春野月子はひとのきもちがなんでもわかる

 今日は夏目くんが私の地元に来る土曜日。私たちは十一時に待ち合わせをしていた。
 あれから学校での夏目くんに大きな変化はなく、私たちは普通の会話は一度もしていない。私が話しかけて、たぶん頷いた気がする、くらいのものだ。
 電車が到着したのか改札から人の波が起こり、一番後ろに夏目くんがいた。
「夏目くん、ここ!」
 手をあげると鋭い目つきが飛んできた。じっと私を確認してから、こちらに向かってくる。やっぱり夏目くんは目が悪い気がする。目つき改善のためにコンタクトか眼鏡を提案しよう。これは占いでもなんでもないけど。
 夏目くんは私のもとまでやってきて軽く会釈をする。
 私服姿の夏目くんを見るのはもちろん初めてだ。
 ストロベリーから【友達がいないので、ろくな私服がありません!】とメッセージが届いていたので、どんな格好で来るのかと思っていたけどファッションセンスは悪くなかった。スタイルが良すぎるとシンプルなシャツとジーンズでもかっこいいんだな。
「ここを散歩していこう」
 駅から続く遊歩道を指差した。私の地元は海が近い町で、高台のこの駅から海を眺めながら散歩することが出来る。
「けっこういい眺めでしょ」
 夏目くんを見上げると、彼は険しい顔つきで海を見やる。だけど瞳は海の光が反射してキラキラしていた。
「……潮風の匂いがする」
「この匂いけっこう好き」
 散歩の間、私は自分から話を振らなかった。夏目くんが景色を見て時々ぽつりと感想を述べて、私はそれに返事をする。
 十分ほど歩いてそろそろ暑さが勝つ頃に、目的のカフェまで到着した。
 青く塗られた木製の家の、白い扉を開くとカラコロと音が響く。店員に案内されたの一番奥の席。海沿いに建てられたこのカフェは、大きな窓から海を眺めることができる。窓に面したカウンター席に二人並んで座るかたちだ。夏目くんは窓の近くに到着すると、目を見開いた。
「きれいでしょ?」
 息を飲んだ夏目くんの姿に、私の心も揺れる。店員が水を持ってくるまで夏目くんは突っ立ったまま、しばらく景色に目を奪われていた。
「……すごい、きれい」
「こんなに素敵なのにけっこう穴場なの。ここ、市の中心からアクセス悪いでしょ」
「……知らないなんてもったいない」
 お気に入りの景色を夏目くんが褒めてくれて、素直に嬉しい。
「料理も全部美味しいよ。夏目くんは何が好き? 私のオススメは魚介。ピザもパスタもリゾットも全部美味しいから、苦手じゃないならぜひ」
 夏目くんはすぐにペスカトーレを選んだ。自分の好みははっきりしていて、優柔不断なわけではなさそう。
 私たちは海を眺めながら、ランチをゆっくり食べた。
 この店に友達と二人で来るのは初めてだった。並んで座る席は、相手の言動が細かく見えない。人の気持ちを読み取って、会話を進行していく私には向いていない席だから、選ばない店。
 海を見ながらぽつぽつと、どうでもいいことを話す。夏目くんの会話のなかには、誰かを悪く言う言葉や噂はひとつもなくて。ただ見たものをそのまま口に出す。
 夏目くんの時間はゆったりと滞っているけど、そのぶん無言の時間が気にならない。美味しい料理と美しい景色のなかでそれが心地よかった。
 
 ☽

「せっかく来てもらったんだけど、ここは何にもないんだよね。何しようかな」
 カフェでのんびりした時間を過ごして、まだ午後一時。まだもう少し話していたい。
「……もう一回海の方歩いてもいい?」
「いいよ! いっぱい食べたし歩こう」
 私たちは駅と逆方向に向かって歩き始めた。駅の近くは浅瀬だけど、このあたりの海は深い青。
 会話をしながら、夏目くんの返答の時間が三十秒くらいに縮まっていることに気づく。少し心を許してもらえているのかな。
 時間制限について考えて、ふと思い出す。
「人前で話すのがダメなわけじゃないんだよね? 授業で当てられたときは普通に答えてる」
 思い返せば授業中に指名されて何分も考え込み授業を中断させたことは一度もない。
「授業の答えは正解があるから。誰かを嫌な気持ちにさせることもないし」
「人との会話は相手がどう感じるかわからないから考えすぎちゃう感じ?」
「そう」
「夏目くんは優しいね」
 言葉を表に出すときに、じっくり考えてしまうのは全部が優しさだ。誰かを想って自分のなかで検討して、やわらかくなったものだけを外に出している。
「……臆病なだけ。春野さんはスマートだけど優しい」
「それは――」
 正解がわかるからだよ。表情から読み取ってるだけ。人が欲しい言葉を判断して、自動的に発してるだけだ。優しさじゃない、ただの打算。
「……昔はおしゃべりだったんだけどいろいろあって怖くなった」
 夏目くんが心の奥を吐露してくれる。いろいろの中身までは語らなかったたけど想像はつく。
「いつまでおしゃべりだったの?」
「……小学生の頃」
「そっかあ。その頃の夏目くんのことわかんないけど、今の夏目くんとは違うんじゃないかな」
「…その頃よりかは成長してると思う。でも」
 そこで夏目くんは口を閉ざした。子供の頃にはわからなかったこと、気づけなかったこと。そんなことは誰にでもあることで今の彼ならきっと同じ失敗はしないのに。
 ずっとそこに留まっているのは、もったいないな。 
「話すと素敵なのに。みんなに伝わればいいのに」
 夏目くんの足が止まった。相変わらず表情は掴めないけど耳が真っ赤になっている。
 しまった。また思わせぶりな言動をしてしまった。
「あ、変な意味じゃないからね! 今日についても、教室で話せないからこうして二人で会うのはどうかなと思っただけで、下心があったわけじゃなくて……!」
 慌てて、早口で付け足す。
「……ふっ」
 夏目くんの口から声が漏れた。ふはは、と笑い声が聞こえて、小さく夏目くんが笑っている。
 ――笑うと目が線みたいになって、表情がぐっと優しくなる。
「……あ、ごめん。笑っちゃって。怒ってる?」
 思わずぼうっと見つめてしまっている私を、夏目くんが覗き込んだ。 
「お、怒ってないよ! 夏目くんが笑ってくれてうれしかっただけ」
 夏目くんが屈んだから、私たちの顔の距離は近くて。
「えーと、ほんとに下心はないんです」
 落ち着かなくて、また主張してしまった。
 なんだか夏目くんといると調子が狂う。夏目くんの会話はどんどんうまくなるのに、私はどんどん下手になっていく一方だ。
「夏目くんの良さがクラスのみんなに伝わってほしいから! れ、練習、いくらでも付き合うから!」
「……練習」
 ぽつりと呟かれた言葉は、少しだけ温度が低い。
 思わずムーンと同じことを言ってしまった。ばれて……ないよね?
「春野さん、ありがとう」 
「大丈夫だよ。みんな、夏目くんのことわかってくれるよ! あっ、あそこ私のバイト先なんだ」
 これ以上うまく話せる気がしなくて、私は話題を変えた。
 ……時間制限の意味がちょっとだけわかった。夏目くんへの返事は難しくて、じっくり考えたいから。いつもみたいにうまく言葉を打ち返せない。
 夏目くんへのアドバイスはムーンに任せたほうが良さそうだ。メッセージなら、うまくできる。