「こんばんは。ムーンライトナイトにきてくれてありがとう」
素顔を布で隠し私はムーンとなり、タブレットに向かって微笑む。
「今日もたくさんのお悩み、特に恋愛の悩みが届いています。今日お悩みにお答えするのはヨロンさん。お悩みを紹介しますね。浮気をされているわけでもないのに、彼氏を疑ってしまって喧嘩になってしまうお悩みです」
今回メッセージを選ぶのはすごく迷った。
今までたくさんの悩みを「どうしてこんな簡単なことがわからないんだろう」と思っていた。相談者も自分の中で答えはわかっているはずで、その答え通りに相手の求めてる言動を心がければいいだけじゃないかと思っていた。
「彼氏は私のことを大切にしてくれています。だけど女友達が多く、毎回不安になってしまいます。ふたりきりで遊んでいるわけでもないけど、そのことに触れてしまい喧嘩になってしまいます」
だけど――今の私はメッセージに共感してしまう部分がある。
「言ったら喧嘩になるってわかってるのに、つい言葉にだしてしまったり……意地をはって彼にそっけなくしてしまったりします」
頭で理解できても行動は伴わない。口で言うのは簡単だ。だけど好きな人の前だとそうはいかないこともある。
「こんな自分が嫌なんです。私たちの未来はどうでしょうか? こうしてムーンさんの占いに頼るのも大丈夫って言ってほしいだけなんだと思います。本当は彼氏の愛を信じたいです。――というお悩みです。ではストーンに聞いていきましょう」
私は天然石を転がした。
いつもは冷めた気持ちでいた。だけど今日は偽物の石に願ってしまう。この人の未来が明るくなりますように、と。
「お気持ちわかります、わかっていてもうまくいかないんですよね。だけど大丈夫。ストーンも彼を信じて、と言っています。
彼に話す前に三十秒、いや十秒でいいので深呼吸するのではどうでしょうか。彼がどう思うのか数秒でいいから想像してください。踏みとどまれずに言葉や態度に出してしまうこともあるかもしれませんが……きっとオロンさんが彼の為に悩んだ数十秒は彼にも伝わるはずですから」
こんなのただ、私が夏目くんにしてもらって嬉しかったことだ。
「少しでもお力になれたら嬉しいです。……ということで占いコーナーでした。次はいただいているコメント紹介していきますね」
コメント欄に〝ストロベリー〟の文字を発見して、身体の体温が上がる。
【ストロベリー:深呼吸、俺もやってみます!】
【ストロベリー:ムーンさんの占いのおかげで毎日が楽しいです!】
【ストロベリー:友達すらいなかった俺に好きな人ができました】
――好きな人。それってまさか……。
どくどく、と心臓が高鳴る。だって夏目くんと会話ができるのも今一番近いのも私。うぬぼれてしまいそうになる。
「ストロベリーさんからいただいたコメントを読もうかな。ムーンさんの――」
ストロベリーのメッセージを読み上げようとしたその時だった。
「月子ッ!」
鋭い声と共に私の部屋の扉が勢いよく開かれた。
眉を吊り上げたママがそこに立っていた。出かけたはずのママがどうして?
ママの真っ赤な目が私に向けられる。
「何してるのよ!」
ママはいつだって空気なんて読んでくれない、自分の気持ちが最優先だ。だからママはずかずかと部屋に飛び込んできた。
「なによ、これっ!」
ママは感情の赴くまま私の後ろにある紫の布を剥ぎ取った。
「きゃあっ」
布の向こうにある棚がむき出しになり、勢いで棚のものが落ちた。
ママの手が私の顔をまとう布を掴む。
私は必死にタブレットに手を伸ばして――配信オフに、できた……!
ママに掴まれた布がずるりとめくれる。私の顔が晒される直前になんとか配信を切ることができた。
「なにしてるのよ、これ! まさか変な宗教にでも入ってるんじゃないでしょうね⁉ ママがいないうちに!」
イヤホン越しにもママのキンキンとした叫び声が聞こえる。ママに気づかれないようにイヤホンをさらに耳に押し込む。
……ママ、あんなにご機嫌にでかけていったのに。彼氏と何があったんだろう。
紫の布が垂れ下がっている本棚をぼんやりと見つめる。本棚は小説や漫画、ぬいぐるみやフィギュアが飾ってある程度で個人情報が割れるものはない。〝月子〟というママの叫び声は配信に入ってしまっただろうか。
どちらにせよひどい放送事故だ。ミステリアスで年齢不詳なムーンに母親らしき人物が乱入しただけでムーンブランドも終了。
「文化祭の練習してただけだよ。……ママどうしたの?」
「ママには月子だけ……月子しかいない……」
ママの泣き声が強まっていつのまにか抱きしめられて、私の肩は涙で濡れている。
だから恋愛なんて嫌だったんだよ。
☽
ムーンライトナイトの放送事故は土日にSNSで少し話題になっただけで終わってくれた。
【ムーンの放送事故やばww】
【乱入したのってムーンの母親?】
【画録してた人いる?】
【母親の後ろ姿しかスクショ撮れんかった】
【人の占いする前に自分の毒親なんとかしろよ】
【あと数秒で顔バレだったんだけどな惜しい】
【乱入者、つきこ!って叫んでなかった?】
リスナーからの信頼は失ったけれど、界隈外に広まることはなく炎上することもなくぼや火で鎮火した。リアルタイム配信で録画もしていないし、一瞬の出来事だったから誰にも録画されていなかった。
ママが叫んだ〝月子〟も明瞭ではなかったし、私やママの顔も見えずに済んだ。
メッセージボックスは普段の何倍もメッセージが届き、そのなかに〝ストロベリー〟の文字も見えたけど、私はどれも開くことができなかった。
私はログアウトして、ひっそりとムーンを終えた。
別にムーンがなくなったからってなんてことはない。ただ単に自分の指示でどうなるのか確かめたかっただけだし、ちょっとした暇つぶしだっただけ。そろそろ潮時だったんだ。
虚しさとなにかが胸に穴をあける。終わっちゃったんだ。
☽
月曜日、夏目くんが登校するまで気持ちがまったく落ち着かなかった。
理由はふたつある。
ひとつは、ムーンが消えて夏目くんの心の声が分からなくなったこと。夏目くんがどう思っているのかもうわからない。
ひとつは、夏目くんの〝好きな人〟について。それはもしかして自分ではないかと期待してしまう気持ちがある。
夏目くんはチャイムが鳴るギリギリに登校してきて、気恥ずかしさを押し込めながら「おはよう」と笑顔を投げかける。
聞こえなかったみたいに夏目くんはこちらを見ることなく席についた。
その日、夏目くんは私と一度も目を合わせず、話しかけても黙ってそっぽを向いたままだった。
「夏目くん、ばいばい」
帰り際、声をかけてみたけど返事はなく、顔を背けたままそのまま教室を出ていってしまった。振り出しに戻ったみたいだ。今までのことがなかったみたいに夏目くんは初期化してしまってる。
どうして? なんで? 夏目くんの気持ちが知りたい。何を考えているのかわからない。
ムーンにログインし直して、新着メッセージを確認してみるけど何も届いていなかった。私は金曜日に届いていたストロベリーからのメッセージを開いてみる。
【あなたはもしかして春野さんですか? 俺のこと、からかってたんですか】
「……え?」
声が漏れる。夏目くんは、ムーンが私だって気づいた?
からかう、ってどういうこと。
身体の温度がさあっと下がる。
だけどそうだ。ムーン=春野月子だとバレてしまったら、自己評価が低い夏目くんがそう考えるのも当たり前だ。
夏目くんは私と自分が釣り合わないと言っていた。
……からかうなんて誤解だよ! 叫びそうになって「でも本当に?」とムーンが囁く。
私がムーンをやっていたのは、心のなかでみんなを見下してたからじゃない? ばかにしてたところ、あったでしょう?
「…………」
夏目くんのことだって、最初から純粋に応援してた?
最初は好奇心で近寄ったんじゃない?
今日の夏目くんの態度は初期化なんかじゃない、拒絶だ。私に幻滅した当然の態度だ。
「……最低だ、私」
「どうしたの、月子」
いつのまにか私の席にきていた実結が不思議そうな顔を向ける。
「月子かえろー」
「ごめん、ふたりとも!」
「ん?」
「先帰る!」
私はそう言うとカバンを引っ掴んで教室を飛び出した。
夏目くんに謝らなきゃ……! 説明しないと。
でも、なにを? いつもみたいに計算して人が求める答えを導き出さないと!
そう思うのに頭の中は沸騰したみたいにぐらついていて、なんにも答えなんて生み出さなかった。
代わりに手と足が動く。夢中で足を動かして階段をかけおりる。
なにを言えばいいかなんてわからない! 正解なんてまったくわからない! でもこのままじゃだめだ!
下駄箱にはもう夏目くんの姿も、夏目くんの靴もなかった。
靴を履き替えても気持ちが急くのは変わらなくて、夏目くんの駅まで向かう。
なにを急いでいるんだろう。明日また話せばいいしメッセージも電話もある。でも今話さないといけないと思った。正解はわからない、でもいてもたってもいられなかった。
ようやくホームで夏目くんのシルエットが見えて、
「な、夏目くん!」
自分から飛び出た声は大きかった。
私の大声に夏目くんの肩がぴくりと跳ねて振り向いて――さっと視線をそらされる。
「夏目くん、あの……!」
走って、夏目くんのもとに到達した。
「なんで、ムーンって……」
まず謝らなきゃいけないと思うのに飛び出した言葉は的外れだった。こんなことを聞きたいんじゃない。
「……図書館のフィギュア」
夏目くんは下を向いたまま、小さく答えた。
そういえば図書館のフィギュアを棚に飾っていた……!
どうしよう失敗した。……いや、今はそうじゃなくて!
息がはあはあと乱れて思考もごちゃついている。
なにか話さないとと思うのに、こんがらがった頭はまるで意味のない言葉しか思い浮かばない。
そんな私を笑うかのように電車がホームに到着した。
夏目くんは私に背を向けて扉に向かっていく。
待って、という資格もない。私がやったことは最低だから。このまま見送るしかない。私が夏目くんなら喋りたくもないだろう。
でもここで話せなかったら……⁉
誰かに執着なんてしたくない。適切な距離でいたい。深入りしたくない。そう思って誰からも好かれる、誰にでも平等で平熱でいられる春野月子だったのに……!
「ドアがしまります」
「いやだ……!」
私は電車の扉に飛び込んだ。一回扉がしまりかけて、私に軽く当たって再度開く。
「ドアが閉まります。駆け込み乗車はおやめください!」
明らかに私に向けた注意のアナウンスが流れる。ぜえはあと電車の中に飛び込んで、まわりの注目を浴びている。本当にかっこわるすぎる。
私に向けられた視線の中に、夏目くんもいた。
目を見開いて私のことをじっと見ている。
「はあっ、はあ。夏目くん、ごめんなさい。……話をきいてほしい……っ!!」
丁寧に整えているストレートヘアは乱れて汗で張り付いてるし、肩で息をして呼吸は気持ち悪いし、涙がじわじわあふれて止まらなくなってきたから顔だって確実にブサイクだ。
「夏目くん……ごめんなさい……」
こんなふうに言ったら迷惑をかけるってわかってるのに。恥ずかしいし、巻き込んじゃってるし、みっともなくて最悪だ。こんな私知らない、嫌だ。
だから恋なんてしたくないのに。
「春野さん、俺もごめん」
夏目くんは私のもとまでやってきて、みんなから私を隠すように立ってくれた。私を見下ろす瞳は困惑しているけど、冷たくなくて。
夏目くんはやっぱり優しくて、それでまた涙が出てしまった。
もう認めるしかなかった。夏目くんが好きで、めちゃくちゃなことに。こんな感情知りたくなかった。
夏目くんの地元は二駅だから、すぐに車内から降りられるのは不幸中の幸い。
私たちはホームのベンチに並んで腰掛ける。泣きすぎて目も鼻も痛い。
「ごめんなざい」
「…………びっくりしたけど……春野さんが俺のことバカにしてたわけじゃないことはわかった」
それが伝わるほど必死な行動をしてしまったことが恥ずかしくなる。
「ずびまぜん……夏目くんにも恥ずかしい思いさせちゃった」
「……ふふ、ははは」
私をみてから、夏目くんは声をあげてわらった。
「ぞんなにひどい顔かな」
「うん。ははは。春野さんてそんな顔するんだ……声もすごいし」
鼻水が詰まった声も面白かったらしい。ここまで笑われると思わなかったけど、彼をまとう空気が優しくて肩の力が抜ける。
「夏目くん、聞いてくれる?」
「うん」
「ムーンの正体は私です」
「うん」
ぎろりと睨んでいるようで、実は優しい目がこちらを向く。
「私、実はすごい性格が悪いんです。自分で言うのもなんだけど、私人付き合いがうまくて、対人関係の悩みなんてないから、周りの人のこと、なんでこんな簡単なことができないんだろうって思ってた。夏目くんから相談がきて、からかったわけではないんだよ。本当にうまくいけばいいと思ってアドバイス乗ってた。でも好奇心が最初にあったのは本当。それをバカにしてたと思われるのも仕方ないと思う」
「……うん、俺は正直そう思った」
じわりとまた涙が出てきて、慌てて下を向く。
「いままでムーンでたくさん恋愛相談にも乗った。みんな冷静じゃないなって、だから導いてあげようって傲慢だったと思う。特別な者になった気さえした。でもそれは恋を知らなかっただけだった」
夏目くんを見上げて、言葉をなんとか続ける。
「だけど夏目くんと一緒にいるようになってから、私ほんとめちゃくちゃで。スマートに会話もできなくなっちゃったし全然冷静でいられなくなって、夏目くんの前だと必死だしかっこわるいし、もう意味わかんないよ。今だってなにしゃべってるかわかんないし……」
「春野さん」
「夏目くんの相談に乗って、本当は夏目くんがみんなと仲良くするのを応援しなくちゃいけないのに、夏目くんの良さを全世界に知ってほしいと思ってたのに、やっぱり誰にも知られたくないと思って応援もできなくなる最低な心の持ち主なんだよ」
「春野さん」
「夏目くんと話すようになってからは本当にばかにした気持ちは一切なかったの! 本当に楽しくて、普通に仲良くしたかっただけで……私はただ、夏目くんが好きなだけなんだよ!」
ああもう最悪だ。言葉が止まってくれない。話す順序もバラバラだし、どさくさに紛れて告白までしてるし。
「もういやだ、本当にごめん。帰ります、本当にすみませんでした」
「待って待って」
勝手に立ち上がった身体を夏目くんが制止する。
「春野さん、俺も話してもいい?」
夏目くんの耳が真っ赤に染まっていて、とんでもない言葉たちを放出したことに改めて気づかされる。夏目くんに腕を引かれもう一度ベンチに着席する。
「……俺、過去に失敗して。なにも考えず発した言葉で友達を傷つけた。そしたらその仕返しに、俺が発する言葉を全部オウム返しされていじられ続けることがあったんだ。俺の言葉ひとつひとつをバカにされて笑われて、しゃべるのが怖くなった。だから今回も相談した内容をまわりと笑ってるんじゃないかって思ってしまって」
私は無意識に夏目くんの過去の傷を開いてしまったんだ。申し訳なさで喉がぐっとしまる。
「それは俺が勝手に過去のトラウマを当てはめてただけだった。春野さんとそいつらは違うのに」
「でも私は同じような……」
「ううん、違うよ。ムーンさんも春野さんもずっと俺の話を聞いてくれてバカにしたことなんてなかった。俺の言葉を何分でも待ってくれた」
「それが出来たのはストロベリーさんから時間制限を聞いたから」
「だからって付き合ってくれるひとは普通いない」
夏目くんははっきりといいはった。目がきちんと合う。
「俺がこうして今話せてるのも春野さんは受け止めてくれる人だってわかってるから。春野さんは俺に対してずっと誠実だった。今日春野さんとどう話せばいいのか怖くて俺も逃げちゃってごめん」
「……夏目くん」
「ムーンとして人の相談を軽く受けたのはよくないと思うけど、春野さんはそれを誰かと笑っていたわけでもないし、ちゃんと真剣に考えたんだろ」
「それはそうです……占いはインチキですけど」
「ふはは、はは」
夏目くんがまた声をあげて笑う。線になった目はかわいいけどそんなに面白いところあったかな。
「春野さんが、あの部屋の雰囲気がんばって作って顔隠してインチキ占い師してたの思い出すと面白くなってきた。はははっ!」
「は、恥ずかしいんですが!」
紫の布をまとってロウソクの中でインチキ占いしていたのどう考えても恥ずかしすぎて無理だ。でももうやけくそだ。夏目くんが笑ってくれるならもうそれでいいよ。
「……許してくれるの」
「うん――それより」
夏目くんが私の顔をぐっと覗き込む。距離は顔一つ分くらいしかないのに夏目くんは涼しい顔だ。
「俺のこと好きって本当?」
「……え、そんなこと言いましたか」
誤魔化してみたけど……どう考えても、言葉どころか今日の私の行動すべてが夏目くんのことを好きと叫んでいるようなもので。
「言った」
夏目くんはイタズラな顔でにやりと笑う。
「夏目くんそんな顔できたんですか。夏目くんってもしかして意外と意地悪なとこがある……?」
「……なんだろう。春野さん相手だとそういう気持ちが出てくる、かも」
私の心臓がまたうるさくなる。ああやだな、恋なんてしたくなかったのに! 知らない私だらけだ。
でもこんなかっこわるい自分が意外と悪くないと思える。
「春野さんの顔が赤い」
「ねえ、今日は月曜日だから図書館あいてるんじゃない?」
「……ごまかしてる?」
「してないよ」
「じゃあ行こう」
手を自然に繋がれた。
夏目くんって、恋愛面では意外と大胆で恋愛面では意地悪なんじゃないだろうか。知らない顔だ。こんなのずるい。
「…………」
「どうしたの?」
「な、なんにもないっ!」
夏目くんの新しい顔がもっと知りたい。私は手をしっかりと握り返した。
素顔を布で隠し私はムーンとなり、タブレットに向かって微笑む。
「今日もたくさんのお悩み、特に恋愛の悩みが届いています。今日お悩みにお答えするのはヨロンさん。お悩みを紹介しますね。浮気をされているわけでもないのに、彼氏を疑ってしまって喧嘩になってしまうお悩みです」
今回メッセージを選ぶのはすごく迷った。
今までたくさんの悩みを「どうしてこんな簡単なことがわからないんだろう」と思っていた。相談者も自分の中で答えはわかっているはずで、その答え通りに相手の求めてる言動を心がければいいだけじゃないかと思っていた。
「彼氏は私のことを大切にしてくれています。だけど女友達が多く、毎回不安になってしまいます。ふたりきりで遊んでいるわけでもないけど、そのことに触れてしまい喧嘩になってしまいます」
だけど――今の私はメッセージに共感してしまう部分がある。
「言ったら喧嘩になるってわかってるのに、つい言葉にだしてしまったり……意地をはって彼にそっけなくしてしまったりします」
頭で理解できても行動は伴わない。口で言うのは簡単だ。だけど好きな人の前だとそうはいかないこともある。
「こんな自分が嫌なんです。私たちの未来はどうでしょうか? こうしてムーンさんの占いに頼るのも大丈夫って言ってほしいだけなんだと思います。本当は彼氏の愛を信じたいです。――というお悩みです。ではストーンに聞いていきましょう」
私は天然石を転がした。
いつもは冷めた気持ちでいた。だけど今日は偽物の石に願ってしまう。この人の未来が明るくなりますように、と。
「お気持ちわかります、わかっていてもうまくいかないんですよね。だけど大丈夫。ストーンも彼を信じて、と言っています。
彼に話す前に三十秒、いや十秒でいいので深呼吸するのではどうでしょうか。彼がどう思うのか数秒でいいから想像してください。踏みとどまれずに言葉や態度に出してしまうこともあるかもしれませんが……きっとオロンさんが彼の為に悩んだ数十秒は彼にも伝わるはずですから」
こんなのただ、私が夏目くんにしてもらって嬉しかったことだ。
「少しでもお力になれたら嬉しいです。……ということで占いコーナーでした。次はいただいているコメント紹介していきますね」
コメント欄に〝ストロベリー〟の文字を発見して、身体の体温が上がる。
【ストロベリー:深呼吸、俺もやってみます!】
【ストロベリー:ムーンさんの占いのおかげで毎日が楽しいです!】
【ストロベリー:友達すらいなかった俺に好きな人ができました】
――好きな人。それってまさか……。
どくどく、と心臓が高鳴る。だって夏目くんと会話ができるのも今一番近いのも私。うぬぼれてしまいそうになる。
「ストロベリーさんからいただいたコメントを読もうかな。ムーンさんの――」
ストロベリーのメッセージを読み上げようとしたその時だった。
「月子ッ!」
鋭い声と共に私の部屋の扉が勢いよく開かれた。
眉を吊り上げたママがそこに立っていた。出かけたはずのママがどうして?
ママの真っ赤な目が私に向けられる。
「何してるのよ!」
ママはいつだって空気なんて読んでくれない、自分の気持ちが最優先だ。だからママはずかずかと部屋に飛び込んできた。
「なによ、これっ!」
ママは感情の赴くまま私の後ろにある紫の布を剥ぎ取った。
「きゃあっ」
布の向こうにある棚がむき出しになり、勢いで棚のものが落ちた。
ママの手が私の顔をまとう布を掴む。
私は必死にタブレットに手を伸ばして――配信オフに、できた……!
ママに掴まれた布がずるりとめくれる。私の顔が晒される直前になんとか配信を切ることができた。
「なにしてるのよ、これ! まさか変な宗教にでも入ってるんじゃないでしょうね⁉ ママがいないうちに!」
イヤホン越しにもママのキンキンとした叫び声が聞こえる。ママに気づかれないようにイヤホンをさらに耳に押し込む。
……ママ、あんなにご機嫌にでかけていったのに。彼氏と何があったんだろう。
紫の布が垂れ下がっている本棚をぼんやりと見つめる。本棚は小説や漫画、ぬいぐるみやフィギュアが飾ってある程度で個人情報が割れるものはない。〝月子〟というママの叫び声は配信に入ってしまっただろうか。
どちらにせよひどい放送事故だ。ミステリアスで年齢不詳なムーンに母親らしき人物が乱入しただけでムーンブランドも終了。
「文化祭の練習してただけだよ。……ママどうしたの?」
「ママには月子だけ……月子しかいない……」
ママの泣き声が強まっていつのまにか抱きしめられて、私の肩は涙で濡れている。
だから恋愛なんて嫌だったんだよ。
☽
ムーンライトナイトの放送事故は土日にSNSで少し話題になっただけで終わってくれた。
【ムーンの放送事故やばww】
【乱入したのってムーンの母親?】
【画録してた人いる?】
【母親の後ろ姿しかスクショ撮れんかった】
【人の占いする前に自分の毒親なんとかしろよ】
【あと数秒で顔バレだったんだけどな惜しい】
【乱入者、つきこ!って叫んでなかった?】
リスナーからの信頼は失ったけれど、界隈外に広まることはなく炎上することもなくぼや火で鎮火した。リアルタイム配信で録画もしていないし、一瞬の出来事だったから誰にも録画されていなかった。
ママが叫んだ〝月子〟も明瞭ではなかったし、私やママの顔も見えずに済んだ。
メッセージボックスは普段の何倍もメッセージが届き、そのなかに〝ストロベリー〟の文字も見えたけど、私はどれも開くことができなかった。
私はログアウトして、ひっそりとムーンを終えた。
別にムーンがなくなったからってなんてことはない。ただ単に自分の指示でどうなるのか確かめたかっただけだし、ちょっとした暇つぶしだっただけ。そろそろ潮時だったんだ。
虚しさとなにかが胸に穴をあける。終わっちゃったんだ。
☽
月曜日、夏目くんが登校するまで気持ちがまったく落ち着かなかった。
理由はふたつある。
ひとつは、ムーンが消えて夏目くんの心の声が分からなくなったこと。夏目くんがどう思っているのかもうわからない。
ひとつは、夏目くんの〝好きな人〟について。それはもしかして自分ではないかと期待してしまう気持ちがある。
夏目くんはチャイムが鳴るギリギリに登校してきて、気恥ずかしさを押し込めながら「おはよう」と笑顔を投げかける。
聞こえなかったみたいに夏目くんはこちらを見ることなく席についた。
その日、夏目くんは私と一度も目を合わせず、話しかけても黙ってそっぽを向いたままだった。
「夏目くん、ばいばい」
帰り際、声をかけてみたけど返事はなく、顔を背けたままそのまま教室を出ていってしまった。振り出しに戻ったみたいだ。今までのことがなかったみたいに夏目くんは初期化してしまってる。
どうして? なんで? 夏目くんの気持ちが知りたい。何を考えているのかわからない。
ムーンにログインし直して、新着メッセージを確認してみるけど何も届いていなかった。私は金曜日に届いていたストロベリーからのメッセージを開いてみる。
【あなたはもしかして春野さんですか? 俺のこと、からかってたんですか】
「……え?」
声が漏れる。夏目くんは、ムーンが私だって気づいた?
からかう、ってどういうこと。
身体の温度がさあっと下がる。
だけどそうだ。ムーン=春野月子だとバレてしまったら、自己評価が低い夏目くんがそう考えるのも当たり前だ。
夏目くんは私と自分が釣り合わないと言っていた。
……からかうなんて誤解だよ! 叫びそうになって「でも本当に?」とムーンが囁く。
私がムーンをやっていたのは、心のなかでみんなを見下してたからじゃない? ばかにしてたところ、あったでしょう?
「…………」
夏目くんのことだって、最初から純粋に応援してた?
最初は好奇心で近寄ったんじゃない?
今日の夏目くんの態度は初期化なんかじゃない、拒絶だ。私に幻滅した当然の態度だ。
「……最低だ、私」
「どうしたの、月子」
いつのまにか私の席にきていた実結が不思議そうな顔を向ける。
「月子かえろー」
「ごめん、ふたりとも!」
「ん?」
「先帰る!」
私はそう言うとカバンを引っ掴んで教室を飛び出した。
夏目くんに謝らなきゃ……! 説明しないと。
でも、なにを? いつもみたいに計算して人が求める答えを導き出さないと!
そう思うのに頭の中は沸騰したみたいにぐらついていて、なんにも答えなんて生み出さなかった。
代わりに手と足が動く。夢中で足を動かして階段をかけおりる。
なにを言えばいいかなんてわからない! 正解なんてまったくわからない! でもこのままじゃだめだ!
下駄箱にはもう夏目くんの姿も、夏目くんの靴もなかった。
靴を履き替えても気持ちが急くのは変わらなくて、夏目くんの駅まで向かう。
なにを急いでいるんだろう。明日また話せばいいしメッセージも電話もある。でも今話さないといけないと思った。正解はわからない、でもいてもたってもいられなかった。
ようやくホームで夏目くんのシルエットが見えて、
「な、夏目くん!」
自分から飛び出た声は大きかった。
私の大声に夏目くんの肩がぴくりと跳ねて振り向いて――さっと視線をそらされる。
「夏目くん、あの……!」
走って、夏目くんのもとに到達した。
「なんで、ムーンって……」
まず謝らなきゃいけないと思うのに飛び出した言葉は的外れだった。こんなことを聞きたいんじゃない。
「……図書館のフィギュア」
夏目くんは下を向いたまま、小さく答えた。
そういえば図書館のフィギュアを棚に飾っていた……!
どうしよう失敗した。……いや、今はそうじゃなくて!
息がはあはあと乱れて思考もごちゃついている。
なにか話さないとと思うのに、こんがらがった頭はまるで意味のない言葉しか思い浮かばない。
そんな私を笑うかのように電車がホームに到着した。
夏目くんは私に背を向けて扉に向かっていく。
待って、という資格もない。私がやったことは最低だから。このまま見送るしかない。私が夏目くんなら喋りたくもないだろう。
でもここで話せなかったら……⁉
誰かに執着なんてしたくない。適切な距離でいたい。深入りしたくない。そう思って誰からも好かれる、誰にでも平等で平熱でいられる春野月子だったのに……!
「ドアがしまります」
「いやだ……!」
私は電車の扉に飛び込んだ。一回扉がしまりかけて、私に軽く当たって再度開く。
「ドアが閉まります。駆け込み乗車はおやめください!」
明らかに私に向けた注意のアナウンスが流れる。ぜえはあと電車の中に飛び込んで、まわりの注目を浴びている。本当にかっこわるすぎる。
私に向けられた視線の中に、夏目くんもいた。
目を見開いて私のことをじっと見ている。
「はあっ、はあ。夏目くん、ごめんなさい。……話をきいてほしい……っ!!」
丁寧に整えているストレートヘアは乱れて汗で張り付いてるし、肩で息をして呼吸は気持ち悪いし、涙がじわじわあふれて止まらなくなってきたから顔だって確実にブサイクだ。
「夏目くん……ごめんなさい……」
こんなふうに言ったら迷惑をかけるってわかってるのに。恥ずかしいし、巻き込んじゃってるし、みっともなくて最悪だ。こんな私知らない、嫌だ。
だから恋なんてしたくないのに。
「春野さん、俺もごめん」
夏目くんは私のもとまでやってきて、みんなから私を隠すように立ってくれた。私を見下ろす瞳は困惑しているけど、冷たくなくて。
夏目くんはやっぱり優しくて、それでまた涙が出てしまった。
もう認めるしかなかった。夏目くんが好きで、めちゃくちゃなことに。こんな感情知りたくなかった。
夏目くんの地元は二駅だから、すぐに車内から降りられるのは不幸中の幸い。
私たちはホームのベンチに並んで腰掛ける。泣きすぎて目も鼻も痛い。
「ごめんなざい」
「…………びっくりしたけど……春野さんが俺のことバカにしてたわけじゃないことはわかった」
それが伝わるほど必死な行動をしてしまったことが恥ずかしくなる。
「ずびまぜん……夏目くんにも恥ずかしい思いさせちゃった」
「……ふふ、ははは」
私をみてから、夏目くんは声をあげてわらった。
「ぞんなにひどい顔かな」
「うん。ははは。春野さんてそんな顔するんだ……声もすごいし」
鼻水が詰まった声も面白かったらしい。ここまで笑われると思わなかったけど、彼をまとう空気が優しくて肩の力が抜ける。
「夏目くん、聞いてくれる?」
「うん」
「ムーンの正体は私です」
「うん」
ぎろりと睨んでいるようで、実は優しい目がこちらを向く。
「私、実はすごい性格が悪いんです。自分で言うのもなんだけど、私人付き合いがうまくて、対人関係の悩みなんてないから、周りの人のこと、なんでこんな簡単なことができないんだろうって思ってた。夏目くんから相談がきて、からかったわけではないんだよ。本当にうまくいけばいいと思ってアドバイス乗ってた。でも好奇心が最初にあったのは本当。それをバカにしてたと思われるのも仕方ないと思う」
「……うん、俺は正直そう思った」
じわりとまた涙が出てきて、慌てて下を向く。
「いままでムーンでたくさん恋愛相談にも乗った。みんな冷静じゃないなって、だから導いてあげようって傲慢だったと思う。特別な者になった気さえした。でもそれは恋を知らなかっただけだった」
夏目くんを見上げて、言葉をなんとか続ける。
「だけど夏目くんと一緒にいるようになってから、私ほんとめちゃくちゃで。スマートに会話もできなくなっちゃったし全然冷静でいられなくなって、夏目くんの前だと必死だしかっこわるいし、もう意味わかんないよ。今だってなにしゃべってるかわかんないし……」
「春野さん」
「夏目くんの相談に乗って、本当は夏目くんがみんなと仲良くするのを応援しなくちゃいけないのに、夏目くんの良さを全世界に知ってほしいと思ってたのに、やっぱり誰にも知られたくないと思って応援もできなくなる最低な心の持ち主なんだよ」
「春野さん」
「夏目くんと話すようになってからは本当にばかにした気持ちは一切なかったの! 本当に楽しくて、普通に仲良くしたかっただけで……私はただ、夏目くんが好きなだけなんだよ!」
ああもう最悪だ。言葉が止まってくれない。話す順序もバラバラだし、どさくさに紛れて告白までしてるし。
「もういやだ、本当にごめん。帰ります、本当にすみませんでした」
「待って待って」
勝手に立ち上がった身体を夏目くんが制止する。
「春野さん、俺も話してもいい?」
夏目くんの耳が真っ赤に染まっていて、とんでもない言葉たちを放出したことに改めて気づかされる。夏目くんに腕を引かれもう一度ベンチに着席する。
「……俺、過去に失敗して。なにも考えず発した言葉で友達を傷つけた。そしたらその仕返しに、俺が発する言葉を全部オウム返しされていじられ続けることがあったんだ。俺の言葉ひとつひとつをバカにされて笑われて、しゃべるのが怖くなった。だから今回も相談した内容をまわりと笑ってるんじゃないかって思ってしまって」
私は無意識に夏目くんの過去の傷を開いてしまったんだ。申し訳なさで喉がぐっとしまる。
「それは俺が勝手に過去のトラウマを当てはめてただけだった。春野さんとそいつらは違うのに」
「でも私は同じような……」
「ううん、違うよ。ムーンさんも春野さんもずっと俺の話を聞いてくれてバカにしたことなんてなかった。俺の言葉を何分でも待ってくれた」
「それが出来たのはストロベリーさんから時間制限を聞いたから」
「だからって付き合ってくれるひとは普通いない」
夏目くんははっきりといいはった。目がきちんと合う。
「俺がこうして今話せてるのも春野さんは受け止めてくれる人だってわかってるから。春野さんは俺に対してずっと誠実だった。今日春野さんとどう話せばいいのか怖くて俺も逃げちゃってごめん」
「……夏目くん」
「ムーンとして人の相談を軽く受けたのはよくないと思うけど、春野さんはそれを誰かと笑っていたわけでもないし、ちゃんと真剣に考えたんだろ」
「それはそうです……占いはインチキですけど」
「ふはは、はは」
夏目くんがまた声をあげて笑う。線になった目はかわいいけどそんなに面白いところあったかな。
「春野さんが、あの部屋の雰囲気がんばって作って顔隠してインチキ占い師してたの思い出すと面白くなってきた。はははっ!」
「は、恥ずかしいんですが!」
紫の布をまとってロウソクの中でインチキ占いしていたのどう考えても恥ずかしすぎて無理だ。でももうやけくそだ。夏目くんが笑ってくれるならもうそれでいいよ。
「……許してくれるの」
「うん――それより」
夏目くんが私の顔をぐっと覗き込む。距離は顔一つ分くらいしかないのに夏目くんは涼しい顔だ。
「俺のこと好きって本当?」
「……え、そんなこと言いましたか」
誤魔化してみたけど……どう考えても、言葉どころか今日の私の行動すべてが夏目くんのことを好きと叫んでいるようなもので。
「言った」
夏目くんはイタズラな顔でにやりと笑う。
「夏目くんそんな顔できたんですか。夏目くんってもしかして意外と意地悪なとこがある……?」
「……なんだろう。春野さん相手だとそういう気持ちが出てくる、かも」
私の心臓がまたうるさくなる。ああやだな、恋なんてしたくなかったのに! 知らない私だらけだ。
でもこんなかっこわるい自分が意外と悪くないと思える。
「春野さんの顔が赤い」
「ねえ、今日は月曜日だから図書館あいてるんじゃない?」
「……ごまかしてる?」
「してないよ」
「じゃあ行こう」
手を自然に繋がれた。
夏目くんって、恋愛面では意外と大胆で恋愛面では意地悪なんじゃないだろうか。知らない顔だ。こんなのずるい。
「…………」
「どうしたの?」
「な、なんにもないっ!」
夏目くんの新しい顔がもっと知りたい。私は手をしっかりと握り返した。



