見失うばかりの僕ら

 どうにもこの世界は息苦しい。
 いつか願ったあの日の思いは誰にも届くことなく今を生きてる。
 ロープで首を絞めるようになったのはいつからだろう。
 家庭が崩壊して父親が出ていってからだろうか。
 それとも僕の成績が親の理想に届かなかったことがきっかけか。
 きっと後者だ。
 プレッシャーに押しつぶされて、精神的に参ってしまいそうな時に見つけた解決策。
 首を絞めて一旦全部頭を真っ白にする。
 そうすると何で悩んでいたのかも忘れられる。
 部活のグラウンドでやってしまった時は人もいなかったし安心し切っていた。
 しかし、最悪なことにあの鈴木にバレてしまった。
「死にたいのか、お前」
 ベンチで横になり目が覚めた時に聞いた言葉。
 他の部員、顧問がいたらどうしようかと焦っていた。
 あたりを見回してもここにいるのは鈴木だけ。
「別に……ていうか、なんで」
 今日は部活がなくなった。レギュラーメンバーでさえここにはいない。どうして彼がここにいるのか。
 普段から練習なんてめんどいってネガティブなことを言うくせに。
 自主練の前に溜まっていたストレスを解消しようと思っただけでこいつがいるなんて聞いてない。
「どっかのタイミングで学校で首絞めするかなって思っただけ。ほら、よく目についてたし」
 首に手を当てて言う彼。
 ずっと前から気づいてたと言うことだ。
 なぜ前々から言ってくれなかったのだろうか。
「部員にバラすのか?」
 この学校はあまり治安が良くない。
 いじめに発展する可能性だってある。
 脅される前に要件を聞きたい。
「バラさないよ。けどね、一つ交換条件をつけようか」
 その条件を彼が守ることはなかった。
 目の前に運ばれてきた遺体姿の鈴木。
 命は平等じゃないらしい。
 死にたい僕が生きて、それでも生きようとしていた彼が死んだ。
 鈴木のことが好きな雨宮さえ置いていって。
 雨宮を泣かせたのは僕だ。だけど、どっかのタイミングでどうせ泣くのだから今泣かせても良いだろうと言う考えは当たっていたのだろうか。
 鈴木は以前から雨宮は勘が良すぎて、危険だと言っていた。
 彼が何かを隠していても気づいてしまうから気づかせないように全部を隠しているとボソッと呟いていたことを思い出す。
 こんなことして嫌うよりも先に理由に気づくかもしれない。
 鈴木も雨宮も勘が冴えているから好ましくない。
 しかし、気になっていたことも問うことができたのは利点かもしれない。
 それは僕が誰かに聞いて欲しかった言葉なのかもしれない。
 このまま関係が終わっても良いけれど、死にたいなんて思う奴にかける言葉を聞いてみたい。
 雨宮はどんな答えを出すだろう。
 少し歩いた先には避難所がある。
 そこを少し歩いたところに我が家がある。
 未だ連絡が返ってこない母はどこにいるのだろう。
 浜名湖沿いのこの辺は景色がいいことだけが取り柄だったはずなのに、ここにはもう何もなかった。
 家も倒壊して車はどこかへ消えて、異臭を放っている。
 危険だとわかっているのに一歩二歩と踏み込んでいく。スマホのライトで足元を照らす。
 この家にはもう住めない。
 非常食もダメになっている。
 避難所生活をすることになるのだろうか。
 グニャっと足元が揺らいで尻餅をついた。
 足元には人の腕が伸びていた。
 嫌な予感がする。
 腕に触れると冷たいそれは生き物だと感じさせない異物感がある。
 その腕に沿って砂や泥を払っていく。
 タンスが倒れかかっているので、退かす。また泥や砂を払う。
 長い髪を端へと撫でれば顔が浮かぶ。
 泥や砂で汚くなった母の顔。
「なぁ……おい……」
 冷たくなった母が声を出すわけもなくて。
 昨日まで元気だったくせに今はもうどこにもない。
 死んでしまっているんだと言うことを思い知らされる。
 今日はずっと死体に会ってばかりだ。
 羨ましいと言っていたはずなのに、僕はこんなものになりたいのだろうか。
 否、なりたいから死にたいと願ったんだろう。
 この先、何を聞いても返ってこなくて、動いている姿もなくて、焼かれて骨になる。
 墓を前に会えば思い出すのだろう。そのあとで後悔するのだろう。
 ちゃんと話し合っていればよかった、と。
 父はどうして出ていったのか。
 母はどうして止めなかったのか。
 僕になぜ学力を求めたのか。
 原因はどれだけあったのか。
 どこにあったのか。
 知ろうとしないで怒鳴って勉強から逃げてきたつけだろうか。
 それとも、勉強を強要した母に罰でも与えたのだろうか。
 僕を苦しめる人がもういない。解放されたはずの心には淋しさがある。心にぽっかりと穴が空いたよう。
 望んだ母の死に方じゃない。
 両親を恨み愛せなかった僕が送る復讐なんてものは現実的じゃなかった。
 非現実的な出来事が起きたと言うのに今更そんなこと言うのは愚考だろう。
 なのにどうして、今気づいているはずの答えから必死に逃げようとしているのか。
 命なんてものは頑丈で簡単に死なせてくれないはずなのに。
 鈴木も母も死んでった。
 あっけなく脆く弱かった。
 僕にも死ぬ勇気が、ちゃんとした意思があれば、確実に死ねたのだろうか。
 やはりあの時の鈴木の行いを恨む。
 生かさず殺して欲しかった。
 そうだ。
 そうすれば、悲しまなくて済んだのだから。
 どれだけ恨んでも受け入れ難い死に様。
 顔も変形して体はぐちゃぐちゃ。
 滑稽な姿に呆然として、後から襲ってくる絶望や喪失感には耐えられなかった。
 この家には壁という壁もなくなった。
 隠れて泣くことさえできない。
 あぁ、羨ましいんだ。
 こんな非現実的な死が、望んでいた死が身の回りに起こってしまってどこか喜んでいる自分がいるんだ。
 相反する気持ちが心をぐちゃぐちゃにする。
 泥まみれの床を不必要にぶん殴る。
 きっと感情を整理したかったのだろう。
 羨ましい、憎い、喜ばしい、恨み。
 沸々と込み上げる怒りが、喉を痛めつけるほどの怒声となって、言葉へ変化する。
「ふざけんな……馬鹿か!!ありえない!!人らしく死にやがって!僕が殺すんだ!あの日決めたじゃないか!!家族もろとも一緒に死んでやるって……っ!鈴木に救われてしまったあの日から!!無様な僕がこれ以上現れないように!!なのになんで……!!」
 羨望の眼差しはこのことを言うのかと思う。
 涙が出るほどに希望の光に見えるから。
 また夜明けが来るのなら僕はその光へと歩いてみよう。
 人が脆いのなら、僕もちゃんと死ねるはず。
 もうこれ以上、哀れな僕を生かさないで。