「ま、マンツーマンで練習……?」
月曜日の昼休み。土日に雨を降らした空は、度々開放される屋上に温かな光を与えている。桑原さんに呼び出された俺は、少し強めに話す彼女に気圧されていた。
「応募人数が二十三人なんだって。それに部長は絶対妥協を許さない人だから、普通に演技しただけじゃなかなか好印象は残せないと思う。あ、ちなみに部長は当日の審査員長ね」
突然の呼び出しに戸惑う俺に対し、ゆっくりと説明してくれる。
先週の部活に参加したとき、部長がとても厳しいだろうことはなんとなく感じていた。優しそうな見た目に反して、演技には最大限心を燃やしている証拠だとも思う。
その後も、俺の不安な心を少しずつ和らげるように会話の応酬が続く。
「でも逆に『こいつならやれる』って思ってもらえれば、最大限尽くしてくれる。だから、このワンシーンはすごく重要なの」
「……ことの重要性は充分わかったよ。でも、桑原さんにも役があるのにつきっきりで見てもらうのは申し訳ないよ……」
すると彼女は、少しだけ険しかった表情が柔らかくなった。そして誇らしげな顔をして、胸をポンっと叩く。
「暁斗くん、なんで私がわざわざ目立つようなヒロイン役を担ったと思う?」
「……やりたかったからじゃないの?」
「それもあるけど! ……この役は主人公に一番近いでしょ? だから、私と君のそれぞれがちゃんとしないと上手く成立しないし、ちゃんと息を合わせることも大事。さっきは『指導』みたいな風に言ったけど、言い換えれば『二人で練習』がしたいってこと」
「迷惑でないのであれば、練習したい」
まだ少し気が引けた。だが彼女の言う通り、個人で練習しても、演技を知らない俺はなかなか伸びるようには思えない。ここは素直に彼女に甘えることにする。
彼女は、「やったぁ!」とガッツポーズと共に喜び、ぴょこぴょこ跳ねていた。
「今日の放課後! 体育館ね!」
顔を赤らめ興奮気味にそう伝えると、逃げるように立ち去って行った。なんか今日の桑原さん勢いがすごいな……。
このときの俺は、練習がすごく楽しみだった。早くやりたくてしかたなかった。
ホームルームが終わり、教室が騒がしくなる。帰り支度を終えた多くの生徒が帰っていく。
「暁斗くん! 先行ってるね!」
桑原さんはそう言って教室を飛び出して行った。昼休みから明らかに様子が変わっている。相当演劇が好きなのだろう。じゃないとあんなに態度でるもんじゃない。
彼女を待たせるわけにはいかないので、素早く荷物をまとめる。そこで一輝に声をかけられた。
「暁斗、桑原たちと最近よく一緒にいるよな」
そんなに一緒にいたかな、と思った後、演劇のことがバレてはいけないと思い必死に誤魔化す口実を考える。
「そうかなぁ。確かに少し話すようになったけど、『よく』ってほどではないと思うよ」
そんなもんかという風に納得したような顔をする一輝を見て一安心する。よし、我ながらいい回避だった。
「一輝は、あれから仲直りできた?」
これもよく使えるテクニック。素早く話題を変える。ただ単純に心配だったというのもあるが。
「まぁ、ぼちぼちって感じ」
少々浮かない顔をしていたが、一輝のことだし、上手くやっていけるのだろう。心配するのも余計なお世話だったか。
彼に「さよなら」を告げて、体育館へと急ぐ。
今日は月曜日で、基本的にどの部活も活動をしない。図書室でも利用しない限り、ほとんどの生徒は帰宅する。学校に残るなんて滅多にないので、とても不思議な感覚だ。
体育館へと到着し扉を潜る。一番奥、正面に見えるステージの上で鞄を下ろし、足をぷらぷらさせている桑原さんを視界に捉える。
「あっ! やっと来たー。遅かったね」
彼女の明るい声が体育館に響く。広い空間に二人だけというのがまた新鮮で、特別感が感じられた。
「ご、ごめん。そんなに待たせちゃった?」
「すごく待ったっていうわけじゃないけどね。まぁいいや。早くやろう!」
台本を握る彼女を見て俺も思い出し、カバンから取り出す。付箋がたくさんついている彼女のものに対して、俺のものは特にもらったときと変わらない。少し折り目がついているくらいだ。俺は全体に目を通すので精一杯だったが、彼女はかなり深いところまで読み込んでいるのだろう。本当に、すごい。
「目は通してるよね? オーディションの部分はどう?」
「一応全部。オーディションの部分は結構覚えてる。まだちょっと不安だけど」
俺は前回帰宅後、台本を夢中になって読んでいた。そして土日を使ってオーディションの部分だけでもと思い何度も復唱した。おかげで九割ぐらいはもう覚えている。
「すごいねぇ! 最初からそこまでできる人はなかなかいないよ!?」
彼女が想像以上に褒めてくるので、少し照れくさくて目線を逸らした。
「じゃあ早速、やってみよっか」
「えっ?」
「そんなに緊張しなくてもいいよ。試しに一回通して、改善点見つけるだけだから」
そうやって言うけど、やったこともない人間はそれですら難しいんだよ……。
流石にまだ早いのではないかと抗議してみたが、難なく俺が押し切られた。彼女の言う「何事もやってみないとわからない」という意見がごもっともすぎるというのが決め手だった。
自分ができる最大限の演技を、初めて人に見せた瞬間だった。
演技が終わり、やり切れたという思いの裏に、不安が顔を覗かせた。
……桑原さんがあまりよろしくない表情を浮かべていたからだ。今の演技に対して悩むような、失望とまではいかないような、なんともいえない表情を。
少しの沈黙が長く感じて不安が増大していくと、やっと桑原さんが声を発してくれた。
「正直、びっくりしてる。初心者とは到底思えない。ただ、良い演技をするあまり、暁斗くんにはもっと完璧な演技を求めたくなっちゃった」
彼女の言葉を聞いて少し安心した。罵詈雑言を浴びせられなかっただけマシだ。
彼女は優しいから、きっと濁して言ってくれたのだろうが、直すべき点がたくさんあるのだろう。だが、教えたとして上から目線みたいな感じになることを嫌っている様子だった。
俺は教えてもらう立場だ。ここはしっかり、自分から伝えないと。
「どこがダメだったか、教えてくれないかな……?」
少し俯きがちだった彼女は顔を上げると、少し間が空いたが笑顔で頷いてくれた。そして「えっとー、まずは……」と呟きながら台本をめくる。ページを見つけて反対に折り曲げて持つと、一つ目の欠点を話してくれた。
「まずは声、かな。全体的に問題なく聞こえると思うんだけど、もう少し欲しいというか……。でもそれは、大きさというよりかは、ハリのある声、みたいな」
彼女が言いたいことはなんとなくわかる。それにこれは俺も薄々思っていたことだ。
「えっと、喉からじゃなくて腹から声出せ、みたいな?」
「そう! それっ!」
一拍置いて、「めっちゃ大きい声出しちゃった」と言って、その光景が面白くて二人で笑い合った。
お互い落ち着くと、さらに彼女は続ける。
「でも、人物の感情を声に吹き込むのはものすごく上手。それは絶対消さないでほしい」
「……でも、声質を変えるといっても、具体的に何を意識したらいいの?」
小中学生の時の音楽の授業でよく言われていた、「腹から声を出す」。お腹に力を入れろとかいろいろ言われたが、いまいちよくわからなかった。
彼女は悩んだ末、ゆっくりと説明してくれた。
「……発した声が一本の糸みたいに考えたみてほしい。その糸が震えたり、曲がったりするんじゃなくて、ぴーんっと張る感じ。やっぱり、筋トレとかも必要になってくるんだけど、筋肉がつきすぎると却ってだめになっちゃうから気をつけてね」
なるほど、と感心しながら頭の中でイメージしていく。例えがわかりやすくて理解は容易かった。
演技の練習の一環として、腹筋や背筋、体幹などのトレーニングをすると聞いたことがある。この学校の演劇部はどうしているのかわからないが、少なからず個人でやっているのだろう。
イメージや計画を膨らませている俺に、さらに助言をくれる。
「でも、これを全てのセリフでやらなきゃいけない訳じゃないのは理解してね。特に今回の主人公は、明るくて溌剌というよりかは、控えめで少し暗めだから、あまり出番はないかもしれない。でも使ったほうがいいところもあるはずだから、覚えておいてね」
人物の特徴も踏まえて事細かに教えてくれる。自分の持つ認識も確認できて、そういう不安にも配慮してくれているのかと思い改めて良い人だなと思った。
性格や環境、場面から、そのセリフに込められた想いを確かめて、どう表現するか考えよう。もっと台本を読まなければ……。
「じゃあ、早速やってみよう!」
場面の冒頭に戻りセリフを再確認する。序盤はあまり出番が少ないが、他にも工夫を探してみよう。
「熱心に練習するのはいいが、もう閉めるぞ」
練習を再開しようとした時、体育館の扉付近から太く芯のある声がかかる。声の主、上田先生は演劇部の顧問……というよりかは、ほとんど部活に来ないので責任者みたいな人だ。実際に経験があり、改善点を探す際にお願いしているらしい。
時計に目をやると、すでに三十分が経過していた。本来ならば体育館は部活がある日のみ開放されるので、こういうことはできない。もう少しやりたくてもここは引くことしかできない。
「わ、わかりましたー! すいません……」
彼女が声を張って伝えると、先生は去っていった。
練習を終わりにせざるを得ないとわかると彼女は、明らかに肩を落としていた。大きくため息を吐くと、悲しみを帯びた声で言った。
「今日はもう帰ろうか。また明日。あ、部活もあるから、よかったら来てね」
台本を鞄しまって、とぼとぼ歩いて行く。先ほどまでのテンションはどこにいったのか……。
彼女の姿を眺めていると、ちゃんと伝えていないことを思い出して呼び止めた。
「桑原さん、今日はありがとう。わざわざ時間を作ってくれて」
こちらに振り返った彼女は、一瞬驚いたような顔を見せた後、満面の笑みを浮かべて、ただ一言だけ言った。
「また、やろうね!」
さっきまでの雰囲気は消えて、とても明るい快活な声だった。上機嫌になったのか、少しだけ足取りが軽くなっているようにも見える。
扉を出る際にもう一度こちらに向き直り、手を振って帰っていった。俺は振り返した手を下ろして、この一時間を思い出す。
時間があっという間に感じるくらい、楽しかった。彼女と過ごしているのは誰よりも居心地が良く、安心できた。
そして何より、疲れなかった。顔色を伺うことも、隠すこともしなくていい。どんな自分でもきっと受け入れてくれる、そんな絶対的な信頼のようなものがあった。
浸っているうちに、彼女と練習できることがとても待ち遠しくなっていた。
月曜日の昼休み。土日に雨を降らした空は、度々開放される屋上に温かな光を与えている。桑原さんに呼び出された俺は、少し強めに話す彼女に気圧されていた。
「応募人数が二十三人なんだって。それに部長は絶対妥協を許さない人だから、普通に演技しただけじゃなかなか好印象は残せないと思う。あ、ちなみに部長は当日の審査員長ね」
突然の呼び出しに戸惑う俺に対し、ゆっくりと説明してくれる。
先週の部活に参加したとき、部長がとても厳しいだろうことはなんとなく感じていた。優しそうな見た目に反して、演技には最大限心を燃やしている証拠だとも思う。
その後も、俺の不安な心を少しずつ和らげるように会話の応酬が続く。
「でも逆に『こいつならやれる』って思ってもらえれば、最大限尽くしてくれる。だから、このワンシーンはすごく重要なの」
「……ことの重要性は充分わかったよ。でも、桑原さんにも役があるのにつきっきりで見てもらうのは申し訳ないよ……」
すると彼女は、少しだけ険しかった表情が柔らかくなった。そして誇らしげな顔をして、胸をポンっと叩く。
「暁斗くん、なんで私がわざわざ目立つようなヒロイン役を担ったと思う?」
「……やりたかったからじゃないの?」
「それもあるけど! ……この役は主人公に一番近いでしょ? だから、私と君のそれぞれがちゃんとしないと上手く成立しないし、ちゃんと息を合わせることも大事。さっきは『指導』みたいな風に言ったけど、言い換えれば『二人で練習』がしたいってこと」
「迷惑でないのであれば、練習したい」
まだ少し気が引けた。だが彼女の言う通り、個人で練習しても、演技を知らない俺はなかなか伸びるようには思えない。ここは素直に彼女に甘えることにする。
彼女は、「やったぁ!」とガッツポーズと共に喜び、ぴょこぴょこ跳ねていた。
「今日の放課後! 体育館ね!」
顔を赤らめ興奮気味にそう伝えると、逃げるように立ち去って行った。なんか今日の桑原さん勢いがすごいな……。
このときの俺は、練習がすごく楽しみだった。早くやりたくてしかたなかった。
ホームルームが終わり、教室が騒がしくなる。帰り支度を終えた多くの生徒が帰っていく。
「暁斗くん! 先行ってるね!」
桑原さんはそう言って教室を飛び出して行った。昼休みから明らかに様子が変わっている。相当演劇が好きなのだろう。じゃないとあんなに態度でるもんじゃない。
彼女を待たせるわけにはいかないので、素早く荷物をまとめる。そこで一輝に声をかけられた。
「暁斗、桑原たちと最近よく一緒にいるよな」
そんなに一緒にいたかな、と思った後、演劇のことがバレてはいけないと思い必死に誤魔化す口実を考える。
「そうかなぁ。確かに少し話すようになったけど、『よく』ってほどではないと思うよ」
そんなもんかという風に納得したような顔をする一輝を見て一安心する。よし、我ながらいい回避だった。
「一輝は、あれから仲直りできた?」
これもよく使えるテクニック。素早く話題を変える。ただ単純に心配だったというのもあるが。
「まぁ、ぼちぼちって感じ」
少々浮かない顔をしていたが、一輝のことだし、上手くやっていけるのだろう。心配するのも余計なお世話だったか。
彼に「さよなら」を告げて、体育館へと急ぐ。
今日は月曜日で、基本的にどの部活も活動をしない。図書室でも利用しない限り、ほとんどの生徒は帰宅する。学校に残るなんて滅多にないので、とても不思議な感覚だ。
体育館へと到着し扉を潜る。一番奥、正面に見えるステージの上で鞄を下ろし、足をぷらぷらさせている桑原さんを視界に捉える。
「あっ! やっと来たー。遅かったね」
彼女の明るい声が体育館に響く。広い空間に二人だけというのがまた新鮮で、特別感が感じられた。
「ご、ごめん。そんなに待たせちゃった?」
「すごく待ったっていうわけじゃないけどね。まぁいいや。早くやろう!」
台本を握る彼女を見て俺も思い出し、カバンから取り出す。付箋がたくさんついている彼女のものに対して、俺のものは特にもらったときと変わらない。少し折り目がついているくらいだ。俺は全体に目を通すので精一杯だったが、彼女はかなり深いところまで読み込んでいるのだろう。本当に、すごい。
「目は通してるよね? オーディションの部分はどう?」
「一応全部。オーディションの部分は結構覚えてる。まだちょっと不安だけど」
俺は前回帰宅後、台本を夢中になって読んでいた。そして土日を使ってオーディションの部分だけでもと思い何度も復唱した。おかげで九割ぐらいはもう覚えている。
「すごいねぇ! 最初からそこまでできる人はなかなかいないよ!?」
彼女が想像以上に褒めてくるので、少し照れくさくて目線を逸らした。
「じゃあ早速、やってみよっか」
「えっ?」
「そんなに緊張しなくてもいいよ。試しに一回通して、改善点見つけるだけだから」
そうやって言うけど、やったこともない人間はそれですら難しいんだよ……。
流石にまだ早いのではないかと抗議してみたが、難なく俺が押し切られた。彼女の言う「何事もやってみないとわからない」という意見がごもっともすぎるというのが決め手だった。
自分ができる最大限の演技を、初めて人に見せた瞬間だった。
演技が終わり、やり切れたという思いの裏に、不安が顔を覗かせた。
……桑原さんがあまりよろしくない表情を浮かべていたからだ。今の演技に対して悩むような、失望とまではいかないような、なんともいえない表情を。
少しの沈黙が長く感じて不安が増大していくと、やっと桑原さんが声を発してくれた。
「正直、びっくりしてる。初心者とは到底思えない。ただ、良い演技をするあまり、暁斗くんにはもっと完璧な演技を求めたくなっちゃった」
彼女の言葉を聞いて少し安心した。罵詈雑言を浴びせられなかっただけマシだ。
彼女は優しいから、きっと濁して言ってくれたのだろうが、直すべき点がたくさんあるのだろう。だが、教えたとして上から目線みたいな感じになることを嫌っている様子だった。
俺は教えてもらう立場だ。ここはしっかり、自分から伝えないと。
「どこがダメだったか、教えてくれないかな……?」
少し俯きがちだった彼女は顔を上げると、少し間が空いたが笑顔で頷いてくれた。そして「えっとー、まずは……」と呟きながら台本をめくる。ページを見つけて反対に折り曲げて持つと、一つ目の欠点を話してくれた。
「まずは声、かな。全体的に問題なく聞こえると思うんだけど、もう少し欲しいというか……。でもそれは、大きさというよりかは、ハリのある声、みたいな」
彼女が言いたいことはなんとなくわかる。それにこれは俺も薄々思っていたことだ。
「えっと、喉からじゃなくて腹から声出せ、みたいな?」
「そう! それっ!」
一拍置いて、「めっちゃ大きい声出しちゃった」と言って、その光景が面白くて二人で笑い合った。
お互い落ち着くと、さらに彼女は続ける。
「でも、人物の感情を声に吹き込むのはものすごく上手。それは絶対消さないでほしい」
「……でも、声質を変えるといっても、具体的に何を意識したらいいの?」
小中学生の時の音楽の授業でよく言われていた、「腹から声を出す」。お腹に力を入れろとかいろいろ言われたが、いまいちよくわからなかった。
彼女は悩んだ末、ゆっくりと説明してくれた。
「……発した声が一本の糸みたいに考えたみてほしい。その糸が震えたり、曲がったりするんじゃなくて、ぴーんっと張る感じ。やっぱり、筋トレとかも必要になってくるんだけど、筋肉がつきすぎると却ってだめになっちゃうから気をつけてね」
なるほど、と感心しながら頭の中でイメージしていく。例えがわかりやすくて理解は容易かった。
演技の練習の一環として、腹筋や背筋、体幹などのトレーニングをすると聞いたことがある。この学校の演劇部はどうしているのかわからないが、少なからず個人でやっているのだろう。
イメージや計画を膨らませている俺に、さらに助言をくれる。
「でも、これを全てのセリフでやらなきゃいけない訳じゃないのは理解してね。特に今回の主人公は、明るくて溌剌というよりかは、控えめで少し暗めだから、あまり出番はないかもしれない。でも使ったほうがいいところもあるはずだから、覚えておいてね」
人物の特徴も踏まえて事細かに教えてくれる。自分の持つ認識も確認できて、そういう不安にも配慮してくれているのかと思い改めて良い人だなと思った。
性格や環境、場面から、そのセリフに込められた想いを確かめて、どう表現するか考えよう。もっと台本を読まなければ……。
「じゃあ、早速やってみよう!」
場面の冒頭に戻りセリフを再確認する。序盤はあまり出番が少ないが、他にも工夫を探してみよう。
「熱心に練習するのはいいが、もう閉めるぞ」
練習を再開しようとした時、体育館の扉付近から太く芯のある声がかかる。声の主、上田先生は演劇部の顧問……というよりかは、ほとんど部活に来ないので責任者みたいな人だ。実際に経験があり、改善点を探す際にお願いしているらしい。
時計に目をやると、すでに三十分が経過していた。本来ならば体育館は部活がある日のみ開放されるので、こういうことはできない。もう少しやりたくてもここは引くことしかできない。
「わ、わかりましたー! すいません……」
彼女が声を張って伝えると、先生は去っていった。
練習を終わりにせざるを得ないとわかると彼女は、明らかに肩を落としていた。大きくため息を吐くと、悲しみを帯びた声で言った。
「今日はもう帰ろうか。また明日。あ、部活もあるから、よかったら来てね」
台本を鞄しまって、とぼとぼ歩いて行く。先ほどまでのテンションはどこにいったのか……。
彼女の姿を眺めていると、ちゃんと伝えていないことを思い出して呼び止めた。
「桑原さん、今日はありがとう。わざわざ時間を作ってくれて」
こちらに振り返った彼女は、一瞬驚いたような顔を見せた後、満面の笑みを浮かべて、ただ一言だけ言った。
「また、やろうね!」
さっきまでの雰囲気は消えて、とても明るい快活な声だった。上機嫌になったのか、少しだけ足取りが軽くなっているようにも見える。
扉を出る際にもう一度こちらに向き直り、手を振って帰っていった。俺は振り返した手を下ろして、この一時間を思い出す。
時間があっという間に感じるくらい、楽しかった。彼女と過ごしているのは誰よりも居心地が良く、安心できた。
そして何より、疲れなかった。顔色を伺うことも、隠すこともしなくていい。どんな自分でもきっと受け入れてくれる、そんな絶対的な信頼のようなものがあった。
浸っているうちに、彼女と練習できることがとても待ち遠しくなっていた。


