『静かな波が、私の心に勇気をくれる!海の歌声が私を導いてくれる!アクアマリンの輝きで、世界を守る!』
キラキラと光輝く演出と可愛らしく飾られた小指のネイル。
女の子らしいフワフワの衣装に身を包み、キラキラ光るシャボン玉と可愛らしいマスコットキャラ。
テレビの向こう側に映し出された水色のショートカットの女の子が、変身を終えてポーズを取っている。
よくある朝の変身モノの魔法少女が、悪の組織と戦うやつ。
最近では小さなお友だちから大きなお友だちまで、大変人気な幼女番組だ。
別に観るつもりなんて全然なかった。
日曜日の朝だから、適当にチャンネルを変えながら見ていたテレビで、偶然写っただけの番組だ。
アニメになんて興味はあんまりない。
漫画は読むけど、そこまでハマるものなんてなかった。
それなのに、気付けば最後までかぶり付く様に見ていた。
『負けない!絶対!絶対、本当の自分になるんだ!本物の自分になるんだ!』
ボロボロになりながらも何度も立ち上がり、今にも泣き出しそうなのに、強い眼差しで相手を見つめ続ける。
そんな彼女から、オレは目が離せなかった。
主人公じゃないのに……
主人公を引き立てる脇役のくせに……
「オレも、本当の自分になれるのかな……」
無意識に本音が口から零れ落ちた。
別に、今の自分が偽物ってわけじゃない。
でも、あの子が輝いて見えた。
あの子みたいに、オレもなりたいって、なぜか思ってしまったんだ……
◇ ◇ ◇
「ウミちゃん、こっち視線くださ~い」
「目線コッチにもオネシャス!」
「ウミちゃん可愛い~。スカートもっと上げて~」
朝の幼女番組で人気のある魔法少女の衣装に身を包み、相棒の小さなイルカみたいなマスコットキャラを肩に乗せ、お手製のステッキを片手にポーズを取る。
右手の小指を立て、唇に当てる定番のポーズを撮るとおっさんたちから「カワイイ」と称賛の声が聞こえてくる。
当然だ。何度も研究した。
どういう表情をすれば、よりマリリンに近づけるのか……
メイクだっていっぱい試した。
マリリンみたいに大きくパッチリした目になりたくて、二重テープとかマスカラとか、付け睫毛にだって挑戦した。
だから、この称賛の声はオレにとってはご褒美だ。
でも、まだ何か違う……まだ、マリリンになりきれてない。
あのキラキラした彼女に、オレはまだ全然近づけてない気がする。
「あ、アノ子が最近ちょ~っと人気になってる女装レイヤー君?ん~ちっこいし、まぁまぁ可愛いんじゃない?」
「え~、そう?だって男の子だよ?マリリンだって全然ちがーう」
同じアニメのコスプレをしている子たちからは、悪意のある声がチラホラ聞こえてくる。
本心を言うと、一緒に併せの撮影をお願いしたいけど、オレが声を掛けたところで嫌な顔をされるのはわかっている。
コスプレ始めたての頃は、それでも勇気を出して声を掛けに行ったっけ……
結局引き攣った笑みを向けられたり、女装はちょっと……って、距離を取られたけど……
女装じゃなくて、男装だったら少しは対応が違ったのかもしれない。
でも、オレが好きになったキャラクターはこのキャラだから……
だから、構って貰うためだけに好きでもないキャラクターのコスプレをしたくはない。
彼女たちから視線を外し、できるだけマリリンっぽい笑みを作って写真を撮ってくれる人たちの方を見る。
半円のサークル状を囲んでいる人の殆どが大きなレンズを付けた一眼レフカメラを構えており、どこの野鳥を撮影しているんだろうと思うくらいだ。
少し手を伸ばせば、下手したら指がレンズに当ってしまうかもしれない。
「望遠レンズなんかでどこ撮ってるんだよ……」
誰にも聞こえないくらいの小さな声でポツリと毒を吐くも、表面上は笑顔を壊さない。
こんなこと、誰かに聞かれたら一発で某掲示板に晒されるんだろうな……
そんなことを考えながらも、大好きな魔法少女のポーズをどんどん取っていき、その度にシャッターの音が激しく聴こえる。
誰にも知られたくない、オレの秘密。
大好きなアニメのコスプレをして、沢山の人に撮影して貰う。
本当のオレがどんなのかなんて、ココにいる人たちは知ることなんてない。
ただ、可愛い格好をした、女装レイヤーのオレだけを見ている。
「もうすぐ着替えなきゃいけないので、カウント入りまーす」
通常よりも高めの裏声を使って、撮影してくれている人たちに宣言する。
「3……2……1……」
カウントの数字を口にする度、さっきよりも激しいシャッター音が鳴り響く。
「ありがとーございましたぁー」
ペコリをお辞儀をすると、さっきまでのシャッター音は鳴りをひそめ、ガヤガヤとサークルも解散されていく。
「ふぅ……今日もいっぱい撮影して貰って疲れたぁ~」
頬を両手のひらで包み、軽くマッサージをする。
ずっと笑顔を作り続けていたせいで、表情筋が凝り固まっている。
「ウミちゃん、今日のマリリンも最高に可愛かったよぉ~。あ、アフターどうする?」
前回のイベントからなぜか執拗にDMなどを送ってくるカメコ。
今日のイベントだって、参加表明は出していたけど、一緒に参加するなんて一言も言っていないのに、更衣室を出たところからべったりと付いて来やがった。
「ウミちゃんのマリリンがやっぱり一番可愛いねぇ~。ほら見てよ、あそこのマリリン。マリリンはあんな派手色じゃないし、スカートも短すぎ。あ、ウミちゃんは脚が綺麗だからもっと出してもいいんだよ」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら、オレの脚を撫でようとしてきたのを華麗に避ける。
「ありがとうございますぅ、あ、ワタシそろそろ着替えなきゃだから。またお会いした時はよろしくお願いしますっ!」
笑顔でお礼を口にし、逃げる様に荷物を抱えてその場を立ち去った。
撮影してくれるカメラマンさんたちはいい人もいれば、さっきのカメコみたいな勘違い野郎もいる。
別に、他の人に迷惑をかけていなければ、同じ作品のキャラクターを好きな同志だって話なんだけど……
「どうせ、オレが今、可愛い女の子の格好をしているから優しくしてくれてるだけだろ……。女装だってわかったら、何をされるかわからない。それに……」
本当のオレを見たら……幻滅されるに決まってる。
溜息と共に鏡を見て化粧が崩れていないかを確認する。
先日新しく買ったファンデーションはイイ感じだ。
ちょっとアイシャドウがちょっと濃い気がするけど、ウィッグを被っているから濃い目じゃないと目が小さく見えてしまう。
でも、マリリンで濃い目のメイクっていうのが解釈違いなんだよな……
自分のメイクに納得がいかず、不満気な顔をしながら更衣室に早歩きで向かう。
男子更衣室だから、別に混雑しているわけじゃないけれど、あのカメコが追って来ていたら色々と面倒だからできるだけ見つからずに帰りたい。
「えっと、更衣室は……あっちだったよな」
早歩きで更衣室へ向かっていると、いきなり背後から腕を掴まれ、軽くツンのめってしまう。
「うわっ!えっ、なにっ!?」
「まじ☆プリのマリリン!」
腕を掴まれたことと興奮したような声でキャラ名を叫ばれたことに驚き、つい目をまん丸くしてしまう。
「ヤバいっ!今まで見たマリリンのなかで一番理想的だ!まさか俺のマリリンが実在するなんて!」
ひとりで勝手に興奮している輩を恐る恐る振り返ると、明るい金髪が印象的な背の高い男が立っていた。
耳にゴツいピアスを付け、下唇の下の真ん中にもピアスを付けたゴツい目の人。
切れ長の三白眼は見ようによってはイケメンに見えるけど、どちらかというと怖い印象の方が強い、
ぶっちゃけ言うと、どこからどう見てもヤンキーかチンピラにしか見えない。
でも、オレは彼を知っている。
いや、知り合いとか友だちでは決してない。
そもそも友だちなんてもの、いたことないし……
ただ、こんな場所に絶対いないはずの彼が、どうしてここに居るのか理解できなかった。
「えっと……ご、ごめんなさい!あの……もう、着替えなきゃだからっ!」
出来るだけ声でバレないように裏声を出し、掴まれた腕を振り切って顔を隠しながら走って逃げた。
後ろで何か言ってる声は聞こえたけど、そんなの気にしている余裕なんてオレにはなかった。
とにかく、今はバレないように逃げなきゃって考えでいっぱいだったから……
◇ ◇ ◇
昨日はコスプレイベントから帰ってからは泥のように眠った。
本当は取って貰った写真も確認したかったし、SNSのチェックもしたかった。
イベント終了直前に鉢合わせしてしまった彼のせいで、精神的に疲れてしまって、気付けば布団の中でぐっすり……
連日の寝不足もあったせいか、たっぷり寝れたお陰で、イベント翌日なのに肌の調子がいい。
でも、今日だけは真面目に学校に来たのを後悔した。
いや、学校に来るのは当然だと思ってるし、仮病を使って休むのは母さんに心配をかけてしまうからできるだけしたくない。
でも、今日くらいは本当に休めばよかったと、心の底から後悔している。
なんか、さっきからずっと視線を感じる気がする……
別にイジメとかではない。
オレはクラスの人気者ってわけじゃないし、だからといってイジメの対象でもない。
どこにでもいる平凡な陰キャであり、モブ的扱いだ。
それなのに、今日は珍しく朝から出席していたヤンキーこと【広瀬 雄大】にずっと見られているような気がしていた。
ま、まさかオレが女装コスプレイヤーのウミってバレたんじゃ……
って、そんなことないか。
今のオレはマリリンに変身している時のオレと同一人物なんて誰も思わないだろう。
こっちのオレは、黒髪のチビで無表情で、面白みもなければ社交性もない、2次元への憧れをこじらせたただの根暗なオタクでしかないんだから……
そんなオレと女装コスプレイヤーでちょっとだけ人気のウミが同一人物なんてわかる人、絶対に居るはずがない。
窓際の後ろから2番目の席でボーっと眠たい授業を聞きながら、昨晩できなかったひとり反省会を心の中で始める。
やっぱり刺繍できるようになりたいなぁ~。既製品加工だとやっぱり限界があると思う。
できるだけ原作に忠実そうなのを選んでるけど、そうなると届くのに時間もかかるし、写真と現物違った時のダメージデカいもんなぁ……
でも、一から手作りなんてオレに出来る気がしない。
既製品加工はなんとかできるようになったけど、布から服を作り出すなんて、オレにはまだ難易度が高すぎる……
ってか、型紙とか全然どれを選べばいいのかすらわからない。
コスプレイヤー用の雑誌に載っていた簡単な衣装の作り方を読んだけど、書いてることが一切わからなかった。
なんであの型紙でコレができんの?
魔法?魔法なら、一瞬で衣装ができてくれたらいいのに……
あと、イベント行くときの移動とか荷物とかも多くて重いし、衣装増えたら部屋が狭くなるし……
魔法で全部解決できたらいいのに……
まぁ、魔法少女でもそれは無理っぽいから、夢の話しだけど……
こういう時、衣装について相談できるレイヤーの友だちがいたらいいんだけど……まぁ、元のオレがコレだから無理な話か……
前の席から回って来たプリントをチラッと見て、小さく溜息が漏れる。
現実は冴えないただの男子高校生。
今はオフの姿として、真面目に勉学に励むか……勉強キライだけど……
再度溜息を漏らしながら残り1枚になったプリントを後ろに渡した瞬間、プリントではなく、オレの手首をガシッと掴まれてしまい、心臓が飛び出そうなくらい驚いた。
「ッ!ぇっ、な……なに?」
いきなりのこと過ぎて、つい変な声が出てしまう。
慌てて振り返ると、そこには今一番会いたくない人物がオレの手を凝視する様に睨み付けていた。
「オイ、お前……名前教えろ」
「は?え?」
「名前、教えろって言ってるんだ」
明るい茶色の三白眼でギロッと下から睨み上げるように見られ、背筋に冷たい汗かツゥーっと落ちるのを感じる。
「……な、七瀬 海……」
多分、表情は青褪めてしまっているんだと思う。
名前を口にしたものの、震えてしまって声が掠れてしまった。
「七瀬、海……後で話がある。逃げんなよ」
ピアスを付けた口の端がニヤリと吊り上がるのを見て、血の気が引くのを感じる。
あ……オレの学校生活、終了したかも……
あれ?今まで平穏な陰キャとして過ごしてきたのに、ヤンキーのイジメの対象に選ばれたとか?
マジで勘弁して欲しい!それとも、別の理由?
黒板に板書していた先生がチラッとこちらを見るも、「授業中だぞ、静かにしろ―」と、適当な注意を言うだけで何事もなかったかのように授業が再開されてしまう。
いやいや、先生もっとちゃんと注意しろよ!って、文句を言いたいけど、先生たちにもビビられている学校最強のヤンキーに注意できる人はいないと思う。
その後の授業は、ちゃんと聞いているはずなのに何も頭に入って来なかった。
◇ ◇ ◇
「おい、七瀬 海、俺は逃げんなって言ったよな?」
オレは今、学校最強のヤンキーに誰もいない廊下で、少女漫画なら一度は憧れる壁ドンをされている。
漫画やアニメなら、ここから始まる恋もあるかもしれない。
強面だけどイケメンの分類である広瀬は、隠れファンが結構いるらしい。
なに?ヤンキーブーム?オレには関係ないので、今すぐ解放してください。
いやマジで……オレ、なんかした?
「コレ、同じネイルだよな?」
目の前で見せつけられたスマホには、とあるアカウントが表示されていた。
可愛らしい水色のショートカットの女の子の恰好をした子が、プルンとした唇に可愛らしい水色のネイルを施した小指を添えて笑顔で写っている。
それは、オレにとってはよく知ったアカウントであり、同じ学校の人間には絶対にバレたくないアカウントだった。
「な……ち、ちがっ……」
「お前がこのウミってヤツだったなんて驚きだな。ネイルを見るまで同一人物だとは一切思わなかったぜ」
メディア欄に映し出された何枚ものコスプレ写真をスライドしてどんどん見せてくる。
昨日のイベントでの自撮り写真やそれまで参加してきたイベントでの写真、あと宅コスで練習している写真をワザとゆっくりと見せつけてくる。
オレがコスプレをしていることがバレていただけでなく、コスプレアカウントまでバレてしまったことに目の前が暗くなるのを感じる。
「――ッ!!が、学校の……みんなには……」
辺りを見渡し、誰もいないことを確認しながら必死に涙目で哀願すると、ニヤリと笑みを浮かべ顔が近づけられる。
獰猛な肉食獣が獲物を見つけたような視線に、憐れな草食獣のようにふるふると震えてしまう。
「いいぜ、内緒にしてやるよ。俺の言うこと聞いてくれたらな」
耳元で囁かれた言葉に恐怖でブルッと身震いする。
一瞬希望が見えるも、次に言われた言葉で絶望に落とされる。
どうしよう……誰かに助けを求めなきゃ……でも、誰に?
オレのことを助けてくれるような友人なんていない。
ましてや、コスプレをしてることをバラされたら……もう、学校に来れなくなる……
「今日の放課後、ココに来い。あの衣装を忘れず持って来いよ」
どこかの住所が書かれたメモを渡され、誰にも見られないように上着のポケットに突っ込こまれる。
「約束、忘れんなよ?」
どこか嬉しそうな広瀬の声が、魔王のささやきのようだった。
どうしよう……逃げられない。
やっと、自分らしく居られる世界ができたのに……
マリリンなら……こんな時どうしていただろう?
第7話のマリリンの葛藤のシーンが脳裏をよぎり、強く拳を握り締める。
一回だけ……この一回だけ広瀬を信じてみよう。
「大丈夫、悪者にもいい奴はいるはず……」
唇を噛み締め、気持ちを押し殺す。
大丈夫、オレはマリリンみたいに強くなれる。
◇ ◇ ◇
渡されたメモの場所に行くと、何の変哲もないただのマンションの一室だった。
表札には【広瀬】と彼の名前が書かれていたから、多分家で間違いないだろう。
チャイムを鳴らそうとした瞬間、勝手に扉が開き、いきなり腕を引っ張られて中に引き込まれる。
いきなりのこと過ぎて、声すら出すことができなかった。
辺りを警戒する様に見渡した後、すぐに扉を閉められてしまい、逃げることも出来ない。
ヤバイ、失敗したかも……
部屋に行ったらカメラとかあって、知らない男の人数人が出てくるやつ?
なんだっけ、同人誌とかであった脅迫はされてAV撮られて、バラされたくなかったらもっと稼いで金を払えとか言われるヤツ?
その為に衣装持ってこいとか言ったのか?
サイテー!オレの憧れが詰まったマリリンを汚すなんて、本当に最低だ!
こんなヤツ、ちょっとでも悪い奴じゃないって思うんじゃなった!
「ちゃんと衣装は持ってきたか?こっちの部屋使っていいから。着替え終わったらこっちの部屋に来て」
指差されたのは洗面所だった。
確かに、メイクをしたり着替えたりする時に大きめの鏡があるのは助かる。
けど、いきなり連れ込まれてさっさとコスプレに着替えろってどういう了見なんだよ!
やっぱり、オレが思っていた通り、これからAVでも撮られるんだ……
キッと広瀬を睨み付けて文句を言ってやろうと思ったが、広瀬の三白眼が俺のことをジッと睨み付けるように見下ろしてくるから何も言うことなんてできなかった。
パタンと洗面所の扉を閉め、ひとりきりになると涙が溢れ出しそうになる。
「ちくしょー……マリリン、ごめん……」
悔しさから学校のリュックをボカボカと殴るも、ここから逃げ出すことはできない。
逃げるためにはここから出なきゃいけないし、でも、ここは広瀬の家だ。
「……オレだって男だ!マリリンの恰好がどれだけ似合ってたって男なんだ!絶対、処女だけは守ってやる……」
キッと鏡に映った自分の顔を睨み付け、強く決意する。
ガチャッと音を立てて、最初に指示された部屋へと足を踏み入れる。
今のオレの姿は、【まじかる☆プリティエンジャル】のメインキャラのひとり、マリリンの衣装を身にまとっている。
水色のショートボブに水色と白を基調としたセーラータイプの服、短めのスタートはふんだんに白色のレースがあしらわれている。
スカートの下には水色のカボチャパンツを穿き、水色のリボンがいっぱいついたニーハイの靴下が特徴的だ。
ボーイッシュなイメージのあるキャラだが、誰よりも女の子らしく強くて可愛いオレの憧れの姿。
そんな姿を、こんなヤツの目に晒すのは本当に屈辱的でしかない。
部屋を見渡すと、撮影機材や他の仲間はいないようだった。
目的は何なんだよ。金か?この姿を写真に撮って今後も脅してくるって言うのか?
「……マリリン……ホンモノだ」
オレの姿を見た広瀬は、驚きから目を見開き、いきなり立ち上がってオレの方に震えながら近寄って来た。
「……マリリンが……っ!俺の推しが会いに来てくれた!!」
いきなりオレの足元にしゃがみ込み、うれし泣きする180cm越えのヤンキー。
「ありがとう!ありがとう、ジャストマイエンジェル!」
いきなり大声で感謝の叫びをあげ、泣き出したヤンキーにオレはどうすることも出来なかった。
「……え?どういう、状況なんだよ、これ……」
さっきまで何をされるのかわからない恐怖と苛立ちが嘘のように凪ぎ、チベットスナギツネの様な表情で案内されたソファーに座って彼の隣で【まじかる☆プリティエンジャル】のBlu-rayを鑑賞している。
「マリリンが……、マリリンとまじ☆プリを観れる日がくるなんて……夢みたいだ……」
『マリリン☆地球を守って♡』と書かれたうちわを片手に本当に幸せそうな笑みを浮かべるヤンキー。
いや、気持ちはわかるよ。
オレもマリリンのこと大好きだし、憧れだから……
ってか、この地区最強のヤンキーって言われてる広瀬が、まじ☆プリオタクなんて誰が想像できるよ……
「な、えっと、広瀬……くんは、いつからファンなの?」
ついコスプレをしているせいかキャラになりきってマリリンっぽくしゃべってしまった。
「……マリリンが現実に存在してる。やっぱり、俺のマリリンだったんだ……」
涙を流しながら感動してるところ申し訳ないけど、ちょっとキモイ……
「ウミちゃんのことは、SNSでマリリンのコスプレしてる人を検索しまくっていた時に偶然見つけたんだ。俺の理想そのもののマリリンが現実世界にいるってわかった時は嬉しかったなぁ~」
広瀬が自分のスマホを眺めながらうっとりと話しているけど、ソレ、オレがSNSに上げている画像じゃね?何勝手に保存してんだよ。
「昨日もウミがあっこのイベントに参加する。って書いてたから、もしかしたら生マリリンと一緒に写真撮れるかもって行ってみた。リアルで見たらマジで可愛くてつい腕掴んじまって悪かったな……」
申し訳なさそうに眉を下げて謝ってくる広瀬に開いた口がふさがらない。
「ホント、ウミのマリリンは完璧だった。完全にマリリンだった」
オレの頬をそっと撫でながら、しみじみと言ってくる広瀬に鳥肌が止まらない。
文句を言おうとした瞬間、パッと手が離れ目の前でパチンと手が合わさって謝られる。
「あ、わりぃ……俺がマリリンを好きになったのは、俺の……」
「「「ただいまぁ~!」」」
広瀬が何かを言おうとした瞬間、玄関の方から元気な声が複数聞こえると同時に、バタバタと賑やかな足音と楽しそうな声が聞こえて来た。
「腹へった~!」
「おやつおやつ」
「バナナはおやつに含まれません!」
勢いよくリビングの扉が開けられたせいでバタンッと大きな音が響き渡ると同時に同じ顔をした男の子たちがなだれ込んできた。
「あ!ゆうにぃが女の子連れこんでる!」
「ゆうにぃ!彼女なんていないって言ってたのに!」
「ゆうにぃ!顔こわいからおどしたんじゃねーの」
明るい茶色の髪をした広瀬そっくりの小学3年生くらいの男の子が3人が好き勝手に話しかけてくる。
「ちび共うるせぇ!」
広瀬が眉間に皺を寄せながら怒鳴るも、キャッキャッと楽し気に笑うだけで気にした様子は一切ない。
「イチャつくなら部屋いけよ~」
「オレらが帰って来るの忘れんなよ~」
「彼女さん、ゆうにぃをよろしくお願いします」
勢いよく話してくる少年たちにオレはポカーンとしてしまい、思考が追い付かない。
そんな3人の後ろから隠れるようにちょろちょろと出て来た黒髪を肩よりちょっと下まで伸ばした、小さな女の子。
女の子と目がバチッと合った瞬間、驚いた表情を浮かべると同時にぱぁーっと明るい笑顔を浮かべ、誰よりも大きな声を出した。
「マリリンだ!」
◇ ◇ ◇
オレの方にテチテチを歩み寄り、嬉しそうに抱き着いてくる5歳くらいの女の子。
「どうちたの?フォレスは?サニーもくる?」
目をキラキラ輝かせながら問われると、子供番組をメインに活動するレイヤー魂に火が付く。
「えっと、フォレスとサニーは今日はお休みなんだ。わたしは雄大くんのお願いを叶えに来たんだよ」
女の子に視線を合わせるようにしゃがみ込み、小首を傾げながらしっかり目を見て応える。
幼女の夢を壊してはいけない。
コレは、子供番組をメインに活動するレイヤーにとって暗黙のルールとなっている。
一番はしゃべらないことが良いらしいけど、この状況ではそれは無理!
オレにできるのはできるだけマリリンっぽい声で、マリリンの口調で話すことだけ。
極力会話を減らしたいけど、ムリだろうなぁ……
「しょうなの?みきね、サニーが一番しゅきなの!ゆぅにぃちゃはマリリンがしゅきだからきたの?」
純粋無垢な目で見つめられると心が浄化される。
いや、そこのヤンキー、決してお前のことではない。
なにちびっこと同じキラキラした目でオレのことを見てるんだ。
「えっと……うん、そうだよ」
ホントはその雄大くんに脅されて無理矢理連れて来られたんだよ。なーんて、そんなこと子どもには絶対言えない。
それは本人もわかっているはずなのに、なに嬉しそうな顔してんだそこのヤンキー。
みきちゃんにはバレないようにまたチベットスナギツネのような虚無顔で見つめていると、オレの視線にやっと気付いたのか苦笑を漏らしていた。
「オイ、ちび共、帰ってきてすぐに手洗いうがいはしたのか?」
腕を組み、少しだけ怒った顔で弟たちに声を掛ける。
「あ、やべっ」
「まだだった!」
「おやつナシになる!」
遊び始めようとしていた三つ子だったが、広瀬に言われてワタワタと慌てだす。
「すぐ洗ってくる!」
「ちゃんと歯磨きもする!」
「みき、にぃちゃんたちと行こ~」
妹であるみきちゃんを、三つ子のひとりが抱えて洗面所に走って行った。
子どもたちが去った後、盛大なため息を漏らし、前髪をクシャッと書き上げる広瀬。
「わりぃ……ついテンション上がっちまって、ちび共が帰って来る時間を確認してなかった」
困ったような表情を浮かべる広瀬になぜかドキッとする。
普段学校で見る姿とも、噂で聞いていたこの学校最強のヤンキーとしての姿とも全然違う。
まぁ、まさかあんな限界オタクだとは思わなかったけど……
でも、さっきからオレが見ている姿が広瀬の本当の姿なら……ちょっとだけ好感が持てるかもしれない……
だって、オレにとって初めてできる同志だから……
ずっとコス友を作ってみたかった。
コスプレしなくても、好きな作品、好きなキャラを語ることのできる友だちが欲しかった。
「あ、そうだ!今のうちに着替えて……」
「マリリン、みきとおやついっしょしよ?」
広瀬が着替えるタイミングを作ってくれたのに、それよりも早くちびっ子たちは手洗いうがいを済ませ、嬉々として戻ってきていた。
みきちゃんに手を引かれ、居間にあるテーブルに連れて行かれる。
困惑気味に辺りをキョロキョロしていると、三つ子とみきちゃんがオレの周りに集まってきて、ちょこんと座った。
「なぁ、まじ☆プリのみんな以外は来ないのか?」
三つ子のひとりが目をキラキラと輝かせながら問うてきた。
「オレ、ボクトウジャーが好き!」
「俺はカイジュー仮面!」
「おれ、暴れたりん将軍かなぁ~」
少年たちが好きな作品の名前を言ってくるけど、待て。ひとり時代劇じゃん。
しかもソレ?確かに昨今では変身モノの番組ともコラボしたり、映画にも出てたけど、そこ?
「みきはね~、サニーがいちばんしゅき!」
オレの膝の上にちょこんと座り、おやつを頬張っている少女につい口元が緩んでしまう。
「お、俺はマリリンが一番好きだ!」
なぜか弟たちに混じって少し顔を赤らめながら主張してきた。
おい、そこのヤンキー……なに当然みたいに一緒におやつ食ってんだよ。
「「「ゆうにぃ、キモイ……」」」
三つ子がジト目で同時に言うから、ついオレも噴き出してしまった。
弟に辛辣な言葉を言われた広瀬が学校最強のヤンキーだと言われているのがウソみたいだ。
本気でショックを受けているようにしょんぼりと落ち込んでいる。
「コラコラ、みんな、そんなこと言っちゃダメだよ」
両手の人差し指を立て、口の前でバッテンをして子どもたちをいさめると、元気よく「は~い」とお返事をしていた。
素直で大変いい子たちである。
そんなこんなで、ついつい長居してしまった。
夕飯も食べて行けって言われたけど、衣装が汚れるのは正直勘弁して欲しいから辞退した。
ってか、オレはコスプレしていることを学校でバラされたくないから、口止めとして来ただけであって、決して広瀬 雄大とは仲が良いわけじゃない!
「これで約束は守ったんだから、オレの秘密をバラすのは止めてくれるんだよな」
衣装の上からコートをすっぽりと羽織り、傍目からはコスプレ衣装を着ているのがバレないようにする。
「着替え、させてやれなくてわりぃな……。その格好で帰るの寒くないか?」
オレの会話を一切聞いていない様子の広瀬。
「別に……真冬のイベントとかもあるし、コート着てるから平気」
不満気に顔を背けてそれだけ言って帰ろうとした瞬間、耳元を撫でるように急に手が伸びて来た。
「ッ!な、なに?」
「んぁ?あぁ、ごみ……付いてた。今日はサンキュー。また明日な」
多分さっき子どもたちと食べたおやつのお煎餅らしいのを取ったかと思うと、不意にフッと笑みを浮かべて挨拶してきた。
「……う、うん……」
逃げように広瀬の家のマンションから走った。
さっきから、心臓がバクバクとうるさい。
さっき、すこしだけ当たった耳が焼けたみたいに熱い。
今日初めてしゃべったはずなのに、今日一日で広瀬の色んな顔を見たせいだ。
『恋する気持ちは、魔法でも止められないんだよ』
まじ☆プリでサニーである陽葵が恋をした時に言われていたセリフが頭の中をグルグルする。
「違う!違う!違う!ぜーったい、違う!」
自分の気持ちを否定する様に、冬の寒空にオレの声が響き渡った。
◇ ◇ ◇
昨日は、結局あまり寝れなかった。
別に衣装を作ってたり、アニメを見たりしてたからじゃない。
いや、結局色々考えこんじゃって寝れないからって、【まじ☆プリ】の1話から見直してしまったんだけど……
原因はそれじゃない。
教室の机でうつ伏せになってボーっと黒板を眺める。
まだ朝礼は始まっていないから、こんな状態でも怒られることはない。
友だちが居たら話しかけられるんだろうけど、そこまで仲の良い相手なんてオレには居ないから、いつも通りっちゃいつも通りだ。
当然、後ろの席のヤツはまだ来ていない。
昨日、朝礼に出ていたこと自体が珍しいわけで、広瀬が遅刻魔なのは周知の事実だ。
「お、広瀬珍しく連チャンで来てるじゃん」
「は~、マジ珍しいな。雨降らすなよ~」
「え?雪降るなら明日にしてくれ!今日の放課後デートすっから」
一部の男子生徒が騒いでいるのを聞いて、広瀬が来たのを察する。
でも、オレはなぜか顔を上げること自体できなかった。
今、アイツの顔を見たところでどんな顔をしろって言うんだよ……
「七瀬、はよ」
うつ伏せになっているオレの頭をぽんっと優しく撫で、そのまま何事もなかったように後ろの席に着く広瀬。
ただ頭をひと撫でされただけなのに、昨日と同じくらい心臓がドキドキする。
今、絶対耳まで真っ赤になってる自覚がある。
こんな状態で、顔なんて上げれるわけない。
「……ぉはよ」
消え入りそうな声で、たった一言挨拶するのが精いっぱいだった。
そんなオレを見て、広瀬がどんな顔をしていたのかなんてわからない。
でも、前と違って広瀬はオレのことを見てくれている気がする。
「……なぁ、またうち来ねー?ちび共も会いたがってるから」
授業中だっていうのに、誰にも聞こえないような小さな声で、話しかけてくる。
時々、背中を突かれたり、消しゴムや小さな紙のゴミが机の上に飛んでくる。
紙には『マリリンの話ししようぜ』『もっと話したい』『今日も来ないか?』って、どこの小学生の女子なんだってことが書かれていた。
「小テストすっから回せ~。それ終ったら今日の授業は終わりだから、ちゃんとしろよー。オイ、広瀬、お前名前だけ書いて終わるなよ!」
理科の担当教師が冗談交じりに声を掛けるも、広瀬は中指を立てて舌をべぇ~っと出すだけだった。
広瀬 雄大という人間は、学校ではいつもこうだ。
ヤンチャっぽいクラスメイトには人気で、ヤンキーのくせに教師とはそこそこ仲が良い。
オレみたいな陰キャにとっては怖いだけの存在だったのに……
「なぁ、七瀬……今日も来いよ」
誰にも聞こえないくらいの小声がオレの後ろから聞こえる。
「放課後、相談したいこともあっから」
小テストを後ろに回した瞬間、手を握られボソッと耳元で囁かれる。
慌てて手を引っ込めて広瀬を睨み付けるも、フッと余裕のある笑みを浮かべるだけでオレのことなんて怖がってもいない。
アイツに触れられた部分が熱くて、さっきからドキドキが止まらない。
10分間の小テストのはずなのに、頭の中は広瀬のことでいっぱいで、問題が何も入って来ない。
全部、全部、広瀬のせいだ。
広瀬のせいで、さっき覚えたばかりの授業の内容は一気に飛んでしまった。
当然、小テストはボロボロで、先生にはお小言を貰うことになってしまった。
◇ ◇ ◇
「は?広瀬が、コスプレ衣装作れるか?って?」
今日も今日とて、なぜかマリリンのコスプレ姿で広瀬の家にお邪魔してしまっている。
そんなオレが素っ頓狂な声を上げたのは、当然原因はその本人である広瀬だ。
いや、別に広瀬のためにマリリンのコスプレをしているわけでは決してない。
自分の納得のいくメイクを練習する為であって、決して広瀬のためではない。
今は、ちびっ子たちはまだ帰ってきていないのか、家の中にはオレと広瀬の二人きりだ。
当然のように、【まじかる☆プリティエンジャル】のアニメを二人で仲良く鑑賞している。
「行け!マリリン!あ、そうそう。俺でも七瀬みたいに服って作れるのか?やっぱ難しいよなぁ……」
盛大な溜息と共に諦めの言葉を口にする広瀬をポカーンと見つめていると、何を思ったのか急に焦り出した。
「あっ!俺が女装するとかじゃねーから!マリリンは好きだし、マリリンの想い人であるケンタが羨ましいのは確かにあるけど、ちげぇーから!」
いきなりこいつは何を言いだすんだ?
当然だろ?
マリリンはケンタに恋をしているのが一番可愛い。まぁ、そのケンタはサニーである陽葵を好きになるんだけど……
幼女向けの魔法少女のアニメなのに、なかなかに切ない話が多いせいか、大人にも実は大人気なのがこの作品だ。
「みきがもうすぐ誕生日だからよ……せっかくなら、サニーの変身した時のヤツをプレゼントしたいと思ってな……。ただ、市販のだとサイズがデカいのと金がなぁ……」
後頭部をガシガシと掻きながら、困ったような顔をする広瀬に納得する。
確かに、市販で子ども用の変身セットは売っている。
でも、サイズが微妙だったり、クオリティがイマイチってのは確かにある。
広瀬の妹であるみきちゃんとは昨日で十分仲良くなったから、サイズ感とかはよくわかる。
5歳だと聞いていたけど、身長も体格も小柄なことから、市販で売っている衣装だとブカブカな気がする。
「みきちゃん、小柄だもんな……」
オレの言葉を聞いて、いきなり両手を握って来た広瀬。
「頼む!みきのためにサニーの変身したヤツを作るの手伝ってくれないか?」
真剣な表情で頼み込んでくる広瀬に胸がドキッとする。
一から衣装を作るのは、今のオレでは難しい。
でも、広瀬の気持ちはすっごくわかる。
昨日のみきちゃんの様子を見て、どれだけサニーが好きなのかは十分わかった。
……オレに、子ども用の変身衣装なんて作れるのか?布から?型紙を引いて?
……絶対無理だ。
でも……広瀬の真剣な願いを無碍にするのはなんかヤダな……
「うぅ……わ……わかった、から……手、離せよ」
さっきからドキドキし過ぎていて、手からこのドキドキが広瀬に伝わらないか不安になる。
「マジか!サンキュー!」
嬉しそうな笑みを浮かべる広瀬にキュンッてするのは、勘違いだと思いたい。
別に、これは広瀬が同じ【まじ☆プリ】ファンの同志で、今後も色々と語り合えるのが嬉しいからであって……決して、恋なんかじゃない!
「あ、ちび共には内緒にしといてくれよ。バレたらうるせぇから……」
みきちゃんへのプレゼントが決まったおかげか、無邪気な笑みを浮かべる広瀬がちょっと可愛く見えてしかたない。
つい先日までは怖くてしかたなかったのに……
まさか、本当にコレが恋とかいうやつ?
は?いやいやいや絶対違うから!
でも……この笑顔を知っているのは、学校でもオレ、だけなんだよな……
「わかったから……。とりあえず、市販のワンピースを加工してサニーの衣装にしよう。えっと、レースとかは買い足さなきゃだけど、オレが持ってるの持ってくるから」
まともに広瀬の顔を見れなくて、フイっと顔を背けながら言うと、頬にチュッと何かが当る。
「サンキュー。マリリン、やっぱり最高に可愛いな」
頬に触れるだけのキスをされたとわかった時には、意識が飛ぶかと思った。
でも、そっか……
広瀬がこんな笑顔を見せてくれるのは、オレにじゃない。
【まじかる☆プリティエンジャル】のマリリンに向かって、この笑顔は向けられているんだ……
◇ ◇ ◇
みきちゃんの誕生日プレゼントをサプライズで作るべく、放課後はこうやって広瀬の家にお邪魔するのが習慣になって来た。
「なぁ、着替え終わ……」
オレの新衣装を見た瞬間、広瀬の表情は固まり、ダバーっと涙が流れ落ちる。
「マリリンの日常服!殺す気か!(最高)」
両膝と両手を付いて感極まった状態の広瀬を無視して居間に向かう。
もう何度も訪れているせいか、勝手知ったる広瀬の家だ。
「なぁ、ここに置いてあるお茶を持って行ったらいいのか?」
テーブルに用意されていたお茶の入ったポットとマグカップが2つ。
それと、小腹の足しになる用のお菓子が少し入ったお皿が用意されていた。
最初は居間で衣装を作っていたんだけど、ちびっ子たちが帰って来た時に慌てて隠すのが大変だという問題が発生し、最近は広瀬の部屋で2人で篭っている。
べ、別に……広瀬の部屋に入れるのが嬉しいってわけじゃないから……
でも、「部屋に誰か呼んだのなんて小学校以来かもな」って、ちょっと照れた笑みを浮かべながら言われた時は、心臓が止まるかと思った。
だから、今日の新衣装はその時の仕返し。
まぁ、変身した魔女っ娘衣装だと身動きがとりにくいっていうのもあるけど、帰りがちょっと恥ずかしいのもある。
日常服である、制服姿ならスカートだけどひらひらのレースとかが付いているわけじゃないから安心♪
これなら、万が一警察に声を掛けられてもなんとか誤魔化せる気がする。
今のところ、一度も声なんてかけられたことなんてないけど……
「ほら、雄大くん。サニーの服、早く仕上げよ?」
振り合えり様、右手の小指を唇に当てながらウィンクして、広瀬に声を掛けると、壁に盛大に頭を打ち付けていた。
「マジでかわいい……可愛すぎて死にそう」
馬鹿なことを言っているヤンキーに向かって、チベットスナギツネのような視線を送る。
「……ホントに学校最強のヤンキーって噂の広瀬 雄大と同一人物なのか、未だに不安になる……。実は双子の弟だったりする?」
「んなわけねぇーだろ」
拗ねたように唇を尖らしながら文句を言ってきた広瀬に笑みが零れる。
「えぇ~、ホントに~?まぁ、オレは今の雄大の方が好きだけどな」
ニっと笑みを浮かべ、クルッと方向転換してさっさと広瀬の部屋に入る。
どさくさに紛れてコッソリ告白してしまった!
ヤバい、めっちゃ顔熱い!
「あぁ~、日常服のマリリンが俺の部屋にいるのマジでヤバイ……」
当の本人は、アニメのキャラが自室にいる姿に見悶えており、オレが言った告白なんて全く聞いていない様子だった。
ズキリと胸が微かに痛む。
マリリンはずっと憧れの女の子だ。
オレの憧れが詰まった可愛い女の子だ。
それなのに、好きな人のライバルがマリリンなんて……全然勝てる気がしない。
◇ ◇ ◇
「できたー!」
広瀬の末っ子の妹であるみきちゃんの誕生日前日。
やっとみきちゃんのために、広瀬とコツコツ作り続けていた衣装が完成した。
市販の変身キットだと生地が硬かったりするから、市販のTシャツを改造して作ってみた。
スカートにも沢山のリボンとフリル、オーカンジーを使って、ふわふわに作ったから通常よりも豪華だ。
黒のスパッツは持ってるのを使って貰えれば大丈夫。
「うんうん、いい出来だと思う!みきちゃん喜んでくれるといいな~」
出来上がった衣装を見て、満足気に頷いていると、不意にギュッと抱きしめられた。
「海ホントにサンキュー!」
嬉しそうに笑う広瀬に、つい笑みが零れてしまう。
「なぁ、サニーにはまだ1番大切な小物があるんじゃね?」
「え?あっ!?ヤバっ!マジで忘れてた!えっ!?今から準備して間に合うのか?」
焦り出す広瀬を見てクスッと笑う。
オレはずっと気付いてたけど、あえて広瀬には指摘しなかったパーツがひとつだけある。
プリティエンジェルのリーダーであるサニーは明るいピンク色の髪をツインテールにしているキャラだ。
ツインテールには、トレードマークであるオレンジ色の大きなリボンを付けている。
最初に広瀬がツインテールの存在を忘れていることに気付いた時、すぐに教えてやろうと思ったけど、思い直した。
みきちゃんの髪は伸ばしているといっても、肩に着く程度だ。
一応ツインテールはできると思うけど、トレードマークのリボンを着けてしまうと、せっかくのツインテールも隠れてしまう。
せっかく広瀬がこんなに頑張って作ったんだから、みきちゃんにはとびっきりの笑顔を広瀬には見せてやって欲しい。
そんな理由で、オレは広瀬にも秘密でとあるものを用意してみた。
サニーのトレードマークであるオレンジ色の大きなリボンが付いた髪留め。
ウィッグを被るのは子どもにはむずかしいだろうから、ピンクの三つ編みとリボンをトレードマークのリボンに縫い付け、髪飾りを付けるだけでツインテールっぽく見えるようにしてみた。
「じゃじゃーん!オレからのみきちゃんへのプレゼント」
こんな時に何言ってんだ?って表情を浮かべる広瀬に、カバンにこっそりと隠していた紙袋を取り出して渡す。
明らかに不満そうな表情だった広瀬が、オレの渡した紙袋の中身を確認した瞬間、目を大きく見開き、何度もオレの顔と紙袋の中身を交互に見てくる。
「広瀬が頑張ってたから、オレもみきちゃんに喜んで欲しくて、色々考えてみた」
ブイっとピースした手を広瀬に突き出すと、その手をガッと両手で握られる。
「……海、マジでサンキュー。ホント、お前って最高のマリリンだぜっ!」
切れ長の目の端に涙を溜め、本当に嬉しそうに笑う広瀬。
この笑顔を見たかったから、オレはサプライズでコレを用意したんだ。
ほぼ毎日、広瀬の家に来て衣装づくりの手伝いをしてたから、いつの間に苗字じゃなくて名前で呼んでくれるようになった。
でも、オレの名前は『海』じゃない。
『海』は、オレのコスプレネームで、マリリンの変身前の姿の名前だ。
だから……本当のオレのことは、一度も呼んで貰えていない……
「広瀬、お疲れ様。あ~、これでオレもやっとコスイベ参加に復帰できる!」
ぐぅーっと腕を天井に伸ばし、伸びをして広瀬から離れる。
多分、もうここに来ることはないから、今日が最後になると思う。
そう思うと、胸がギュッと締め付けられて、涙が零れ落ちそうになった。
「あぁ……悪かったな、色々付き合わせちまって……。でも、俺はお前と一緒にいるの楽しかったぜ?」
ニッコリと笑みを向けてくる広瀬に、なんとか笑顔を作って向き直る。
「オレも……楽しかった。みきちゃん、喜んでくれるといいな」
「喜ぶに決まってる!俺だってこんなの貰ったら嬉しいからな!」
出来上がった衣装を見て、何度も嬉しそうな声を上げる広瀬を見て、フッと笑みが溢れる。
オレの仕事はここで終わり。
持ってきていた荷物を片付け、コートを羽織って帰り支度を済ませる。
「じゃあ、な……」
寂しいって気持ちに蓋をして、いつもと変わらない様子で広瀬の家を後にした。
広瀬も、いつも通りの笑顔だったから、これで本当に最後なんだって実感が全然わかなかった。
1ヶ月……。
たった、1ヶ月だったけど、広瀬の色んな顔を見れた気がする。
でも、元々オレと広瀬では、生きてる世界が違ったんだ。
何かの間違いで、ほんの少しだけ一緒にいることができただけで……
ホントに、ほんと……楽しかった、な……
◇ ◇ ◇
翌朝、オレは1ヶ月ぶりのコスプレイベントにいつも通りひとりで参加していた。
朝起きた時は、酷い顔過ぎて行くのを躊躇ってしまったけど、気分転換をするならイベントに行くのが1番だと思って……
「ウミちゃん久しぶりだね~。どうしたの?あ、後半はマリリンの通常服だっけ?楽しみにしてたんだよね~。ボクがマリリンの通常服好きだから頑張ってくれたのかな?今日はイベントの後に個撮でもする?ウミちゃんのマリリンを隅から隅まで、余すところなく撮ってあげるよぉ~」
この気持ち悪いカメコと会ってしまうのも1ヶ月ぶりだ……
なんか、バージョンアップしてる気がして、気持ち悪さに拍車がかかってる気がする……
「それとも、今からホテルで撮影しちゃう?明るいうちから撮る方が、ウミちゃんの大切なところもちゃんと見えそうだもんね」
耳元で囁かれる変態的な言葉も、生温い吐息が首にかかるのも、掴まれた腕も……
全部が全部、気持ち悪すぎて鳥肌が立つ。
「ッ!?ヤ、やめっ……スタッフ、呼びますよ」
キッと変態カメコを睨み付けるも、身を捩りながら嬉しそうにニヤニヤ微笑まれるだけで、話しを全く聞いていない。
「ウミちゃんは恥ずかしがり屋だなぁ~。まぁ、ボクはウミちゃんの専属カメラマンだし?恋人だからね♪可愛い彼女を大切にするのは当然でしょ♪」
誰がお前なんかの恋人だ!専属のカメラマンなんてなって貰ったことなんてない!
ってか、名前もハンドルネームも知らない相手なのに、ベタベタしてくんなっ!
言いたいことはいっぱいある。
でも、ここは一般の人もたくさんいるイベントだ。
子どもたちだっている。
それなのに、マリリンの格好で男である地声を出すことについ抵抗感を覚えてしまう。
「ウミちゃん、照れてるの?可愛いなぁ~。ほら、早く撮影しに行こう」
勝手に人の予定を決め、恋人のように肩を抱き寄せられた瞬間気持ち悪くて吐き気がした。
叫びたいのに声が出なくて、突き放したいのに震えて腕に力も入らない。
「あり?ウミちゃんどうしたのかな~?気分でも悪くなった?イベントは今日は止めて、ボクとホテルでお休みしよっか」
嫌なのに手を振りほどくことすら出来ず、その場でしゃがみ込んでしまう。
助けて欲しいのに、オレのことなんて誰も助けてくれない……
「ウミちゃん大丈夫?あ、ボクが触ったから感じちゃった?えっちな子だねウミちゃんは~。じゃあ、早くホテルにでも行こうか」
オレの意思なんで全く確認するつもりもなく、腕を引いて立たせようとしてくる変態カメコ。
オレにできる抵抗は、ただこのまましゃがみ込んで動かないことだけで精一杯だった。
「……ゆぅ、だい……たす、け……」
ギュッと目を瞑って、脳裏に浮かんだ広瀬の名前を口にする。
今日は、みきちゃんの誕生日だから、広瀬がココに居ることなんてないのに……
でも、助けて欲しいのは……側にいて欲しいのは……
「イテテテテッ、何をするんだ!」
変態カメコが急に悲鳴を上げると同時に、オレの腕を掴んでいた手が離れる。
慌てて距離を取るように離れ、ギュッと瞑っていた目を開くと、ここに居るはずのない人が、変態カメコの腕をねじり上げていた。
「おい、おっさん。なに人の想い人に手ぇ出してやがんだ」
明らかに怒りがにじり出ているオーラを放ち、変態カメコよりも高い位置から睨み付けている金髪の青年。
耳にゴツいピアスを付け、下唇の下の真ん中にもピアスを付けたヤンキー。
マリリンのことが好きで、意外に涙もろくて、弟妹のことを可愛がっていて……オレの、好きな人……
「ゆうだ……広瀬……」
オレが彼の名前を口にすると、さっきまでの怖い表情を緩ませ、困ったように眉を下げて笑みを浮かべている。
「ウミの専属も、海の専属も俺だけだ。コイツの隣はケンタだろうと譲らない!」
広瀬に腕を引かれ、彼の胸に飛び込む形で抱きしめられる。
「え?」
ケンタって、マリリンの好きな人だろ?まぁ、サニーである陽葵の彼氏だから、マリリンは失恋するんだけど……
なんで、今ケンタの名前が出るんだ?
「なっ!なんなんだキミは!ウミちゃんはボクの彼女だ!お前みたいなヤンキーが……」
「ア"?」
ギロっと広瀬が変態カメコを睨み付けた瞬間、ビクッと肩を震わせ慌て出すのが見える。
「コイツの恋人はお前みたいな変態なんかじゃねぇー!この俺だ!」
ビシッと自信満々に自分を指差し、ドヤ顔で言ってのける広瀬。
変態カメコもオレもポカーンとした顔をしてしまうも、あまりの自信満々な表情についプッと噴き出してしまった。
「あはははっ!そうそう、オレの恋人はアンタみたいな変態カメコじゃねぇーよ。それに、オレ、男だから」
地声である男の声で言ったお陰か、オレが男なのを理解して顔を真っ赤にして怒っている。
「ボ、ボ、ボク騙したな!この変態野郎!もう2度と撮影なんてしてやるかっ!掲示板にも晒してやるからなっ!」
「うるせぇっ!消えろカス!」
広瀬の一言に怯えた様子で逃げて行く変態カメコを見送り、やっと肩の力が抜ける。
「はぁ……やっと、あのストーカー野郎から解放された……」
ホッと息を吐くと、一気に震えが出てくる。
ずっと怖かったのに、誰にも助けてくれないと思っていたのに……
顔を上げると、広瀬とバッチリと目が合った。
「雄大、助けてくれてありがとう」
安堵感から今にも泣き出しそうな顔をしてしまうものの、ちゃんとお礼を言うことができた。
広瀬は驚いた顔をするも、すぐに笑みを浮かべながらも真剣な眼差しでオレのとを見つめてきた。
「なぁ、海……俺と重婚してくれね?」
「……は?じゅう、こん……?」
あまりにも真剣な眼差しで、生真面目に言うからつい言葉を復唱してしまう。
「マリリンもウミも海も、俺にひとりを選ぶことなんてできねぇ……3人分、幸せにしてやる」
馬鹿なことを真面目な顔で真剣に言ってくるからズルっと脚の力が抜けてコケてしまいそうになる。
「なんだよそれぇ~。ってか、今日はみきちゃんの誕生日だろ?雄大、こんなとこに居ちゃダメだろ」
「みきのためにもお前を迎えにきたんだよ。一緒に祝ってくれるだろ?」
太陽のように輝く笑みを浮かべ、そのままお姫様抱っこで会場から連れ出される。
コスプレ姿でそのまま帰るのはご法度だけど、今日ばかりは許して欲しい。
水色のショートカット女の子が、オレに勇気をくれて、大好きな人と巡り合わせてくれたから……
≪おわり≫
キラキラと光輝く演出と可愛らしく飾られた小指のネイル。
女の子らしいフワフワの衣装に身を包み、キラキラ光るシャボン玉と可愛らしいマスコットキャラ。
テレビの向こう側に映し出された水色のショートカットの女の子が、変身を終えてポーズを取っている。
よくある朝の変身モノの魔法少女が、悪の組織と戦うやつ。
最近では小さなお友だちから大きなお友だちまで、大変人気な幼女番組だ。
別に観るつもりなんて全然なかった。
日曜日の朝だから、適当にチャンネルを変えながら見ていたテレビで、偶然写っただけの番組だ。
アニメになんて興味はあんまりない。
漫画は読むけど、そこまでハマるものなんてなかった。
それなのに、気付けば最後までかぶり付く様に見ていた。
『負けない!絶対!絶対、本当の自分になるんだ!本物の自分になるんだ!』
ボロボロになりながらも何度も立ち上がり、今にも泣き出しそうなのに、強い眼差しで相手を見つめ続ける。
そんな彼女から、オレは目が離せなかった。
主人公じゃないのに……
主人公を引き立てる脇役のくせに……
「オレも、本当の自分になれるのかな……」
無意識に本音が口から零れ落ちた。
別に、今の自分が偽物ってわけじゃない。
でも、あの子が輝いて見えた。
あの子みたいに、オレもなりたいって、なぜか思ってしまったんだ……
◇ ◇ ◇
「ウミちゃん、こっち視線くださ~い」
「目線コッチにもオネシャス!」
「ウミちゃん可愛い~。スカートもっと上げて~」
朝の幼女番組で人気のある魔法少女の衣装に身を包み、相棒の小さなイルカみたいなマスコットキャラを肩に乗せ、お手製のステッキを片手にポーズを取る。
右手の小指を立て、唇に当てる定番のポーズを撮るとおっさんたちから「カワイイ」と称賛の声が聞こえてくる。
当然だ。何度も研究した。
どういう表情をすれば、よりマリリンに近づけるのか……
メイクだっていっぱい試した。
マリリンみたいに大きくパッチリした目になりたくて、二重テープとかマスカラとか、付け睫毛にだって挑戦した。
だから、この称賛の声はオレにとってはご褒美だ。
でも、まだ何か違う……まだ、マリリンになりきれてない。
あのキラキラした彼女に、オレはまだ全然近づけてない気がする。
「あ、アノ子が最近ちょ~っと人気になってる女装レイヤー君?ん~ちっこいし、まぁまぁ可愛いんじゃない?」
「え~、そう?だって男の子だよ?マリリンだって全然ちがーう」
同じアニメのコスプレをしている子たちからは、悪意のある声がチラホラ聞こえてくる。
本心を言うと、一緒に併せの撮影をお願いしたいけど、オレが声を掛けたところで嫌な顔をされるのはわかっている。
コスプレ始めたての頃は、それでも勇気を出して声を掛けに行ったっけ……
結局引き攣った笑みを向けられたり、女装はちょっと……って、距離を取られたけど……
女装じゃなくて、男装だったら少しは対応が違ったのかもしれない。
でも、オレが好きになったキャラクターはこのキャラだから……
だから、構って貰うためだけに好きでもないキャラクターのコスプレをしたくはない。
彼女たちから視線を外し、できるだけマリリンっぽい笑みを作って写真を撮ってくれる人たちの方を見る。
半円のサークル状を囲んでいる人の殆どが大きなレンズを付けた一眼レフカメラを構えており、どこの野鳥を撮影しているんだろうと思うくらいだ。
少し手を伸ばせば、下手したら指がレンズに当ってしまうかもしれない。
「望遠レンズなんかでどこ撮ってるんだよ……」
誰にも聞こえないくらいの小さな声でポツリと毒を吐くも、表面上は笑顔を壊さない。
こんなこと、誰かに聞かれたら一発で某掲示板に晒されるんだろうな……
そんなことを考えながらも、大好きな魔法少女のポーズをどんどん取っていき、その度にシャッターの音が激しく聴こえる。
誰にも知られたくない、オレの秘密。
大好きなアニメのコスプレをして、沢山の人に撮影して貰う。
本当のオレがどんなのかなんて、ココにいる人たちは知ることなんてない。
ただ、可愛い格好をした、女装レイヤーのオレだけを見ている。
「もうすぐ着替えなきゃいけないので、カウント入りまーす」
通常よりも高めの裏声を使って、撮影してくれている人たちに宣言する。
「3……2……1……」
カウントの数字を口にする度、さっきよりも激しいシャッター音が鳴り響く。
「ありがとーございましたぁー」
ペコリをお辞儀をすると、さっきまでのシャッター音は鳴りをひそめ、ガヤガヤとサークルも解散されていく。
「ふぅ……今日もいっぱい撮影して貰って疲れたぁ~」
頬を両手のひらで包み、軽くマッサージをする。
ずっと笑顔を作り続けていたせいで、表情筋が凝り固まっている。
「ウミちゃん、今日のマリリンも最高に可愛かったよぉ~。あ、アフターどうする?」
前回のイベントからなぜか執拗にDMなどを送ってくるカメコ。
今日のイベントだって、参加表明は出していたけど、一緒に参加するなんて一言も言っていないのに、更衣室を出たところからべったりと付いて来やがった。
「ウミちゃんのマリリンがやっぱり一番可愛いねぇ~。ほら見てよ、あそこのマリリン。マリリンはあんな派手色じゃないし、スカートも短すぎ。あ、ウミちゃんは脚が綺麗だからもっと出してもいいんだよ」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら、オレの脚を撫でようとしてきたのを華麗に避ける。
「ありがとうございますぅ、あ、ワタシそろそろ着替えなきゃだから。またお会いした時はよろしくお願いしますっ!」
笑顔でお礼を口にし、逃げる様に荷物を抱えてその場を立ち去った。
撮影してくれるカメラマンさんたちはいい人もいれば、さっきのカメコみたいな勘違い野郎もいる。
別に、他の人に迷惑をかけていなければ、同じ作品のキャラクターを好きな同志だって話なんだけど……
「どうせ、オレが今、可愛い女の子の格好をしているから優しくしてくれてるだけだろ……。女装だってわかったら、何をされるかわからない。それに……」
本当のオレを見たら……幻滅されるに決まってる。
溜息と共に鏡を見て化粧が崩れていないかを確認する。
先日新しく買ったファンデーションはイイ感じだ。
ちょっとアイシャドウがちょっと濃い気がするけど、ウィッグを被っているから濃い目じゃないと目が小さく見えてしまう。
でも、マリリンで濃い目のメイクっていうのが解釈違いなんだよな……
自分のメイクに納得がいかず、不満気な顔をしながら更衣室に早歩きで向かう。
男子更衣室だから、別に混雑しているわけじゃないけれど、あのカメコが追って来ていたら色々と面倒だからできるだけ見つからずに帰りたい。
「えっと、更衣室は……あっちだったよな」
早歩きで更衣室へ向かっていると、いきなり背後から腕を掴まれ、軽くツンのめってしまう。
「うわっ!えっ、なにっ!?」
「まじ☆プリのマリリン!」
腕を掴まれたことと興奮したような声でキャラ名を叫ばれたことに驚き、つい目をまん丸くしてしまう。
「ヤバいっ!今まで見たマリリンのなかで一番理想的だ!まさか俺のマリリンが実在するなんて!」
ひとりで勝手に興奮している輩を恐る恐る振り返ると、明るい金髪が印象的な背の高い男が立っていた。
耳にゴツいピアスを付け、下唇の下の真ん中にもピアスを付けたゴツい目の人。
切れ長の三白眼は見ようによってはイケメンに見えるけど、どちらかというと怖い印象の方が強い、
ぶっちゃけ言うと、どこからどう見てもヤンキーかチンピラにしか見えない。
でも、オレは彼を知っている。
いや、知り合いとか友だちでは決してない。
そもそも友だちなんてもの、いたことないし……
ただ、こんな場所に絶対いないはずの彼が、どうしてここに居るのか理解できなかった。
「えっと……ご、ごめんなさい!あの……もう、着替えなきゃだからっ!」
出来るだけ声でバレないように裏声を出し、掴まれた腕を振り切って顔を隠しながら走って逃げた。
後ろで何か言ってる声は聞こえたけど、そんなの気にしている余裕なんてオレにはなかった。
とにかく、今はバレないように逃げなきゃって考えでいっぱいだったから……
◇ ◇ ◇
昨日はコスプレイベントから帰ってからは泥のように眠った。
本当は取って貰った写真も確認したかったし、SNSのチェックもしたかった。
イベント終了直前に鉢合わせしてしまった彼のせいで、精神的に疲れてしまって、気付けば布団の中でぐっすり……
連日の寝不足もあったせいか、たっぷり寝れたお陰で、イベント翌日なのに肌の調子がいい。
でも、今日だけは真面目に学校に来たのを後悔した。
いや、学校に来るのは当然だと思ってるし、仮病を使って休むのは母さんに心配をかけてしまうからできるだけしたくない。
でも、今日くらいは本当に休めばよかったと、心の底から後悔している。
なんか、さっきからずっと視線を感じる気がする……
別にイジメとかではない。
オレはクラスの人気者ってわけじゃないし、だからといってイジメの対象でもない。
どこにでもいる平凡な陰キャであり、モブ的扱いだ。
それなのに、今日は珍しく朝から出席していたヤンキーこと【広瀬 雄大】にずっと見られているような気がしていた。
ま、まさかオレが女装コスプレイヤーのウミってバレたんじゃ……
って、そんなことないか。
今のオレはマリリンに変身している時のオレと同一人物なんて誰も思わないだろう。
こっちのオレは、黒髪のチビで無表情で、面白みもなければ社交性もない、2次元への憧れをこじらせたただの根暗なオタクでしかないんだから……
そんなオレと女装コスプレイヤーでちょっとだけ人気のウミが同一人物なんてわかる人、絶対に居るはずがない。
窓際の後ろから2番目の席でボーっと眠たい授業を聞きながら、昨晩できなかったひとり反省会を心の中で始める。
やっぱり刺繍できるようになりたいなぁ~。既製品加工だとやっぱり限界があると思う。
できるだけ原作に忠実そうなのを選んでるけど、そうなると届くのに時間もかかるし、写真と現物違った時のダメージデカいもんなぁ……
でも、一から手作りなんてオレに出来る気がしない。
既製品加工はなんとかできるようになったけど、布から服を作り出すなんて、オレにはまだ難易度が高すぎる……
ってか、型紙とか全然どれを選べばいいのかすらわからない。
コスプレイヤー用の雑誌に載っていた簡単な衣装の作り方を読んだけど、書いてることが一切わからなかった。
なんであの型紙でコレができんの?
魔法?魔法なら、一瞬で衣装ができてくれたらいいのに……
あと、イベント行くときの移動とか荷物とかも多くて重いし、衣装増えたら部屋が狭くなるし……
魔法で全部解決できたらいいのに……
まぁ、魔法少女でもそれは無理っぽいから、夢の話しだけど……
こういう時、衣装について相談できるレイヤーの友だちがいたらいいんだけど……まぁ、元のオレがコレだから無理な話か……
前の席から回って来たプリントをチラッと見て、小さく溜息が漏れる。
現実は冴えないただの男子高校生。
今はオフの姿として、真面目に勉学に励むか……勉強キライだけど……
再度溜息を漏らしながら残り1枚になったプリントを後ろに渡した瞬間、プリントではなく、オレの手首をガシッと掴まれてしまい、心臓が飛び出そうなくらい驚いた。
「ッ!ぇっ、な……なに?」
いきなりのこと過ぎて、つい変な声が出てしまう。
慌てて振り返ると、そこには今一番会いたくない人物がオレの手を凝視する様に睨み付けていた。
「オイ、お前……名前教えろ」
「は?え?」
「名前、教えろって言ってるんだ」
明るい茶色の三白眼でギロッと下から睨み上げるように見られ、背筋に冷たい汗かツゥーっと落ちるのを感じる。
「……な、七瀬 海……」
多分、表情は青褪めてしまっているんだと思う。
名前を口にしたものの、震えてしまって声が掠れてしまった。
「七瀬、海……後で話がある。逃げんなよ」
ピアスを付けた口の端がニヤリと吊り上がるのを見て、血の気が引くのを感じる。
あ……オレの学校生活、終了したかも……
あれ?今まで平穏な陰キャとして過ごしてきたのに、ヤンキーのイジメの対象に選ばれたとか?
マジで勘弁して欲しい!それとも、別の理由?
黒板に板書していた先生がチラッとこちらを見るも、「授業中だぞ、静かにしろ―」と、適当な注意を言うだけで何事もなかったかのように授業が再開されてしまう。
いやいや、先生もっとちゃんと注意しろよ!って、文句を言いたいけど、先生たちにもビビられている学校最強のヤンキーに注意できる人はいないと思う。
その後の授業は、ちゃんと聞いているはずなのに何も頭に入って来なかった。
◇ ◇ ◇
「おい、七瀬 海、俺は逃げんなって言ったよな?」
オレは今、学校最強のヤンキーに誰もいない廊下で、少女漫画なら一度は憧れる壁ドンをされている。
漫画やアニメなら、ここから始まる恋もあるかもしれない。
強面だけどイケメンの分類である広瀬は、隠れファンが結構いるらしい。
なに?ヤンキーブーム?オレには関係ないので、今すぐ解放してください。
いやマジで……オレ、なんかした?
「コレ、同じネイルだよな?」
目の前で見せつけられたスマホには、とあるアカウントが表示されていた。
可愛らしい水色のショートカットの女の子の恰好をした子が、プルンとした唇に可愛らしい水色のネイルを施した小指を添えて笑顔で写っている。
それは、オレにとってはよく知ったアカウントであり、同じ学校の人間には絶対にバレたくないアカウントだった。
「な……ち、ちがっ……」
「お前がこのウミってヤツだったなんて驚きだな。ネイルを見るまで同一人物だとは一切思わなかったぜ」
メディア欄に映し出された何枚ものコスプレ写真をスライドしてどんどん見せてくる。
昨日のイベントでの自撮り写真やそれまで参加してきたイベントでの写真、あと宅コスで練習している写真をワザとゆっくりと見せつけてくる。
オレがコスプレをしていることがバレていただけでなく、コスプレアカウントまでバレてしまったことに目の前が暗くなるのを感じる。
「――ッ!!が、学校の……みんなには……」
辺りを見渡し、誰もいないことを確認しながら必死に涙目で哀願すると、ニヤリと笑みを浮かべ顔が近づけられる。
獰猛な肉食獣が獲物を見つけたような視線に、憐れな草食獣のようにふるふると震えてしまう。
「いいぜ、内緒にしてやるよ。俺の言うこと聞いてくれたらな」
耳元で囁かれた言葉に恐怖でブルッと身震いする。
一瞬希望が見えるも、次に言われた言葉で絶望に落とされる。
どうしよう……誰かに助けを求めなきゃ……でも、誰に?
オレのことを助けてくれるような友人なんていない。
ましてや、コスプレをしてることをバラされたら……もう、学校に来れなくなる……
「今日の放課後、ココに来い。あの衣装を忘れず持って来いよ」
どこかの住所が書かれたメモを渡され、誰にも見られないように上着のポケットに突っ込こまれる。
「約束、忘れんなよ?」
どこか嬉しそうな広瀬の声が、魔王のささやきのようだった。
どうしよう……逃げられない。
やっと、自分らしく居られる世界ができたのに……
マリリンなら……こんな時どうしていただろう?
第7話のマリリンの葛藤のシーンが脳裏をよぎり、強く拳を握り締める。
一回だけ……この一回だけ広瀬を信じてみよう。
「大丈夫、悪者にもいい奴はいるはず……」
唇を噛み締め、気持ちを押し殺す。
大丈夫、オレはマリリンみたいに強くなれる。
◇ ◇ ◇
渡されたメモの場所に行くと、何の変哲もないただのマンションの一室だった。
表札には【広瀬】と彼の名前が書かれていたから、多分家で間違いないだろう。
チャイムを鳴らそうとした瞬間、勝手に扉が開き、いきなり腕を引っ張られて中に引き込まれる。
いきなりのこと過ぎて、声すら出すことができなかった。
辺りを警戒する様に見渡した後、すぐに扉を閉められてしまい、逃げることも出来ない。
ヤバイ、失敗したかも……
部屋に行ったらカメラとかあって、知らない男の人数人が出てくるやつ?
なんだっけ、同人誌とかであった脅迫はされてAV撮られて、バラされたくなかったらもっと稼いで金を払えとか言われるヤツ?
その為に衣装持ってこいとか言ったのか?
サイテー!オレの憧れが詰まったマリリンを汚すなんて、本当に最低だ!
こんなヤツ、ちょっとでも悪い奴じゃないって思うんじゃなった!
「ちゃんと衣装は持ってきたか?こっちの部屋使っていいから。着替え終わったらこっちの部屋に来て」
指差されたのは洗面所だった。
確かに、メイクをしたり着替えたりする時に大きめの鏡があるのは助かる。
けど、いきなり連れ込まれてさっさとコスプレに着替えろってどういう了見なんだよ!
やっぱり、オレが思っていた通り、これからAVでも撮られるんだ……
キッと広瀬を睨み付けて文句を言ってやろうと思ったが、広瀬の三白眼が俺のことをジッと睨み付けるように見下ろしてくるから何も言うことなんてできなかった。
パタンと洗面所の扉を閉め、ひとりきりになると涙が溢れ出しそうになる。
「ちくしょー……マリリン、ごめん……」
悔しさから学校のリュックをボカボカと殴るも、ここから逃げ出すことはできない。
逃げるためにはここから出なきゃいけないし、でも、ここは広瀬の家だ。
「……オレだって男だ!マリリンの恰好がどれだけ似合ってたって男なんだ!絶対、処女だけは守ってやる……」
キッと鏡に映った自分の顔を睨み付け、強く決意する。
ガチャッと音を立てて、最初に指示された部屋へと足を踏み入れる。
今のオレの姿は、【まじかる☆プリティエンジャル】のメインキャラのひとり、マリリンの衣装を身にまとっている。
水色のショートボブに水色と白を基調としたセーラータイプの服、短めのスタートはふんだんに白色のレースがあしらわれている。
スカートの下には水色のカボチャパンツを穿き、水色のリボンがいっぱいついたニーハイの靴下が特徴的だ。
ボーイッシュなイメージのあるキャラだが、誰よりも女の子らしく強くて可愛いオレの憧れの姿。
そんな姿を、こんなヤツの目に晒すのは本当に屈辱的でしかない。
部屋を見渡すと、撮影機材や他の仲間はいないようだった。
目的は何なんだよ。金か?この姿を写真に撮って今後も脅してくるって言うのか?
「……マリリン……ホンモノだ」
オレの姿を見た広瀬は、驚きから目を見開き、いきなり立ち上がってオレの方に震えながら近寄って来た。
「……マリリンが……っ!俺の推しが会いに来てくれた!!」
いきなりオレの足元にしゃがみ込み、うれし泣きする180cm越えのヤンキー。
「ありがとう!ありがとう、ジャストマイエンジェル!」
いきなり大声で感謝の叫びをあげ、泣き出したヤンキーにオレはどうすることも出来なかった。
「……え?どういう、状況なんだよ、これ……」
さっきまで何をされるのかわからない恐怖と苛立ちが嘘のように凪ぎ、チベットスナギツネの様な表情で案内されたソファーに座って彼の隣で【まじかる☆プリティエンジャル】のBlu-rayを鑑賞している。
「マリリンが……、マリリンとまじ☆プリを観れる日がくるなんて……夢みたいだ……」
『マリリン☆地球を守って♡』と書かれたうちわを片手に本当に幸せそうな笑みを浮かべるヤンキー。
いや、気持ちはわかるよ。
オレもマリリンのこと大好きだし、憧れだから……
ってか、この地区最強のヤンキーって言われてる広瀬が、まじ☆プリオタクなんて誰が想像できるよ……
「な、えっと、広瀬……くんは、いつからファンなの?」
ついコスプレをしているせいかキャラになりきってマリリンっぽくしゃべってしまった。
「……マリリンが現実に存在してる。やっぱり、俺のマリリンだったんだ……」
涙を流しながら感動してるところ申し訳ないけど、ちょっとキモイ……
「ウミちゃんのことは、SNSでマリリンのコスプレしてる人を検索しまくっていた時に偶然見つけたんだ。俺の理想そのもののマリリンが現実世界にいるってわかった時は嬉しかったなぁ~」
広瀬が自分のスマホを眺めながらうっとりと話しているけど、ソレ、オレがSNSに上げている画像じゃね?何勝手に保存してんだよ。
「昨日もウミがあっこのイベントに参加する。って書いてたから、もしかしたら生マリリンと一緒に写真撮れるかもって行ってみた。リアルで見たらマジで可愛くてつい腕掴んじまって悪かったな……」
申し訳なさそうに眉を下げて謝ってくる広瀬に開いた口がふさがらない。
「ホント、ウミのマリリンは完璧だった。完全にマリリンだった」
オレの頬をそっと撫でながら、しみじみと言ってくる広瀬に鳥肌が止まらない。
文句を言おうとした瞬間、パッと手が離れ目の前でパチンと手が合わさって謝られる。
「あ、わりぃ……俺がマリリンを好きになったのは、俺の……」
「「「ただいまぁ~!」」」
広瀬が何かを言おうとした瞬間、玄関の方から元気な声が複数聞こえると同時に、バタバタと賑やかな足音と楽しそうな声が聞こえて来た。
「腹へった~!」
「おやつおやつ」
「バナナはおやつに含まれません!」
勢いよくリビングの扉が開けられたせいでバタンッと大きな音が響き渡ると同時に同じ顔をした男の子たちがなだれ込んできた。
「あ!ゆうにぃが女の子連れこんでる!」
「ゆうにぃ!彼女なんていないって言ってたのに!」
「ゆうにぃ!顔こわいからおどしたんじゃねーの」
明るい茶色の髪をした広瀬そっくりの小学3年生くらいの男の子が3人が好き勝手に話しかけてくる。
「ちび共うるせぇ!」
広瀬が眉間に皺を寄せながら怒鳴るも、キャッキャッと楽し気に笑うだけで気にした様子は一切ない。
「イチャつくなら部屋いけよ~」
「オレらが帰って来るの忘れんなよ~」
「彼女さん、ゆうにぃをよろしくお願いします」
勢いよく話してくる少年たちにオレはポカーンとしてしまい、思考が追い付かない。
そんな3人の後ろから隠れるようにちょろちょろと出て来た黒髪を肩よりちょっと下まで伸ばした、小さな女の子。
女の子と目がバチッと合った瞬間、驚いた表情を浮かべると同時にぱぁーっと明るい笑顔を浮かべ、誰よりも大きな声を出した。
「マリリンだ!」
◇ ◇ ◇
オレの方にテチテチを歩み寄り、嬉しそうに抱き着いてくる5歳くらいの女の子。
「どうちたの?フォレスは?サニーもくる?」
目をキラキラ輝かせながら問われると、子供番組をメインに活動するレイヤー魂に火が付く。
「えっと、フォレスとサニーは今日はお休みなんだ。わたしは雄大くんのお願いを叶えに来たんだよ」
女の子に視線を合わせるようにしゃがみ込み、小首を傾げながらしっかり目を見て応える。
幼女の夢を壊してはいけない。
コレは、子供番組をメインに活動するレイヤーにとって暗黙のルールとなっている。
一番はしゃべらないことが良いらしいけど、この状況ではそれは無理!
オレにできるのはできるだけマリリンっぽい声で、マリリンの口調で話すことだけ。
極力会話を減らしたいけど、ムリだろうなぁ……
「しょうなの?みきね、サニーが一番しゅきなの!ゆぅにぃちゃはマリリンがしゅきだからきたの?」
純粋無垢な目で見つめられると心が浄化される。
いや、そこのヤンキー、決してお前のことではない。
なにちびっこと同じキラキラした目でオレのことを見てるんだ。
「えっと……うん、そうだよ」
ホントはその雄大くんに脅されて無理矢理連れて来られたんだよ。なーんて、そんなこと子どもには絶対言えない。
それは本人もわかっているはずなのに、なに嬉しそうな顔してんだそこのヤンキー。
みきちゃんにはバレないようにまたチベットスナギツネのような虚無顔で見つめていると、オレの視線にやっと気付いたのか苦笑を漏らしていた。
「オイ、ちび共、帰ってきてすぐに手洗いうがいはしたのか?」
腕を組み、少しだけ怒った顔で弟たちに声を掛ける。
「あ、やべっ」
「まだだった!」
「おやつナシになる!」
遊び始めようとしていた三つ子だったが、広瀬に言われてワタワタと慌てだす。
「すぐ洗ってくる!」
「ちゃんと歯磨きもする!」
「みき、にぃちゃんたちと行こ~」
妹であるみきちゃんを、三つ子のひとりが抱えて洗面所に走って行った。
子どもたちが去った後、盛大なため息を漏らし、前髪をクシャッと書き上げる広瀬。
「わりぃ……ついテンション上がっちまって、ちび共が帰って来る時間を確認してなかった」
困ったような表情を浮かべる広瀬になぜかドキッとする。
普段学校で見る姿とも、噂で聞いていたこの学校最強のヤンキーとしての姿とも全然違う。
まぁ、まさかあんな限界オタクだとは思わなかったけど……
でも、さっきからオレが見ている姿が広瀬の本当の姿なら……ちょっとだけ好感が持てるかもしれない……
だって、オレにとって初めてできる同志だから……
ずっとコス友を作ってみたかった。
コスプレしなくても、好きな作品、好きなキャラを語ることのできる友だちが欲しかった。
「あ、そうだ!今のうちに着替えて……」
「マリリン、みきとおやついっしょしよ?」
広瀬が着替えるタイミングを作ってくれたのに、それよりも早くちびっ子たちは手洗いうがいを済ませ、嬉々として戻ってきていた。
みきちゃんに手を引かれ、居間にあるテーブルに連れて行かれる。
困惑気味に辺りをキョロキョロしていると、三つ子とみきちゃんがオレの周りに集まってきて、ちょこんと座った。
「なぁ、まじ☆プリのみんな以外は来ないのか?」
三つ子のひとりが目をキラキラと輝かせながら問うてきた。
「オレ、ボクトウジャーが好き!」
「俺はカイジュー仮面!」
「おれ、暴れたりん将軍かなぁ~」
少年たちが好きな作品の名前を言ってくるけど、待て。ひとり時代劇じゃん。
しかもソレ?確かに昨今では変身モノの番組ともコラボしたり、映画にも出てたけど、そこ?
「みきはね~、サニーがいちばんしゅき!」
オレの膝の上にちょこんと座り、おやつを頬張っている少女につい口元が緩んでしまう。
「お、俺はマリリンが一番好きだ!」
なぜか弟たちに混じって少し顔を赤らめながら主張してきた。
おい、そこのヤンキー……なに当然みたいに一緒におやつ食ってんだよ。
「「「ゆうにぃ、キモイ……」」」
三つ子がジト目で同時に言うから、ついオレも噴き出してしまった。
弟に辛辣な言葉を言われた広瀬が学校最強のヤンキーだと言われているのがウソみたいだ。
本気でショックを受けているようにしょんぼりと落ち込んでいる。
「コラコラ、みんな、そんなこと言っちゃダメだよ」
両手の人差し指を立て、口の前でバッテンをして子どもたちをいさめると、元気よく「は~い」とお返事をしていた。
素直で大変いい子たちである。
そんなこんなで、ついつい長居してしまった。
夕飯も食べて行けって言われたけど、衣装が汚れるのは正直勘弁して欲しいから辞退した。
ってか、オレはコスプレしていることを学校でバラされたくないから、口止めとして来ただけであって、決して広瀬 雄大とは仲が良いわけじゃない!
「これで約束は守ったんだから、オレの秘密をバラすのは止めてくれるんだよな」
衣装の上からコートをすっぽりと羽織り、傍目からはコスプレ衣装を着ているのがバレないようにする。
「着替え、させてやれなくてわりぃな……。その格好で帰るの寒くないか?」
オレの会話を一切聞いていない様子の広瀬。
「別に……真冬のイベントとかもあるし、コート着てるから平気」
不満気に顔を背けてそれだけ言って帰ろうとした瞬間、耳元を撫でるように急に手が伸びて来た。
「ッ!な、なに?」
「んぁ?あぁ、ごみ……付いてた。今日はサンキュー。また明日な」
多分さっき子どもたちと食べたおやつのお煎餅らしいのを取ったかと思うと、不意にフッと笑みを浮かべて挨拶してきた。
「……う、うん……」
逃げように広瀬の家のマンションから走った。
さっきから、心臓がバクバクとうるさい。
さっき、すこしだけ当たった耳が焼けたみたいに熱い。
今日初めてしゃべったはずなのに、今日一日で広瀬の色んな顔を見たせいだ。
『恋する気持ちは、魔法でも止められないんだよ』
まじ☆プリでサニーである陽葵が恋をした時に言われていたセリフが頭の中をグルグルする。
「違う!違う!違う!ぜーったい、違う!」
自分の気持ちを否定する様に、冬の寒空にオレの声が響き渡った。
◇ ◇ ◇
昨日は、結局あまり寝れなかった。
別に衣装を作ってたり、アニメを見たりしてたからじゃない。
いや、結局色々考えこんじゃって寝れないからって、【まじ☆プリ】の1話から見直してしまったんだけど……
原因はそれじゃない。
教室の机でうつ伏せになってボーっと黒板を眺める。
まだ朝礼は始まっていないから、こんな状態でも怒られることはない。
友だちが居たら話しかけられるんだろうけど、そこまで仲の良い相手なんてオレには居ないから、いつも通りっちゃいつも通りだ。
当然、後ろの席のヤツはまだ来ていない。
昨日、朝礼に出ていたこと自体が珍しいわけで、広瀬が遅刻魔なのは周知の事実だ。
「お、広瀬珍しく連チャンで来てるじゃん」
「は~、マジ珍しいな。雨降らすなよ~」
「え?雪降るなら明日にしてくれ!今日の放課後デートすっから」
一部の男子生徒が騒いでいるのを聞いて、広瀬が来たのを察する。
でも、オレはなぜか顔を上げること自体できなかった。
今、アイツの顔を見たところでどんな顔をしろって言うんだよ……
「七瀬、はよ」
うつ伏せになっているオレの頭をぽんっと優しく撫で、そのまま何事もなかったように後ろの席に着く広瀬。
ただ頭をひと撫でされただけなのに、昨日と同じくらい心臓がドキドキする。
今、絶対耳まで真っ赤になってる自覚がある。
こんな状態で、顔なんて上げれるわけない。
「……ぉはよ」
消え入りそうな声で、たった一言挨拶するのが精いっぱいだった。
そんなオレを見て、広瀬がどんな顔をしていたのかなんてわからない。
でも、前と違って広瀬はオレのことを見てくれている気がする。
「……なぁ、またうち来ねー?ちび共も会いたがってるから」
授業中だっていうのに、誰にも聞こえないような小さな声で、話しかけてくる。
時々、背中を突かれたり、消しゴムや小さな紙のゴミが机の上に飛んでくる。
紙には『マリリンの話ししようぜ』『もっと話したい』『今日も来ないか?』って、どこの小学生の女子なんだってことが書かれていた。
「小テストすっから回せ~。それ終ったら今日の授業は終わりだから、ちゃんとしろよー。オイ、広瀬、お前名前だけ書いて終わるなよ!」
理科の担当教師が冗談交じりに声を掛けるも、広瀬は中指を立てて舌をべぇ~っと出すだけだった。
広瀬 雄大という人間は、学校ではいつもこうだ。
ヤンチャっぽいクラスメイトには人気で、ヤンキーのくせに教師とはそこそこ仲が良い。
オレみたいな陰キャにとっては怖いだけの存在だったのに……
「なぁ、七瀬……今日も来いよ」
誰にも聞こえないくらいの小声がオレの後ろから聞こえる。
「放課後、相談したいこともあっから」
小テストを後ろに回した瞬間、手を握られボソッと耳元で囁かれる。
慌てて手を引っ込めて広瀬を睨み付けるも、フッと余裕のある笑みを浮かべるだけでオレのことなんて怖がってもいない。
アイツに触れられた部分が熱くて、さっきからドキドキが止まらない。
10分間の小テストのはずなのに、頭の中は広瀬のことでいっぱいで、問題が何も入って来ない。
全部、全部、広瀬のせいだ。
広瀬のせいで、さっき覚えたばかりの授業の内容は一気に飛んでしまった。
当然、小テストはボロボロで、先生にはお小言を貰うことになってしまった。
◇ ◇ ◇
「は?広瀬が、コスプレ衣装作れるか?って?」
今日も今日とて、なぜかマリリンのコスプレ姿で広瀬の家にお邪魔してしまっている。
そんなオレが素っ頓狂な声を上げたのは、当然原因はその本人である広瀬だ。
いや、別に広瀬のためにマリリンのコスプレをしているわけでは決してない。
自分の納得のいくメイクを練習する為であって、決して広瀬のためではない。
今は、ちびっ子たちはまだ帰ってきていないのか、家の中にはオレと広瀬の二人きりだ。
当然のように、【まじかる☆プリティエンジャル】のアニメを二人で仲良く鑑賞している。
「行け!マリリン!あ、そうそう。俺でも七瀬みたいに服って作れるのか?やっぱ難しいよなぁ……」
盛大な溜息と共に諦めの言葉を口にする広瀬をポカーンと見つめていると、何を思ったのか急に焦り出した。
「あっ!俺が女装するとかじゃねーから!マリリンは好きだし、マリリンの想い人であるケンタが羨ましいのは確かにあるけど、ちげぇーから!」
いきなりこいつは何を言いだすんだ?
当然だろ?
マリリンはケンタに恋をしているのが一番可愛い。まぁ、そのケンタはサニーである陽葵を好きになるんだけど……
幼女向けの魔法少女のアニメなのに、なかなかに切ない話が多いせいか、大人にも実は大人気なのがこの作品だ。
「みきがもうすぐ誕生日だからよ……せっかくなら、サニーの変身した時のヤツをプレゼントしたいと思ってな……。ただ、市販のだとサイズがデカいのと金がなぁ……」
後頭部をガシガシと掻きながら、困ったような顔をする広瀬に納得する。
確かに、市販で子ども用の変身セットは売っている。
でも、サイズが微妙だったり、クオリティがイマイチってのは確かにある。
広瀬の妹であるみきちゃんとは昨日で十分仲良くなったから、サイズ感とかはよくわかる。
5歳だと聞いていたけど、身長も体格も小柄なことから、市販で売っている衣装だとブカブカな気がする。
「みきちゃん、小柄だもんな……」
オレの言葉を聞いて、いきなり両手を握って来た広瀬。
「頼む!みきのためにサニーの変身したヤツを作るの手伝ってくれないか?」
真剣な表情で頼み込んでくる広瀬に胸がドキッとする。
一から衣装を作るのは、今のオレでは難しい。
でも、広瀬の気持ちはすっごくわかる。
昨日のみきちゃんの様子を見て、どれだけサニーが好きなのかは十分わかった。
……オレに、子ども用の変身衣装なんて作れるのか?布から?型紙を引いて?
……絶対無理だ。
でも……広瀬の真剣な願いを無碍にするのはなんかヤダな……
「うぅ……わ……わかった、から……手、離せよ」
さっきからドキドキし過ぎていて、手からこのドキドキが広瀬に伝わらないか不安になる。
「マジか!サンキュー!」
嬉しそうな笑みを浮かべる広瀬にキュンッてするのは、勘違いだと思いたい。
別に、これは広瀬が同じ【まじ☆プリ】ファンの同志で、今後も色々と語り合えるのが嬉しいからであって……決して、恋なんかじゃない!
「あ、ちび共には内緒にしといてくれよ。バレたらうるせぇから……」
みきちゃんへのプレゼントが決まったおかげか、無邪気な笑みを浮かべる広瀬がちょっと可愛く見えてしかたない。
つい先日までは怖くてしかたなかったのに……
まさか、本当にコレが恋とかいうやつ?
は?いやいやいや絶対違うから!
でも……この笑顔を知っているのは、学校でもオレ、だけなんだよな……
「わかったから……。とりあえず、市販のワンピースを加工してサニーの衣装にしよう。えっと、レースとかは買い足さなきゃだけど、オレが持ってるの持ってくるから」
まともに広瀬の顔を見れなくて、フイっと顔を背けながら言うと、頬にチュッと何かが当る。
「サンキュー。マリリン、やっぱり最高に可愛いな」
頬に触れるだけのキスをされたとわかった時には、意識が飛ぶかと思った。
でも、そっか……
広瀬がこんな笑顔を見せてくれるのは、オレにじゃない。
【まじかる☆プリティエンジャル】のマリリンに向かって、この笑顔は向けられているんだ……
◇ ◇ ◇
みきちゃんの誕生日プレゼントをサプライズで作るべく、放課後はこうやって広瀬の家にお邪魔するのが習慣になって来た。
「なぁ、着替え終わ……」
オレの新衣装を見た瞬間、広瀬の表情は固まり、ダバーっと涙が流れ落ちる。
「マリリンの日常服!殺す気か!(最高)」
両膝と両手を付いて感極まった状態の広瀬を無視して居間に向かう。
もう何度も訪れているせいか、勝手知ったる広瀬の家だ。
「なぁ、ここに置いてあるお茶を持って行ったらいいのか?」
テーブルに用意されていたお茶の入ったポットとマグカップが2つ。
それと、小腹の足しになる用のお菓子が少し入ったお皿が用意されていた。
最初は居間で衣装を作っていたんだけど、ちびっ子たちが帰って来た時に慌てて隠すのが大変だという問題が発生し、最近は広瀬の部屋で2人で篭っている。
べ、別に……広瀬の部屋に入れるのが嬉しいってわけじゃないから……
でも、「部屋に誰か呼んだのなんて小学校以来かもな」って、ちょっと照れた笑みを浮かべながら言われた時は、心臓が止まるかと思った。
だから、今日の新衣装はその時の仕返し。
まぁ、変身した魔女っ娘衣装だと身動きがとりにくいっていうのもあるけど、帰りがちょっと恥ずかしいのもある。
日常服である、制服姿ならスカートだけどひらひらのレースとかが付いているわけじゃないから安心♪
これなら、万が一警察に声を掛けられてもなんとか誤魔化せる気がする。
今のところ、一度も声なんてかけられたことなんてないけど……
「ほら、雄大くん。サニーの服、早く仕上げよ?」
振り合えり様、右手の小指を唇に当てながらウィンクして、広瀬に声を掛けると、壁に盛大に頭を打ち付けていた。
「マジでかわいい……可愛すぎて死にそう」
馬鹿なことを言っているヤンキーに向かって、チベットスナギツネのような視線を送る。
「……ホントに学校最強のヤンキーって噂の広瀬 雄大と同一人物なのか、未だに不安になる……。実は双子の弟だったりする?」
「んなわけねぇーだろ」
拗ねたように唇を尖らしながら文句を言ってきた広瀬に笑みが零れる。
「えぇ~、ホントに~?まぁ、オレは今の雄大の方が好きだけどな」
ニっと笑みを浮かべ、クルッと方向転換してさっさと広瀬の部屋に入る。
どさくさに紛れてコッソリ告白してしまった!
ヤバい、めっちゃ顔熱い!
「あぁ~、日常服のマリリンが俺の部屋にいるのマジでヤバイ……」
当の本人は、アニメのキャラが自室にいる姿に見悶えており、オレが言った告白なんて全く聞いていない様子だった。
ズキリと胸が微かに痛む。
マリリンはずっと憧れの女の子だ。
オレの憧れが詰まった可愛い女の子だ。
それなのに、好きな人のライバルがマリリンなんて……全然勝てる気がしない。
◇ ◇ ◇
「できたー!」
広瀬の末っ子の妹であるみきちゃんの誕生日前日。
やっとみきちゃんのために、広瀬とコツコツ作り続けていた衣装が完成した。
市販の変身キットだと生地が硬かったりするから、市販のTシャツを改造して作ってみた。
スカートにも沢山のリボンとフリル、オーカンジーを使って、ふわふわに作ったから通常よりも豪華だ。
黒のスパッツは持ってるのを使って貰えれば大丈夫。
「うんうん、いい出来だと思う!みきちゃん喜んでくれるといいな~」
出来上がった衣装を見て、満足気に頷いていると、不意にギュッと抱きしめられた。
「海ホントにサンキュー!」
嬉しそうに笑う広瀬に、つい笑みが零れてしまう。
「なぁ、サニーにはまだ1番大切な小物があるんじゃね?」
「え?あっ!?ヤバっ!マジで忘れてた!えっ!?今から準備して間に合うのか?」
焦り出す広瀬を見てクスッと笑う。
オレはずっと気付いてたけど、あえて広瀬には指摘しなかったパーツがひとつだけある。
プリティエンジェルのリーダーであるサニーは明るいピンク色の髪をツインテールにしているキャラだ。
ツインテールには、トレードマークであるオレンジ色の大きなリボンを付けている。
最初に広瀬がツインテールの存在を忘れていることに気付いた時、すぐに教えてやろうと思ったけど、思い直した。
みきちゃんの髪は伸ばしているといっても、肩に着く程度だ。
一応ツインテールはできると思うけど、トレードマークのリボンを着けてしまうと、せっかくのツインテールも隠れてしまう。
せっかく広瀬がこんなに頑張って作ったんだから、みきちゃんにはとびっきりの笑顔を広瀬には見せてやって欲しい。
そんな理由で、オレは広瀬にも秘密でとあるものを用意してみた。
サニーのトレードマークであるオレンジ色の大きなリボンが付いた髪留め。
ウィッグを被るのは子どもにはむずかしいだろうから、ピンクの三つ編みとリボンをトレードマークのリボンに縫い付け、髪飾りを付けるだけでツインテールっぽく見えるようにしてみた。
「じゃじゃーん!オレからのみきちゃんへのプレゼント」
こんな時に何言ってんだ?って表情を浮かべる広瀬に、カバンにこっそりと隠していた紙袋を取り出して渡す。
明らかに不満そうな表情だった広瀬が、オレの渡した紙袋の中身を確認した瞬間、目を大きく見開き、何度もオレの顔と紙袋の中身を交互に見てくる。
「広瀬が頑張ってたから、オレもみきちゃんに喜んで欲しくて、色々考えてみた」
ブイっとピースした手を広瀬に突き出すと、その手をガッと両手で握られる。
「……海、マジでサンキュー。ホント、お前って最高のマリリンだぜっ!」
切れ長の目の端に涙を溜め、本当に嬉しそうに笑う広瀬。
この笑顔を見たかったから、オレはサプライズでコレを用意したんだ。
ほぼ毎日、広瀬の家に来て衣装づくりの手伝いをしてたから、いつの間に苗字じゃなくて名前で呼んでくれるようになった。
でも、オレの名前は『海』じゃない。
『海』は、オレのコスプレネームで、マリリンの変身前の姿の名前だ。
だから……本当のオレのことは、一度も呼んで貰えていない……
「広瀬、お疲れ様。あ~、これでオレもやっとコスイベ参加に復帰できる!」
ぐぅーっと腕を天井に伸ばし、伸びをして広瀬から離れる。
多分、もうここに来ることはないから、今日が最後になると思う。
そう思うと、胸がギュッと締め付けられて、涙が零れ落ちそうになった。
「あぁ……悪かったな、色々付き合わせちまって……。でも、俺はお前と一緒にいるの楽しかったぜ?」
ニッコリと笑みを向けてくる広瀬に、なんとか笑顔を作って向き直る。
「オレも……楽しかった。みきちゃん、喜んでくれるといいな」
「喜ぶに決まってる!俺だってこんなの貰ったら嬉しいからな!」
出来上がった衣装を見て、何度も嬉しそうな声を上げる広瀬を見て、フッと笑みが溢れる。
オレの仕事はここで終わり。
持ってきていた荷物を片付け、コートを羽織って帰り支度を済ませる。
「じゃあ、な……」
寂しいって気持ちに蓋をして、いつもと変わらない様子で広瀬の家を後にした。
広瀬も、いつも通りの笑顔だったから、これで本当に最後なんだって実感が全然わかなかった。
1ヶ月……。
たった、1ヶ月だったけど、広瀬の色んな顔を見れた気がする。
でも、元々オレと広瀬では、生きてる世界が違ったんだ。
何かの間違いで、ほんの少しだけ一緒にいることができただけで……
ホントに、ほんと……楽しかった、な……
◇ ◇ ◇
翌朝、オレは1ヶ月ぶりのコスプレイベントにいつも通りひとりで参加していた。
朝起きた時は、酷い顔過ぎて行くのを躊躇ってしまったけど、気分転換をするならイベントに行くのが1番だと思って……
「ウミちゃん久しぶりだね~。どうしたの?あ、後半はマリリンの通常服だっけ?楽しみにしてたんだよね~。ボクがマリリンの通常服好きだから頑張ってくれたのかな?今日はイベントの後に個撮でもする?ウミちゃんのマリリンを隅から隅まで、余すところなく撮ってあげるよぉ~」
この気持ち悪いカメコと会ってしまうのも1ヶ月ぶりだ……
なんか、バージョンアップしてる気がして、気持ち悪さに拍車がかかってる気がする……
「それとも、今からホテルで撮影しちゃう?明るいうちから撮る方が、ウミちゃんの大切なところもちゃんと見えそうだもんね」
耳元で囁かれる変態的な言葉も、生温い吐息が首にかかるのも、掴まれた腕も……
全部が全部、気持ち悪すぎて鳥肌が立つ。
「ッ!?ヤ、やめっ……スタッフ、呼びますよ」
キッと変態カメコを睨み付けるも、身を捩りながら嬉しそうにニヤニヤ微笑まれるだけで、話しを全く聞いていない。
「ウミちゃんは恥ずかしがり屋だなぁ~。まぁ、ボクはウミちゃんの専属カメラマンだし?恋人だからね♪可愛い彼女を大切にするのは当然でしょ♪」
誰がお前なんかの恋人だ!専属のカメラマンなんてなって貰ったことなんてない!
ってか、名前もハンドルネームも知らない相手なのに、ベタベタしてくんなっ!
言いたいことはいっぱいある。
でも、ここは一般の人もたくさんいるイベントだ。
子どもたちだっている。
それなのに、マリリンの格好で男である地声を出すことについ抵抗感を覚えてしまう。
「ウミちゃん、照れてるの?可愛いなぁ~。ほら、早く撮影しに行こう」
勝手に人の予定を決め、恋人のように肩を抱き寄せられた瞬間気持ち悪くて吐き気がした。
叫びたいのに声が出なくて、突き放したいのに震えて腕に力も入らない。
「あり?ウミちゃんどうしたのかな~?気分でも悪くなった?イベントは今日は止めて、ボクとホテルでお休みしよっか」
嫌なのに手を振りほどくことすら出来ず、その場でしゃがみ込んでしまう。
助けて欲しいのに、オレのことなんて誰も助けてくれない……
「ウミちゃん大丈夫?あ、ボクが触ったから感じちゃった?えっちな子だねウミちゃんは~。じゃあ、早くホテルにでも行こうか」
オレの意思なんで全く確認するつもりもなく、腕を引いて立たせようとしてくる変態カメコ。
オレにできる抵抗は、ただこのまましゃがみ込んで動かないことだけで精一杯だった。
「……ゆぅ、だい……たす、け……」
ギュッと目を瞑って、脳裏に浮かんだ広瀬の名前を口にする。
今日は、みきちゃんの誕生日だから、広瀬がココに居ることなんてないのに……
でも、助けて欲しいのは……側にいて欲しいのは……
「イテテテテッ、何をするんだ!」
変態カメコが急に悲鳴を上げると同時に、オレの腕を掴んでいた手が離れる。
慌てて距離を取るように離れ、ギュッと瞑っていた目を開くと、ここに居るはずのない人が、変態カメコの腕をねじり上げていた。
「おい、おっさん。なに人の想い人に手ぇ出してやがんだ」
明らかに怒りがにじり出ているオーラを放ち、変態カメコよりも高い位置から睨み付けている金髪の青年。
耳にゴツいピアスを付け、下唇の下の真ん中にもピアスを付けたヤンキー。
マリリンのことが好きで、意外に涙もろくて、弟妹のことを可愛がっていて……オレの、好きな人……
「ゆうだ……広瀬……」
オレが彼の名前を口にすると、さっきまでの怖い表情を緩ませ、困ったように眉を下げて笑みを浮かべている。
「ウミの専属も、海の専属も俺だけだ。コイツの隣はケンタだろうと譲らない!」
広瀬に腕を引かれ、彼の胸に飛び込む形で抱きしめられる。
「え?」
ケンタって、マリリンの好きな人だろ?まぁ、サニーである陽葵の彼氏だから、マリリンは失恋するんだけど……
なんで、今ケンタの名前が出るんだ?
「なっ!なんなんだキミは!ウミちゃんはボクの彼女だ!お前みたいなヤンキーが……」
「ア"?」
ギロっと広瀬が変態カメコを睨み付けた瞬間、ビクッと肩を震わせ慌て出すのが見える。
「コイツの恋人はお前みたいな変態なんかじゃねぇー!この俺だ!」
ビシッと自信満々に自分を指差し、ドヤ顔で言ってのける広瀬。
変態カメコもオレもポカーンとした顔をしてしまうも、あまりの自信満々な表情についプッと噴き出してしまった。
「あはははっ!そうそう、オレの恋人はアンタみたいな変態カメコじゃねぇーよ。それに、オレ、男だから」
地声である男の声で言ったお陰か、オレが男なのを理解して顔を真っ赤にして怒っている。
「ボ、ボ、ボク騙したな!この変態野郎!もう2度と撮影なんてしてやるかっ!掲示板にも晒してやるからなっ!」
「うるせぇっ!消えろカス!」
広瀬の一言に怯えた様子で逃げて行く変態カメコを見送り、やっと肩の力が抜ける。
「はぁ……やっと、あのストーカー野郎から解放された……」
ホッと息を吐くと、一気に震えが出てくる。
ずっと怖かったのに、誰にも助けてくれないと思っていたのに……
顔を上げると、広瀬とバッチリと目が合った。
「雄大、助けてくれてありがとう」
安堵感から今にも泣き出しそうな顔をしてしまうものの、ちゃんとお礼を言うことができた。
広瀬は驚いた顔をするも、すぐに笑みを浮かべながらも真剣な眼差しでオレのとを見つめてきた。
「なぁ、海……俺と重婚してくれね?」
「……は?じゅう、こん……?」
あまりにも真剣な眼差しで、生真面目に言うからつい言葉を復唱してしまう。
「マリリンもウミも海も、俺にひとりを選ぶことなんてできねぇ……3人分、幸せにしてやる」
馬鹿なことを真面目な顔で真剣に言ってくるからズルっと脚の力が抜けてコケてしまいそうになる。
「なんだよそれぇ~。ってか、今日はみきちゃんの誕生日だろ?雄大、こんなとこに居ちゃダメだろ」
「みきのためにもお前を迎えにきたんだよ。一緒に祝ってくれるだろ?」
太陽のように輝く笑みを浮かべ、そのままお姫様抱っこで会場から連れ出される。
コスプレ姿でそのまま帰るのはご法度だけど、今日ばかりは許して欲しい。
水色のショートカット女の子が、オレに勇気をくれて、大好きな人と巡り合わせてくれたから……
≪おわり≫
