とある喫茶店にやってきた涼川 凛(すずかわ りん)は、その混みように思わず後退った。
(あ、やっぱり今日はやめようかな……)
 そう店内の賑わいに怖気づいている間にも、店員が明るい笑顔でこちらにやってくる。
「いらっしゃいませぇ!おひとり様ですかぁ?」
「あ、はい…」
「こちらのお席にどうぞぉ!」
 そう言われ、窓際の二人席に案内される。
 がやがやとした店内に居心地の悪さを感じつつも、凛はメニュー表に視線を落とす。
 本当はとっくに注文は決まっているのだが、なかなか店員に声を掛けられない。
(お昼時でみんな忙しそう…誰か近くに来てくれないかな…)
 騒がしい店内では、凛のか細い声は通らないだろう。
 そもそも大声で店員を呼べる度胸も凛は持ち合わせていない。
 ちらっと店員の方を見やると、店内を見渡していた一人の店員が凛に気が付いて、凛は慌てて小さく手を挙げた。
 にこっと笑顔のままやってくる店員に、凛はやっとカフェラテとフルーツタルトを注文した。
 無事注文を済ませほっと息をついてから、凛は鞄から一冊の文庫本を取り出した。

 今日は平日ではあるのだが、学校が創立記念日でお休みだった。
 凛のクラスメイト達は、高校生らしく人気のテーマパークに行ったり、カラオケに行ったりと、友人同士で過ごす者が多いようだった。
 しかし凛は一人、喫茶店でゆっくり本を読む日にしようと、このお店にやってきたわけである。
 学校で友達がいない、というわけではないが、休日に遊ぶような親しい友人は凛にはいなかった。

 文庫本を二、三ページ読んだところで、「お待たせいたしました」と店員の声に凛は顔を上げた。
「カフェラテと、フルーツタルトでございます」
「あ、ありがとう、ございます…」
 凛は店員の首元を見ながら、小さくお辞儀する。
 店員は持っていたトレーを小脇に抱えると、申し訳なさそうに話し出す。
「お客様」
「は、はいっ」
「大変申し訳ございません。店内が混み合っておりまして、相席をお願いできませんでしょうか?」
 店員の言葉に、凛は目を丸くする。
「えっ、あ、相席……?」
「誠に申し訳ございませんっ、何卒ご了承のほど、よろしくお願いいたします」
「えっ、あっ」
(相席って、目の前に知らない人が来るってことだよね?え、え、そんなの無理だよ!ただでさえ人と話すのが苦手なのに、知らない人だなんて……)
 凛が返答に困っている間にも、店員は容赦なく凛の向かいの席に客を案内している。
(わ、私まだなにも言っていないのに……)
 間もなくして、人影が凛の席へとやってくる。
「すみません、失礼します」
 そう頭の上から男性の声が聞こえ、凛は顔を上げずに小さくお辞儀した。
(よりによって男の人……)
 男性は特に気にすることもなく、店員にコーヒーを注文する。
 そうして鞄からなにか本のようなものを取り出すと、読み始める。
 凛は気まずく思いながら、フルーツタルトをちまちま食べ始めた。
(さっさと出た方がいいよね…?きっとこのひとも相席なんて嫌だろうし……)
 凛が縮こまって食べていると、向かいの男性が「あ」と声を上げる。
 男性はケーキの隣に置いてある、凛の本を指差した。
「その本、面白いですよね。俺も今ちょうど読んでて」
 目の前に文庫本の表紙を差し出される。
 それはまさに凛が読んでいた本と同じものだった。
「あ、…」
 気さくに話しかけてくれる男性に対して、凛は少し申し訳なく思った。
(向こうだって相席なんて嫌だったと思うのに、私に気を遣って話し掛けてくれたんだ…)
 凛は勇気を振り絞って、男性へと返答する。
「お、お、面白いですよね!四条先生の本!私、この作家さん大好きで…!」
 そう顔を上げて男性の顔を見た瞬間、凛は固まった。
 男性も凛と同じように目を見開いて驚いている。
「え、……涼川……?」
「…三春(みはる)…くん…?」
 凛の向かいに座っていたのは、クラスメイトの三春 優一郎(みはる ゆういちろう)だった。
 大人っぽい春のトレンチコートに、シックな黒のハイネックセーターを着ていて、眼鏡を掛けている。
 凛はまじまじと顔を見てしまった。
「え?本当に、三春くん、なんだよね?」
(だって普段学校で見る三春くんは、校則違反のピアスに、だらしない制服の着こなし。クラスの人気者ではあるけれど、THE陽キャって感じでいい加減。色んな女子と遊んでるって噂もある…)
 そんな優一郎が、学校の外ではこんなに落ち着いた格好をしているとは思わなかった。
「お前こそ、本当に涼川か?」
 優一郎はじろじろと無遠慮に凛の顔と服装を交互に見る。
 凛はしまった、と思った。
 今日の凛の服装は、だぼっとした厚手のピンクのカーディガンにロングスカート。
 きちっと、というよりかは、ふわっとした印象の服である。
「意外だな…涼川ってもっと、きちっかちっ!みたいな私服を着るんだと思ってた…。スカートよりジーンズって感じ」
 凛は慌ててこほんと咳払いをする。
「し、私服くらい何を着たっていいでしょ?学校ではないのだから」
 凛は姿勢を正し、凛とした玲瓏たる声で返答する。
(ああ、せっかくの休日だったのに……)
 凛は内心でがっくり肩を落としながら、優一郎をちらりと見上げた。