体育館全体の照明がついて、主演キャスト、照明担当者、音響担当者などの関わる全ての人が舞台に集合する。舞台監督を務めた高橋さんの一礼に合わせて、部員全員で深々と頭を下げる。
「本日はご足労いただきありがとうございます。演劇、いかがでしたか? 我々一同、六月頃から精一杯の準備を行なってきました。皆様の心に残るような作品になっていれば幸いです」
 体育館に敷き詰めるられた観客の中には、ハンカチで目を押さえている人もいる。演技が上手くできていたのかな、と思い一安心する。
「事前にお知らせしていましたが、今回の主役は部員ではない生徒が担っています。プレッシャーに耐え最後までやり切った、一年生の鷹波暁斗くんに、大きな拍手をお願いします」
 急に名前を言われて驚いたが、なるべく堂々としてもう一度頭を下げる。どっと湧き起こった拍手や歓声が嬉しい反面、少し恥ずかしさを覚えた。
「これで、演劇部による上演を終了とさせていただきます。ありがとうございました」
 再び起こった大きな拍手と共に、各々が解散していく。俺たち演劇部も、小道具などの片付けを始める。
 舞台を降りたところで、最後まで観ていたであろう木村に声をかけられた。
「お疲れー、暁斗。もう最っ高だったよー。演技力も高すぎるし」
「ありがとう。気に入ってもらえて良かった。てか、時間的に大丈夫? 教室の方に戻った方が……」
「うわ、やばっ! もう行くわ。とにかくお疲れ!」
 走りながら手を振る彼を見送り、運ぶ予定だった荷物に手を伸ばす。
「暁斗」
 半年ぶり、本当に久しぶりで、一瞬誰かわからなかったが、忘れているわけない。
 振り向いた目の前にいたのは、単身赴任中のはずの父だった。どこか少し老けたように見える彼もまた、懐かしむような、どこか泣きそうな顔をしていた。すぐ横にいる母も、ハンカチを右手に握っている。
「父さん、母さん、どうして……」
 父にも観てもらえたということは嬉しいことなのだが、素直に喜ぶことはできない。演劇のことは、一度も話したことはなかったから。
「最高の演技だったよ。本当に」
 父の言葉に、母はただ頷くばかり。
「あ、ありがとう。……でもどうして来れたの? 伝えてなかったはずだけど」
 どこか迷うように、父と母は顔を見合う。話さない方がいいかを吟味するように。
 今度は父ではなく、母の口が動く。
「暁斗が、学校に行かなかった時期が少しだけあったでしょ? あの時扉を開けちゃったんだけど、この演劇の台本が床に投げ捨てられてたのを見たの。気になって仕事の帰りに高校のサイトを見てたら、学校帰りの女子生徒に声をかけられたの」
 その生徒曰く、母は社員証をぶら下げていたため、それを見て声をかけたらしい。
「その子がとても真剣そうな顔で、『鷹波暁斗くんのお母様ですか』って聞いてきたの。それがわかったら、演劇のことも、佐野くんとの一件も教えてくれて……。そのあとは焦るような様子で、暁斗を一度だけでいいから学校に行かせてほしいって」
 お母様ですか? なんて堅くなりすぎている彼女の姿が頭に浮かぶと、ちょっと可笑しくて笑ってしまいそうになる。
 きっとこれは鈴だ。焦っていたのは、このままではオーディションを辞退することになると直感したからだろう。実際にその後俺は、彼女の懸命な説得で復帰することになるわけだし。
 あの時の母は、全部知っていたのか。無理に干渉しないでいてくれたのも、それを知ったからこそだったのだろう。久々に登校した日も、弁当を作り終わった時に変なことを言っていたを思い出す。至れり尽くせりだったことに、そしてそれに気づけなかったことに、少しばかり罪悪感を感じた。
「すまなかったな、暁斗。辛い思いをしていたのに気づけなくて、遠くに行ってしまって」
 顔を俯かせた父を見て、すぐさま言葉が出ていく。
「父さんは悪くない。弱かった俺が」
 俺を黙らせるように、父は俺を強く抱擁する。最後に抱きしめられたのは小学校一年生ぐらいだっけ。もっと前だっけ。
「弱いなんか言うな。お前は強くないかもしれないけど、決して弱いわけじゃない。お前は……、立派な役者だよ。……俺のっ、自慢の息子だ」
 最後の一言は嗚咽を堪えていて、より強く俺の心に響いた。大人が泣くのも、自分がこんなに大切にされているのも、今まで全く知らなかった。気づこうとしなかったの方が正しいのかもしれない。
 ごめんなさい。そのたった一言を、何度も父に伝えた。心のどこかで、父に対して嫌悪感を抱いていたから。辛い自分を置いていって、何もしてくれないなんて、愛がなさすぎると思っていたから。でも実際は、どんなに遠くにいても見守ってくれていた。わざわざ遠いところから、ここに来てくれた。不器用な父に嫌悪感を抱いていた俺だが、心のどこかでは父のことが好きだったのかもしれない。じゃなかったら、今涙なんて出ていないはずだ。
 母と父からの労いの言葉をもらった俺は、涙をハンカチで拭き取る。擦りすぎると後で何か言われそうなので、押し当てるだけにしておく。
 片付けを終えてどうしようかと悩んでいると、香織さんたちにバシッと背中を叩かれる。想像以上の痛みが遅れてやってきて、俺はその場にうずくまる。「え、え!? ご、ごめんてば」と言って慌てる様子から、多分そこまで強い力ではなかったのだろう。単純に俺が貧弱なのかもしれない。
 やっとのことで立ち直った俺に、労いの言葉をくれる。
「めっちゃ良かったじゃん。取られたのは心苦しいけどな」
「と、取られた?」
「なーにとぼけた顔してんだよ。私らだったらわかるぞ、あれは告白だってことぐらい」
 ポンッと頭を叩かれて、気づかれてしまったことが恥ずかしくなる。
「で、でも、成功したかはわからないよ?」
「失敗するわけねぇだろ。……絶対、大切にしろよ」
 悔しさを噛み締めるようにな表情で、そう告げる。
「うん。任せて」
 精一杯の笑顔を見た彼女らは、安心したように肩の力を抜いてみせる。三人には本当にお世話になった。恩を仇で返すわけにはいかない。

 片付けを終えると、演劇部の活動部屋で行われる会議に出席するように言われた。文化祭の最中に呼び出されるなんて思ってなくて、良くないことなのだろうかと不安が頭をよぎる。
 扉の前で立ち止まり深呼吸する。不安な気持ちを抱えて、扉を三度ノックして扉を開ける。
 そこには主要キャスト五名と上田先生、高橋さんの姿があった。予想していた雰囲気と違って、そこまで厳しい表情はしていなかった。
 集められた理由がわかっていない俺に高橋さんは告げる。
「演劇部は例年、文化祭の演劇で大会に臨むんだ。だから今回の演劇も、夏の全国大会が最終目標だったんだ」
 知らなかった事実に驚いているのは俺だけみたいで、他の人たちは当たり前だというような表情をしている。
 言いたいことはわかる。だからこの後の言葉も予想できる。
「このまま演劇部に入って、主演として出ないか?」
 突然の勧誘。もちろん「出たい」と言いたいのだが、やはり不安はある。最初は部外者だった人間が、このまま継続していいのか……。
 今までの俺ならば、ここでずっと迷い続けているに違いない。好きなこと、やりたいことでも、きっと隠していただろう。
 だが今は違う。
 演劇を通して、彼らとの演劇を通して、俺は決めたんだ。
「ぜひ出させてください。優勝、目指しましょう」
 それを聞いた彼らは、満足そうに表情を崩している。
 俺は最低にして、最高の「演技」をするんだ。
 たとえ本当の自分を嫌われても。
 人が離れていってしまっても。
 俺を好きでいてくれる人を信じて、俺は進むんだ。
 だって俺は、「優しい役」と言われた、立派な役者なのだから。