「俺は頭がおかしくなってただけだ………っ!」
昨日の出来事は夢だったのだと思いたい。いや、夢だったのだ。
幼馴染で、男と、キスをしてしまった!しかも深いやつ!
結局あの後、初めてのキスにとろけてしまった深月は遊ぶどころかまともに話もできるような状態ではなかったので、聖人に腰を抱かれながら帰宅したのを覚えている。
二人が揃って家に帰ってきたことに深月の母はとても喜んで「あなたたち、やっと仲直りしたのね!」と大歓喜していた。昨日は久しぶりに聖人が深月の家で夕飯を共にして、帰り際に玄関の前でまたキスをされた。その時は深月の細い腰を撫で回していた聖人の手つきに体がぞわぞわして、寝付くまでに相当時間がかかったものだ。
「はぁ、これからどうしたら……いやいや、夢だったんだから全部元通りになってるはず。俺と聖人は付き合ってない、ただの幼馴染!」
昨日の出来事は何かの間違いだと思いたい深月はそう意気込んで、全てが悪い夢だったと割り切って登校しようとした。
「あ、おはよう深月。ちょっとお寝坊さんだね?」
玄関を開けると、深月の家の門に寄りかかってスマホを眺めていた聖人がパッと顔を上げる。深月を見つけた瞬間スマホをポケットにしまい、柔らかい笑みを向けてくるものだから、深月の小さな心臓がきゅうっと締め付けられた。
「お、お寝坊さんじゃないし……」
「そう?いつもより5分遅い気がする」
「なにそれ……いつも出る時間とか知らないでしょ」
「知ってるよ。だって毎朝、深月と鉢合わせないように遅く出てたから」
登校時間ズラすほど聖人は本当に深月を避けていたらしい。まさかその原因が『可愛くなくなったから』だったのは意外だけれど、昔とはまるで別人のようにかっこよくなった聖人をチラリと盗み見てはきゅんっと胸が高鳴った。
キスをしてしまったという先入観もあるのか、聖人のことが昨日よりかっこよく見える。たとえるなら、キラキラのエフェクトが彼の周りに見えるような、そんな感じなのだ。
「(目がおかしくなったかも……)」
そんなキラキラオーラが見えるなんて普通じゃない。目をゴシゴシ擦ってみたけれど、何も変わらず聖人の周りはキラキラで溢れていた。
「あれ、聖人。バス通じゃなかったっけ?」
「うん、そうだよ」
「こっち俺の学校のほうなんだけど……」
「そう。深月のこと送ってから行く」
「え!そ、そんなの悪いって!遅刻するんじゃない?」
「大丈夫、うちの学校ゆるいから」
遠慮する深月の言葉を無視して、聖人はすたすたと歩いていく。彼が歩く道は正真正銘深月の通学ルートで、てっきり4月から一緒にこの道を歩けるものだと思っていた深月はしばらく落ち込みながら歩いたものだ。
高校3年間、この道を一人で歩くのだと思っていた。
それがまさか、聖人と歩ける日が来るなんて。彼は一人だけ制服が違うけれど、それでも嬉しくて深月は聖人の後ろでにまにま微笑んだ。
「深月、帰りも迎えに来るから先に帰らないでね」
「帰りも?わざわざいいのに……」
「校門前で待つとか彼氏っぽくない?深月が卒業しちゃう前にやらせてよ。憧れてたんだよね、そういうの」
正直、きゅんとした。
校門で他校生の彼氏が迎えに来るとか、少女漫画であればラブラブカップルまっしぐらである。
「同じ学校に通ってくれたらよかったのに……」
「ふふ。拗ねちゃって可愛いね、深月」
「うわっ!」
通学路の途中にある公園に連れ込まれ、トイレの影に隠れてキスをした。
こんなところで誰かが来たら、誰かに見られたらどうしようと思うのに、体が言うことをきかない。深月の手は聖人の制服を掴んでいて、あろうことか息継ぎの合間に「もっと」とねだってしまう。
片手は深月の腰に、もう片方の手は深月の頬に当てて、情熱的なキスをしていた聖人が深月の言葉に不敵に笑う。彼は小さく笑いながら何度か軽く押し当てるだのキスをして、深月の耳元に低い声で囁いた。
「………また放課後にいっぱいしよ?」
「う、ん……」
「今から登校だけど、もう学校終わっちゃえばいいのにね」
なんていじわるく囁くものだから、深月は生まれて初めて腰が砕けそうな感覚に陥った。
「深月、そんなえっちな顔で学校行くの?」
「んぇ……?」
「今まさに襲われました、みたいな顔してる。俺、一緒の学校じゃないから守れないんだけど」
「そんな顔、してない……!」
「してるよ。写真撮っとこう」
「あ、ちょ……っ」
聖人とのキスでとろけてしまった顔を彼から激写され、聖人はスマホに映った写真を見てほくそ笑んでいる。先程までキスをしていたから唾液で濡れている唇を舌で舐めて、聖人はチラリと深月を見やった。
「もし、他の人の前でこんな顔見せたら……許さないからね。俺だけに見せて」
「……っ!」
な、な、なんなんだ!
本当に高校生なのかと疑うほどの色気で、深月はくらりと目眩に襲われた。いつの間にこんなに成長したのか、今でこんなにかっこよかったらもっと成長したらどうなってしまうのだろう。
「そろそろ行かないと遅刻するね。また放課後に」
深月を校門まで送り届け、聖人は笑顔で手を振りながら自分の学校に登校するために去っていった。
深月はというと、公園でキスした時の熱が忘れられず、登校してすぐにトイレに引きこもり熱を覚ますことになったのは言うまでもない。
「ねぇ、見て!うちの深月様に負けず劣らずのイケメンが校門に……!」
「あれって光が丘高の制服じゃない?」
「背高っ!イケメンすぎ!」
「きっと毎日告白されてんだろうなー、あんなイケメン。うちの王子様と同じで」
放課後、みんなが窓に張り付いて『イケメン』を見ているなと思ったら、今朝言っていたように校門の前に聖人が来ていたのだ。そして多数の女子生徒から囲まれてきゃーきゃー言われているのが3階の教室からでも分かる。
窓から眺めているギャラリーに混じって聖人を観察していたのだが、確かに聖人は本当に背が高くなった。何か部活に入っているのか知らないが鍛えているようだし、体格がいいのですごく目立つ。
深月は『王子様』だと周りからよく言われるが、彼はどちらかと言うと『騎士』のように思える。学校まで送ってくれたりわざわざ迎えに来てくれたりするから、そう思うのかもしれないけれど。
「彼女とかいるんですかー?」
「いなかったらLEIM交換しません!?」
「あ〜…彼女はいないけど、大切な人がいるので。すみません」
「えー!彼女がいないならいいじゃん!」
「私たちが彼女になりましょうかー??」
いつまでも教室から見てるわけには行かないと思い降りてきたのだが、女子生徒たちに迫られているなか聖人に声をかけづらくて少し遠でどうしようかとそわそわしていた。
「(おんなのこの扱い、慣れてる……)」
聖人が女子生徒に向けている笑顔が作り笑いだと分かるけれど、のらりくらりとかわしている対応の仕方が慣れているなと思ったのだ。
「(なんだよあいつ…俺にキスとか、したくせにさ……)」
聖人とキスするなんてダメなのにと思いながら、もっととねだってしまうのは聖人が上手いから悪い。でもなぜ『キスが上手い』のかを考えたときにハッとしたのは、深月とは違い彼は初めてではない、ということ。
それに気がつくと深月の小さな胸はもやもやとした黒い感情に支配された。
「………あ!深月!」
「え?深月様の知り合い?」
「俺たち、幼馴染なんですよ。深月、遅かったじゃん」
「……」
「どした?もしかして具合悪い?」
「ううん」
複数の女子生徒から腕を組まれている聖人を見て、心のもやもやは広がるばかりだ。
深月の恋人になると言ったくせに、普通のキスじゃなくてえっちなキスをしてきたくせに、どうして女子生徒に触れられるのを許しているのか分からない。
むむむっとしながら眉間に皺を寄せていると、聖人が嬉しそうな、それでいて意地悪そうな笑みを浮かべた。
「……深月、たくさんキスしてあげるから、そんなに怒んないで」
そっと囁いてきた聖人の言葉に驚いて飛び跳ねると、彼はくすくす笑っていた。
「じゃあ、すみません。俺たちこれから用事があるので」
女子生徒たちの腕を振り解き、聖人は真っ赤な顔で呆然としている深月の手を取った。その場に残された生徒たちから黄色い声が上がっていたが、振り返ることなく二人は手を繋いだまま無言で帰路に着く。
「……っん、あ……!」
「っふ、は……みづき……」
「んう、まさ、と……」
深月の家ではなく、聖人の家に連れ込まれた。聖人の両親は共働きで忙しく、夜まで帰ってこないのだ。深月の母は専業主婦で家にいるので、聖人もそれを分かっていて自分の家を選択したのだろう。
玄関のドアを閉めてすぐ壁に押し付けられ、朝から待っていたキスを与えられる。息継ぎの仕方が分からなくて目に涙を溜めると、聖人の目が細められたのが分かった。
「かわいい……」
そう呟いて聖人の手に撫でられ、その甘い熱にくてんくてんになってしまった深月は引きずられるように聖人の部屋に移動した。
玄関の壁から今度は聖人のベッドに押し倒され、唇だけじゃない場所にもキスの雨が降ってくる。ベッドからも聖人の匂いがして、深月は体の外側も内側もまるで彼に支配されているようだった。
「……実はいつも、窓から深月のこと見てた」
「ふぁ……?」
「学校から帰ってきて、着替えてる姿とか」
「は……っ!?」
「無防備なんだもん、深月。俺がいると思わずにカーテン開けっぱなしで着替えちゃってさ。意識されてないのかなと思ってた」
「な、や、へんたい!」
「ふはっ、可愛い。お風呂上がりの深月のこと見ながらさ……」
耳元で囁きながら、聖人の大きな手が腕を掴んでくる。そして掴まれた手はそのまま制服越しに――
「一人で、シてた」
重低音でねっとりと囁かれた声が、耳の中から体内へ侵入してくる。恥ずかしくなって無理やり手を離し、聖人に背を向けて枕に顔を押し付けた。
「や、やだ!そういういじわる言うの、やだ……」
「いじわるじゃないよ、事実だもん」
「俺が慣れてないからって、か、からかってるだろ!」
「からかってない。真剣だよ」
後ろからぎゅっと抱きしめられ、優しく頭を撫でられる。深月の肩口に顔を埋めた聖人が「今日はもう嫌なことしないから、機嫌なおして」と懇願するような小さい声を漏らすものだから、こくんっと頷いた。
「ね、深月さ……校門で女の子たちに嫉妬してた?」
「えっ」
「"王子様"なのに怖い顔してたよ」
「……聖人のせいだし」
「なんで俺?」
「……女の子の扱いとかキスとか、遊び慣れてるのかなと思って…俺に恋人になろうとか、言うくらいだし……」
「ふうん、そんなこと思ってたんだ。傷ついた」
本当に傷ついているような声が後ろから聞こえ「ご、ごめん!」と言いながら振り返ったけれど、聖人はにこにこした顔で深月を見つめていた。
「嘘だよ。嫉妬してくれて嬉しい」
「……また俺のこと騙した」
「反応が可愛くて、つい。もうしないって約束するから」
「本当かなあ」
いいように丸め込まれた気がするが、聖人から何度も啄まれるようにキスをされたら、それ以上は何も言えなかった。
「だって俺、深月が初恋で、これからも深月しか好きじゃないもん」
そんな声に振り向くと、こつんっと額を押し付けられる。
甘えるような顔をして深月を見つめている聖人にきゅんっとして、唾液で濡れている彼の唇を指でなぞった。
「……いつから?」
「分かんない。だから多分、最初から」
「そ、っか……」
深月と聖人が出会ったのは、深月が小学2年生で聖人が幼稚園の年長さんだった時。
隣の家に越してきた時はお母さんの後ろに隠れたまま、ふくふくのほっぺたを真っ赤に染めて恥ずかしそうに深月に挨拶をしていた小さい男の子だった深月。
ある日の学校帰り、近所の公園で小学校高学年の子に意地悪されている彼を庇ってから、深月に懐いてくれたのだ。
「やだ!みーくんとしょうがっこーいく!」
なんて言って、幼稚園に行きたくないと泣き叫んでいた朝が懐かしい。
一緒に小学校には行けないけど、帰ってきたら毎日遊ぼう!という約束を守り、二人は兄弟のように毎日遊んでいたものだ。
小学生のうちはよかったのだが、聖人が中学2年生の時に高校生になった深月はなかなか時間が合わず、いつしかすれ違って先日まで避けられていたのである。
深月の中で『可愛い弟』だと思っていた聖人がいつの間にか『男』になっていて、正直なところ、ドキドキが止まらない。
好きだと言われて嬉しいと思うくらいには、深月はすでに絆されている。しかも初恋なんて言われたら、尚更だ。
「俺のこと好きって言って?深月。卒業するまでに俺をちゃんと深月の恋人にしてよ」
聖人に甘く口付けられ、深月は受け入れるように目を瞑った。
