春野月子はひとのきもちがなんでもわかる

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 幼い頃から、人の気持ちを汲み取るのが得意だった。
 言葉を発して、返ってくる表情や声音、仕草。
 それらから計算して「このひとは私にこうして欲しいんだろうな」が想像できた。
 誰かにとって、私は「よい娘」であり、「よい生徒」であり、「よい友達」。
 そうして今日も私は人気者の春野月子を生きている。

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「月子おはよう! ありがとう! 彼氏と仲直りしたー!!」
 教室に入るなり、私の席めがけて走ってきたのは友達の実結(みゆ)
 足取りは軽快で、内巻のボブがふわふわと揺れる。かなり機嫌がよさそう。
「おはよう。仲直りできたんだね、よかった!」
「やっぱり私の冷静さが足りなかった。月子に言われた通りにしたら向こうから謝ってきたよ」
「月子に相談するまでもなく、実結の暴走だったけどね」
 私の隣の席に座って笑うのは彩羽(いろは)。そっけない口調ではあるけど、口元が緩んでいる。
「あ、彩羽もいた。おはよー」
「気づくの遅い」
「月子に報告しなきゃの気持ちが先走って」
「実結の愚痴は長いのに、月子はよく聞いてあげてるよ」
 彩羽は紙パックのストローを咥えて、呆れた表情を浮かべる。
「一生懸命な実結の話は微笑ましいよ。悩みのもとは当事者だと気づかないこともあるから」
 彩羽の言う通り、実結の相談は「え、そんなことでそんなに悩む?」と思うような、正直くだらない内容で。『相手を責める前に、まず自分の非を詫びてみよう。北風と太陽ってやつだよ』とごくごく普通のアドバイスをしただけに過ぎない。
 だけど、第三者に言われないと当事者は案外冷静になれないものらしい。
「そんなわけで別れないことにしました」
「知ってたー」
「でも本当によかった! 実結と彼はお似合いだから私でよければいつでも相談して」
「もー、月子は天使!」
 実結が満面の笑顔を向けてくれるから、同じ温度の微笑みを返す。
「月子が悩むことがあったら私が相談に乗るから!」
「実結の相談、役に立たなさそう」
「そういえば。めっちゃ当たる占い配信があるって知ってる? 悩みを占いで解決してくれるんだって」
 丸い瞳を輝かせた実結に、どきりとする。
「占い?」
「信じてないでしょ。本当に当たるらしいよ。配信でリスナーの悩みを聞いて答えてくれるの。なんだったかなあ、星占いの、んー、思い出せない」
「占いってただでさえ信じられないのに、それを配信で相談乗るとかうさんくさいって。ね、月子」
「うん。知らない人に悩み言うのちょっと怖いかも」
 すらすらと自然と言葉が出てくる。
 彩羽は占い配信について否定的だし、実結は他の人が興味がないとわかれば興味をなくす。だけどこのまま話を続ければ、彩羽が実結に少しくらい付き合ってやるか、という気持ちになることもある。彩羽はわりと実結に甘いのだ。
 なんと言って話を変えようか、会話を続けながら思案していると――。
 彩羽の座っている席に、黒いリュックがとすんと置かれた。
「…………」
 無言でリュックを置いたのは、私の隣の席の夏目一悟くん。つまりこの席の本来の主である。
 夏目くんは私たちをじろりと見つめた。百八十センチ近い身長で、無言で見下ろされるとかなりの圧がある。
「夏目くん、ごめんね。邪魔だったよね」
 眉をさげて申し訳ない表情を作り、即座に立ち上がり軽く頭を下げる。
「あーごめんね、勝手に座っちゃって」
 彩羽もすぐに立ち上がり、気まずそうに謝る。
「…………」
 夏目くんはちらっと私たちを見ると不機嫌そうな顔のまま。リュックだけ置いて、そのまま教室を出て行った。
「感じわる」
 彩羽は唇をつきだして、実結の横に腰かけた。
 実結も不満気な顔で、夏目くんが出て行った方向を見やる。
「あんなに顔がよくても、あれだけ態度が悪かったらね。顔がいいのに!」
 実結が嘆くのも頷いてしまうほど、夏目くんはものすごく顔が整っている。特別にヘアセットもしていないのに、さらりとした髪の毛は無造作でもかっこいい。涼やかな目元が印象的で、顔のパーツはすべてがバランスよく配置されている。すらりと背は高く、思春期の男子とは思えない清潔感もある。
 だけど夏目くんが誰かと普通にしゃべるのは見たことがないし、友達もいない。嫌われているわけでもないけど、いつも不機嫌そうで冷ややかな視線に近寄れない雰囲気がある。
「月子のニコニコをわけてあげたいよ」
「月子と夏目、横に並ぶとすっごいお似合いだけどね」
「絶対反対です、そのカップリング。顔だけならお似合いでも月子に似合うのはもっと優しい人でしょ」
 私は肯定も否定もせずに、二人の会話を笑顔で受け流す。
 夏目くんの態度は悪かったけれど、助かった。あのまま話を続ければどう会話が転んでいたかわからない。
 私のもう一つの顔がばれてしまうところだった。
 
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「こんばんは。忙しい金曜の夜、ムーンライトナイトにきてくれてありがとう。ムーンです。本日も占い配信を行います」
 固定したタブレットに向かって、柔らかな声を出す。
 目元以外を布で覆い、テーブルの前に座る。棚に紫の布を貼って背景代わりにする。部屋は電気を消しテーブルの上にはLEDのロウソクを何個も配置。薄暗くミステリアスな雰囲気を出している。
「今日も事前に頂いたお悩みをひとつ占い、その後みなさんのコメントから抜粋してお悩みに答えていきます」
 リスナーは百五十名程度。週に一度、毎回二百名近くの人が私の配信を聞きに来る。芸能人でもないただの高校二年生にしては、集まっているほうだと思う。
 これが私のもう一つの顔。占いでお悩み相談をしている。
「本日占わせていただくのはワセリンさんです。今日も配信を聞いてくれているかな? あ、いたいた、こんばんは。メッセージありがとうございました。では占いに入る前にワセリンさんのお悩みを紹介しますね」
 こうして悩み相談のムーンライト配信を始めたのは半年前。最初はほんの好奇心からだった。
 昔から人に悩みを相談されることが多かった。月子の悩み相談は的確だ、と言われるたびに心のなかで冷めたものがたまっていることに気づいた。
 どうしてみんな自分の感情に振り回されて、簡単なことを見逃すのだろうと。人の表情を見ていれば、相手の求めているものなど大体わかるではないか。
 いちいち自分の感情を波立たせる必要などない。向こうが求めている通りの言動を返せば、何も揉めることなどない。自分の意志や感情を優先する意味が私にはわからなかった。
 求められているものを演じる方がよっぽど簡単じゃない?
 だから性格が悪いのは十分に承知しているけど、私の助言でうまくいくのか試してみたかった。知りたかった。私が間違っていないと証明したかったのかもしれない。
「占いに入りますね」
 私はタブレットを少し傾けて、机の上がうつるようにした。机にも紫色の布を敷き、そこにいくつか白い石を置いている。
 その石を動かしてて、撫でて、最後にすべてを自分の手の中に包み込む。そして手からころりと離す。紫の布の上を転がった石を数秒うつしてから、タブレットをもとの位置に戻す。
「うんうん……みえてきました。彼の気持ちがわかりましたよ。大丈夫です、彼は未来を真剣に考えています」
 私は大きくうなずいて、目元だけ笑って見せる。
「彼がどういったことを考えているか、石の配置とともに説明しますね」
 占いなんて、インチキだ。そこらへんの天然石ショップで買った見た目がきれいな大きめの石を適当に転がしただけ。
 だって相談者が言ってほしいことなんて、相談をもらった時点でわかっている。それを意味ありげに語り、相談の内容をもとに彼が求めていそうなことを伝えるだけ。
 それだけで「よく当たる」のだ。
 人の気持ちなんて単純で、簡単で、なんでも手に取るようにわかる。
 配信を終え、私は顔を覆っている布を取った。
 すべての配信セットを片付け終わると、配信アプリのメッセージボックスをチェックする。配信のメインとなる占いは、事前に悩みを募集する方式で、こうしてお悩みがメッセージボックスに届く。週に約十通前後。私はこのなかから悩みをピックアップして、〝占う〟ことにしている。
「え?」
 ボックスを開いて、思わず声が漏れる。
 受信ボックスによく知っている名前を発見したから。
 ――夏目一悟。
「こういうので本名の人、初めて見た」
 夏目一悟って、あの夏目くん?
 今朝の冷ややかな瞳を思い出す。彼と悩み相談というのは、まったく結びつかない。
 まさか……ムーン=春野月子だと気づいて、忠告を送ってきた?
 心臓がどきりと嫌な音を立てた。
「もしかして、夏目くんに片思いしてる人とか?」
 声に出して、不安な気持ちが少し落ち着く。きっとそうだ。夏目くんのことを相談したい人からのメッセージだ。同じクラスになったことがある女子は夏目くんを恐れるか、遠巻きに見ているけれど。彼はその顔の良さからとにかくモテる。彼に憧れている女生徒は学校にいくらでもいる。
 気持ちを落ち着かせて、私は〝夏目一悟〟を名乗る人物からのメッセージを開いた。

【はじめまして。高校二年の夏目一悟といいます。配信聞かせてもらいました。ワセリンさん喜んでいましたね。俺も嬉しかったです。
 今朝、クラスの女子がムーンさんの話をしているのを聞いて今回はじめて配信を聞きました。そして勇気を出して、メッセージを送っています。
 僕には悩みがあります。人と会話がうまくできないのです。
 常に怒っていると思われて、怖がられていると感じることが多いです。
 でも怒っているわけでもなければ、話したくないわけでもないんです。ただ、しゃべるのが特別下手なんです。こうして文字ではすらすら吐き出せますし、心のなかではけっこうおしゃべりかもしれません。
 だけど、いざ言葉にしようと思うとなにも言えなくなってしまって……。誰かを傷つけるのが怖くて話せないのに、話せないことで傷つけてしまっている気がします。
 どうすれば、話せるようになりますか。】

「……ほんとに夏目くんだ」
 意外なメッセージだけど、切実で。私はメッセージを呆けた表情で見つめていた。
 というか、今朝の実結の話を夏目くんは聞いていたのか。
 となると夏目くんは教室に入ってから、リュックを置くまで時間がわりとかかったはず。
 自分の席に女子がいるけれど、なんと声をかけていいかわからない。
「それでリュックだけ置いて、すぐに教室を出て行ったのかな」
 夏目くんの行動を思い返してみる。きっと彼は、彩羽にまだ座ってていいよ、と席を譲ってくれたんだ。
「なんてわかりづらい優しさ!」
 占いというより、単純にお悩み相談な気もするけれど……。
 メッセージを送ってくる相談者は、大抵ものすごく長文だ。相談したい内容が文字に溢れていて、スクロールしてもスクロールしてもまだ続きがある。長文から相談者の性格を考えて、解決方法を考えているけれど。
 基本的に私が〝占う〟ものは、悩みとなる相手がいて、相手とどうなりたいのか、具体的な悩みがあるものだ。
 そうでないと、解決方法が提示しづらく一度の配信で答えきれないから。
 だから、こういった特定の相手がいない悩み相談は答えていなかった。
 もう一度夏目くんから届いたメッセージを読む。
 あのむすりとした表情の彼が、この相談を送ってくるのは想像がつかない。だけど真剣に考えて書いた悩みだとわかる。
 幸い、私と彼は隣同士。このメッセージを送ってきたってことは、ムーンが私ってことも気づいてはいないはず。
「どうしようかな」