「日葵ちゃん、テスト勉強どう?」
「うーん、計画だけは立派に立てるんですけど……拓真先輩はどうですか?」
「俺は普段からしてるからしない」
「すごい!勉強できる人の意見だ」
 拓真と談笑しながら歩いていると、「日葵」と、くいっと手を引かれる。川瀬が憮然とした顔で、日葵を見つめている。凛々しい眉がひそめられていた。
「川瀬くん、どうしたの?」
 二人で話しすぎたかな。じっと見上げると、川瀬が一拍黙った。拓真が、呆れたように「渡」と言った。
「お前ね、言いたいことあんならちゃんと言いなさいよ」
 兄の言葉に、ぐっと詰まったように押し黙る。弟属性というものだろうか、可愛い。無意識になのか、ぎゅっと手を握られた。
「……だ?」
「ん?」
 聞き取れなくて、日葵は首を傾げた。近づいて、「なに?」と、耳を寄せるように背伸びする。すると、川瀬が今度こそはっきりした声で言う。今度は声が大きくてびりっと響いた。思わずぎゅっと目をつむった。
「気になるんだが」
「う、うん?」
 ちょっと揺れる頭を落ち着けながら、日葵は相槌を打つ。川瀬の手に力がこもる。
「なんで兄貴だけ、名前で呼ぶんだ」
「ん?」
 日葵は、目を瞬かせた。それから、言葉の意味をつかまえて、「ああ」と得心のいった顔になる。
「ほら、二人とも名字が同じだから。川瀬先輩、じゃわかりづらいかなって」
「なにそれ、安直だなあ」
 拓真が笑った。しかし、日葵の後ろを見て、ぐるっと目を動かす。
「あー。でも、それなら俺じゃなくて、渡を名前で呼べばよくない?」
「えっ?」
「ほら、同級生なんだしさ」
 ああ、と日葵はうなずく。確かに、先輩のほうを名前で呼ぶなんて気安すぎたかな。しかし。顎に手を当て、うーんと考え込んだ。
「でも、川瀬くんって川瀬くんって感じだしなあ……」
 それに、同級生を名前で呼ぶのって、なんだか照れくさい。あははと笑ってごまかした。
 沈黙。
 見れば、川瀬がうなだれている。大きな背が、儚く見えるような……。
「川瀬くん?」
「なんでもない」
 一言、切るように言うと。そのままてくてく歩き出した。ぐいっと手をひっぱられ、日葵は慌てて歩調を早めた。日葵がすごく速足になっているのに気づいたらしい。川瀬がぴたっと止まる。「すまない」と歩調を緩め、歩き出した。
「ううん、いいよ」
 今度はあんまりゆっくりになるので、思わず笑った。こういうところ、可愛いんだよなあ。放っておけない。



 脚立を返し、校舎の中に入った。別棟の拓真とわかれ、廊下を行く。
 当然手はつないだままなので、通りすがりの生徒たちが、ちらちらと興味深げに見ていった。
 いつものことだけど、やっぱり目立つよな。
 川瀬くんモテるしなあ、とちょっと落ち着かない心地になる。
「なんか日葵と川瀬くんって距離近くない?」
 と女子に詰められた数はけっして少なくない。病のことは絶対言うわけにはいかないので、自分が「俺、お兄ちゃんほしかったんだー」などと適当にごまかしてるが、いつまでもつことか。
「ていうか、川瀬くんは弟って感じだし。俺がお兄ちゃんだし……」
「ん?」
「あっなんでもない!」
 声に出ていたらしい、川瀬が不思議そうに日葵を見ている。日葵は慌てて空いた方の手を振った。釈然としない顔をしているので、「えーと」と言葉を探す。
「川瀬くんって弟属性だよねって思って」
「……そうか?」
「あっ悪い意味じゃないよ。俺、弟いるからかな。なんかわかるっていうか」
 日葵は、ふふ、とひとり笑いうなずく。そうそう、弟属性。だから可愛いんだ。
「拓真先輩の気持ちわかるな」
 日葵の言葉に、川瀬は、むすっと黙り込んだ。
「俺は日葵の弟じゃないぞ」
「あっ、ごめん。悪い意味じゃないんだ。可愛いなって思うだけ」
「かわいい?」
「ごめん!」
 川瀬がぴたりと顔を固くしたので、日葵は重ねて謝った。可愛いなんて、同級生に言われて嬉しいものでもないよな。もう何も話さないでおこう。自分は口がすべるものだから、本当によくない。口を押さえながら歩いていると、川瀬が「怒ってない」と言った。
「けど、俺は頼りないか?」
 しゅんとした顔に、日葵ははっとなる。正面に向き直って、川瀬の顔を見上げた。視線を合わせて、はっきり言う。
「そんなことないよ」
 頼られるのが嬉しくて、無神経だった。
 川瀬は、誰かに頼らざるを得ない状況を、望んでいるわけではないのに。どんな気持ちがしただろう。日葵は深く反省する。
「俺、頼られたのが嬉しくて、浮かれちゃってた。ごめんね。川瀬くんが大変なのに」
 頭を下げる。握り合わされた手を、もう一方の手で包んだ。
 ぽんぽんと頭を撫でられる。見上げると、川瀬が薄く微笑していた。
「気にしてない。ただ」
「うん」
「かっこいいの方が嬉しい」
 ぽつぽつと、照れくさそうに言われた。性懲りもなく、きゅんとしてしまう。頭を撫でてあげたい気持ちにかられるが、さっきの今で、必死に耐えた。川瀬が大きすぎて手が微妙に届かないのが幸いした。
「川瀬くん、かっこいい!」
 なので、とりあえず言葉にすることにした。川瀬は、ぱっと目を輝かせて、歩き出す。お花かお星さまが飛んでいるような弾んだ様子に、日葵も楽しい気持ちになる。気持ちのままに手を振ると、川瀬は振り返してくれた。
 そのまま、二人は教室に入ったのだった。