そしたら君、「いつも二枚持ってるんだよ」って教えてくれたの、憶えてる? 「困ってる誰かに貸してあげる用のやつ」って。ちょっと躊躇い気味に、やっぱり照れくさそうに微笑んで。それであたしも釣られて泣き笑い(うぅ……絶対ブスな顔になってた……)。気づくとふたりぼっちになった映画館、あたしらの忍び笑いのアルペジオが、束の間の静寂を独り占めしてた。
一応言っておくけどっ。あたし、人前で泣くことなんて滅多にないからね。信じられないかもだけど。君には情けないところばっかり見せちゃってるけど。もう全然、望むところじゃないから。青天の霹靂だから。
あたしさ、つくづく思うんだ。ずっと半分しか持ってなかったんだなって。嬉しいとか、楽しいとか、悲しいとか……「あたしの世界」にあるもの全部。きみと出会うまで、そんなこと気づきもしなかった。完成した瞬間、初めて知ったくらい。
それこそロマンス映画にありがちな、怒涛の運命に翻弄されたり、究極の逆境に抗ったり、ああいう劇的ドラマチックとは無縁の恋だったけど。
こういう凪いだ湖面のように長閑な恋愛が、あたしの性に合うみたい。「何かがあるから」じゃなくて、「何もなくても」幸せで満たされる関係性。
居心地が良すぎたんだ、きっと。お互いを取り巻く環境も心境も、全然違ったのにさ。いつも似たような感性で、ちゃんと心を通じ合えたから……
ほんとに感慨深いよね。あたしらが初めてまともに会話した時――そうそう、英語のペアワーク。よく憶えてたね――君もあたしを見て、地球侵略を企んだ火星人を目の当たりにするようなリアクションしてたの(好印象じゃないことは確かだから、直接聞いたことはない)、今でも思い出すと笑っちゃうけど。
だって、絶滅危惧種と宇宙人だよ? どう考えても相容れないじゃん。ペアワークが終わったら、もう赤の他人に戻るんだって思ってた。それがまさか――
「まさか、結婚までしちゃうなんてねぇ〜」
マリーゴールドの空。蟋蟀のシンフォニー。買い物帰りの寄り道、近所の公園のベンチ。
あたしが五年間の歴史を振り返ってしみじみしていると、君がふっと顔を上げる。そして、あたしに聞くの。……なんのこと?――って。
君は相変わらず読書をしている。分厚いハードカバーの哲学書。あたしはふざけて君の片手を握って離さないから、ページをめくりたい時、君はあたしに目を向ける。それを合図に、あたしは空いてる片方の手でめくってあげる――迂闊に目線を落とすと、蚊より小さな文字がびっちり並んだ文字列の霊威に当てられ、頭痛と目眩に襲われてしまう――気づけば確立していた、あたしらの定番様式。
その時とは違う温度感の眼差しを、君は送ってきている。あたしは極力《《ガチ感》》を装い見つめ返して、
「きみが大学時代、他の女の子を見ながら鼻の下を伸ばしていたこと、思い出してただけ」
そしたら君、必死に首を振って否定するから、あたしは可笑しくって、何となく得意になる。
えへへ、冗談だよ……ていうか、心当たりなかったら、そんなに慌てなくてもいいでしょ?……あぁ〜ごめんってばそんなに頬っぺ引っ張らないでぇ。
自己評価の低いきみのことだから、きっと信じられないだろうけど。大学時代のきみ、けっこー男女問わず人気者だったんだよ? 卒業間近なんて「記念に写真撮りたいな」とか「告白してみよーかな」なんて話してる子もいたし。
あたしと付き合うようになって、少し垢抜けたからかな。ていうか、あたしらが交際してるのオープンにしてたから知ってるはずなのに、告白しようとする心理が謎すぎるけど。



