君を好きなオレを好きになって。

カラン、とドアに付いているベルが鳴り、店にお客さんが来たことを知らせる。丁度お客さんからの注文を聞き終えた俺はドアの方へ振り返って口を開いた。
「いらっしゃいま――あ、恭介(きょうすけ)さん……」
「ははっ。めっちゃ嫌そうな顔。オレ、お客さんよ~? どんな裕太(ゆうた)さんも好きだけど、やっぱ笑ってる方がいいと思うな。絶対かわいいって」
「だっ……ま、またそういうこと言う……。普通にしてくれたら、俺だってお客さんとして接しますよ……」
 えぇほんと~? と彼は眉を下げて笑って、いつも座っている奥の窓際の席に着いた。はぁ、とため息をつきながら厨房まで歩き、赤くなった頬に気づかないフリをして、俺は注文を書いた紙を持って奥の調理スペースにいる母に渡す。
 ここは奥に飲食スペースがある、小さなケーキ屋。そんな場所には似つかない金色の髪の毛。両耳には大量のピアスが開いていて、首元にネックレス、指にはリングといったアクセサリーが付けられている。派手な柄の上着を羽織って黒マスクをしている彼の名前は的場恭介。……一応、俺の命の恩人だ。
 どうしてこんなチャラい人が恩人かというと、話は数週間前に遡る。
 北国とはいえ、12月にしては雪が降り積もっていた夜。俺は高校の同級生に誘われ、地元から少し離れた焼き肉屋に飲みに行っていた。そしてその帰り、実家暮らしの僕は駅から歩いて家へ向かおうとして歩道橋を渡った時、恭介さんと出会ったらしい。
 なぜ「らしい」なのか。理由は単純でお酒を飲みすぎて記憶がなかったからだ。
 俺は彼とその時に何か話していて、そのまま寝てしまったらしく、目が覚めたらホテルだった。あのまま放置されていたらきっと、凍死まではいかなくともかなり危険な状態だっただろう。気温も低く、結構雪も降っていたし。
 でも、恭介さんはただ酔っ払いの俺を介抱してくれたわけじゃなかったみたいだった。
なんでも彼はあの日、歩道橋から飛び下りて自殺しようとしていたらしい。まぁ、理由は聞かなかったけど。それで、酔っ払っていた俺に声をかけられて救われた……のだとか。だから、寝てしまった俺をホテルへ運んでくれたのだと話してくれた。
俺は恭介さんに『死んだら何も残らない』と言ったらしいのだが、本当に記憶がないからいまいち実感がわかない。
でも、今ここで仕事ができているのは間違いなく彼のお陰だから、感謝している。
「……えっと、注文は?」
「裕太さんで」
 ――――これさえなければ、普通に会話できるのに。
「……からかうために来たなら帰ってください」
「じゃあ裕太さんの淹れたコーヒーで」
「結局いつものじゃないですか……。少し待っていてください」
「はぁい」
 俺にとっても彼にとってもお互いが命の恩人という、謎の関係が続いて数週間。周りのお客さんたちにとっては、これが日常なので「ほんと、仲良しねぇ」と今日も微笑んでいる。本当よしてくれ……。
 はぁ、と何度目かのため息をついて、俺はレジの奥の調理スペースに行って、コーヒーミルに豆を入れてレバーを回す。
 恭介さんが俺にあんなことをいうのには理由があった。
それは、自殺を止めた酔っ払いだった俺に、恋したらしい。
なぜなのかは知らない。ただ、ホテルで目を覚まし、前日の夜に何があったのか話を聞いていた時、流れで告白された。
『オレ、ゲイでさ。裕太さんのこと、そういう意味で好きになっちゃった』
『…………へ?』
 フリーズしてる俺を他所に、自分の連絡先を書いたメモを置いて「毎日連絡くださいね」なんて言って。ちなみに彼が俺の職場を知ったのは、その日家まで送ってもらった時に、仕事に行く所だった母と会ってしまったから。流行りの風邪で休みの連絡が多く、その日休みだったはずの俺に来て欲しいと話したため、その場にいた恭介さんにケーキ屋で働いていると言わざるを得なかったのだ。
「ほんと、恭介くんはコーヒー好きよねぇ」
「苦い系の飲み物のが好きなんすよね、オレ。抹茶とか。逆に炭酸と甘いのはちょっと苦手意識あって……」
チラリと恭介さんの方を見ると、近くに座ってる常連の小島(こじま)さんと楽し気に会話していた。初めて来た時から思ってたけど、コミュ力高いよね。ちょっとうらやましいかも。
「あらそうなの。若い子って苦いの無理~って子多いイメージだったけど、案外そうじゃないのかしら?」
「どーなんすかね。あーでも、オレの回りは確かにカフェラテとか好きな子多いかも」
彼にとって「好き」なんて、挨拶のようなものかもしれない。自殺を止めたくらいで恋に落ちるなんて、普通じゃ考えられない。
でもそんな言葉、今まで一度も言われたことなかった俺にとっては、彼がどんな気持ちで言ってようと毎回変にドキドキしてしまう。親に褒められるのだってちょっと恥ずかしいのに。知り合って間もない男性に好きとか可愛いとか言われるなんて。
「……耐えられるわけないじゃん……っ」
 誰にも聞こえないくらいの声で呟き、モヤモヤした頭のままカップとソーサーを取り出してコーヒーを注いだ。恭介さんはいつもブラックで飲むので、ミルクや砂糖はいらない。
「あ、そうそう。恭介くん知ってる? ここのお店ね、毎年クリスマスの時期にはサンタさんの恰好をした裕太ちゃんが見られるのよ~」
「ホントですか!? え~めっちゃ見たい! 明日にでもクリスマスにならないかなぁ~」
「楽しみねぇ。今年は平日だからお店も営業してるし。クリスマス当日に見られるなんて、ラッキーよ。ほんと、毎年可愛いんだからぁ」
見た目こそ派手だが、人懐っこい笑顔で常連のお客さんたちともすぐに打ち解けて、今じゃコーヒーを待っている間に俺のことを話題にして話すのが普通になっている。小さい店だからほとんど常連の人しか来ないし、その中でも母の知り合いでおしゃべりな人が結構いるから、気が気でない。その1人が小島さん。お願いだからそんなこと言わないで。今年サンタの恰好しにくくなるじゃん……。両親がノリノリで毎年仕方なく着てるけどさぁ……。
「え、じゃあじゃあ、ネコの日とかはネコミミのカチューシャを付けたり――」
「しません」
「ちぇ。なぁんだ。残念」
 変なことを言い出す前に会話を遮った俺は、銀のトレイに乗せたコーヒーをテーブルに置く。わざとらしく口を尖らせている恭介さんを見て、周りのお客さんたちはクスクスと笑っていた。そういや彼が来てから、店の雰囲気よくなったよなぁ。
「……ふぅ……。やっぱ、裕太さんの淹れたコーヒーは銀河イチだね」
「また言ってる……」
 マスクを顎に引っ掛け、たった一口飲んだだけで恭介さんはそう言って俺に笑顔を向けた。
両親の営んでいるケーキ屋で働いて八年。あれは恭介さんが来るようになって数日が経過したある日のことだ。
彼がいつもと同じホットコーヒーを頼んだのでキッチンへ行くと、普段なら事前にポットに入れてあるコーヒーがなくなっていて、仕方なく慣れてない俺が豆を挽いてコーヒーを淹れたことがあった。
『……このコーヒー、恭介さんが淹れたの?』
『あ、美味しくなかったですかね。すみません。普段はポットに入ってるコーヒーを注ぐのですが、切らしていて……』
 正直に自分が豆を挽いて淹れたのだと話すと、彼は何も言わずにカップのコーヒーを一気に飲み干した。
『き、恭介さん……っ!?』
 あの日はいつもより結構お客さんが来ていて、みんな忙しそうだった。いくら恭介さんが知り合いで、俺に好きだなんだって言うためだけに来ているような人でも、お客さんであることに変わりはない。他の慣れている人の手が空くのを待っていたら彼を待たせてしまうことになると思い、いつも父がやっているのを思い出しながら淹れてみたのだ。
『……っはー……』
『あ、あの……』
『これ、今まで飲んできたコーヒーの中で一番うまいよ。世界……いや、銀河イチうまいと思う』
 彼の声色は普段と違って真剣なもので、表情もまた、今までの笑顔とは違っていて。本当に心から「美味しい」と思ってくれているのだと伝わってきて、ちょっとくすぐったかったけど、嬉しかったのは今でも覚えている。
『……っ。ぎ、銀河とか……規模デカすぎですよ……。でも、自分じゃ父には敵わないと思っていたので、美味しいって言ってもらえて、嬉しいです』
 この日以降、彼は必ず「俺の淹れた」コーヒーを頼むようになった。銀河イチなんて大げさだなとは思うけど、嬉しいものは嬉しい。
「ホントなんだってば。……あーでも、好きな人が作ってくれてるから美味しく感じるってのも、あるかもね」
「なっ……!」
「ふふ。ほんと、恭介くんは裕太ちゃんのこと好きねぇ」
 顎に引っ掛けていたマスクを口元に戻し、はい! とすごく大きな声で返事をした恭介さんに、小島さんは声を上げて笑っていた。
 きっと俺たちは、仲の良い友人としか思われていないのだろう。まさか恭介さんが俺に恋していて、彼の口から出る「好き」に恋愛的な意味が含まれているなんて、普通に生活していればそんな考えになることはない。
 だって、俺たちは同性同士なのだから。
 俺は昔から近所のおばさんたちに可愛いがられて生きてきた。歳の近い女の子にも、同じ塾に通っていた他校の男子生徒にも「一緒にいると楽しい」とか「大好き」とかって言われて、友達は多かったと思っている。
でもそれは『その時だけ』の友達だ。
だって、学年が上がって会うことがなくなれば、わざわざ連絡なんて取らなかったし、休日に会って遊ぶなんてこともなかったから。
 みんな、恋愛的な意味ではなく友達的な意味での「好き」だったのだ。
近所の人も両親も、それを理解していたと思う。俺の成人のお祝いで家に親戚家族が集まった時、恋人の話になったけれど、当時俺のこと好きだって言ってた女の子の名前なんて一切出なかったし。
でもじゃあ、恭介さんが本気だってもしバレたら? 両親はきっと、俺に恋人ができるなら当たり前のように女性だと思っているに違いない。まぁでも、恭介さんみたいな人なら、もしバレても平気な顔してそうだけどね。ゲイだって隠すことなく会ったばかりの俺に話してたし。俺以外にも好きだった人いただろうし、もし俺の両親がダメだって言っても、他の人探すのに苦労しなさそう。
「……他の、人……か」
「? 裕太さん?」
「あ、す、すみません。ちょっと考えごとを……。ゆ、ゆっくりしていってください」
 俺は慌てて頭を下げ、厨房へと小走りで向かった。
 恭介さんが他の人を好きになったって、別に俺には関係ないことなのに……。
最初はどうして俺なんだって思っていた。俺なんかと付き合ったっていいことないって。近所付き合いが多い分、同性同士のカップルなんて目立つし受け入れてもらえない。だから、俺と一緒にいたって彼は絶対幸せにはなれないんだって思ってた。
でも、彼が他の人と並んで歩いているところや手を繋いでいるところを想像したら……心が細かい針で何回も刺されるような感覚がしてしまう。
「……あの人の好きは、本気じゃない……。しっかりしろ、俺……」
 人を見た目で判断するのはよくないけれど、照れもせず平気で「好き」とか「今日も会えて嬉しい」とか言うような人は、絶対に恋愛に慣れているのだなと思ってしまって。
 きっと彼が今までの子たちと違うと思うのは、俺のことを『そういう意味』で好きになった、と言われたのが原因だろう。
昔言ってきた子たちは、友達としてのそれだって分かっていたから、照れることも恥ずかしくなることも、ドキドキすることもなかった。
 でも恭介さんは自分がゲイだと言ったうえで、俺のことを恋愛的な意味で好きだと告白してきたのだ。
 もしかしたら、恋愛に慣れてない俺をからかうつもりで言ったのかもしれない。でも、「恋した」から「好き」と言われれば、本当に慣れてない俺は変に意識してしまうわけで。
「すいませーん。ケーキ買いたいんですけど、レジいいですか?」
「……っ! はい、今行きます!」
 俺は両頬をパン! と叩いて頭の仲をリセットし、レジへ向かった。



俺の恭介さんへの気持ちは未だに整理がついていないまま、数日が経った。
「……あの、恭介さんってヒマなんですか」
「え、オレに興味持ってくれたの!?」
「そ、そうじゃなくって……! 毎日来てるから、仕事とか……あ、学生さんだったら学校とかあるんじゃないかって思って……」
 いつもの席に座った恭介さんに、いつもと同じ俺の淹れたコーヒーを持っていってテーブルに置く。
 恭介さんは当たり前のように毎日店に顔を出すものだから、もういっそこのままでもいいのかもしれないと思ってしまう。変に余計なこと考えないで、このまま。本気になって後から傷つくくらいなら、この曖昧な関係のままでいられればいい。
「なぁんだ。でも確かにオレの話ってあんまりしてなかったね。オレは学生じゃなくて、夜の店でちゃんと働いてる者です」
「よっ……あ、そ、そうなんですね……」
「って言っても、バーなんだけどさ」
「あ、そういう……」
 夜の店なんて言われて、ちょっとした恥ずかしさから思わず目を逸らしてしまったが、恭介さんはニヤニヤしながらお店の名刺を渡してくれた。なんか、騙されてないのに騙された気分……。バーなら最初からそう言ってよ……。変な店想像しちゃって、めっちゃ恥ずかしい奴じゃん、俺……。
「ん、ふふ……っ、はは……っ」
「~~~~っ、わ、笑わないでもらえますか……っ」
 恭介さんはツボにハマったのか、机に突っ伏して肩を震わせている。本当に最悪だ。でも、こんな派手な見た目で「夜の店で働いてます」なんて言われて真っ先にバーが思い浮かぶ人なんていないと思う……。ちょっと失礼かもしれないけど。
「はぁー……っ。久しぶりにこんなに笑った……っ。はは、やっば。ちょー面白い……っ」
「……そ、それ以上笑うようなら、このコーヒーに砂糖とガムシロ、大量に入れますからね……」
「……え?」
 人差し指で涙を拭っていた恭介さんが、ぽかんとした顔をして俺の方を見た。あれ、この人この間、甘い飲み物苦手だって言ってたよね……?
「あ、えっと、前に炭酸と甘い飲み物苦手って、小島さんと話してたような気がして……聞き間違いでしたか……?」
 小島さんは母の友人だから結構な頻度で来店している。あの人、何でも話しちゃうし声もまあまあデカいから調理スペースまで聞こえるんだよなぁ。今日はまだ来てないけど。
「……いや、聞き間違いじゃない。でも、オレたちがしてた会話じゃないし、そんな前のこと覚えててくれてたなんて……」
 なんか、盗み聞きみたいで失礼だったかな。近所のおばさんたちや常連の人は、「前に話してるの聞いていたので」と言って飲み物にお菓子を付けてあげたりするとすごく喜んだりするんだけど。ここに来るお客さんの中では年齢的に若い方だし、もしかしたら嫌だったりして……。
「あ、すみません……。盗み聞きみたいな……」
「何で謝んの? すげー嬉しい」
「――っ」
 嬉しいと言って笑った恭介さんの表情に、思わずドキッとしてしまった。ずるい、そんな顔。
この人は本気じゃないんだって、何度も思い込もうとしたけど、もう無理だ。
彼の色んな表情を見て、色んな言葉を聞いてきて、俺は確実に彼のことを意識している。
「そういうの、普通は覚えてないよ。何回も言ってたわけでもないしさ。だから、今みたいに何気ない会話も聞いてて覚えててくれるのって、すごいと思う。やっぱオレ、裕太さん好きになれてよかった」
「……ま、またそういうこと……。で、でも、恭介さんは一応お客様ですから。好みとか苦手な物とか知っていればサービスしたりできるし……。ほ、他の従業員だってきっと覚えてますよ。きっと」
「い、一応って……。てかサービスって何? 裕太さんがオレに何かしてくれんの? ハグとか? 頭なでなでとか?……あ、キスは」
「しっ、しませんっ!」
 恭介さんはまた変なことを言い出し、俺の顔が赤くなったのを見て笑っている。ほんと勘弁してくれ……。もう少しで三十路になるような男をからかって何が楽しいんだ……。
「あ、そうだ裕太さん。明日って――」
「すいませーん」
「あ、今行きます! すみません、後で聞きますね」
 恭介さんが何か言いかけたタイミングでお客さんに呼ばれてしまい、俺はパタパタとレジに向かった。
クリスマスが近いせいか、ここ数日はケーキを予約していくお客さんが多い気がする。確か今年のクリスマスって平日だったっけ。じゃあ恭介さんに会え…………じゃない。平日だから、仕事があるんだ。去年は日曜だったから店が定休日で、夕飯ちょっとだけ豪華だったんだけど、今年は普段と変わらないのかな。あー残念だなー。
「い、いらっしゃいませ。あ、ケーキのご予約ですね。えっと――……」
 変なことを考えないように、俺は予約表のケーキに集中することにした。
流されるな……。流されたらそこで終わりだ……。


「……よし。あとはこっちのテーブルを拭いて終わりかな……あれ、なんだろ。何か落ちてる」
 午後7時。ドアの看板をクローズにして店内の清掃をしている時に、恭介さんの座っていた席の下に何かが落ちているのを見つけた。
「きれー……」
 それはガラス玉のストラップだった。ちょっといびつな丸のガラス玉には、3つの色で線のような模様が描かれていて、店内のライトにかざしてみると、とても美しく綺麗に映る。
 でも、このガラス玉、どこかで見たことあるような……。
「……気のせい、か?」
「あ、それ恭介くんのじゃないか」
「父さん。知ってるの?」
 厨房から出てきた父に声をかけられ、これが恭介さんの物だと判明した。俺、今までこんなの持ってたなんて気づかなかったんだけど。なんで知ってるんだ? あ、財布に付けてたとかかな。俺あんまりあの人会計する時レジ対応しないから、気づかなかっただけ? かも?
「え? だってそれは――」
「おとーさん!」
「あっ、そうだった……! え、えっとぉ~……さ、財布に付けてたんだ! そう、財布に!」
「……?」
 父が何かを言いかけた瞬間、厨房から母が怒ったように声を上げた。焦ったような父の態度に違和感を覚える。俺に隠しごと……? 
「と、とにかく! 明日は日曜で店は休みだろ? 連絡して渡してあげたらいいよ」
「あ、う、うん……」
 半ば投げやりに会話を終わらせた父はそのまま走って厨房まで行ってしまった。なんだったんだ……。
 その後もモヤモヤした感情は消えないまま、片付けを終えた俺は両親より先に家に帰ることにした。
「冷蔵庫のおかず、温めておいてー」
「はーい。……ん? あ、ご来店ですか? すみません。もう本日は営業終了してまして……」
 ドアを開けると、目の前に見かけない男性が立っていた。茶色のコートに身を包んで、深い緑色のマフラーを首の前で巻いている。頬の横の短い髪を耳にかけた彼は、一瞬俺に睨むような視線を向けたが、すぐに笑顔になって口を開いた。
「そうだったんですね。こちらこそ調べもせず、すみません。いやー、僕の気になっている人が最近この店に通っているのを見かけましてね。ちょっと寄ってみようかなと思ったのですが」
 また出直してきます。と、にこやかにその人は帰って行った。気になってるなら、その人に連絡して一緒に来ればいいのに。……いや、それができたらこんな時間に一人で来ないか。普通。
「そういや恭介さんって、バーで働いてるんだよね。今連絡しても、仕事中かな……」
 携帯をポケットから取り出したはいいけど、邪魔しちゃ悪いよね。でも、もしこれ大事な物で、ないことに気づいて仕事終わりとかに探す羽目になってたら……。
「えっと確か名刺に住所が……って、げ、ゲイバーじゃん……っ!」
 確かに恭介さん、ゲイだって言ってたけど!
 あの時ちゃんと見てなくてよかったと、心から思った。店の中でこんなの見たら、きっと恥ずかしさでもっと顔が赤くなっていたと思うし、もっと笑われてたと思う。両親はまだ店の中にいるとはいえ、ここは外なので変に辺りをキョロキョロしてしまって、誰もいないことにほっと息をついた。
「……と、届けに行くだけ……。届けてすぐに帰ればいい……」
 俺は一度店に入って、「出かける用事できた」と適当に嘘をつき、名刺に書かれた住所まで向かうことにした。
 恭介さんの働いているバーは地下鉄に乗って2駅分離れた場所にあるみたいで、毎回交通機関を使って店に通ってくれているのだと思うと、ちょっと申し訳なくなる。
 そこまでしてでも、俺に会いに来てくれてたのかな……。もしかして、本当に俺のこと、好きなんじゃ……。
「次は〇〇駅~……お出口は――」
「あ、やばいっ。降りなきゃ」
 バーは駅から徒歩2分くらいの場所にあった。ビルの3階に入っているようで、エレベーターに乗って向かう。
「はぁ……」
忘れ物渡すだけなのにゲイバーってだけで緊張してきた……。接客中だったらどうしよう。夜のお店なんて人生で一度も行ったことないから、本当に心臓バクバクだ。別に、出会いを求めて店に行くわけじゃないのに。
 ポーンと音が鳴り、ドアが開いた。目の前には階段があって、上向きの矢印が書かれたバーの看板が目に入る。
「ふー……。よし」
 大きく深呼吸をして、俺は階段を登った。
 ドアを開けるとチリン、とベルの音がして、カウンターにいるバーテンダーがこちらを向いて口を開く。
「いらっしゃいませ。おひとりですか?」
 店内は暗く、淡いライトが何個か天井からぶら下がっていた。バーといえば、ホテルとかにある狭い感じの店を想像していたので、意外と店全体が広くて奥のスペースにまで結構な人がいることに驚きを隠せない。BGMも落ち着いたクラッシック音楽で、いい雰囲気のバーだった。
 でもあんまりジロジロ見てたら怪しまれるよね……。恭介さんを探さないと……。
「あ、えっと……。きょ……的場さんという方にようじ、が…………」
 カウンターの中にいる対応してくれたバーテンダーに視線を戻すと、その奥の席でお客さんと手を重ねて顔を近づけて会話している恭介さんが視界に入った。
「あ、恭介に用事ですか? 少々お待ちください」
 バーテンダーが恭介さんに声をかける。俺はその場から固まって動けなくなってしまった。ただ恭介さんがお客さんと親し気に話していたからってだけじゃない。
そのお客さんが――。
「おや。……ふふ。偶然ですね」
 数十分前に店の前にいた男性だったからだ。
「ゆ、裕太さん!? な、なんでここに……」
 慌てた様子の恭介さんが、カウンターから出て俺の前まで来る。
「……っ、店に、おとしもの……っ。あ、えっと、おれ……渡しにきた、だけなので……っ!」
 上手く呼吸ができない。にやりと厭らしい笑みを浮かべたあの人を見て、変な汗が流れる。
 俺はドン! と恭介さんにストラップを押し付け、勢いよく振り返ると慌ててドアノブに手をかけた。
 はやく、ここから出たい……っ。
心の奥底でわけの分からない感情がぐるぐると渦巻いている。
なんだろこの感じ。気持ち、悪い……。
「え、ちょ、待っ……」
 別に店員が客と親し気に話すことくらい、普通じゃないか。俺だってよく話すし。
 ……恭介さんが、絡んでいるから? でも、俺は別に好きって確信したわけじゃ……。
「待ってください」
 ドアを開けたタイミングで、俺の手を掴み静止の言葉を放ったのは……。
「これも何かの縁です。一杯だけでも、ご一緒にどうですか?」
 恭介さんじゃなくて、先程の男性だった。




「裕太さんというんですね。可愛らしい名前。お酒は普段飲まれますか?」
「……ぁ、っと……あんま、り……」
「じゃあ低アルコールの中で僕のオススメがあるんです。恭介くん。あれ、お願いします」
「……」
 断り切れない雰囲気に、俺は手を引かれるまま男性……武人(たけひと)さんの隣に座らされ、一緒にお酒を飲むことに。両親には「高校時代の友人と会ってまた飲むことになった」と本日二度目の嘘をつき、出されたグラスに口を付けた。
「美味しいでしょ? それ。僕が恭介くんとここで初めて会った時に出してくれたお酒なんです」
「……そ、うなんですね……」
 正直、武人さんのことで頭がいっぱいな俺には味なんて何も分からなかった。
 彼の言っていた「気になる人」というのは、間違いなく恭介さんのことだろう。さっき見えた感じだと、恭介さんの手に自分のそれを重ねて、じっと彼の目を見て話していたし。
ここはゲイバーだ。お客さん同士の出会いだけがすべてじゃない。ドラマなんかでも、店員に恋してしまうという展開はよくあることで。
「……っ」
「……ところであなた。恭介くんとはどういう関係なんですか?」
 未だわけの分からない感情が渦巻く中、武人さんが片方の手で頬杖をつき、俺の顔を覗き込んでくる。白くて細い指。冬なのに見ただけで分かるくらい保湿された手。爪の先まで整っていて、何もかもが俺とは比べ物にならないくらいだ。さっき着ていたコートだって、俺でも分かるくらいのブランドものだったし、腕時計も高級そう。
「お、れは……」
 ただの店員と客です。って言えないのは、そうじゃないってどこかで思ってる自分がいるから。でも告白の返事をしてないから恋人でもない。
 確かに恭介さんのことを意識しているが、それが「好き」にイコールで結びつくのかどうか、俺には分からなかった。
「では、質問を変えましょうか。……僕が恭介くんのこと好きだって言ったら……あなたはどうしますか?」
「――っ!」
 どうって、なんだ。どうもこうもない。別に俺には、関係のないことだ。
 でも、仮に恭介さんがこの人と付き合ったら、もうお店には来てくれなくなるのかな……。別に来る来ないは彼の勝手か。でもじゃあ、2人で来るようになったら……?
「……あーもう……っ!」
「あ、それ僕のお酒……」
 テーブルに置いてあったグラスの中身を、グイッと煽る。頭の中も心の中もぐちゃぐちゃで、なにがなんだか分からなくなってしまった。
好きだなんだって毎日言っていた男が他の男と仲よさそうに話してても、別に俺には関係のないことだ。誰がその軽そうな男のことを好きだと言っても、その男が誰と付き合っても……告白の返事をしてない俺には、何かを言える権利なんてない……。
「……お、おれには、ぜんっぜんかんけーない、です……! きょーすけさんが誰と付き合おうが、誰がきょーすけさんを好きになろうが、勝手です……っ。……ひっく……おれには、なに、も……っ」
 空腹にお酒を飲んだからかな……アルコールが回るの早い気がする……。ヤバい。頭グラグラしてきた。でも、口が勝手に動くみたいに、しゃべるの止められない。
「……おれは、こーひーが好きでバーではたらいてるってことしか、きょーすけさんのことしりません。……ひっく……ぇも、きょ、すけさん……しゃべぅの上手いから……ひっく……じょーれんさんとも、すぐなかよくなって……みせのふんいき、あかぅくなりました……んな……ぐずっ……みんな、きょーすけさんのこと、らいすきなんれす……っ」
 なんでだろ。なんで俺、泣いてんだろ。お酒入ると泣いちゃうタイプなのかな。普段本当に飲まないから知らないけど。
「……もー。泣かないでよ。ほらティッシュ。……裕太さん、一回泣いたら暫くずっと涙止まんないんだからさ。目、腫れちゃうよ」
「……ずっ……」
 あれ、なんでそんなこと知ってるんだろ。話したことあったっけ。
「……ねぇ裕太さん。……今のみんなってのに、裕太さんも含まれてたりする……?」
でも今はそんなことどうでもいいや。もう何も考えられない。
「……だえとつきあっても……ひっく……いーけろ……おはなし、れきなくなぅの……さみし……っ」
 瞼が重たくなってきた。ここで寝ちゃダメなのに。お店の人に……恭介さんに、また迷惑をかけてしまう……。けど、もう……限界……。
「……っはーー……」
「……あははっ。可愛い子じゃん。裕太くんって」
 誰かが俺の髪を触ってる……? というか、遠くの方で誰かが話してる声が聞こえるけど、ほとんど聞き取れない。
「いくらタケさんでも、ゆう兄に触るのはダメ。許さないから」
「わー。こわぁい。ナギ助けて~」
「まったく……。いい加減にしてくださいよ。武人さん。裕太さん可哀そうじゃないですか」
「って、ゆう兄お酒あんまり強くないんだった……。ごめん(なぎさ)さん、オレ家まで――……」
 ゆうにい……? その呼び方をするのは、きょうくんしか……。あれ、そういやきょうくん、なにしてるんだろ……。元気にしてるかな……。あーダメだ。ほんとに、意識が……。
 俺は睡魔に勝てず、誰かに抱えられた状態で意識を手放した。




『ゆう兄~!』
『あ、恭くん。今日は何して遊ぼうか?』
『えっとね、笛のお菓子食べたい!』
『笛? あぁ、駄菓子か。いいよ。一緒に買いに行こう』
 俺が小さい頃、たくさんの傷跡を付けた1人の少年が近所にいた。
 彼、恭くんと出会ったのは塾の帰り、夜暗くなった時。帰り道に通る公園で、ブランコに座って1人で泣いていたのを見つけたのが最初だった。
 首や頬にたくさん痛そうな傷を付け、足には痣が、指先には絆創膏が何個も巻かれていて。
 当時小学生だった俺は、初めて見る彼が転んでケガをしたと思い家に連れ込み、母に傷の手当てをしてもらった。
 その日以降、恭くんとは学校が終わった夕方頃に会うようになり、一緒に駄菓子屋に行ったり、公園で遊んだりして近所のおばさんたちからも「仲良し兄弟」と言われるようになって。
 俺には塾があったから毎日遊べたわけじゃなかったけど、それでも一緒にいた時間は結構楽しかったのを覚えている。
「……きょー、くん……」
「……っ。な、なんだ寝言か」
「ん……? あぇ……ここ……」
 懐かしい夢の途中で、どこからか声が聞こえた気がした。ゆっくりと目を開けると見知らぬ天井が視界に入る。ぼんやりとした頭のまま首を横に向ければ、見覚えのある顔があって眠気なんて一気に吹き飛んでしまった。
「きょ、恭介さん……っ!? お、おおおおれはまた、あなたにご迷惑を……っ」
「ははっ。大丈夫だよ。迷惑なんて思ってない。寧ろ、好きな人と一緒にいられてラッキーって感じ?」
「……っ、またそーいうこと言う……っ」
 勢いよくベッドから起き上がり頭を下げると、恭介さんは通常運転でちょっとだけほっとした。けど、飲んだお酒のアルコールがそこまで高くなかったのか、バーでの出来事をぼんやりと覚えていて、かなり気まずい。俺、結構恥ずかしいこと言ってたよね……。どうしよ。バーでのこと覚えてるか聞かれたら……俺嘘つくの苦手だから、絶対バレる……。
「……ねぇ、さっき寝言で『きょうくん』って言ってたけど、裕太さんの知り合い?」
「へ?」
 頭を抱えてうだうだ悩んでると、予想外の言葉が恭介さんの口から出てきて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「オレもさ、恭介だから『きょうくん』ってあだ名で呼ばれてたんだよね。だから、似た名前の人いるのかなって思っちゃって」
「あ、えっと、恭くんは俺の……弟みたいな人だったんです。小学生の頃、ゆう兄って俺に懐いてて。可愛くて大好きだった」
 隠すことでもないので、俺は恭介さんに恭くんの話をすることにした。
 基本は外で遊んでいたけど、雨の日とかは俺の家に来てもらって漫画を読んだり、一緒にお菓子を食べたりして。
でも、恭くんには至る所に傷があって、会う度にその傷は増えていた。
大丈夫かと聞くも、転んだだけだと無理して笑う彼のことを、ずっと気にかけていたのを覚えている。
そんなある日の夜、俺は恭くんの傷が転んだものじゃなく「虐待」によるものだと、両親が話しているのを聞いてしまったことがあった。
当時小学生の俺には虐待がどんなものかあまり想像つかなかったけど、あの傷を見てきて、1日の内で1時間でも、30分でもいいから「楽しかった」と思える時間を作ってあげたいと思うようになって。
「ずっと一緒にいたかったんですけど、夏休みに入るちょっと前かな。叔父が家の中で転んで腕の骨を折ったと連絡をもらったんです。だから、夏休み中はずっと叔父の家にいて、恭くんとは一度も会えなくて……」
 夏休みなら塾もお昼で終わるし、今までよりも長く遊べると思っていたのに。急なことだったし叔父の家は実家からかなり離れた地域にあったため、恭くんにそのことを伝えることもできずに家を出てしまったのだ。
「夏休みが終わる頃に実家に戻ってきたんですけど、いつもの公園には恭くんはいなくて、学校が始まっても会うことはなかったんです。だから、ずっと気になっていて……」
 ずっと、なんて言ってしまったが、正直夢を見なかったら忘れていたかもしれない。
前までは、毎日ではなかったけど、ふとした時に元気かなぁ、今何してるんだろうって思い出すことはあったのに。恭介さんに出会ってから、知らぬ間に俺の頭の中は、彼でいっぱいになっていたってことだ。
「……裕太さんは、その『恭くん』に会えたら嬉しい?」
「もちろん。元気な姿が見られたら嬉しいです。……でも、まだ体に傷があるようだったら、今度は長い時間、あの時できなかった分、楽しいって思えることをしてあげたいなって思います」
「…………どうしてあんたは、そんなに優しいんだ……っ」
 俯いた恭介さんが小さく何かを呟き、ベッドに思い切り押し倒された。両手を顔の横で恋人繋ぎにされて上に乗っかられると、身動きが取れなくなる。そのまま恭介さんは俺の肩口に顔を埋めてゆっくりと喋りだした。
「……オレ、目に見えない所にまだたくさんあるよ。傷」
「……え?」
「心のね、奥深くに。……裕太さんがオレに向けた笑顔と同じ顔を他の人にも向けてたり、オレ以外の人とすごく楽しそうに話してたりするのを見ると、痛くなるんだ」
 いつもの恭介さんからは想像もできないくらい、弱々しく震えた声。絶対に離さないといわんばかりに強く握られた手。顔が見えないからこそ、今喋っているのは本当にあの恭介さんなのかと、疑ってしまう。
「……そ、れは……どうやったら、治るんですか……」
「オレのこと好きになってくれたら治るかな」
「……っ、今は真剣に――っ」
「本気だよ」
 顔を上げた恭介さんの目には涙が滲んでいて、辛そうだけど必死な表情を浮かべていた。ドクンと心臓が一際大きく動いたと思ったら、頬にぽつぽつと雫が落ちてくる。
「……ゆう兄がオレのこと好きだって言ってくれたら、治るんだよ……っ」
「え、ゆう兄って……」
「傷も治るし、痛いって思うこともなくなって、毎日が楽しい、幸せだってなる……。今も昔も、オレを救えるのはゆう兄だけなんだ……っ」
 ……待って。え、待って待って。何が起きてる? ゆう兄って……。恭くんってまさか……。でも名前が……。
『オレも恭介だから、きょうくんってあだ名で呼ばれてたんだよね』
「……あ、だな……」
 俺が恭くんの名前を知ったのは、会って間もない頃、公園に迎えにきてた母親らしき女性に「きょう」と呼ばれていたから。俺はずっとそれが名前なんだって思ってて、「恭くん」と呼んでいた。
 でもまさか、それがあだ名だったなんて……。
「……ホントはさ。昔のオレじゃなくって今のオレを見てほしかったんだ。急に会えなくなって、傷だらけのオレとはもう一緒にいてくれないんだって思ってたから」
 恭介さんは俺の上から退けて、ベッドに座ると過去の話を聞かせてくれた。




『ほんっとあの人に似てイヤな顔! 見るだけで頭痛くなる! どっかいってちょうだい!』
 オレの両親は父親の浮気が原因で離婚した。裏切られたと感じた母親は日に日に態度が変わり、父親に似た顔のオレを見る度に、殴ったり蹴ったりと暴力を振るうようになっていって。
 家にいれば暴力を振るわれ、学校に行けばみんなから嫌な目で見られる毎日。そのせいで、オレは女性が怖くなってしまった。高い声を聞くのも、甘くてキツイ香水の匂いも、全部が嫌で気持ち悪くて。
 そんなある日。母親が夜になっても帰ってこない日があった。1人で暗い家にいるのが怖くなって、近くの公園に行って泣いていたら、声をかけてくれた人がいた。
 それがゆう兄だった。
 みんなと違って傷だらけのオレを見て、真っ先に手当しなきゃって手を引いて家に連れてってくれた。その手がすっごくあったかくて、安心したんだ。
 でも、夏休みに入る前、急に会えなくなって、叔父さんの家に行ってたなんて知らないオレは、自分がこんな見た目だからもう会ってくれなくなったんだって、思っちゃって。
『あんたまだいたの? 最近外に行くこと多いから、もうこの家には帰ってこないんだと思ってたわ。やっと忘れられると思ってたのに……』
 母の声も、ひどい言葉も、もうこの時のオレは何も感じない人間になっていた。
ゆう兄に会えないなら、もういっそのこと部屋から出なきゃいいんだって思って、学校も行かずにずっと引きこもって。
「そしたら何年か経って、近所の人が異変に気付いたらしくて、警察に通報してくれたみたいで、あの人は捕まった。オレは会ったこともない親戚の人に引き取られてずっとそこで暮らしてたんだけど、その人が事故で死んじゃってさ。バーにいたゆう兄に声をかけた人、渚さんって言うんだけどね、親戚の知り合いだったんだ。葬式の時に家においでって言ってくれて」
 ゲイバーの店長をやってる渚さんが、オレに住む場所を与えてくれた。オレは彼から生きるために色んなことを学んで、このままあの人のことを忘れて生きていけると思っていた。
「ちなみに武人さんは、渚さんと付き合ってるんだよ」
「……そ、そうだったんですね……」
「ふっ……。安心した?」
「そっ……んなこと、は……」
 顔を赤くしてふいっと視線を逸らすゆう兄が愛おしくて、昔の辛い話をしてるはずなのに自然と笑顔になってしまう。ホント、不思議。
「……でも、現実はそう上手くはいかなかったんだ」
あの人が釈放されて、オレの携帯に連絡がくるようになった。携帯に映し出された名前を見る度に息が苦しくなって、眩暈がして……。
「結局オレはあの人から逃げられないんだって思ったら、死んだ方が楽だなって思っちゃって」
 それであの日、ゆう兄の住んでた住宅街近くの歩道橋まで行った。
ゆう兄とあの人に、じゃあねって言うために。


「……そこで俺が声をかけた、んですね……」
「運命だと思ったんだ。酔っ払ってたし、ゆう兄はオレのこと覚えてなかったけど……でも、何年経ってもオレを助けてくれるのはゆう兄なんだって。この人のために生きたいって、思えたんだ」
 恭介さんは縋るように俺に抱きつき、お腹に顔を埋め小さく息をついた。その姿が昔の恭くんと変わらなくて、思わず頭を撫でてしまう。
「ふふ」
髪の毛ふわふわで、気持ちいい。図体こそ大きくなったが、くせっ毛とか甘える時に顔をお腹にグリグリするのとか、変わってない部分も多くてつい笑みが零れてしまって。
「……あのガラス玉のストラップさ。ゆう兄が修学旅行でオレへのお土産にって作ってくれたやつなんだよ。覚えてないでしょ」
「……あ、だから見覚えあったのか……」
 頭を撫でながら、ぼんやりと思い出す。
離れるの嫌だって泣きわめいていた恭くんに、「お土産買ってきてあげるから、いい子で待ってて~」とか言ったんだっけ。懐かしいな。
「オレはもうその頃からずっと、ゆう兄のこと大好きだったんだよ……」
 あの日歩道橋で、俺が恭介さんのこと覚えてなくてラッキーだと思ったらしい。まぁ、あれだけ見た目変わってたら、そりゃね……。仮に『恭くん』と『恭介さん』が同一人物だって知ってたとしても、俺はこの話をされるまで気づかないだろう。
「……傷だらけの醜いオレじゃなくて、ちゃんと働いて1人でも生きていけるようになった今のオレを、見てほしかったんだ……」
「恭介、さん……」
「……ごめんね。こんな、騙すようなことして……。もうゆう兄には近づかないから――」
「ま、待って……っ!」
 そう言って俺から離れてベッドから下りた恭介さんの腕を、反射的に掴んでしまう。
 掴んでどうするんだ。何か言わないと。でも、何を言えばいい……? 分からない。頭の中、ぐちゃぐちゃだ。
「……ゆうにぃ……?」
「――……っ」
 そろ、と振り返った恭介さんの泣いてる顔を見て、心にストンと何かが落ちた気がした。
「……俺、誰かに恋愛感情を抱いたことなかったんですけど、今やっと分かりました」
 側にいてくれることが嬉しくて、他愛のない会話すらも楽しいと感じて。食べ物や飲み物の好みだけじゃなく、もっと色んなことを知りたいと欲が出てしまうのは――。
「……?」
「人を好きになるのがこんな感じなんだって。今、やっと知れました」
 好きだと言われていちいちドキドキしていたのは、慣れてなかったから。でも、その相手が自分以外の人と仲良くしているところを見ただけで苦しくなるのは、その人のことが好きだから。じゃなかったらそんなことにはならない。
「……遅くなってごめんね。――俺は、恭介さんも恭くんも、大好きだよ」
「~~~~っ! オレも! オレも大好き……っ!」
「はは……っ。知ってる」
ボロボロと大粒の涙を零しながら、俺に再び抱きついてくる彼を受け止める。
やっぱり大きくなっても、働いてお金を稼げるようになっても、恭くんは恭くんだ。
「……へへっ。ゆう兄あったかい」
「そ、そうかな……」
「うん。……オレ、ゆう兄を好きになれてよかった」




「え、最初から知ってた!?」
 次の日。クリスマスシーズンなので、サンタ衣装の確認のために早めに店へ来よう連絡が来た。そこでちょうどいいタイミングだと思い恭くんを「恋人」として紹介しようと、一緒にお店へ来てもらって……。
「ほら、家の前で会ったでしょ。少し前に。恭介くんって、昔から緊張したりすると髪の毛を触るクセがあるんだけど、あたしと会った時も、裕太の後ろに隠れて髪を触ってたから、なんとなぁく似てるなぁって思ってて」
 そしたらこれである。
どうやら両親には、恭介さんが恭くんだってずっと気づいていたらしい。
「あんたがここで働いてるんだーって話してた時に、『恭介さん』って呼んでたから、確信したのよ」
「裕太は気づいてなかったみたいだったし、恭介くんもすごく見た目が変わったから、母さんと一緒に、昔の話はしないでおこうって決めたんだ」
「な、なるほど……」
 あ、だからガラス玉のストラップの時父さんあんなに焦ってたのか。……てか待って? もしかして小島さんとか他の常連の人も知ってたりするの、かな……。もしかしなくても、恭くんのこと気づいてなかったのって、俺だけ……? 
「……あの頃、傷の手当をしてくれて本当にありがとうございました。……これからは、オレが裕太さんを守っていけるように頑張ります」
「……っ!? お、俺はもう27なんだから、守られるような年齢じゃ……っ」
 俺の頭の中は大混乱を起こしているというのに、隣からさらに混乱を招くような発言が飛んできて、もうキャパオーバーだ。
「この辺じゃまだ同性同士の恋人に理解のある人は少ないかもしれない。でも、あたしたちはあんたらが幸せなら、それでいいと思ってるのよ」
「父さんも同じ考えだ。2人で楽しい時間を作っていきなさい」
 でも、なんかこの心がポカポカする感じ、いいな。どんなことがあっても、恭くんと一緒ならそれだけでいいと、自然にそう思える。
「ありがとう。父さん、母さん」
「絶対に幸せにします」
 恭くんの言葉に、もうそれプロポーズじゃん! と母が返して俺以外の3人が楽しそうに笑っていた。
 この幸せな時間が、どうかずっと続きますように――。
 後日、噂好きの常連さんや小島さんたちに俺たちのことが知れ渡り、盛大に祝福されるのだが、この時はまだ知らない。


 衣装の確認や話を終えたゆう兄は、仕事が始まる前に着替えるため一度家へ帰ると言い出したので、オレも一緒についていくことにした。
「あ、信号赤になっちゃった」
「ここの信号って、長いんだよね。雪も降ってきたし、歩道橋渡るか」
 オレたちは横断歩道の手前で左側にある歩道橋の階段を登ることにした。
 オレが救われた場所で、ゆう兄に再会できた……思い出の場所。


『……っ、こんな思いするなら、死んだ方が、マシ……。ばいばい』
『あぇ……? ひっく……おにぃさん、バンジー? あぶないよ~?』
『――っ!?』
『……ひっく……ははっ、違ったか……。でも、死んだらなんものこんないよ』


「あれ、恭くん? そんなとこで立ち止まって何してんの? 雪の降りも強くなってきたし、早く行くよ~」
「……ううん。なんでも。ゆう兄、もう絶対こんな場所で寝たりしないでね」
「う……っ。肝に銘じます……。覚えてないけど……」
 あの日と同じ雪の降る日。歩道橋にはオレたちの足跡ができていく。