コーヒー片手に文庫本を開く優一郎があまりに様になっていて、凛は驚いた。
「三春くんって、本読むんだ……」
そう率直な感想が漏れてしまった。
優一郎は少し不機嫌そうに、「悪い?」と凛に視線を向ける。
凛は慌てて訂正する。
「あ、わ、悪いとかではないけれど、あまりイメージになかったものだから…」
いつも奔放で友人達と笑い合っているような優一郎が、まさか凛と同じ本を読んでいるとは思わなかったのだ。
(それに休日なのに、わざわざ喫茶店に来てまで本を読むなんて、私くらいのものだと思ってた…)
大人しい凛とは違って、優一郎なら休日に遊びに出掛ける友人など大勢いるだろうに。
優一郎はコーヒーを一口含む。
「本、昔から好きなんだよ。こうやって美味しいコーヒーを飲みながら本を読む時間が、一番最高」
「そうなんだ…」
「涼川こそ、休日は部屋に籠って勉強でもしてるんだと思ってた」
「私も、こうやってのんびり本を読むのが好きだから」
凛がそう答えると、「ふーん」と返答しながらも、優一郎は凛の顔をまじまじと見つめる。
「涼川ってこんなに大人しかったっけ?学校だともっとくそ真面目にきつく俺のこと注意してきてたと思ったけど」
優一郎の言葉に、凛は慌てた。
(ゆったりした休日気分だったから、つい素の自分に戻っちゃってた!どんなときでもきっちり意見の言える私になりたいのに…!)
凛が何か言わねばと思っていると、優一郎がふっと笑みを零す。
「でもま、こっちの涼川の方が良いんじゃね?」
「え?」
「だっていつも真面目にしっかりやらなきゃ、とかどうせ肩肘張ってんだろ?もっと自由に、自分らしく過ごせばいいのに、って思ってたから」
その言葉に、凛はどきりとした。
(もしかして、私がなりたい自分を演じていたこと、本当の私がしっかり者なんかじゃないこと、三春くんにはバレてる……?)
そうだとしたら、少しかっこ悪いけれど、凛は薄情することにした。
休日の穏やかな空気や、いつもと雰囲気の違う優一郎とのこの時間が、存外嫌ではなく、凛を素直にさせた。
「……私、本当は生徒会長になんて向いてないんだ…」
「え…?」
凛はぽつりと呟く。
「私、本当は引っ込み思案で、自分の意見もはっきり言えないような人間なの」
優一郎は驚いたように目を見開いて凛を見ていた。
「でも、そんな自分を変えたい、って思った。はっきり自分の意見を言える、かっこいい人になりたいって。高校に入ってから、なるべくそんな理想の自分を演じてたら、気が付いたら生徒会長になってた。みんなが選んでくれた生徒会長だけど、それは本当の私なんかじゃなくて、私は、まだまだ自分の意見を言うのも苦手で、気弱なままなの…」
自分の気持ちを誰かに話すのは、このときが初めてだった。
(本当は少し苦しかった。なりたい自分を演じて、でもそのなりたい自分には全然近付けていなくて…。自分と理想とのギャップに悩んでばかりだった)
優一郎は目をぱちくりさせて、凛の話を聞いていた。
凛が話し終わるまで、ちゃちゃを入れずに聞いてくれていた優一郎は、「……だからか…」と小さく呟いた。
「え…?」
凛が聞き返すと、優一郎は少し気まずそうに話し出す。
「涼川が抱いてる俺の印象って、どんな感じ?」
「え?え?」
何故急にそんなことを訊いてくるのかは分からないが、凛は戸惑いながらも素直に答える。
「えっと、明るくてクラスの人気者で、でもちょっとやんちゃというか。ピアスしてるし、制服も着崩してるし…。なんか真面目じゃなさそう?な感じ」
凛の率直な意見に、優一郎はぷっと吹き出した。
「涼川って、俺のことそんな風に思ってたんだ?」
「ご、ごめん!失礼だった!?」
凛が慌てて謝ると、優一郎は首を振った。
「いや、俺がそう見えるように演じてた姿そのままだ」
「え?」
「俺も、涼川と同じだ。本当の俺はこんなんじゃない。本当はくそ真面目で、堅物。誰かといるより一人で本読んでる方が好きだし、服装だって、きっちりしたものの方が好きだ」
今度は凛が目を丸くする番だった。
「でも、そんな俺を馬鹿にされたことがあった。だから俺は変わりたいと思ったんだ。誰からも馬鹿にされることのない、自由気ままな俺に」
優一郎からそんな話が飛び出してくるとは思わなかった凛は、目をぱちぱちと瞬かせた。
「涼川を見てずっと思ってた。真面目に、自分らしさを貫こうとしていてすごいなって。でも違った。涼川も、俺と一緒だった。なりたい自分になりたくて、努力していて、でもそのギャップに悩んでいて…」
本当の自分は、こんなんじゃないのに…。
「私、三春くんに少し憧れてた。自由で好きなことをしていて、自分らしく過ごしているんだろうなって。でも、三春くんも私と同じだったんだ…」
自分を変えたくて、理想に近付こうとするけれど、でもどうしても今の本当の自分との乖離に悩んでしまう。
引っ込み思案な凛と、真面目な優一郎。
(まさかこんな共通点があるなんて…)
「まさかこんな共通点があるなんてな」
凛と同じ気持ちを、優一郎も口にする。
普段学校で会うときよりも落ち着いた雰囲気の優一郎に、凛は然程苦手意識を感じなかった。
(三春くんのこと、私全然知らなかった。同じクラスで、よく話もしていたはずなのに、私と同じようなことで悩んでいたなんて…)
「で、涼川は他にも本読むんだろ?どんなのが好きなんだ?」
「あ、わ、私はね、」
無理に理想の自分を演じなくていいのだと思うと、凛の心は少し軽くなった。
(きっと三春くんも今は本当の三春くんなんだ)
本について話す優一郎はすごく楽しそうで、凛もつられて笑った。
教室で笑うどこか人に合わせたような優一郎でなく、今日の優一郎の笑顔は素敵だと凛は思った。
「って、もうこんな時間か。ちょっと話過ぎたな」
「本当だ」
外はもう薄暗くなっており、街灯が灯り始める。
「涼川がこんなに話しやすいなんて、思わなかったよ」
「わ、私も!」
優一郎はまた穏やかに笑う。
その表情を見て、凛は思わずこんなことを言ってしまった。
「み、三春くんは、三春くんらしくでいいと思う!」
「え?」
「あ、あの無理してなりたい自分にならなくてもいいのかな、って。私も、少し無理してたと思う…。なりたい自分に向かって努力することはすごくいいことだと思う。でも、もうちょっとだけ、ありのままの自分を好きになってあげてもいいかな、って…今日、三春くんと話して思えたの」
「…そうだな。涼川も、今日の涼川の方が断然可愛い。いつもはやっぱりとっつきにくかったから。頑張りすぎなくてもいんだよな、ゆっくりでいい。ゆっくりなりたい自分に近付いていけばいい。そんで疲れたら、今日みたいに気楽に話そう」
「うん!」
(ん……?さっき三春くん、私のこと可愛いって言った?)
凛が首を傾げると同時に、優一郎も首を傾げる。
(あれ……俺今なんて言った?涼川のこと、可愛いとか口走ってなかったか?)
学校で見る生徒会長な凛もかっこいいと思っていたが、今日のふわっと優しい雰囲気の凛もそれはそれでとても可愛らしかった。
頬に急に熱が籠ってきて、凛と優一郎はお互いから視線を逸らした。
苦手だと思っていた相手の本当の姿を知った二人は、ますますお互いを意識するようになるのだった。
終わり



