現実は、今もなお最悪を更新していた。
見覚えのある顔、虚な目をした男性。
隣には、昨日避難所まで保護した園児、阿久津がいる。
「お兄ちゃん!!」
近くの学校の外に置かれた遺体安置に駆け寄るとワンワンと泣き出した。
その背後で口を戦慄かせて膝から崩れ落ちる男性。
もしかすると、鈴木の父親ではないかと考える。
「雅也……あぁ……なんてこと……」
やはりと思う。
しかし、震える声音は高揚していて、表情もなんだか開放感があった。
ようやく地獄が終わったような。
刹那、阿久津の泣き声にハッと気づいたように目を見開く。
両手をゆるゆると地面につけたかと思えば、髪の毛を掻きむしる。
彼の心情にどんな変化があったのかまるで理解が追いつかない。
ところ構わず発狂する姿に同じ年くらいの大人達が必死に落ち着かせ始める。
それでも発狂し続けた彼は魂が抜けたように静かになった。
大人に促されるまま校舎へと入っていく背中はとても小さい。
一連の出来事がなんだか不気味で怖くて、それが誰にでも起こりえることなのだと思わされる。
校舎内でも発狂する人がいて外に出てきたと言うのに。
彼の顔はもうない。ぐちゃぐちゃで原型を留めていないそれが現実じゃないと錯覚している。
空気が重い。ただただ苦しい。
みんなが大切なもの全部を失って傷心して、人生が狂っていく。
気持ちを切り替えようと浜名湖に目をやる刹那、視界の端に柊が見えた。
まさか彼も今の一部始終を見ていたんじゃないだろうか。
私の視線に気づいた彼はスッと目を逸らして、浜名湖へ向かっていく。正確には猪鼻湖だけれど。
そのさきに何があるのか私にはわからない。
だけれど、彼が望んでいることはわかる。
死にたい。
それだけのために彼は湖に向かっている。
もう、どうでもいい……。
なんだか、疲れた。
昨日の今日で、一気に状況が変わって、平穏が消えて、命が奪われた。
これ以上誰かが死んだって、たった一人増えただけ。
1人減ろうが増えようがテレビニュースやネット記事では大した差にならない。
何よりも彼の心理についていけない。
こんな状況さえどうでもいいほどに死にたいのなら、死んじゃえばいい。
どうせ、私にはわからないのだから。
喧嘩した言い訳をただすらすらと並べていく。
見て見ぬ振りをして、目を逸らして、校舎に向かう。
親を待つんだ。
連絡をとり、すぐに向かうと返事があった。
奪われた命もあれば、生き残った命もある。
冬のような寒さも夏の暑すぎる熱もなくて良かったと思う。
合流した後で家に帰るつもりだ。
生活ができそうなら、そのままいつもみたいに生活する。
無理なら、避難所生活。
それか、どこか他県にでもいくだろう。
そんなことをふんわりと考える。
叔父も叔母も県外だし、何より海から遠い。
安全な地域に引っ越すだろうことは会うよりも先に理解している。
もうこの世に鈴木はいない。
阿久津と親しい関係でもないのだから、いる理由もない。
どうして鈴木の父親は阿久津を思うよりも先に鈴木の死を嘆いたのかなんて、興味がない。
家庭の事情に躊躇いもなく踏み込むほどデリカシーのない女じゃない。
こんなあっけなく人が死ぬのなら、もう少しくらい距離を近づけたかった。
鈴木のことが好きだとちゃんと伝えれば良かった。
後悔は、今更消えない。
街ごと飲み込んだあの波と一緒に消えてくれればいいのに。
でももうしょうがないのだ。
仕方がないのだ。
私にできることなんてない。
自然の脅威に立ち向かうなんてこと、できるわけがない。
母が来る。
優しく包み込んでくれて、安堵したように私は泣いた。
この恐怖から逃げられるなら、それでいいや。
もう私と一緒にいてくれる友達はいないのだから。
元から好かれるような人間じゃない。
家族にさえ愛されていればそれでいい。
夜が開けて、想像通りに県外に引っ越すことになった。
父親は、転勤と言っていたけれど、転職をすることにしたらしい。
半月は浜松で働いて、そのあとは有給をとって転職先で仕事を覚えていくそうだ。
次の家が決まるまでは叔父叔母の家で寝泊まりすることが決まった。
場所が変われば、変わらない日常がそこにはあった。
誰もが笑って過ごしていて、まるであの未曾有の大災害を忘れている。
死者も行方不明者も大勢いる。そんな事実がなかったかのように普通の生活が送られている。
転校先ではどこから引っ越してきたのかは非公開になった。
いじめを考慮したのだろう。
うまく学校に馴染めず、いじめっ子が波に飲まれて死んで仕舞えば良かったのにといった暴言を吐かないように。
小さい頃にあった大震災でそんな話を聞いた。
懸命な判断なのかもしれない。
そのおかげで、学校では馴染むことができて、男友達もできた。女友達はまだ気が引ける。怖い。
私の恋も終わり、新しい彼氏でも作ろう。
元々彼氏なんていなかったけど。
ここの街はみんな仲良くしてくれる。
あとは引越し先さえ決まれば、元通りの生活に戻る。
未曾有の大災害なんて忘れて仕舞えばいい。
なのにどうして、いつまでもぐちゃぐちゃになった鈴木の顔を思い出してしまうのだろう。
ふっと思い出して、眠れなくなって。
学校で眠ってしまって、目が覚めれば目の前に鈴木がいるように見えて。
睡眠不足が原因なのか、食欲不振が原因か、貧血気味になり、体育を休むようになった。
部活も入っていない。
帰りの足が重い。
「碧!」
後ろから聞こえる男子の声に振り返る。
「真斗……」
「お前、最近大丈夫か?」
少し前から仲良くしてくれる同じクラスの男子生徒。
スポーツ万能で勉強もできる。
なんとなく鈴木に似ている。
「あ、うん。大丈夫だよ」
「そんなこと言って、本当は?」
見透かしているようで、目を合わせることができない。
本当のことなんて言えない。
いじめの可能性を考えたら、なおさら。
「大丈夫だって。それより、帰り道こっちじゃないでしょ?」
「……あー、こっちこっち。こっちの方が近道なんだ」
嘘なのはお見通しだった。
気付けないわけがない。
今までこんなこと言っているの鈴木くらいしかいなかった。
なんでまだ鈴木のことばかりを考えているのだろう。
そんな疑問に被りを振るように、口を開く。
「それじゃ、ちょっと歩きながら話そうよ」
彼は、自転車から降りて私の歩幅に合わせて歩く。
その優しさがまた鈴木に似ていた。
昔の彼は優しさの塊で、私が嫌がることはしなかった。
「このまち、なんもねぇなって思わん?」
「そうかな」
「東京に行くにしても、少し遠いし、県内に街っていう街もない。住宅街があるからスーパーやカフェは少ないけどある。お前の住んでた街ってなんかあるの?」
今はもう何もないよ、とは言えなかった。
波が全部飲み込んじゃったなんて自虐風に言えば、困惑するに決まってる。
「うーん、私、あんまり外出なかったからわかんない」
嘘ではなかった。
栄えているわけでもないあの街は、自転車で出かけるくらいしかなくて、交通の便は悪い。
電車だって朝と夕方以外は一時間に一本だ。遊びに行こうと思えば、交通費の方が高い。
今の家の方が、歩きで行ける距離だし、とても楽。
「なんかそんな気がする。本とか読んでそう」
「そうかな。あんまり読まないよ」
「ほんとかよ」
「どっちか言うと、ゲーム」
「おいおい、意外だな。何やるの」
「カートゲーム」
「王道かよ。もっと知らないの来るかと思った」
「私のことなんだと思ってるの?」
「重い枷を担ってそうだなって」
「意味わかんなーい」
とケラケラ笑う。
そんな暗い顔した覚えがない。
二歩三歩と歩いた先で彼が隣にいないことに気づく。後ろを向けば、真面目な顔をした彼が突っ立っていた。
「少しくらい本音を言える相手、欲しくないの?」
時間が止まったように感じて、平衡感覚を失いそうになる。
聞いて欲しくなかった言葉。
私の過去なんてどうでもいい。
何か言えば、可愛い子ぶってうざいなんて言われる。愛嬌は人を傷つける武器にもなる。
嫌われたくないのなら、言わない。
それが最適解。
そうやって自分に言い聞かせてきた。
でも、彼はもう気づいているんだ。
重い枷なんて言葉が出たのは、暗い顔に気づいて言えないことが増えていることを暗示していた。
本音が言えないなんてもはやバレているだけ。
しかし。
「まだ、半月のあなたに言うわけないでしょ?」
と、悪い顔をして言ってみた。
彼は笑った。
どんな意味が含まれているのかわからない。
私のこともまた意味わからないと思っているのだろう。
「そうだな。じゃあさ、どっか遊びに行かない?関係を深めたいと思って。土曜日の昼、空いてる?」
もちろん、デートとかじゃないよと、彼は付け足す。
そんな言葉を信じる相手がどこにいるのだろうか。
断るのは勿体無い気がして、提案に乗っかることにした。
土曜日、予定を決めて、集合場所で落ち合った。
彼は、シンプルな服装に軽く髪をセットしている。
やっぱりと内心思うのと同時に私もまた同じことをしているのだと思うとお互いに考えることは一緒だった。
今日、何が起きてもおかしくない。
「久しぶり」
「昨日ぶりだから」
なんて言葉を返せば、近くのカフェに行こうと誘われる。
「映画の予約はしてあるから、大丈夫」
一時間近く暇なので、カフェに行くのは妥当なのかもしれない。
恋愛経験がないのでよくわからない。
適当にベラベラ会話して、意外と気が合うなと思う。
もう少し話していたいタイミングで、映画の時間が迫っていた。
映画を見て、このままどっかにいくくだりを想像していたけれど、彼は解散を提案してきた。
「もう帰るの?」
なんて言えば。
「じゃあ、もう少しいる?もっといる?」
って、かえしてくる。
「もっといる」
甘えた声で言えば、彼は嬉しそうに私の手を握る。
いつか鈴木にしてもらいたかったことの一つ。なのにどうして足りないの?
しかし、そんなことどうでも良かった。
近くのカフェに入って、お互いに目を合わせれば、恥ずかしそうに目をそらす。足元でちょんちょんと揶揄う。
火照る気持ちが入り乱れて、机に手を置いて彼の手の甲を撫でる。
目の前に鈴木がいるようで、望んでいた答えが待っていた。
真斗の顔に鈴木の面影を感じれば、気持ちは膨れ上がっていく一方。
ようやく会えた。
もうどこにも行かないで。
愛を感じて、会話も終わって、そこには知らない人の顔が目に映る。
こんなんでいいのかな。
鈴木を感じられたのなら、誰でもいいのかもしれない。
でもやはり、私はまだ、鈴木を忘れられないでいる。
死んで欲しくなかったから。
溢れてきた涙を彼に隠れて拭う。
「そろそろ、帰ろ」
私は先に立ち上がってカフェを出る。
鈴木はもうこの世にいない。
全部、忘れなきゃ。
そう決意した。
冬休みに入る頃、LINEの通知がいつもより多いことに気づいてアプリを開いた。
普段、真斗くらいしかLINEで連絡を取らない。
他の友はインスタだ。
LINEの一番上には柊のアイコンがある。右端には一の数字がある。
『少し話したい。会える?』
短い文章。
あの日、柊は湖に向かって歩いて行ったはず。
自殺でもしに行ったんだと思っていたけれど、彼は死んでいなかったらしい。
しかし、今更話すことなんてない。
彼と会う理由なんてどこにあるのだろう。
考えないようにして生きているけれど、柊は今も何かと考えて生きているのかもしれない。
憶測で話すのはやめよう。
それに会う必要もない。
けれど、彼は電話をよこしてきた。
ぶち切ってスマホをソファにぶん投げる。
「ちょっと、スマホは大事に使いなさいよ」
最近引っ越した我が家は、ようやく安定してきて、家具も揃い始めている。
このソファも新調したもの。
スマホよりもソファを大事にして欲しいのだと思う。
「うるさいな」
イライラしながら、リビングを出る。
廊下を父さんが通ったけれど、ただいまを無視して部屋に戻る。
今更、浜松に戻る理由なんてない。
部屋のベッドでうつ伏せになりバシバシとマットを叩く。
思い出させないで欲しかった。
もう浜松の人間の誰とも会いたくないし、名前も見たくない。
忘れるように数ヶ月を過ごしたのに、どうして連絡なんて来るのか。
LINEのアカウント変えれば良かった。
せっかく引っ越したのだから。
部屋をノックする音が聞こえる。
ガン無視した父さんが怒っているのだろうか。
それさえも無視すると入るぞと言って勝手に入ってきた。
「入んないでよ!!」
「柊って子から電話来てたよ。間違えて電話に出ちゃった」
ほいと、スマホを手渡すと柊の声が聞こえた。
「……」
あとで絶対ぶっ殺すと誓う。
飄々とした顔で出ていく父さんに殺意を向けても鈍感な父さんは気づいていない。
「もしもし、少し時間もらえない?」
上体を起こし、うんと声をかける。二の句を待つ。
「鈴木を生き返らせるって言ったら、協力してくれる?」
「……あのさ、そんなふざけたこと言うなら切るけど」
「違うんだ、待ってくれ。タイムリープの伝説、知ってるだろ?」
「は?」
とうとう頭が狂ってしまったのかとため息をつく。
そんなこと言うタイプじゃないと思っていたけれど、勘違いだったらしい。
柊はそんなオカルト話を信じるたちじゃないだろうに。
いつかの電車で二人話した時、彼はもっとも現実的で正しいことを言っていたはず。
「都築神社、調べてみてよ」
「……だから」
「いいから」
電話をスピーカーにして、検索エンジンをかける。
するとLINEからURLが送られてきた。
それをタップルすると都築神社の伝承が書いてある。
「調べろって言ったじゃん」
「遅いから」
そこには彼の言う通り、タイムリープの話が載っている。
一つの願いを叶える場合、一つ犠牲を生む。
等価交換とも言える関係性でない限り、できないという。
「都市伝説か何かでしょ」
そもそもそんなことができるのなら、未曾有の大災害が起きる犠牲と同時に被災者を助けることだってできたはず。
「……ねぇ、まさか」
そんなことができないのなら、一人を助けるために犠牲を払う。
「一人だけなら、犠牲も少ないって思わない?」
「バカ言わないで。そんなこと誰が信じるの」
「じゃあ、俺たち、なんで鈴木が位置情報アプリの現在地が表示されているだけで、海に行ったの」
「そんなの」
「俺たちが、何かを悟ったからじゃない?」
「でも」
それなら、なんでその悟った感情はとうになくなっているのか。
「誰かがその記憶に改変をおこしたとすれば?」
「あの日、改変した人がいるなら、それさえも変えるべきだって事?」
「犠牲さえあれば、鈴木は生きているかもしれない」
未曾有の大災害が起きる前日、彼の行動は明らかにおかしかった。
私の家に泊まること。
一緒に都築神社に行ったこと。
涙を流したこと。
そして、都築神社の伝説について触れていたこと。
死ぬことを知っていたから、救って欲しかった?
「まさか」
「お願い、少しでもいい。わがままに協力して」
「……わかった」
信じたわけじゃない。
でも、何かと一致する。
違和感を抱いたあの日の記憶が呼び起こされる。
気がつけば、私は母さんに最寄り駅まで車を出して欲しいとお願いしていた。
冬休みに入って、柊と落ち合う。
思ったよりも復興作業が進んでいた。
柊は親が亡くなったようで、仮設住宅に住んでいるらしい。
バイトもできないから、支給された飯を食べているそうだ。
学校の再開にも目処が立っていないらしい。
同学年にも亡くなった人は多いらしくて、精神を病んで病院に入院する人もいたらしい。
「ここ、座って」
彼に促されるまま、ベッドに座る。
ベッドに座られることを拒む男子もいるようだけれど、彼はそうではないらしい。
「一人で、ここ住んでるの?」
「身寄りがないからな。一人で、適当に時間潰してる。復興作業の手伝いとかしながらね」
「……」
「引越し先があれば、良かったけど、そううまくはいかないな」
「そっか……」
「雨宮はどうしてるの」
「引っ越して、転校した」
「それくらい知ってる。話題になってたよ」
「そんなまさか」
「鈴木が死んで、浜松から逃げ出したって」
「……」
「どうでもいいけど」
本題に入ろうか、と彼はいう。
机に置いてあった封筒を手渡す。
開けても良さげだったので開けると、一冊のノートが入ってあった。
一枚捲るとそこには鈴木の字が広がっていた。
鈴木のノートには、父親の住所や阿久津の現在、どこで生まれたかなど詳細に書かれていた。
伝説が本当だった時に起こる現実的な物語。
父親が、鈴木の死を見て何を思うのか。
その遺体を阿久津も見た場合の心情の変化。
何パターンにも分かれて、書き連ねている。
最後には、完遂するために必要なことが箇条書きで書かれていた。
「これ」
「鈴木は、大災害を予見してた」
「……」
「でないと、こんなこと書けない」
「……これは、復讐?」
「僕はそう思ってる」
彼の目を見ると、嘘はなかった。
「でもどうして」
「信じ切れる理由はわからないけど、縋るほどに憎んでたって考えると大胆だけれど、尤もわかりやすい」
何より、とノートのページを捲り指をさす。
『父親に愛を教える』が最終目標と丸をつけている。
「鈴木を失うことだけで、愛について知ることはできないと思う。あくまで仮定だけど。でも、そこに阿久津って腹違いの女の子が出てこれば、話は変わってくる」
「……」
「あの日、見たんだ。鈴木の遺体に泣いてよりつく女の子と少し離れて泣いている父親の姿」
少し外に出ようかと彼はいう。
浜名湖沿いを歩くと少しして立ち止まる。
「僕は、ようやく死ねるって思ったんだ」
「……」
「家に帰ったら母が死んでた。鈴木の死の次は母なのかって」
浜名湖を見やる柊。
「もう全部終わりにしようって。それで、浜名湖に歩いて溺れて死んでやろうって。そしたら、人影が見えたんだ」
震える声。
「鈴木が、目の前に立ってた。腹まで浸かったくらいだったかな。これ以上行かせないような顔してた。それでも行こうとする僕の腕を引っ張った奴がいるんだ」
「だれ?」
「鈴木じゃなかった。ただのおっさん。命が、救われたんだ」
死ねなかった、と呟く。
「呪いじゃないかって思えた。どうして、死なせてくれないんだって。でも、わかった気がする。このノートを見つけて、読んだ時に気づいた。鈴木を生き返らせることができるんじゃないか」
それで、雨宮を呼んだと告白する。
「何を犠牲にするの」
風がなびく。髪が揺れて、開いては閉じてを繰り返す彼の口。
「……決めきれないな」
辛そうに言うものだから、それ以上に返す言葉がない。
聞きたいことさえ聞けない。
どうして、鈴木の家に行ったのか。
彼の住んでいる街は県内といえど遠い。
「でも、鈴木を救う気があるのなら、協力してほしい。今から、都築神社にいく」
決定的な証拠まではいかないけれど、鈴木が残したノートの通りにことが進んだと考えれば、彼は一度未来を見ている。
未曾有の大災害を知っていて、その上で行動できた。
もしかすると、私に写真を撮りにいかせるために学校に行かせたのは、未来を知っていたから。
私たちを救って、父親に復讐をした。
許せないのは、自己犠牲で私たちを救ったこと。
それに、自分が死んで復讐を完遂したと思うのなら、生ぬるい。
復讐なんかよりもっとやれることがあるはずなのに。
父親のために復讐するのなら、阿久津はどうなるのか。
あの子は、あなたが好きだったからあなたの死体の前で泣いていた。
彼女の気持ちまで踏み躙るなんて許せなかった。
神社の前に立つ。
何を代償に鈴木を生かそうか。
そもそもどうやってタイムリープするのか。
神社の前に来たとはいえ、二礼二拍手でもしたらいいのか。
とりあえず五円玉でも入れておこう。
「僕が考えた犠牲がある。雨宮はついてきてくれればいい」
「……わかった」
お賽銭に五円玉を入れる。
二礼二拍手をすると意識が遠のく。
後ろで音を立てる風が聞こえなくなる。
そして、意識が消えた。
チャイムがなる。
騒がしい学校。見覚えのある廊下、教室。
夏用の制服を着ている自分に驚く。
スマホを見ると九月。時刻は十六時になる。
すぐに放課後になる。
柊に目を向ければ、お互いタイムリープしたのだと気づく。
本当にタイムリープができたんだ。
私の記憶も柊の記憶も残ってる。
黒板には、『171』やハザードマップが書かれている。
鈴木は、私の『好きだよ』の電話に睨みを効かせていたはず。
放課後に入り、すぐに鈴木を捕まえに行った。
彼の腕を掴むと驚いたように振り返った。
「ねぇ、今日から一ヶ月間、ずっと一緒にいるのはどう?」
「……何言ってんだ」
ふざけているのかといいたげな彼。
「せっかくだし、遊ぼうよ」
「お前とそう言う気にはなれない」
「何を想像したの?」
「サッカーでもするか?弱いくせに」
「なんか子供みたい」
「めんどいな」
いつもの口癖が出てくる。
鈴木は、変わらず鈴木だった。
「じゃあな、またあした」
腕を振り払って廊下をスタスタと歩き去っていく。
「一ヶ月も一緒にいようなんてバレるだろ」
いつの間にかきていた柊に言われて、頭を冷やす。
「そんなこと言われても」
「鈴木はタイムリープの伝説を知ってる。一筋縄じゃ行かないことを理解するべきだ」
「じゃあ、どうやって死ぬ未来を変えるの?みんなが鈴木の死で壊れていった。私もそう。あなたもそうでしょ?なら、どうやって」
「……雨宮も、壊れたのか?」
思えば、そんな話をしたことはなかった。
鈴木の死を受け入れたくなくて、望んでいた展開を他の誰に面影を乗せて。
最低なことをしたのはわかってる。
だけど、柊にはいえない。もちろん、鈴木にもいえない。
「あの後、父親の転勤で引っ越しが決まっちゃってさ。忘れたくない街だよ、ここは。でもね、忘れたいって思ってる自分がいて、乖離して、気持ちがぐちゃぐちゃになっちゃった」
廊下の先に鈴木はいない。
鈴木は、いつもそうだ。
勝手にどっかいって、一人で生きようとしている。
そんなこと高校生には到底できないはずなのに。
彼は自分で未来を作ろうとした。
自分のいない未来で、呪いを作った。復讐者になろうとした。
腹違いの妹があんなにも泣いている姿、これ以上見たくない。
自己犠牲の先にある復讐は許されないし、許さない。
今はもう、その感情だけで十分だ。
彼の死を止める。
「柊、どうやって止めようか」
縋る私の思いを汲んでか、図書室で作戦会議をすることになった。
何せ、一ヶ月はあるのだ。
うまくいけば、生きる未来を作れる。
地図をコピーして土砂崩れの被害範囲を丸で囲う。
浅い波が押し寄せてくるところは青色で囲った。
どうしても鈴木が死んだあのエリアには行かせない方がいいことが改めて思い知らされる。
どうにも逃げ場がない。
そしてもし鈴木を助けた場合、阿久津がどうなってしまうのかも考慮したい。
鈴木は、阿久津のことを気にかけている。
仲がいいと思っていたけれど、あのノートを見た後到底そう思うことはできなかった。
阿久津は父親に復讐するための道具だったに過ぎない。
彼女はそのために仲良くされて、絶望のどん底に突き落とされた。
彼女を思うなら今のうちに突き離しておいた方がいい。
「阿久津ちゃんのこと考えてるんだけどさ、この地図を見てるとどうして生き残れたのか疑問が湧くね」
考えてみれば、阿久津は鈴木がわざわざ助けている。
ちょうど被害のない場所にいて阿久津を助けてスマホを渡す。
危険な場所から離れてもらうにしても園児一人を歩かせるだなんておかしい。
「始めに位置情報アプリが動き始めたのはこの辺だったっけ」
と、柊は黒で小さく丸をつける。
「動き始めた場所から土砂の被害地域はそんなに遠くないね」
逆に言えば近すぎるわけでもない。
「なら、助けた後で土砂に巻き込まれた?いやだとしたら、辻褄が合わない。阿久津を救うだけなら一緒に逃げればいい」
「他に助けたい誰かがいた?」
ふと思い浮かぶのは、鈴木の母親だ。しかし、柊が鈴木の家に行けたとなると母親は生存してる。
「後で考えよう。鈴木を最優先に助けたい。阿久津って子が生きてるなら今回も助けられると思う。確証はないけど」
それと今回のリープは一aにしようと続ける。
自分達のリープした世界線をaとして一は一回目ということだろう。
「鈴木が土砂に巻き込まれないようにするなら、三ヶ日エリアに居ないようにする。阿久津も同様に」
「難しくない?」
復讐として完璧だったaの世界線。そして。
「鈴木が一aを知らないとは限らないでしょ?」
aの世界線の記憶を引き継いでいる私たち同様に鈴木もまたリープしたと気づいているかもしれない。
「確かに。なら無理やり呼び出すっていうのはどう?阿久津って子と鈴木に会いたいから連れてきてって」
「うーん……」
鋭い鈴木相手に安直すぎる。
「今回は、雨宮が尻すぼみしてるな」
「被災後は柊が億劫になってたのにね……。私、変だね……」
あの時は気が気でなかった。
どうしてもこの目で生きていることを確かめたかった。
今はもう何をしても死んでしまうんじゃないかと助かる見込みは少ないんじゃないかと勘繰ってしまう。
「復讐を望む人が最後行き着く先ってなんだと思う?」
柊に問う。
「わかんないな」
「破滅だよ……。破滅願望ってあるじゃない?私はあると思うの。復讐を願うなら尚更。aの世界線であったように、自分が死んでもそういうこと望むから」
「つまり、都筑神社で願った望みの代償は、自死?」
「そんなこと思いたくないんだけどね」
あんなノートを見てしまっては、自死を願いの代償にしていてもおかしくない。
「私はあの神社で柊の望んだ通りにした。何も考えないようにした。正しいって思いたいけど、私は正直あなたのことも疑ってる」
「……今は、鈴木のことを考えようって言っただろ」
不安な目に気づかんとばかりに顔を地図に向けている。
問題点は波よりも土砂だと断定している様子。
波の被害は柊の家にもあったはずなのに。
考えたくないから目を背けているのか、本気で鈴木だけを助けようと思っているのか甚だ疑問だった。
「少なくとも阿久津って子と仲良くなっておくのは手だと思う。女子なら姉ができたみたいでいいんじゃない?」
「それなら鈴木がいるじゃん」
話を無視された私はぶっきらぼうに返す。
「阿久津を被害の少ないこっちに連れてきていれば、鈴木はこっちにくるんじゃないかって話」
「……なるほど。死なせなくて済むね」
阿久津に会って仲良くなって、被災日当日はこちらへ連れてくる。
鈴木も三ヶ日に行く理由がなくなる。
最高にいい案だ。
「じゃあ、阿久津ちゃんに会いに行こ」
「三ヶ日に住んでるの?」
「住んでると思う。ちょっと行ったとこに幼稚園あったはず」
日も暮れていたので次の日の放課後すぐに向かうことにした。
阿久津が通っているであろう幼稚園に着くと子供たちはもういなかった。
下校時間を過ぎて親が迎えにきたのかもしれない。
阿久津の家までは知らない。
これでは、計画が達成されない。
鈴木を生かすためには絶対に必要なことだ。
このまま帰るわけにはいかない。
近くの公園を探す。
遊んでいる可能性を考えれば、公園くらいしか思いつかない。
すぐそこにあるのなら行こうと柊が言う。
彼も鈴木を助けたいみたいで安心した。
公園には思いのほか園児くらいの子たちが遊んでいる。
そこにはaの世界線で見た正志がいた。
阿久津はどうにも見当たらない。
見る目のある正志だ。一aの世界線でも声をかければ話くらいは聞いてくれるだろう。
私のような可愛い子ならば当然。
「ねぇ僕、最近よくここで遊んでるよね」
声をかけると彼は不思議そうな顔をする。
「おばさん誰?みたことない」
隣にいた柊は笑いを堪えているようで肩をぶん殴った。
以前、お姉さんと言っていたくせに今はおばさんらしい。
女子高校生であり、制服も着ている私がなぜおばさんと言われなければならないのか。
「おばさんじゃないよ、高校生だし。それでね、聞きたいことがあるんだけど」
正志の目線に合わるべくしゃがんで問う。
「阿久津ちゃんって子わかるかな」
聞いてみたはいいけれど、彼はそれ以上にぼーっと私をみている。
どうやら気になっている様子。
a世界線と変わらず好きなタイプは同じみたいで安心した。
「お姉さんもしかして阿久津のお姉さん?三兄弟?」
同じ制服の男子が家連れて帰ってったと続ける。
鈴木だと察する。
いつも帰りが早いのは阿久津にあっているから?
「お姉さん呼びに変えれて偉いよー。正志くんは阿久津ちゃんと仲良い?」
「仲良いけど、最近お兄さんがずっと付きっきりでなんか……」
やっぱり阿久津と会っても仲良くなるには時間がかかるかもしれない。
「そっかありがと」
と、立ち上がり彼女の家を突き止めようと決める。
「克樹、パス!」
なんて声が正志から発せられる。
サッカーボールを蹴って遊ぶ彼らはきっとこの先起こる大災害を知らない。
知らせる必要もないかと思う。正志は生きているのだから。
正志から阿久津の家を聞くと大通りの右側に位置するらしい。突き当たりだからすぐにわかると言う。
その道中、鈴木は見当たらなかった。
そして、阿久津の家と思わしき場所に到着した。
何度かこのあたりを歩いて阿久津に会い、話しかける。
そうすれば、阿久津とも仲良くなれるかもしれない。
考えを巡らせていると、突然柊が私の腕を掴んで阿久津の家から離れた。
彼女家が見えなくなるほどに離れてしまう。
「ちょっと!!」
腕が痛かったのもあるけれど、何も言わずに離れたことに腹が立つ。
「雨宮はマジでおばさんなのか?」
「は?」
「ドアの鍵が開く音が聞こえた。ほら、鈴木が出てきただろ」
目を細めて阿久津の家をみやると鈴木と阿久津が出てきていた。
玄関の前には阿久津の母親と思わしき人と談笑している。チラチラとあたりを確認しているのは父親にバレないためだろうか。
少しすると彼は、道路を歩き始める。
追いかける阿久津が、何かを言う。
それが問いだと気づいた時には、阿久津は嬉しそうに笑う。
良好な関係なのだろう。
それと同時に彼女は、彼に違う感情を抱いているように見えた。
兄弟愛ではない何かがそこにはあるように感じた。
思い返せば、阿久津と初めて会った世界線aで鈴木の名を一向に出さなかったのは今起きている恐怖からではないのかもしれない。
「帰るか。このまま鈴木にバレるわけにも行かないし」
柊の提案に首を横に振った。
無理だ。
なんだか、あの二人の関係が気持ち悪い。
もし、兄弟愛ではない何かなら鈴木の遺体を見た時の阿久津の涙は兄弟に向けるそれではない。
「雨宮、そろそろ帰ろう」
鈴木がこちらへ向かってきていることに気づく。
柊に手首を掴まれ、流されるまま。
タイミングよくきた電車に乗ると私はぼーっと外を見ていた。
柊は、それ以上私に何かを言うことはしなかった。
ある日、ひょんなことで阿久津と会話するタイミングが生まれた。
いつも通り足繁く通っていた阿久津の家の付近。スーパーで見かけた彼女に、声をかけた。
一人で買い物する彼女が、商品を見比べて悩んでいた。
柊は、この場にいない。
部活に行っていないと鈴木にバレることを恐れたらしい。
「今日、お兄ちゃんいないから、料理教えて」
家に上がらせてもらうと母親が出迎えてくれた。
阿久津みわが、母親の名らしい。
それを知ったのは、みわが電話に出ている時だ。
キッチンに入る。棚に飾られている家族写真に目がいく。
両親の間に阿久津が屈託ない笑顔を見せている。
鈴木はこんな思い出の写真を見て何を思ったのだろう。
より復讐してやると誓ったのだろうか。
彼がいつも見せていた笑顔の裏にはドス黒いものがあったのか。
そう思うとなんだか悲しくなる。
私の知っている彼は、演技でもしていたのだろうか、と。
「ケーキ作りたいの。今日、雅也くん来ないの。だから、今のうちに覚えちゃいたい」
「うん、いいよ」
彼女は嬉しそうに笑う。
子供の笑顔はこんなにも可愛らしいものなのかと微笑む。
こっちまで嬉しくなる。
未曾有の大災害まで時間がなかったから、ちょうどいいタイミングだ。
「ケーキさ、場所変えて見せてあげたら?普段行かないような公園にピクニックしてみたら、思い出も増えるんじゃない?」
鈴木はきっとこの棚に写真を飾られることを嫌がるだろう。
だけど、未曾有の大災害当日ならば、写真を撮られても飾られることはない。
この辺も被害が出る。
大丈夫、うまくいく。
「そうかも!そうする!碧ちゃん!」
制服が一緒で同性だから大丈夫だと思ったこの子は、将来危ないなと思うけれど、それ以上に危険な未来がある以上仕方がない。
彼女が好きな鈴木が死んだらその先の未来はもっと酷なものになる。
「雅也のどんなところが好きなの?」
「え?」
「だって、顔に書いてあるよ」
顔を赤らめる彼女はとてもピュアだった。
「それは……、かっこいいじゃん。大人だし」
園児には高校生が大人に見えるらしい。
「初恋だと思うの」
初恋相手が鈴木とはとんだ最低ものだ。
彼女の気持ちを蔑ろにするなんて、許せないなと思う。
「碧ちゃんは、雅也くんのこと、どこまで知ってるの?」
「うーん、知らないかも。あなたほどは知らないかな」
「そうなの?じゃあ、私の方が上だね」
「そうだね」
きっと阿久津も私も知らない鈴木がいるんだろうと言うことは、言わなくていい。
初恋なんてどうせ叶わないのだから。
作業を進め、完成させる。
「今度は一人で練習してみて。雅也も一人で作ったもののほうが喜んでくれるんじゃないかな」
「そうかなぁ。不安だよぅ」
「あなた、可愛いし、大丈夫よ」
と、洗った手で頭を撫でると子供らしい顔を見せた。
子供をたぶらかす鈴木を一瞬でも死んでしまえと思ったのは、ここだけの話。
うまく行かなければどうせ、彼は死ぬ。
その未来を変えたくてタイムリープしたことを忘れてはいけない。
決意を改める。
連絡先を交換して、未曾有の大災害当日の昼前に会うように伝える。
彼女は親のスマホから毎日、連絡をくれた。
今日は上手くできなかったとか、上手くできたとか、その日によってバラバラだ。
鈴木が来てくれて嬉しかったとか、恋をしている子の言葉はキラキラと輝いていた。
初恋が敗れようと二人が生きていることの方が正しい。
生きていれば、どうにかなると言う保証はないけれど。
どうにかなると思っていた方が気は楽だ。
それは誰かがいると言うことが大前提である。
そんな大前提を忘れてしまったから、逃げてしまうのだ。
自暴自棄になる。
良くないと本当にわかっていたなら、目を背けることもなかっただろう。
他の男に面影を寄せることもないのだろう。
経験してようやくわかる。
私には、鈴木が必要なんだ。
彼を生かさなきゃならない。
絶対に救う。
生きてさえいればそれでいい。
未曾有の大災害当日、彼女は昼前に鈴木を呼び出すことができたそうだ。
少し怒っている様子だという彼女の不安を気にもせず、楽しんできてとLINEを送る。
この日、私と柊は一緒にいた。
鈴木を救うと決めたあの日の都築神社にきている。
「よく阿久津をこっちに取り込めたもんだな」
「まぁね」
「人の恋心を利用するなんて考えつかないだろ」
「そう言うクズ男っているじゃん?ちょっと知恵を借りただけ」
願いさえ叶えば、タイムリープは終わるはず。
あとは。
「柊が考えた願いの代償って?何を犠牲にしたの?」
「……」
神社に体を向け、私に背中を向けている彼。
表情が見えないけれど、もう一度口をひらく。
「世界線aの時の感情、今もあるんじゃない?」
死にたいと口にしたあの時の気持ちは消えていないはず。
「残念だけど、僕はそう簡単に口を割らないよ」
「……」
「言ったら叶わなくなっちゃいそうじゃん?願いを人に言わないのって叶わない可能性が出てくるからでしょ。出る杭は打たれるみたいに」
「望んだことは同じじゃん。犠牲は」
「犠牲は、僕が望んだこと。知る必要はない」
言葉を被せてそれ以上聞くなと言わんばかりに、階段を降りていく。
どこにいくのか聞くよりも先に、地震が起こる。
時間だ。
これから大災害がやってくる。
街は波に飲まれて、土砂がそのうちやってくる。
でも、もう大丈夫。
鈴木は、生きてる。
元から願いはこれだけだ。
一夜が明けて、阿久津と連絡が取れた。
鈴木は生きていて、阿久津と一緒にいるそうだ。
安心したのも束の間。
ひどく激しい頭痛にうなされる。
膝をついて、頭を抑える。
眩暈がしてくる。
前の前にある都築神社を見やる。
けれど、意識を失った私は、その場に横たわった。
目が覚めると、広がる景色に唖然とした。
黒板に書かれている『171』の文字。
一aの記憶はある。
また、タイムリープしたみたい。
鈴木を生かした。
阿久津がいてようやくできたことなのに。
失敗したと言うことなのだろうか。
どうして?なぜ?
柊が選んだ犠牲が叶わなかったから?
教室にいる鈴木が私をみている。
目が合う。
彼は何かを察したようで、私に声をかけてきた。
放課後に、柊も呼んで、都築神社へと向かった。
その道中、私たちは一言も喋らなかった。
一体何が起きて、もう一度やり直したのか。
階段を登りきるとまた、頭痛が激しさを増す。
それは柊も同じだったみたい。
苦しさの果て、私と柊は横たわった。
「なんで……?」
誰かの声。
「少し眠ってもらおうか」
鈴木の声がだけが、響く。
意識はまた、途絶えた。
見覚えのある顔、虚な目をした男性。
隣には、昨日避難所まで保護した園児、阿久津がいる。
「お兄ちゃん!!」
近くの学校の外に置かれた遺体安置に駆け寄るとワンワンと泣き出した。
その背後で口を戦慄かせて膝から崩れ落ちる男性。
もしかすると、鈴木の父親ではないかと考える。
「雅也……あぁ……なんてこと……」
やはりと思う。
しかし、震える声音は高揚していて、表情もなんだか開放感があった。
ようやく地獄が終わったような。
刹那、阿久津の泣き声にハッと気づいたように目を見開く。
両手をゆるゆると地面につけたかと思えば、髪の毛を掻きむしる。
彼の心情にどんな変化があったのかまるで理解が追いつかない。
ところ構わず発狂する姿に同じ年くらいの大人達が必死に落ち着かせ始める。
それでも発狂し続けた彼は魂が抜けたように静かになった。
大人に促されるまま校舎へと入っていく背中はとても小さい。
一連の出来事がなんだか不気味で怖くて、それが誰にでも起こりえることなのだと思わされる。
校舎内でも発狂する人がいて外に出てきたと言うのに。
彼の顔はもうない。ぐちゃぐちゃで原型を留めていないそれが現実じゃないと錯覚している。
空気が重い。ただただ苦しい。
みんなが大切なもの全部を失って傷心して、人生が狂っていく。
気持ちを切り替えようと浜名湖に目をやる刹那、視界の端に柊が見えた。
まさか彼も今の一部始終を見ていたんじゃないだろうか。
私の視線に気づいた彼はスッと目を逸らして、浜名湖へ向かっていく。正確には猪鼻湖だけれど。
そのさきに何があるのか私にはわからない。
だけれど、彼が望んでいることはわかる。
死にたい。
それだけのために彼は湖に向かっている。
もう、どうでもいい……。
なんだか、疲れた。
昨日の今日で、一気に状況が変わって、平穏が消えて、命が奪われた。
これ以上誰かが死んだって、たった一人増えただけ。
1人減ろうが増えようがテレビニュースやネット記事では大した差にならない。
何よりも彼の心理についていけない。
こんな状況さえどうでもいいほどに死にたいのなら、死んじゃえばいい。
どうせ、私にはわからないのだから。
喧嘩した言い訳をただすらすらと並べていく。
見て見ぬ振りをして、目を逸らして、校舎に向かう。
親を待つんだ。
連絡をとり、すぐに向かうと返事があった。
奪われた命もあれば、生き残った命もある。
冬のような寒さも夏の暑すぎる熱もなくて良かったと思う。
合流した後で家に帰るつもりだ。
生活ができそうなら、そのままいつもみたいに生活する。
無理なら、避難所生活。
それか、どこか他県にでもいくだろう。
そんなことをふんわりと考える。
叔父も叔母も県外だし、何より海から遠い。
安全な地域に引っ越すだろうことは会うよりも先に理解している。
もうこの世に鈴木はいない。
阿久津と親しい関係でもないのだから、いる理由もない。
どうして鈴木の父親は阿久津を思うよりも先に鈴木の死を嘆いたのかなんて、興味がない。
家庭の事情に躊躇いもなく踏み込むほどデリカシーのない女じゃない。
こんなあっけなく人が死ぬのなら、もう少しくらい距離を近づけたかった。
鈴木のことが好きだとちゃんと伝えれば良かった。
後悔は、今更消えない。
街ごと飲み込んだあの波と一緒に消えてくれればいいのに。
でももうしょうがないのだ。
仕方がないのだ。
私にできることなんてない。
自然の脅威に立ち向かうなんてこと、できるわけがない。
母が来る。
優しく包み込んでくれて、安堵したように私は泣いた。
この恐怖から逃げられるなら、それでいいや。
もう私と一緒にいてくれる友達はいないのだから。
元から好かれるような人間じゃない。
家族にさえ愛されていればそれでいい。
夜が開けて、想像通りに県外に引っ越すことになった。
父親は、転勤と言っていたけれど、転職をすることにしたらしい。
半月は浜松で働いて、そのあとは有給をとって転職先で仕事を覚えていくそうだ。
次の家が決まるまでは叔父叔母の家で寝泊まりすることが決まった。
場所が変われば、変わらない日常がそこにはあった。
誰もが笑って過ごしていて、まるであの未曾有の大災害を忘れている。
死者も行方不明者も大勢いる。そんな事実がなかったかのように普通の生活が送られている。
転校先ではどこから引っ越してきたのかは非公開になった。
いじめを考慮したのだろう。
うまく学校に馴染めず、いじめっ子が波に飲まれて死んで仕舞えば良かったのにといった暴言を吐かないように。
小さい頃にあった大震災でそんな話を聞いた。
懸命な判断なのかもしれない。
そのおかげで、学校では馴染むことができて、男友達もできた。女友達はまだ気が引ける。怖い。
私の恋も終わり、新しい彼氏でも作ろう。
元々彼氏なんていなかったけど。
ここの街はみんな仲良くしてくれる。
あとは引越し先さえ決まれば、元通りの生活に戻る。
未曾有の大災害なんて忘れて仕舞えばいい。
なのにどうして、いつまでもぐちゃぐちゃになった鈴木の顔を思い出してしまうのだろう。
ふっと思い出して、眠れなくなって。
学校で眠ってしまって、目が覚めれば目の前に鈴木がいるように見えて。
睡眠不足が原因なのか、食欲不振が原因か、貧血気味になり、体育を休むようになった。
部活も入っていない。
帰りの足が重い。
「碧!」
後ろから聞こえる男子の声に振り返る。
「真斗……」
「お前、最近大丈夫か?」
少し前から仲良くしてくれる同じクラスの男子生徒。
スポーツ万能で勉強もできる。
なんとなく鈴木に似ている。
「あ、うん。大丈夫だよ」
「そんなこと言って、本当は?」
見透かしているようで、目を合わせることができない。
本当のことなんて言えない。
いじめの可能性を考えたら、なおさら。
「大丈夫だって。それより、帰り道こっちじゃないでしょ?」
「……あー、こっちこっち。こっちの方が近道なんだ」
嘘なのはお見通しだった。
気付けないわけがない。
今までこんなこと言っているの鈴木くらいしかいなかった。
なんでまだ鈴木のことばかりを考えているのだろう。
そんな疑問に被りを振るように、口を開く。
「それじゃ、ちょっと歩きながら話そうよ」
彼は、自転車から降りて私の歩幅に合わせて歩く。
その優しさがまた鈴木に似ていた。
昔の彼は優しさの塊で、私が嫌がることはしなかった。
「このまち、なんもねぇなって思わん?」
「そうかな」
「東京に行くにしても、少し遠いし、県内に街っていう街もない。住宅街があるからスーパーやカフェは少ないけどある。お前の住んでた街ってなんかあるの?」
今はもう何もないよ、とは言えなかった。
波が全部飲み込んじゃったなんて自虐風に言えば、困惑するに決まってる。
「うーん、私、あんまり外出なかったからわかんない」
嘘ではなかった。
栄えているわけでもないあの街は、自転車で出かけるくらいしかなくて、交通の便は悪い。
電車だって朝と夕方以外は一時間に一本だ。遊びに行こうと思えば、交通費の方が高い。
今の家の方が、歩きで行ける距離だし、とても楽。
「なんかそんな気がする。本とか読んでそう」
「そうかな。あんまり読まないよ」
「ほんとかよ」
「どっちか言うと、ゲーム」
「おいおい、意外だな。何やるの」
「カートゲーム」
「王道かよ。もっと知らないの来るかと思った」
「私のことなんだと思ってるの?」
「重い枷を担ってそうだなって」
「意味わかんなーい」
とケラケラ笑う。
そんな暗い顔した覚えがない。
二歩三歩と歩いた先で彼が隣にいないことに気づく。後ろを向けば、真面目な顔をした彼が突っ立っていた。
「少しくらい本音を言える相手、欲しくないの?」
時間が止まったように感じて、平衡感覚を失いそうになる。
聞いて欲しくなかった言葉。
私の過去なんてどうでもいい。
何か言えば、可愛い子ぶってうざいなんて言われる。愛嬌は人を傷つける武器にもなる。
嫌われたくないのなら、言わない。
それが最適解。
そうやって自分に言い聞かせてきた。
でも、彼はもう気づいているんだ。
重い枷なんて言葉が出たのは、暗い顔に気づいて言えないことが増えていることを暗示していた。
本音が言えないなんてもはやバレているだけ。
しかし。
「まだ、半月のあなたに言うわけないでしょ?」
と、悪い顔をして言ってみた。
彼は笑った。
どんな意味が含まれているのかわからない。
私のこともまた意味わからないと思っているのだろう。
「そうだな。じゃあさ、どっか遊びに行かない?関係を深めたいと思って。土曜日の昼、空いてる?」
もちろん、デートとかじゃないよと、彼は付け足す。
そんな言葉を信じる相手がどこにいるのだろうか。
断るのは勿体無い気がして、提案に乗っかることにした。
土曜日、予定を決めて、集合場所で落ち合った。
彼は、シンプルな服装に軽く髪をセットしている。
やっぱりと内心思うのと同時に私もまた同じことをしているのだと思うとお互いに考えることは一緒だった。
今日、何が起きてもおかしくない。
「久しぶり」
「昨日ぶりだから」
なんて言葉を返せば、近くのカフェに行こうと誘われる。
「映画の予約はしてあるから、大丈夫」
一時間近く暇なので、カフェに行くのは妥当なのかもしれない。
恋愛経験がないのでよくわからない。
適当にベラベラ会話して、意外と気が合うなと思う。
もう少し話していたいタイミングで、映画の時間が迫っていた。
映画を見て、このままどっかにいくくだりを想像していたけれど、彼は解散を提案してきた。
「もう帰るの?」
なんて言えば。
「じゃあ、もう少しいる?もっといる?」
って、かえしてくる。
「もっといる」
甘えた声で言えば、彼は嬉しそうに私の手を握る。
いつか鈴木にしてもらいたかったことの一つ。なのにどうして足りないの?
しかし、そんなことどうでも良かった。
近くのカフェに入って、お互いに目を合わせれば、恥ずかしそうに目をそらす。足元でちょんちょんと揶揄う。
火照る気持ちが入り乱れて、机に手を置いて彼の手の甲を撫でる。
目の前に鈴木がいるようで、望んでいた答えが待っていた。
真斗の顔に鈴木の面影を感じれば、気持ちは膨れ上がっていく一方。
ようやく会えた。
もうどこにも行かないで。
愛を感じて、会話も終わって、そこには知らない人の顔が目に映る。
こんなんでいいのかな。
鈴木を感じられたのなら、誰でもいいのかもしれない。
でもやはり、私はまだ、鈴木を忘れられないでいる。
死んで欲しくなかったから。
溢れてきた涙を彼に隠れて拭う。
「そろそろ、帰ろ」
私は先に立ち上がってカフェを出る。
鈴木はもうこの世にいない。
全部、忘れなきゃ。
そう決意した。
冬休みに入る頃、LINEの通知がいつもより多いことに気づいてアプリを開いた。
普段、真斗くらいしかLINEで連絡を取らない。
他の友はインスタだ。
LINEの一番上には柊のアイコンがある。右端には一の数字がある。
『少し話したい。会える?』
短い文章。
あの日、柊は湖に向かって歩いて行ったはず。
自殺でもしに行ったんだと思っていたけれど、彼は死んでいなかったらしい。
しかし、今更話すことなんてない。
彼と会う理由なんてどこにあるのだろう。
考えないようにして生きているけれど、柊は今も何かと考えて生きているのかもしれない。
憶測で話すのはやめよう。
それに会う必要もない。
けれど、彼は電話をよこしてきた。
ぶち切ってスマホをソファにぶん投げる。
「ちょっと、スマホは大事に使いなさいよ」
最近引っ越した我が家は、ようやく安定してきて、家具も揃い始めている。
このソファも新調したもの。
スマホよりもソファを大事にして欲しいのだと思う。
「うるさいな」
イライラしながら、リビングを出る。
廊下を父さんが通ったけれど、ただいまを無視して部屋に戻る。
今更、浜松に戻る理由なんてない。
部屋のベッドでうつ伏せになりバシバシとマットを叩く。
思い出させないで欲しかった。
もう浜松の人間の誰とも会いたくないし、名前も見たくない。
忘れるように数ヶ月を過ごしたのに、どうして連絡なんて来るのか。
LINEのアカウント変えれば良かった。
せっかく引っ越したのだから。
部屋をノックする音が聞こえる。
ガン無視した父さんが怒っているのだろうか。
それさえも無視すると入るぞと言って勝手に入ってきた。
「入んないでよ!!」
「柊って子から電話来てたよ。間違えて電話に出ちゃった」
ほいと、スマホを手渡すと柊の声が聞こえた。
「……」
あとで絶対ぶっ殺すと誓う。
飄々とした顔で出ていく父さんに殺意を向けても鈍感な父さんは気づいていない。
「もしもし、少し時間もらえない?」
上体を起こし、うんと声をかける。二の句を待つ。
「鈴木を生き返らせるって言ったら、協力してくれる?」
「……あのさ、そんなふざけたこと言うなら切るけど」
「違うんだ、待ってくれ。タイムリープの伝説、知ってるだろ?」
「は?」
とうとう頭が狂ってしまったのかとため息をつく。
そんなこと言うタイプじゃないと思っていたけれど、勘違いだったらしい。
柊はそんなオカルト話を信じるたちじゃないだろうに。
いつかの電車で二人話した時、彼はもっとも現実的で正しいことを言っていたはず。
「都築神社、調べてみてよ」
「……だから」
「いいから」
電話をスピーカーにして、検索エンジンをかける。
するとLINEからURLが送られてきた。
それをタップルすると都築神社の伝承が書いてある。
「調べろって言ったじゃん」
「遅いから」
そこには彼の言う通り、タイムリープの話が載っている。
一つの願いを叶える場合、一つ犠牲を生む。
等価交換とも言える関係性でない限り、できないという。
「都市伝説か何かでしょ」
そもそもそんなことができるのなら、未曾有の大災害が起きる犠牲と同時に被災者を助けることだってできたはず。
「……ねぇ、まさか」
そんなことができないのなら、一人を助けるために犠牲を払う。
「一人だけなら、犠牲も少ないって思わない?」
「バカ言わないで。そんなこと誰が信じるの」
「じゃあ、俺たち、なんで鈴木が位置情報アプリの現在地が表示されているだけで、海に行ったの」
「そんなの」
「俺たちが、何かを悟ったからじゃない?」
「でも」
それなら、なんでその悟った感情はとうになくなっているのか。
「誰かがその記憶に改変をおこしたとすれば?」
「あの日、改変した人がいるなら、それさえも変えるべきだって事?」
「犠牲さえあれば、鈴木は生きているかもしれない」
未曾有の大災害が起きる前日、彼の行動は明らかにおかしかった。
私の家に泊まること。
一緒に都築神社に行ったこと。
涙を流したこと。
そして、都築神社の伝説について触れていたこと。
死ぬことを知っていたから、救って欲しかった?
「まさか」
「お願い、少しでもいい。わがままに協力して」
「……わかった」
信じたわけじゃない。
でも、何かと一致する。
違和感を抱いたあの日の記憶が呼び起こされる。
気がつけば、私は母さんに最寄り駅まで車を出して欲しいとお願いしていた。
冬休みに入って、柊と落ち合う。
思ったよりも復興作業が進んでいた。
柊は親が亡くなったようで、仮設住宅に住んでいるらしい。
バイトもできないから、支給された飯を食べているそうだ。
学校の再開にも目処が立っていないらしい。
同学年にも亡くなった人は多いらしくて、精神を病んで病院に入院する人もいたらしい。
「ここ、座って」
彼に促されるまま、ベッドに座る。
ベッドに座られることを拒む男子もいるようだけれど、彼はそうではないらしい。
「一人で、ここ住んでるの?」
「身寄りがないからな。一人で、適当に時間潰してる。復興作業の手伝いとかしながらね」
「……」
「引越し先があれば、良かったけど、そううまくはいかないな」
「そっか……」
「雨宮はどうしてるの」
「引っ越して、転校した」
「それくらい知ってる。話題になってたよ」
「そんなまさか」
「鈴木が死んで、浜松から逃げ出したって」
「……」
「どうでもいいけど」
本題に入ろうか、と彼はいう。
机に置いてあった封筒を手渡す。
開けても良さげだったので開けると、一冊のノートが入ってあった。
一枚捲るとそこには鈴木の字が広がっていた。
鈴木のノートには、父親の住所や阿久津の現在、どこで生まれたかなど詳細に書かれていた。
伝説が本当だった時に起こる現実的な物語。
父親が、鈴木の死を見て何を思うのか。
その遺体を阿久津も見た場合の心情の変化。
何パターンにも分かれて、書き連ねている。
最後には、完遂するために必要なことが箇条書きで書かれていた。
「これ」
「鈴木は、大災害を予見してた」
「……」
「でないと、こんなこと書けない」
「……これは、復讐?」
「僕はそう思ってる」
彼の目を見ると、嘘はなかった。
「でもどうして」
「信じ切れる理由はわからないけど、縋るほどに憎んでたって考えると大胆だけれど、尤もわかりやすい」
何より、とノートのページを捲り指をさす。
『父親に愛を教える』が最終目標と丸をつけている。
「鈴木を失うことだけで、愛について知ることはできないと思う。あくまで仮定だけど。でも、そこに阿久津って腹違いの女の子が出てこれば、話は変わってくる」
「……」
「あの日、見たんだ。鈴木の遺体に泣いてよりつく女の子と少し離れて泣いている父親の姿」
少し外に出ようかと彼はいう。
浜名湖沿いを歩くと少しして立ち止まる。
「僕は、ようやく死ねるって思ったんだ」
「……」
「家に帰ったら母が死んでた。鈴木の死の次は母なのかって」
浜名湖を見やる柊。
「もう全部終わりにしようって。それで、浜名湖に歩いて溺れて死んでやろうって。そしたら、人影が見えたんだ」
震える声。
「鈴木が、目の前に立ってた。腹まで浸かったくらいだったかな。これ以上行かせないような顔してた。それでも行こうとする僕の腕を引っ張った奴がいるんだ」
「だれ?」
「鈴木じゃなかった。ただのおっさん。命が、救われたんだ」
死ねなかった、と呟く。
「呪いじゃないかって思えた。どうして、死なせてくれないんだって。でも、わかった気がする。このノートを見つけて、読んだ時に気づいた。鈴木を生き返らせることができるんじゃないか」
それで、雨宮を呼んだと告白する。
「何を犠牲にするの」
風がなびく。髪が揺れて、開いては閉じてを繰り返す彼の口。
「……決めきれないな」
辛そうに言うものだから、それ以上に返す言葉がない。
聞きたいことさえ聞けない。
どうして、鈴木の家に行ったのか。
彼の住んでいる街は県内といえど遠い。
「でも、鈴木を救う気があるのなら、協力してほしい。今から、都築神社にいく」
決定的な証拠まではいかないけれど、鈴木が残したノートの通りにことが進んだと考えれば、彼は一度未来を見ている。
未曾有の大災害を知っていて、その上で行動できた。
もしかすると、私に写真を撮りにいかせるために学校に行かせたのは、未来を知っていたから。
私たちを救って、父親に復讐をした。
許せないのは、自己犠牲で私たちを救ったこと。
それに、自分が死んで復讐を完遂したと思うのなら、生ぬるい。
復讐なんかよりもっとやれることがあるはずなのに。
父親のために復讐するのなら、阿久津はどうなるのか。
あの子は、あなたが好きだったからあなたの死体の前で泣いていた。
彼女の気持ちまで踏み躙るなんて許せなかった。
神社の前に立つ。
何を代償に鈴木を生かそうか。
そもそもどうやってタイムリープするのか。
神社の前に来たとはいえ、二礼二拍手でもしたらいいのか。
とりあえず五円玉でも入れておこう。
「僕が考えた犠牲がある。雨宮はついてきてくれればいい」
「……わかった」
お賽銭に五円玉を入れる。
二礼二拍手をすると意識が遠のく。
後ろで音を立てる風が聞こえなくなる。
そして、意識が消えた。
チャイムがなる。
騒がしい学校。見覚えのある廊下、教室。
夏用の制服を着ている自分に驚く。
スマホを見ると九月。時刻は十六時になる。
すぐに放課後になる。
柊に目を向ければ、お互いタイムリープしたのだと気づく。
本当にタイムリープができたんだ。
私の記憶も柊の記憶も残ってる。
黒板には、『171』やハザードマップが書かれている。
鈴木は、私の『好きだよ』の電話に睨みを効かせていたはず。
放課後に入り、すぐに鈴木を捕まえに行った。
彼の腕を掴むと驚いたように振り返った。
「ねぇ、今日から一ヶ月間、ずっと一緒にいるのはどう?」
「……何言ってんだ」
ふざけているのかといいたげな彼。
「せっかくだし、遊ぼうよ」
「お前とそう言う気にはなれない」
「何を想像したの?」
「サッカーでもするか?弱いくせに」
「なんか子供みたい」
「めんどいな」
いつもの口癖が出てくる。
鈴木は、変わらず鈴木だった。
「じゃあな、またあした」
腕を振り払って廊下をスタスタと歩き去っていく。
「一ヶ月も一緒にいようなんてバレるだろ」
いつの間にかきていた柊に言われて、頭を冷やす。
「そんなこと言われても」
「鈴木はタイムリープの伝説を知ってる。一筋縄じゃ行かないことを理解するべきだ」
「じゃあ、どうやって死ぬ未来を変えるの?みんなが鈴木の死で壊れていった。私もそう。あなたもそうでしょ?なら、どうやって」
「……雨宮も、壊れたのか?」
思えば、そんな話をしたことはなかった。
鈴木の死を受け入れたくなくて、望んでいた展開を他の誰に面影を乗せて。
最低なことをしたのはわかってる。
だけど、柊にはいえない。もちろん、鈴木にもいえない。
「あの後、父親の転勤で引っ越しが決まっちゃってさ。忘れたくない街だよ、ここは。でもね、忘れたいって思ってる自分がいて、乖離して、気持ちがぐちゃぐちゃになっちゃった」
廊下の先に鈴木はいない。
鈴木は、いつもそうだ。
勝手にどっかいって、一人で生きようとしている。
そんなこと高校生には到底できないはずなのに。
彼は自分で未来を作ろうとした。
自分のいない未来で、呪いを作った。復讐者になろうとした。
腹違いの妹があんなにも泣いている姿、これ以上見たくない。
自己犠牲の先にある復讐は許されないし、許さない。
今はもう、その感情だけで十分だ。
彼の死を止める。
「柊、どうやって止めようか」
縋る私の思いを汲んでか、図書室で作戦会議をすることになった。
何せ、一ヶ月はあるのだ。
うまくいけば、生きる未来を作れる。
地図をコピーして土砂崩れの被害範囲を丸で囲う。
浅い波が押し寄せてくるところは青色で囲った。
どうしても鈴木が死んだあのエリアには行かせない方がいいことが改めて思い知らされる。
どうにも逃げ場がない。
そしてもし鈴木を助けた場合、阿久津がどうなってしまうのかも考慮したい。
鈴木は、阿久津のことを気にかけている。
仲がいいと思っていたけれど、あのノートを見た後到底そう思うことはできなかった。
阿久津は父親に復讐するための道具だったに過ぎない。
彼女はそのために仲良くされて、絶望のどん底に突き落とされた。
彼女を思うなら今のうちに突き離しておいた方がいい。
「阿久津ちゃんのこと考えてるんだけどさ、この地図を見てるとどうして生き残れたのか疑問が湧くね」
考えてみれば、阿久津は鈴木がわざわざ助けている。
ちょうど被害のない場所にいて阿久津を助けてスマホを渡す。
危険な場所から離れてもらうにしても園児一人を歩かせるだなんておかしい。
「始めに位置情報アプリが動き始めたのはこの辺だったっけ」
と、柊は黒で小さく丸をつける。
「動き始めた場所から土砂の被害地域はそんなに遠くないね」
逆に言えば近すぎるわけでもない。
「なら、助けた後で土砂に巻き込まれた?いやだとしたら、辻褄が合わない。阿久津を救うだけなら一緒に逃げればいい」
「他に助けたい誰かがいた?」
ふと思い浮かぶのは、鈴木の母親だ。しかし、柊が鈴木の家に行けたとなると母親は生存してる。
「後で考えよう。鈴木を最優先に助けたい。阿久津って子が生きてるなら今回も助けられると思う。確証はないけど」
それと今回のリープは一aにしようと続ける。
自分達のリープした世界線をaとして一は一回目ということだろう。
「鈴木が土砂に巻き込まれないようにするなら、三ヶ日エリアに居ないようにする。阿久津も同様に」
「難しくない?」
復讐として完璧だったaの世界線。そして。
「鈴木が一aを知らないとは限らないでしょ?」
aの世界線の記憶を引き継いでいる私たち同様に鈴木もまたリープしたと気づいているかもしれない。
「確かに。なら無理やり呼び出すっていうのはどう?阿久津って子と鈴木に会いたいから連れてきてって」
「うーん……」
鋭い鈴木相手に安直すぎる。
「今回は、雨宮が尻すぼみしてるな」
「被災後は柊が億劫になってたのにね……。私、変だね……」
あの時は気が気でなかった。
どうしてもこの目で生きていることを確かめたかった。
今はもう何をしても死んでしまうんじゃないかと助かる見込みは少ないんじゃないかと勘繰ってしまう。
「復讐を望む人が最後行き着く先ってなんだと思う?」
柊に問う。
「わかんないな」
「破滅だよ……。破滅願望ってあるじゃない?私はあると思うの。復讐を願うなら尚更。aの世界線であったように、自分が死んでもそういうこと望むから」
「つまり、都筑神社で願った望みの代償は、自死?」
「そんなこと思いたくないんだけどね」
あんなノートを見てしまっては、自死を願いの代償にしていてもおかしくない。
「私はあの神社で柊の望んだ通りにした。何も考えないようにした。正しいって思いたいけど、私は正直あなたのことも疑ってる」
「……今は、鈴木のことを考えようって言っただろ」
不安な目に気づかんとばかりに顔を地図に向けている。
問題点は波よりも土砂だと断定している様子。
波の被害は柊の家にもあったはずなのに。
考えたくないから目を背けているのか、本気で鈴木だけを助けようと思っているのか甚だ疑問だった。
「少なくとも阿久津って子と仲良くなっておくのは手だと思う。女子なら姉ができたみたいでいいんじゃない?」
「それなら鈴木がいるじゃん」
話を無視された私はぶっきらぼうに返す。
「阿久津を被害の少ないこっちに連れてきていれば、鈴木はこっちにくるんじゃないかって話」
「……なるほど。死なせなくて済むね」
阿久津に会って仲良くなって、被災日当日はこちらへ連れてくる。
鈴木も三ヶ日に行く理由がなくなる。
最高にいい案だ。
「じゃあ、阿久津ちゃんに会いに行こ」
「三ヶ日に住んでるの?」
「住んでると思う。ちょっと行ったとこに幼稚園あったはず」
日も暮れていたので次の日の放課後すぐに向かうことにした。
阿久津が通っているであろう幼稚園に着くと子供たちはもういなかった。
下校時間を過ぎて親が迎えにきたのかもしれない。
阿久津の家までは知らない。
これでは、計画が達成されない。
鈴木を生かすためには絶対に必要なことだ。
このまま帰るわけにはいかない。
近くの公園を探す。
遊んでいる可能性を考えれば、公園くらいしか思いつかない。
すぐそこにあるのなら行こうと柊が言う。
彼も鈴木を助けたいみたいで安心した。
公園には思いのほか園児くらいの子たちが遊んでいる。
そこにはaの世界線で見た正志がいた。
阿久津はどうにも見当たらない。
見る目のある正志だ。一aの世界線でも声をかければ話くらいは聞いてくれるだろう。
私のような可愛い子ならば当然。
「ねぇ僕、最近よくここで遊んでるよね」
声をかけると彼は不思議そうな顔をする。
「おばさん誰?みたことない」
隣にいた柊は笑いを堪えているようで肩をぶん殴った。
以前、お姉さんと言っていたくせに今はおばさんらしい。
女子高校生であり、制服も着ている私がなぜおばさんと言われなければならないのか。
「おばさんじゃないよ、高校生だし。それでね、聞きたいことがあるんだけど」
正志の目線に合わるべくしゃがんで問う。
「阿久津ちゃんって子わかるかな」
聞いてみたはいいけれど、彼はそれ以上にぼーっと私をみている。
どうやら気になっている様子。
a世界線と変わらず好きなタイプは同じみたいで安心した。
「お姉さんもしかして阿久津のお姉さん?三兄弟?」
同じ制服の男子が家連れて帰ってったと続ける。
鈴木だと察する。
いつも帰りが早いのは阿久津にあっているから?
「お姉さん呼びに変えれて偉いよー。正志くんは阿久津ちゃんと仲良い?」
「仲良いけど、最近お兄さんがずっと付きっきりでなんか……」
やっぱり阿久津と会っても仲良くなるには時間がかかるかもしれない。
「そっかありがと」
と、立ち上がり彼女の家を突き止めようと決める。
「克樹、パス!」
なんて声が正志から発せられる。
サッカーボールを蹴って遊ぶ彼らはきっとこの先起こる大災害を知らない。
知らせる必要もないかと思う。正志は生きているのだから。
正志から阿久津の家を聞くと大通りの右側に位置するらしい。突き当たりだからすぐにわかると言う。
その道中、鈴木は見当たらなかった。
そして、阿久津の家と思わしき場所に到着した。
何度かこのあたりを歩いて阿久津に会い、話しかける。
そうすれば、阿久津とも仲良くなれるかもしれない。
考えを巡らせていると、突然柊が私の腕を掴んで阿久津の家から離れた。
彼女家が見えなくなるほどに離れてしまう。
「ちょっと!!」
腕が痛かったのもあるけれど、何も言わずに離れたことに腹が立つ。
「雨宮はマジでおばさんなのか?」
「は?」
「ドアの鍵が開く音が聞こえた。ほら、鈴木が出てきただろ」
目を細めて阿久津の家をみやると鈴木と阿久津が出てきていた。
玄関の前には阿久津の母親と思わしき人と談笑している。チラチラとあたりを確認しているのは父親にバレないためだろうか。
少しすると彼は、道路を歩き始める。
追いかける阿久津が、何かを言う。
それが問いだと気づいた時には、阿久津は嬉しそうに笑う。
良好な関係なのだろう。
それと同時に彼女は、彼に違う感情を抱いているように見えた。
兄弟愛ではない何かがそこにはあるように感じた。
思い返せば、阿久津と初めて会った世界線aで鈴木の名を一向に出さなかったのは今起きている恐怖からではないのかもしれない。
「帰るか。このまま鈴木にバレるわけにも行かないし」
柊の提案に首を横に振った。
無理だ。
なんだか、あの二人の関係が気持ち悪い。
もし、兄弟愛ではない何かなら鈴木の遺体を見た時の阿久津の涙は兄弟に向けるそれではない。
「雨宮、そろそろ帰ろう」
鈴木がこちらへ向かってきていることに気づく。
柊に手首を掴まれ、流されるまま。
タイミングよくきた電車に乗ると私はぼーっと外を見ていた。
柊は、それ以上私に何かを言うことはしなかった。
ある日、ひょんなことで阿久津と会話するタイミングが生まれた。
いつも通り足繁く通っていた阿久津の家の付近。スーパーで見かけた彼女に、声をかけた。
一人で買い物する彼女が、商品を見比べて悩んでいた。
柊は、この場にいない。
部活に行っていないと鈴木にバレることを恐れたらしい。
「今日、お兄ちゃんいないから、料理教えて」
家に上がらせてもらうと母親が出迎えてくれた。
阿久津みわが、母親の名らしい。
それを知ったのは、みわが電話に出ている時だ。
キッチンに入る。棚に飾られている家族写真に目がいく。
両親の間に阿久津が屈託ない笑顔を見せている。
鈴木はこんな思い出の写真を見て何を思ったのだろう。
より復讐してやると誓ったのだろうか。
彼がいつも見せていた笑顔の裏にはドス黒いものがあったのか。
そう思うとなんだか悲しくなる。
私の知っている彼は、演技でもしていたのだろうか、と。
「ケーキ作りたいの。今日、雅也くん来ないの。だから、今のうちに覚えちゃいたい」
「うん、いいよ」
彼女は嬉しそうに笑う。
子供の笑顔はこんなにも可愛らしいものなのかと微笑む。
こっちまで嬉しくなる。
未曾有の大災害まで時間がなかったから、ちょうどいいタイミングだ。
「ケーキさ、場所変えて見せてあげたら?普段行かないような公園にピクニックしてみたら、思い出も増えるんじゃない?」
鈴木はきっとこの棚に写真を飾られることを嫌がるだろう。
だけど、未曾有の大災害当日ならば、写真を撮られても飾られることはない。
この辺も被害が出る。
大丈夫、うまくいく。
「そうかも!そうする!碧ちゃん!」
制服が一緒で同性だから大丈夫だと思ったこの子は、将来危ないなと思うけれど、それ以上に危険な未来がある以上仕方がない。
彼女が好きな鈴木が死んだらその先の未来はもっと酷なものになる。
「雅也のどんなところが好きなの?」
「え?」
「だって、顔に書いてあるよ」
顔を赤らめる彼女はとてもピュアだった。
「それは……、かっこいいじゃん。大人だし」
園児には高校生が大人に見えるらしい。
「初恋だと思うの」
初恋相手が鈴木とはとんだ最低ものだ。
彼女の気持ちを蔑ろにするなんて、許せないなと思う。
「碧ちゃんは、雅也くんのこと、どこまで知ってるの?」
「うーん、知らないかも。あなたほどは知らないかな」
「そうなの?じゃあ、私の方が上だね」
「そうだね」
きっと阿久津も私も知らない鈴木がいるんだろうと言うことは、言わなくていい。
初恋なんてどうせ叶わないのだから。
作業を進め、完成させる。
「今度は一人で練習してみて。雅也も一人で作ったもののほうが喜んでくれるんじゃないかな」
「そうかなぁ。不安だよぅ」
「あなた、可愛いし、大丈夫よ」
と、洗った手で頭を撫でると子供らしい顔を見せた。
子供をたぶらかす鈴木を一瞬でも死んでしまえと思ったのは、ここだけの話。
うまく行かなければどうせ、彼は死ぬ。
その未来を変えたくてタイムリープしたことを忘れてはいけない。
決意を改める。
連絡先を交換して、未曾有の大災害当日の昼前に会うように伝える。
彼女は親のスマホから毎日、連絡をくれた。
今日は上手くできなかったとか、上手くできたとか、その日によってバラバラだ。
鈴木が来てくれて嬉しかったとか、恋をしている子の言葉はキラキラと輝いていた。
初恋が敗れようと二人が生きていることの方が正しい。
生きていれば、どうにかなると言う保証はないけれど。
どうにかなると思っていた方が気は楽だ。
それは誰かがいると言うことが大前提である。
そんな大前提を忘れてしまったから、逃げてしまうのだ。
自暴自棄になる。
良くないと本当にわかっていたなら、目を背けることもなかっただろう。
他の男に面影を寄せることもないのだろう。
経験してようやくわかる。
私には、鈴木が必要なんだ。
彼を生かさなきゃならない。
絶対に救う。
生きてさえいればそれでいい。
未曾有の大災害当日、彼女は昼前に鈴木を呼び出すことができたそうだ。
少し怒っている様子だという彼女の不安を気にもせず、楽しんできてとLINEを送る。
この日、私と柊は一緒にいた。
鈴木を救うと決めたあの日の都築神社にきている。
「よく阿久津をこっちに取り込めたもんだな」
「まぁね」
「人の恋心を利用するなんて考えつかないだろ」
「そう言うクズ男っているじゃん?ちょっと知恵を借りただけ」
願いさえ叶えば、タイムリープは終わるはず。
あとは。
「柊が考えた願いの代償って?何を犠牲にしたの?」
「……」
神社に体を向け、私に背中を向けている彼。
表情が見えないけれど、もう一度口をひらく。
「世界線aの時の感情、今もあるんじゃない?」
死にたいと口にしたあの時の気持ちは消えていないはず。
「残念だけど、僕はそう簡単に口を割らないよ」
「……」
「言ったら叶わなくなっちゃいそうじゃん?願いを人に言わないのって叶わない可能性が出てくるからでしょ。出る杭は打たれるみたいに」
「望んだことは同じじゃん。犠牲は」
「犠牲は、僕が望んだこと。知る必要はない」
言葉を被せてそれ以上聞くなと言わんばかりに、階段を降りていく。
どこにいくのか聞くよりも先に、地震が起こる。
時間だ。
これから大災害がやってくる。
街は波に飲まれて、土砂がそのうちやってくる。
でも、もう大丈夫。
鈴木は、生きてる。
元から願いはこれだけだ。
一夜が明けて、阿久津と連絡が取れた。
鈴木は生きていて、阿久津と一緒にいるそうだ。
安心したのも束の間。
ひどく激しい頭痛にうなされる。
膝をついて、頭を抑える。
眩暈がしてくる。
前の前にある都築神社を見やる。
けれど、意識を失った私は、その場に横たわった。
目が覚めると、広がる景色に唖然とした。
黒板に書かれている『171』の文字。
一aの記憶はある。
また、タイムリープしたみたい。
鈴木を生かした。
阿久津がいてようやくできたことなのに。
失敗したと言うことなのだろうか。
どうして?なぜ?
柊が選んだ犠牲が叶わなかったから?
教室にいる鈴木が私をみている。
目が合う。
彼は何かを察したようで、私に声をかけてきた。
放課後に、柊も呼んで、都築神社へと向かった。
その道中、私たちは一言も喋らなかった。
一体何が起きて、もう一度やり直したのか。
階段を登りきるとまた、頭痛が激しさを増す。
それは柊も同じだったみたい。
苦しさの果て、私と柊は横たわった。
「なんで……?」
誰かの声。
「少し眠ってもらおうか」
鈴木の声がだけが、響く。
意識はまた、途絶えた。


