある。
「今日の夕飯、うちに食べに来ない? 母さんが誘えって。おばさん、夜勤って言ってたよね」
「コンビニで買ってくるからいい」
「今日の夕飯、から揚げだよ?」
「ぐ」
 から揚げを出すのは卑怯だ。から揚げにひれ伏さない男子高校生がいたら見てみたい。
「行く」
 彩人が食いつくと、悠介は見下ろして嬉しそうに笑った。中学生の時はまさにどんぐりの背比べで目線はほとんど同じだったのに。恨めしく見上げると、悠介がこてんと首を傾げた。
高校生になってからあっというまに身長が伸びて、今となっては一六五センチの彩人よりも悠介は十五センチ以上高い。相変わらず体の線は細くて頼りないが、柔和な顔立ちは笑うと目が三日月のように細くなりまるで人懐こい柴犬のような愛嬌がある。なんてことないシンプルなメタルフレームの眼鏡のせいか、彩人ではなく悠介のほうが文芸部員だと思われることも多い。
「ん? から揚げだけじゃ足りない?」
「違う」
 彩人ははあと大きくため息をつくと、頭をがりがりと掻いた。
 真っ黒で癖のない髪、睨んでいると勘違いされる鋭い一重の目、薄く真っ直ぐに引いた唇。彩人と悠介は何もかも違うのに、出会ってか約十年こうやって毎日ずっと一緒にいる。
アスファルトの上に二人分の影が伸びる。オレンジと黒の縞模様はまるで昼と夜の境界が溶けたようだった。