聖人に対してのこの気持ちが『恋』なのか、分からない。
聖人と一緒にいると楽しいなと思うし、元々仲がよかったから恋愛以外の話も普通に盛り上がる。
登下校の送り迎えも嬉しいなと思うし、聖人とのキスも好きだ。
彼と唇を合わせるとじわじわと体に熱が広がって、幸せな気持ちになっていく。キスというのはすごい行為なんだなと初めて知ったのだ。
聖人は深月を初恋だと言ってくれたけれど、自分の気持ちがきちんと分からないまま『好き…かも?』なんていう気持ちを伝えたとしても、それは聖人に対して失礼だろう。
「(大事な人だからこそ、ちゃんと考えたい……)」
そうは思っていても、深月が卒業するまでもう時間がない。深月が進学した高校は大学までエスカレーター式なのだが、高校を卒業したら社会勉強も兼ねて一人暮らしをする予定なのだ。
そのことも聖人に伝えられていないし、どうしたものかと頭を悩ませていた。
「ねぇねぇ、深月様!深月様って本当にあの葉月聖人の幼馴染なの?」
「"あの"って……?」
「光が丘高の葉月聖人って、告白したら断らないで有名なんだよね」
「は……?」
「そうそう、私も聞いた!女の子取っ替え引っ替えしてるって」
「しーかーも、男の子でも告白したらOKしてくれるらしいよ!」
「来る者拒まずってやつ〜」
「……へぇ、そうなんだ」
「だから、深月様と合わなさそうと思って」
「うちの深月様は硬派だもんねぇ〜!」
クラスの女子生徒から聞いた話が、あからさまに深月の心を抉った。
「(やっぱり、あの時はぐらかしたのって、本当のことだったからなんだな……)」
また、嘘をつかれた。
深月のことを好きだとか、ちゃんと恋人になりたいと言うのなら。そういう話は包み隠さず話すものではないのだろうか?
別に遊んでいたって構わない。実際慣れているなと思ったし、深月が知らない期間に何をしていようと聖人の勝手だ。
でも、人に好きやらなんやら言うのなら、はぐらかさずにちゃんと打ち明けてくれたほうがよかった。そのほうがありのままの聖人を受け入れようと思たのに。
聖人の本当の気持ちが分からなくて、深月は複雑な気持ちを抱えたまま放課後を迎えた。
「……深月!なかなか出てこないから心配した。メッセージも電話も返ってこないから」
「………ごめん。ちょっと先生と話してたからさ」
「そっか、3年だもんね。でもエスカレーターなんでしょ?学科相談とか?」
「ん、まぁ…そんな感じ」
「俺はまだまだ先だね」
いつ話を切り出そうか迷いながら、結局家の前まで着いてしまった。
「今日どうする?このまま俺の家に来る?」
「あ、のさ、聖人……」
「うん?」
いつもなら聖人の家に寄って、日中離れていた時間を埋めるようにキスを繰り返す。ベッドの上で抱きしめ合いながら今日あった出来事を話して笑い合うような、中学生のデートみたいなことをしていた。
きっと聖人は退屈だっただろう。
いや、もしかしたらこれは罰ゲームか何かの類かもしれない。深月に告白させたらゲームセットのような、趣味の悪い賭け事をされている可能性も。
「お、俺さ、卒業したら家を出るつもりなんだけど……」
「………は?」
違う、言いたいのはこれじゃない。
確かにそれも話さないといけないことだけれど、聖人に『来る者拒まずでたくさんの人と付き合ってるって本当?』なんて聞けなかった。
「え、別に大学も家から通える距離なのに?なんで出るの?」
「いや、しゃ、社会勉強として?一度くらい一人暮らしの大変さを経験したいなと…家事とか料理とか家にいたらやっぱり甘えちゃうし……」
「ふーん。それはまあ、別にいいけど……俺は別れないよ?」
「へ?」
「家を出るのを言い訳にされても、別れないからね、俺は」
聖人が深くため息をついて、眉間に皺を寄せている。いつもの優しい瞳ではなく、まるで睨みつけるような視線にびくりと体が跳ねて、深月は思わず息を呑んだ。
「あう、で、でもさ…こんな頻繁に会えなくなるし……」
「それで?」
「えっと、会えないのに付き合ってる意味、なさそうだし……」
「他には?」
「……会えないやつと恋人でいるより、色んな人と付き合ったほうが楽しいんじゃない?」
「なにそれ。好きでもない人と付き合うわけないじゃん」
「嘘ばっかり。来る者拒まずなんだろ……」
「……なに?深月、もう一回言って?」
怒っている聖人にたじろいだが、ここまで言ってしまってはもう後に引けなかった。
「今日、クラスの女子から聞いた。女の子を取っ替え引っ替えしてるって有名だって…それに、男の子でも告白すれば、OKもらえるんだって……」
「深月って、俺の言葉じゃなくてクラスの女子のほうを信じるんだ?」
「いや、だって、この前はぐらかされたし……キスとか、う、上手いんだもん。信じるじゃん、そんなの!」
「へぇ。キス上手いって思われてたんだ、俺」
ぎらり、聖人の瞳が鋭く光った。
そして深月の腕を無理やり掴んで、誰もいない聖人の家に連れ込まれる。嫌だと暴れてみたけれど深月よりも体格がいい聖人には敵わなくて、荷物のように抱えられたまま2階の聖人の部屋へ連行された。
「わっ……!」
「クラスの女子にそれを聞いて、俺を遊び人だと思って、別れたいって言うために一人暮らしの話をしたの?」
「そ、そーゆーわけじゃ、なくて……」
「そーゆーふうにしか聞こえなかったよ。俺が取っ替え引っ替えしてる遊び人ならとっくにキス以上のことしてるし、律儀に登下校の送り迎えなんてしないでしょ」
「で、でも……賭け事とか、罰ゲームとか、そういうのかもしれないじゃん……」
「……深月には、俺がそんな最低な男に見えてるってことなんだね」
「ちがっ、ご、ごめ……!」
「はぁ、もういい。話しても分かってもらえなさそうだから、深月の言う通り距離置こう。それで別れるか別れないか話し合って決めない?今日はごめんけど、もう話したくない」
ベッドに押し倒されて腕を押さえつけられていたのだが、聖人が呆れながら離れていく。彼がベッドの脇に腰掛けて深月に背を向けると、胸がざわついた。
「あ、あの、聖人……」
「ごめん。深月には優しくしたいから、今日は帰ってほしい」
「え……」
「深月のことが大事だから、いま変な感情に任せて言い合いしたくない。だから今日は帰ってくれない?」
聖人とまた以前のように話せるようになってから初めて、冷たい声で『帰って』と言われた。たったそれだけのことなのにこんなにも胸が苦しくなって、目頭が熱くなる。ここで泣くのはずるいと思って堪えたけれど、ぽろり、堪えきれなかたった雫が流れ落ちた。
「ごめ、ごめん、まさと……」
「……」
「まさとのこと信じなくて、ごめ……だって俺が好きって、初恋って言ったくせに、キスとかいろいろ上手いの、いやだったんだもん〜……っ」
背中を向けている聖人の制服をぎゅっと引っ張ると、ちらりとこちらを振り返る。先日お互いの正体を知らずに待ち合わせ、カラオケの中でずびずび泣いてしまった時みたいにまた醜態を晒しているが、今はそんなことどうでもいい。
どうにかして、聖人を引き留めたかった。
「すき……」
「え?」
「おれ、まさとのことが、すき……!だから他の人とって考えたら、いやだった……」
たった一言『好き』。
この言葉を言うためだけに、大分時間を要してしまった。
「俺もずっと、聖人のこと、特別だったよ……だからあの時キスされても嫌じゃなかったし、もっとしたい、って……」
「深月……」
「怒んないで、聖人…俺のこと好きって言って……」
2歳も年上なのにみっともなく泣いていると、ふわりと抱きしめられた。そして大きな手が背中を撫でてくれて、抱きしめられると聖人の匂いがしてなんだか安心した。
「……ありがとう、深月。俺も深月のことが好き。深月としかこんなこと、したことないよ」
「ほんと……?」
「うん。取っ替え引っ替えの噂、俺に振られた腹いせに一部の女子が流してるやつ。好きな人がいるからって断ってたから、本当に誰とも付き合ったことないよ」
「よ、よかったぁ……」
「まぁ、俺は深月に恋人ができてるかもって心配してたけど」
「な、ないよ…人付き合いも苦手なのに……」
「そうだよね。俺にだけ、特別だもんね?」
「うん……聖人だけ、特別だよ」
「嬉しい。キスしていい?」
「ん……」
恋人になった好きな人と、初めて幸せなキスをした。
甘くて柔らかい聖人の体温が、全身に広がっていくような気がした。
「まーくん!久しぶりねぇ。随分背が伸びて」
「お久しぶりです、おばさん」
「まーくんのご両親も元気にしてる?」
「おかげさまで。……おばさんたちも、深月も元気ですか?」
「ええ、変わりなくよぉ。そういえばあなたたち、昔はよく一緒にいたのに最近はちっとも…喧嘩でもした?」
「いえ、そういうわけでは……強いて言うなら反抗期?とか」
「うふふ、まーくんにもそんな日が来たのね。深月は最近、ネットで友達を作るんだーって張り切ってて」
「え?」
「ネットって顔が分からないじゃない?変な人に引っかからないか心配なのよ」
「そうなんですね……ちなみに、なんのSNS使うとか言ってました?」
「なんだったかぁ…黒い鳥のロゴマークだった気がするけど」
久しぶりに、隣に住む幼馴染のお母さんに会ってそんな話を聞いた。昔は本当の兄弟のように仲がよかった、兄のような存在の深月と距離を置いて一年ほど。
どこに行っても周りが恐縮してしまうほどのイケメンである幼馴染の深月は、心を開けるような友達ができずに昔から悩んでいた。
孤高の王子様、なんて違う高校に進学した聖人の耳にさえ入ってくるほど、かっこよくて美しい人。
そんな彼が、SNSで友達作りをしようとしているらしい。
「………バカだなぁ、深月。こんなのすぐ見つけちゃうって」
今学生の間で流行っているアプリではなく、一昔前のSNSを使うところがなんとも深月らしい。流行りというものに疎い彼は、本名や自分の写真を使うことはしていなかったけれど、見る人が見ればすぐに分かるプロフィールを作っていた。
「"ムーン"さん、ね」
月の写真を使ったアイコンに、名前もムーン。自分が住んでる県と高校3年生ということ、それに映画好きだと記載していた。
「押してダメなら引いてみろ、がこんな変な方向に行くとはなぁ」
兄のような存在だった深月を、いつしか恋愛対象として見ていた。
それに気づいてからは身を引くよりも深月の恋人になりたい、彼の一番になりたいと思うようになっていたのだ。
深月は聖人の側にいてくれるけれど、それは『弟』としてしか見られていないことを分かっていた。
だからわざと彼を避けるようになって、別の高校に進学したのだ。いつか痺れを切らした深月が話しかけてくるかと思ったけれど、彼は微塵も聖人のことは眼中にないらしい。
「……作戦変更。こうなったら嫌でも意識してもらわなくちゃね、深月」
別に騙していたつもりはない。実際自分の本名である『葉月』という名前で深月に近づいたのだから。
でもまあ、結局は作戦勝ちしたのだけれど。
『聖人』という漢字が使われた名前なのに、やることはストーカーみたいな汚いやり方をして深月を手に入れたなんて、神様が知ったらびっくりするだろう。
「ねぇ、深月」
「ん?」
「卒業したら一人暮らしするのはいいけど……連れ込むのは俺だけにしてね」
「ふふっ、なに言ってんの」
「大学で友達ができても、家に入れちゃダメ。男でも絶対ダメだから」
「聖人って独占欲強いんだ?」
「……強いよ。だって2年、追いつけないんだから」
「大学は……同じ学校に来てくれる?」
高校は、どうせ中学の時のように1年しか一緒に通えないからと思って、意地悪をして別の学校に進学した。恋人になってから聞いた話では、通学路を3年間一人で歩くのかと思ったら寂しかった、なんて可愛らしいことを言われたものだ。
こつんっと額を合わせ、深月の柔らかい唇に小さくキスを落とす。
いまだにキスひとつで頬を染める深月を撫でながら、彼が愛おしくてたまらなかった。
「大学はそっち受けるつもり。大学なら2年一緒に通えるし」
「……!やった、よかった。聖人が来てくれるなら2年頑張るよ、俺」
――本当に頑張ってほしい。悪い虫がつかないように、気を付けてくれたらいいけれど。
「好きだよ、深月。深月もずっと俺のことだけ好きでいてね」
「うん。俺の恋は、ずっとずっと聖人にあげる」
家族も、弟も、友達も、恋人も。
これからもずっと、俺だけにしてね。
終
